恥をかきなさい
「恥をかきなさい。」そう言われた気がした。
Soup Stock TokyoやChain Museumなどをやられている遠山さんとの代官山ロータリークラブでのトークイベント。遠山さんがホスト、僕がゲストで、僕の生い立ちから今に至るまでなど、さまざまなお話をした。
かつて僕は画学生だった。芸大の油画科を目指して予備校に通った時代があった。結局、家庭の事情などで進学は叶わず、21歳で起業して今に至る。
ずっと表現者に対して劣等感があった。本来は自分もそっち側なのだ、なのに、という思いがあった。なぜ、自分はビジネスをしているのか?ビジネスでいくら上手く行っても、どこか満たされない自分がいた。命を削って作品を作り出すアーティストを尊敬する一方、そうはなれなかった自分とを比較しては落ち込んでいた。
30代半ばになってからだろうか、「社会」というキャンバスに「ビジネス」といった「表現」をしているのだ、そういった意味では自分もまたアーティストなのだ、と考えるようになってからは、少しは楽になれた気がした。
自分自身の過去の傷つきをもとに、自分がやる意義のあることを、社会に表現する。自分を納得させるための詭弁のようだが、今ではそう思うことで落ち着いている。
そんな話をしていた時だ。遠山さんに「今ではもう作品は作らないの?作ろうとは思わないの?」と問われた。これまでも何百回と尋ねられてきた質問だ。その度に僕は、「いやあ、才能なかったんで……。」と濁してきたし、今回もそうした。
「僕はね、」と遠山さんが語り始めた。
「家入くん、もっと恥をかきなさいよ。」
そう言われた気がしたのは、近頃は恥をかくような新たな挑戦を避けていたことに、自分でも薄々気づいてたからだろうか。
逆にいうと、人間だからこそ恥をかけるのだし、ルールなんて逸脱して、どんどん恥をかいたり後悔したりすれば良いのだ。とてつもない速さで進化しているAIだって、(今のところは)恥をかく様子はない。
僕たちは社会のルールから時に逸脱し、「はみ出す」ことで、他者とは異なる独自の個性を形作っていく。この過程で避けられない恥や後悔の感情は、一見すると負の経験に思えるかもしれないが、これらの傷つきと向き合っていく中で、僕たちはレジリエンスを育んでいく。
恥をかくのは怖いけど、それ以上に、恥をかかなくなることの方が怖い。社会という巨大なキャンバスに、へたくそな絵を描きまくれば良いのだ。