家入 一真
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GPT3.5を搭載したHOTOKE AIを作りました
noteに書こうと思いながら時間が経ってしまった。改めて、振り返りも兼ねてまとめておきます。お悩みにGPT3.5を搭載したメカニカル仏がお答えするサービス、HOTOKE AI を個人的に立ち上げました。
(「メカニカル仏」は電グルオマージュ)
なぜ作ろうと思ったのか去年からGPT3を利用したクラファンジェネレータなどを開発していましたが、この応用でAIカウンセラーが作れないか?なんてことをぼん
AIを活用したクラファン作成支援プログラムを作りました
こんにちは。CAMPFIRE代表の家入です。
いや、しれっと上に「10日目の記事です」とか書いてますけど。これ書いてる今、12月21日。10日以上も遅れています。本当にすみません。
という訳で、ようやくです。いつもだったら経営者っぽく、1年の振り返りとか、ビジョンの話とか書くところですが、毎年同じようなことを書いている気もするので今年は趣向を変えてみました。
結論から言うと、OpenAIが提
カラフルな世界を目指して
この記事は2021年CAMPFIRE Advent Calendarの記事です。初日!昨年はこんな記事を書きました。
改めまして、こんにちは。CAMPFIREで代表をしている家入(@hbkr)です。カニエ・ウェストが ye に改名したので僕も ie にしようと思っています。やばい、後少しで今日が終わる。何を書こう…そうだ。
交換とはなにか突然ですが、実話かどうかは不明ですが僕の好きな話がありま
個をエンパワーするプロダクトとその思想
この記事は2020年CAMPFIRE Advent Calendarの25日目の記事です。ラスト。
こんにちは。CAMPFIREで代表をしている家入(@hbkr)です。最近はめっきりプロダクトの話をしてなかったなと思い、こうしてアドベントカレンダーを書くことにしました。長らく文章を書くことをサボっていたために、構成も文章も荒いですが、読んでいただけましたら幸いです。
プロダクトで思想を伝える今
コロナによる不安のなか、子育てで悩まれている方へ
起業家のメンタルヘルスについて、この数年、課題意識を持って声を上げてきましたが、コロナにより繋がりが分断され、不安な中でこれからの生き方や働き方を自らの意思で決め、選び取っていかねばならない「誰もが起業家たりうる時代」に、すべての方にオンラインカウンセリングが必要であると、改めて強く感じます。長期化も予想されるこの状況の中で、cotreeとして以下のような取り組みを立ち上げました。
cotree
「ここにいてよかった」と思える場所を目指して
新型肺炎の感染拡大に関して、日本国内において完全に潮目が変わったと認識し、急遽マネジャー陣で今後の対策について議論の上、方針を決定し、全社方針として以下のリリースを出しました。
スタッフ及びそのご家族、ステークホルダーの皆様の安全確保のため、また、周囲への感染拡大防止のため、皆様のご理解とご協力のほどよろしくお願いいたします。
……なんて、固い感じの書き出しでしたが、「会社とはどんな場所である
こんな僕でも社長になれた - #全文公開 にあたって
貧乏、イジメ、登校拒否、ひきこもり、両親の離婚、月収6万で新聞配達・・・それでも人生は変えられる!ユーザー50万人を擁する革命的レンタルサーバー「ロリポップ!」を開発、今や年商13億まで登りつめた、paperboy&co社長・家入一真のサクセスストーリー。今話題の「ナナロク世代」の風雲児が、人生のカベに悩むすべての人々へ、勇気と感動、そして成功のヒントを捧げます。
お待たせしました。一番最初に
こんな僕でも社長になれた - 新装版にあたって
こんにちは、家入です。
この本を出したのが二〇〇七年。paperboy&co.を立ち上げて五年後のことでした。そして再出版にあたり、この後書きを書いている今が、二〇一二年。
そうか、もう最初の起業からちょうど十年たったんだ。
二〇〇七年にたちもどって後書きを書くというのは、タイムマシンで過去に行ったようで何だか不思議な気持ちです。
あれから更にまた色々やらかすよ、お前は。
僕は当時の
こんな僕でも社長になれた - 解説 佐々木俊尚
家入さんとのつきあいはもう六年以上になる。最初は酒も飲めない控えめなオタク青年という外見だったのが、今ではすっかりイケメン化し、夜の六本木西麻布界隈を騒がせる「遊び人」風になった。しかしそういう外見の変化とは裏腹に、彼の心の中にある繊細さと誠実さは、驚くほどにずっと変わっていない。
最初に会ったのは、二〇〇六年六月七日午後のことである。なぜそこまで日にちを正確に覚えているのかと言えば、取材メ
こんな僕でも社長になれた - エピローグ
ナウでヤングなレンタルサーバー、ロリポップ!のサービスを開始して以来、早いもので五年の月日が経った。
考えてみると、開業当時、まだこの世に生まれていなかった息子は今や四歳。新たに三歳年下となる妹が誕生し、僕達は四人家族になった。アキコさんは相変わらず恐……優しくて美しく、しなやかだ。親戚も友達もいない東京という地にやってきて、一時はどうなることかと思われたものの、今では水を得た魚のように、日
こんな僕でも社長になれた - 第六章 成功、そして未来へ
突然届いた買収話 当時の、ペパボで働く社員の平均年齢は二十五歳前後。スタッフが若いことは、こういう業界では特に珍しいわけでもなく、新しい技術を逐一取り込める柔軟性、という意味では、必然といえるかもしれない。ただそんな、僕を含めた若い技術者たちは、どうしても経験値が絶対的に低い。学校に通ったり、技術書を読んだりするだけでは、ケースバイケースの不慮の事態への対応は学べない。そこはただ、場数を踏んでいく
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