すべての別れは一時的なもの
会社経営、採用やスタートアップ投資、コミュニティづくりなんかをやってると、たくさんの出会いや別れ、タイミングによる縁の無さなどを日々実感する訳だけど、僕は人との付き合いを短期的に考えてないので、別れ自体に対してそんなに悲観的ではない(死別は抜きにして)。5年10年、20年といったスパンでまた再開したり、共に仕事をしたりといったことは、全くもってある。これは歳を重ねて、わかってきたことでもある。
一期一会だとか、繋がりを大事にしようだとか、そういう話では無くて。むしろ、そうやって"繋がり"を大事にしすぎるあまりに、お互いに固執し、不毛な時間ばかりを過ごした挙句、相手も周囲も、そして自分さえも傷つけて、悪感情を抱いたまま別れることだってある。それこそ、"人付き合い"を短期的にしか見てないからこそ、”繋がり”に執着しちゃうんだよね。それって、とても、悲しい。
人との繋がりはストックでは無く、フローで。小さな世界で生きている僕らは、たとえ別れたとしても、生きてる限り、またどこかで合流したり、共に歩むこともある。そういった意味で、すべての別れは一時的なものであり、最終的にそれぞれが幸せになるためにある。
たまたま向かう先が同じで、「じゃあ一緒に歩きましょうか」って感じで共に歩み、でもやっぱり僕はこっち行きますわ、って感じで別れ、また別の人と出会い、歩み、別れ、それでも、それでもてくてくと歩いてると、かつての友人にまた出会う。もちろん、一生出会わないことだってある。
窓についたひとつひとつの雨粒が、合流したり、別れたりするように。
たとえ、会社や住む場所が大きく変わっても。なんだかんだと数年会えてなくても。「そういや、あいつ、元気かなあ」とお互いに思いあえる限り、きっと、別れは別れではないんだろう。そう思いながら(時には思いこみながら)、日々たくさんの出会いと別れを繰り返し、生きています。