One of them であること
“自分”という人間を一つのものとして考えるから、自分探しや自己実現なんてものを追い求めてしまう。見せ方なんて気にしてしまう。何者でもない自分、なんて現実を受け入れられず目を背けようとする。”本当の自分”なんて幻想で、あるのは自分という人間の生きてきた時間と状況の変化の積み重ねだけ。
“自分らしさ”みたいなものを内側から描こう描こうとするから、自意識や承認欲求ばかりが肥大化して、破裂しそうになる。逆に、他者のために何が出来るか、今いる居場所で何が出来るか、など自分の”外側”を描くことで、自分の輪郭のようなものをぼんやりと浮かび上がらせるくらいが、丁度良い気がする。
ナンバーワンよりオンリーワン、もいいけど笑、自分なんてただのワンオブゼムであることを知る。自分なんて所詮、替えのきく大勢の中の一人。自分なんて存在しなくても、明日も世界は回り続ける。僕はよく、自分のいない世界を妄想するけど、その世界は今の世界と、全く何も変わらない。
自分なんていなくても回る世界で、生きる意味や本当の自分なんて幻想を追い求めるから、結局見つからずに絶望する。あるのは自分という人間が生きてきた、時間の積み重ねのみ。つまり自分だけの物語。そしてその物語こそが自分だけのもの。生きる意味なんて無いが、一人一人の物語だけはそこに存在する。
“本当の自分”なんか探さなくても、物語は実はすぐそばに落ちてるんだよね。自分という、社会的に替えのきく、特別でも何でもない、愚かな人間が綴る、物語。それだけは替えられない。
自分のことは自分が一番知っているなんてのも、本当の自分なんてものがどこかにあるだなんてのも、全くの嘘っぱちで、他者の中にある自分を見つけていくことで、自分の輪郭に触れることくらいしか僕らには出来ない。結局のところ、誰も、自分ですらも、本当の自分なんてわからない。他者の中にある自分を見つけることが、自分を知ることであり、他者を知るということなんだろう。
本当の自分や生きる意味を外に追い求めたり、無理に自分を変えようとするのでは無く、今まで生きてきたそのままの自分を受け入れて、すでにそこにある物語を見つけ、続きを綴る。大事なことは、自分探しより、物語探しなのかもしれない。