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こんな僕でも社長になれた - 第六章 成功、そして未来へ

突然届いた買収話

 当時の、ペパボで働く社員の平均年齢は二十五歳前後。スタッフが若いことは、こういう業界では特に珍しいわけでもなく、新しい技術を逐一取り込める柔軟性、という意味では、必然といえるかもしれない。ただそんな、僕を含めた若い技術者たちは、どうしても経験値が絶対的に低い。学校に通ったり、技術書を読んだりするだけでは、ケースバイケースの不慮の事態への対応は学べない。そこはただ、場数を踏んでいくほかない。
 そういう意味でも今回、ロリポップ!始動以来、初めて訪れたでかいピンチを、自分たちの力で何とか乗り越えられたことは、結果的に、僕たちの大きな自信につながった。一つの山を乗り越えられたことで、歴史の浅い会社と、入社したばかりの多くのスタッフたちとの間に、目に見えない連帯感が、少しずつ築かれつつあるように思えた。

 この頃、会社では、以前から要望の声の多かった独自ドメインサービスを、ついに開始することになった。.comや、.jpのように、サブドメインのつかないホームページアドレス。このドメインの取得作業を代行するのが、独自ドメインサービスだ。
 それまで、一般的には三千円前後の値段で提供されていたこのサービスを、果たしてペパボではいくらでやるのか。考えるにあたって、僕は二年前のことを思い出した。嫁に反対されながらも、ロリポップ!の利用料、月額二百五十円を決めた、あのときのように、ペパボだからこそ、価格では思い切りアピールしたい。ターゲットとしているユーザーは、ロリポップ!のユーザー層と同じだから、独自ドメインだって、できればお小遣いからでも取得できるほうがいい。
 ロリポップ!の躍進で、業界内におけるペパボへの注目度は、最高潮に高まっていた。だからこそ、やるなら、決して半端なことはしたくなかった。

「……みんな、聞いてください」
 ある朝、僕はそれぞれ黙々と作業に取り組むスタッフに、そう、声を掛けた。「社長」と呼ばれるようになって、早二年。社員の前で話すことには、未だ慣れなかった。緊張した。
「……前にも話していた通り、来月から、ペパボでも独自ドメインサービスを開始することになりました。まず、その価格ですが……六百六十円でいこうと思います」
「……安っ」
 何人かのスタッフから、そんな率直な反応が返ってきた。……よし。僕は確かな手ごたえを感じた。
 正直なところ、この六百六十円という破格の値段設定は、作業上、わずかに利益が発生するギリギリの価格、言わばほとんど、原価に等しい価格だった。こんな値段でやっている会社は、僕の知る限り他にまずない。というのも、他の多くの企業の場合、ドメイン取得を主な事業としているため、必ずそこで、大きな利益を上げなくてはいけないのだ。一方でペパボはというと、ロリポップ!というレンタルサーバーサービスがすでに主軸にある。仮に独自ドメインを取得しても、サーバーがなければホームページは作れないわけで、ユーザーが取得した独自ドメインとともに、そのままロリポップ!に申し込んでくれれば、それで十分に儲けがでる。つまり、必ずしもドメイン取得事業で、他社のように大きな利益を上げる必要がないという、強みがあるのだ。
「……で、このサービスの名称なんだけど……、『ムームードメイン』、で行こうか……と思います」
 言いながら僕は、ちらりと持永君に視線を送った。僕と同様、やや緊張した面持ちで周りの反応をうかがう持永君。何を隠そう、このサービス名の発案者は彼だったのだ。
「なんでムームー……?」
「なんでやろ……」
 ささやくようにして、どこからともなくそんな会話が聞こえてきた。そこで僕は慌てて補足説明。
「六百六十円だから、ムー、ムー……」
「あぁ……」
 謎が解け、納得がいったという意味の「あぁ」……に加えて、わずかに、ため息交じりの「あぁ」が聞こえた気がした。そこで、僕はここぞとばかりに言った。
「じゃ、じゃあ、『独田ドメ夫』と『ムームー』だったら、どっち?」
「……社長、ムームーでいきましょう」
 間髪入れずに誰かが言って、そのまま満場一致でムームーに決定。口には出さないまでも、えらく満足げな表情の持永君。一方で密かに「独田ドメ夫」の発案者であり、水面下でこれを一押ししていた僕としては、非常に残念な結果となってしまったのだった。
 ともかくそんな経緯を経て、ペパボはついに、独自ドメインサービス「ムームードメイン」を開始した。前もってロリポップ!のトップページで大々的に宣伝していたこともあって、オープン当日には三百件もの申し込みが殺到。当の僕たちも驚きを隠せない、大反響だった。
「オープンを待ってました!」
「ペパボならやってくれると思ってました」
 そんなユーザーたちの嬉しい言葉に、社内も一気に沸き上がった。

 そんなある日。出社すると、僕のデスクの上に、一通の書類が届けられた。差出人は、○○コンサルティング。どんなに頭をひねっても、全く見覚えのない会社だった。
(なんだろう……?)
 封を開け、収められていた書面に目を通すと、中にはこんな文面が綴られていた。

〈有限会社paperboy&co.代表取締役社長家入一真様
 私、○○コンサルティング社にてM&A事業を担当しております△△と申します。
 ……この度、東京に本社を置かれますある企業が、御社のご活躍に大変、興味をお持ちです。
 もし宜しければ、資料等お送り差し上げたく、ご連絡させて頂きました……〉

 M&A……ってなんだっけ? 一瞬考えて、はっとした。
 ……買収だ!

 東京のある企業が、ペパボを買収したいと言っているらしい。
(馬鹿げてる……!)
 その途端、僕は無性に、腹立たしさを感じた。ロリポップ!で、今や業界最大手となったペパボ。開始したばかりのムームードメインも、脅威の成長率を見せている。創業以来、借り入れゼロ。赤字を出したことだってない。そんな僕たちが、こんな唐突な買収話に、やすやすと飛び付くはずがないじゃないか!
 ……だけど、一方でそんな憤りの感情とは裏腹に、僕にはどうしても気になることがあった。一つは当然、先方の正体だ。一体、どこの企業がペパボを買いたいと言ってきているのか。僕にはまるで見当もつかなかった。でも、今後の仕事のことを考えても、それを知っておくことは必要なことに思われた。
 そしてもう一つ。他社は今のペパボをどう見ているのか、ということだ。ペパボの実績と将来性は、今、よその会社にどう評価されているのか、正体不明の先方が、ペパボの何を見てこんな話を持ちかけてきたのか、知りたかった。
 もちろん、どんな金額を提示されても、言われるままにペパボを売るつもりなんて毛頭なかった。でも、純粋な好奇心から、僕は、差出人のコンサル業者に、連絡を取ってみることにしたのだ。

 その数日後、業者から早速、僕の元に一通の分厚い封筒が届けられた。
〈……この度はご連絡頂きましてまことに有難うございます〉
 そんな短い手紙と共に同封されていたのは、膨大な量の資料だった。
 やや緊張しながら資料を手に取ると、真っ先に目に飛び込んできたのは、

〈株式会社グローバルメディアオンライン〉

 ……へえ。

 これが、そのときの僕の正直な感想だった。……というのも当時の僕は、こんな仕事をしていながら世の中のIT関連企業には全然詳しくなかった。そもそも全然、興味がなかった。だから、グローバルメディアオンライン(現GMOインターネット)、なんて聞いても、今一つピンとこなかった。一体何をしてる会社なんだ……? 資料を読み進めていくうちに、僕の目にはようやく、見覚えのある言葉が飛び込んできた。
(あっ、インターQ……)
 それは当時から約五年ほど前、パソコンを買ったばかりの僕が、たまにインターネットに接続する際に使っていたプロバイダだった。ダイヤルQ2で接続する仕組みで、契約の必要がなく、当時、クレジットカードを持っていなかった僕でも、唯一使うことができたプロバイダだったのだ。まだまだ新しい分野だと思っていたインターネットの世界で、こんなにも古くから活動していた会社だったのか……。驚くと同時に、当時は五年後の自分がまさか、同じフィールドに立って商売をしていようなどとは考えもしていなかったわけで、何となく感慨深いものを感じた。
 送られてきた資料から、その会社は、インターQ以外にも、様々な会社を傘下に置く、かなり規模の大きな企業だということが分かった。上場企業で、資本金も、売り上げもペパボとは桁違いに大きい。
(……へぇ、こんな会社もあるんだなぁ)
 そう感じる一方で、気がつくと僕の中には、ある一つの疑問が湧き上がっていた。
(ペパボはこれから先、どうなっていくんだろう?)

 これまで僕は、事業を軌道に乗せることに、ただひたすら全力を注いできた。より多くのユーザーに喜んでもらいたい、目指していたのはそれだけだった。そんな中で、知らず知らずのうちに人が集まり、いつの間にか「企業」になっていたペパボ。今後、僕たちはどうなりたいのか、会社として何を目指すのかなんて、改めて思えば一度も考えたことがなかったのだ。例えばこの、GMOという会社みたいに、行く行くは上場して、色んな会社を傘下におさめる大企業に成長させたいのか。それとも、ずっと、今くらいの規模で、気の置けない仲間と、手を伸ばせば届く距離でやっていきたいのか。
 これを機に、ちゃんと考えてみようと、僕は思ったのだった。

GMO・熊谷正寿さんとの出会い

 それから数週間後。僕は一人、東京、渋谷の地を訪れていた。GMO代表、熊谷正寿氏との会談のためだ。
 思い起こせば、東京に来るのはこれで二度目、藝大を受験し(そびれ)た、あの両国以来のことだった。慣れない東京、しかも今回は渋谷での宿泊。ギャルに財布を奪われないかとか、外国人に妙な薬を売りつけられないかとか、行く前から、何かと心配事が多かった。幸い、それが現実になることはなかったけれど、根っからの田舎者の僕は、渋谷駅に降り立った瞬間、そのあまりの人の多さに、何の行列やろうか、と先頭を探してしまったのだった。

 無数の人が行き交う渋谷の駅。そのまん前にそびえ立つ、ずば抜けて背の高い、まだ真新しいビル。セルリアンタワーと名づけられたその中に、GMOのオフィスは入っていた。
(すっごいなあ……)
 ビジネス棟の中へ足を踏み入れて、僕は改めて息を呑んだ。高い天井、ゆとりのエントランス。エレベーターは全部で六機あって、それが絶え間なく稼動しては、次々と人が出入りする。ガラス張りの窓からは敷地内の庭園を臨み、ここが渋谷というコンクリートジャングルであることを忘れてしまうほどの、癒しの空間が広がっている。……といっても、癒されてばかりいてもしょうがないわけで、警備員のおじさんに一礼をして、僕はついに満を持して本丸、GMOのオフィスへと向かったのだった。

「家入様、お待ち致しておりました。こちらへどうぞ」
 綺麗なお姉さんに促(うなが)されるまま、社長室へと足を踏み入れた……途端、僕は思わず、えっ、と声にならない声を発していた。精悍(せい かん)なスーツ姿の男性が、ずらっと十人近く並んで、みんな揃って、僕に向かって爽やかな笑顔を向けているのだ。
「え……あの、これは……」
 何だ一体、何なんだ……! 思わず腰が引けてしまう、凄まじい威圧感に、僕は激しく動揺していた。すると、真ん中に立っていた男性が、にこやかに口を開いた。
「家入社長、お忙しい中、はるばるお越しいただいてありがとうございます。グローバルメディアオンライン代表取締役の、熊谷(くま がい)です」
「あっ、どっ、どうも初めまして、家入です……」
 スマートに右手を差し出し、握手を求める熊谷さん。僕もぎこちない動作でそれに応じた。
(この人が熊谷さんか……)
 よく通る声に、歯切れのいい喋り方。全身からひしひしと威厳を感じさせるけれど、それでいて横柄(おう へい)さは微塵もない。
(社長として、人の上に立つ者として、洗練されている)
 それが、熊谷さんの第一印象だった。
「驚かせてしまってすみません。限られた時間の中で、少しでも我が社のことを理解していただけますように、今日はここに、我が社の役員、全員を集めました」
 熊谷さんに引き続き、今度はその役員の面々、一人ひとりと握手を交わす。
「……どうぞ、お掛けになってください」
 促されるまま、ソファに腰を下ろすと、熊谷さんがおもむろに切り出した。
「噂では耳にしていましたが、家入社長は本当にお若くていらっしゃるんですね」
「え、ええ。まあ……」
「その歳でこれだけの成功を収められるとは、本当に素晴らしい。ペーパーボーイさんの成長は、かねてより伺っています」
「あ、ありがとうございます」
 多愛ない会話のやりとりがあって、ついに話題は本題へと移った。
「……早速ですが、我が社について少しお話しさせて頂きます。GMOは、ホスティング事業と、ドメイン取得事業に、特に力を入れてきた会社です。ご存知の通り、ホスティングとはレンタルサーバー事業のことで、アイルやレンサバ本舗なども、GMOグループでご提供しています。また、ドメイン取得事業に関しては、お名前ドットコムという弊社のサービスが、業界でのトップシェアを占めています。失礼ですが、家入社長はこれらの社名を耳にされたことはありますか?」
「はい。もちろん存じています。ただ、それだけの実績をお持ちの御社が、どうしてうちのような会社に興味を持たれたのでしょうか?」
「これらのサービスは主に法人のお客様向けに提供してきたもので、個人のお客様向けサービスに関しては現在、弊社はまだまだ手薄という状況にあるのです。今回、ペーパーボーイさんにお声を掛けさせていただいたのはこのような理由からで、ロリポップ!やムームードメインなど、個人向けサービスを広く運営していらっしゃる御社と、自社サーバーを持ち、ホスティングに強みのある我々とがタッグを組めば、より良い相乗効果を望めるに違いないと、我々は考えています」
「なるほど……」
 熊谷さんの言うことには、確かに一理あった。何しろいつまた、この前みたいに取引先のサーバー業者がいきなり倒産するとも限らない。幸い前回は技術者総動員で何とか乗り切れたものの、ロリポップ!のユーザーはその後も毎日何百人という単位で増え続けていて、一つのサーバー業者に委託するサーバーの数も、日増しに大きくなっていた。そんな中で、より、外部に依存しない体制を構築することはペパボにとっての最大の課題だったのだ。

 社長である僕の年齢が若いことから、ペパボはよく、ベンチャー企業と謳(うた)われる。だけどそもそも、ペパボの設立に際して僕は、冒険しようなんて少しも思っていなかった。ただ、手元にあった資金と、持ち合わせていた技術で、できる限りのことをやった。ユーザー数が増え、利益が上がると、それを元手にもう一台、サーバーを増設する。それでも利益が出れば、さらにもう一台増やす。同じようにしてスタッフも一人、また一人と必要に応じて増員していった結果、今のペパボができ上がった。実の両親を見て、少しの借金が命取りになりかねない、そのことをよく知っているからこそ、借り入れだってない。そういう意味でいっても、ペパボはベンチャーから最も遠い会社だと、僕自身は思っている。危険を冒して大きな一攫千金を狙うくらいなら、宝くじでも買っているほうがよっぽど健全だ。
 ……でも、そんなペパボにとって、メイン事業となるサーバーを外部に委託しなければいけないことは、どうしたって避けられないリスクだった。いくら社内の業績が好調で、経営が安定していても、元となるサーバー業者が一斉に倒産してしまえば、直接個人ユーザーを抱えるペパボも、また必然的に共倒れになってしまう。
 だからこそ、熊谷さんの言うように、自社サーバーを持つGMOの傘下(さん か)に入れば、そのリスクも解消する。
「……ただ」
 今度は僕が口を開く番だった。
「僕が言うのも何ですが、ペーパーボーイには独特のカラーがあります。ロリポップ!や、ムームードメインなど、女性向けのサービスを多く扱っていることもあって、社内全体の雰囲気として、遊び心をとても重視しているんです。……その点、法人向けのサービスを多く手がけていらっしゃるGMOさんとは、相容れないように思うんです」
熊谷さんは、大きく頷くと、言った。
「……ええ。仰るとおり、ペーパーボーイさんのようなカラーは、今のGMOにはありません。けれども、そんな異色の企業がグループ内に加わることは、僕自身、決してマイナスではないと思っています。むしろ、ペーパーボーイさんのカラーで、我々の会社を染めてください。ぜひ、新しい風を吹き込んでください!」
(僕たちのカラーで、GMOを染める……)
思いがけない熊谷さんの言葉に、僕は少し、驚かされた。
「……家入社長は、『水滸伝(すい こ でん)』を読まれたことはありますか?」
「え……はい。……子供の頃に、ゲームの影響で夢中になって読んでました」
「そうですか! 実はGMOグループは、この水滸伝に由来した『梁山泊(りょう ざん ぱく)経営』という経営方針を掲げているんです」
「梁山泊経営……」
「ええ。もう十分ご存知でしょうが、梁山泊とは、『水滸伝』において百八人の英雄豪傑が集結したとされる地名です。我々GMOグループはこの梁山泊のように、志の高いITベンチャーに数多く集まって頂き、その上で、一つの『道具』として、GMOを大いに活用して大事を成していただきたいと考えているんです。どうぞゆっくり、お考えになってみてください」

 その日、別れ際に熊谷さんが僕に言った。
「それにしても、ぶしつけにあんなお手紙をお送りさせて頂いて、ご気分を害されたのではありませんか」
「いえ……GMOさんからこんなお話が来て、正直、驚きました。僕、学生の頃、インターQのユーザーだったんですよ」
「ええっ、本当ですか! 嬉しいなあ。ありがとうございます」
 熊谷さんはそう言うと、嬉しそうに目を細め、両手を胸の前で合わせた。御社のサービスを使っています、ユーザーにそう告げられる喜びは、僕自身誰よりよく知っているだけに、その瞬間の熊谷さんに、僕は無性に親近感を覚えた。
「……ところで、お噂によると家入社長はその若さですでにご結婚していらっしゃるとか」
「はい、妻子持ちです」
「そうですか! 実は僕も、二十歳のときに今の妻と結婚したんですよ」
「えっ、そうだったんですか」
「ええ。当時僕たちは本当に貧乏で。ある日、仕事から帰ると妻が泣きながら求人広告を見ていたんです。その姿を見て、このままじゃダメだって思ったんです」
 聞けば、熊谷さんも僕と同じ高校中退で、家族を養うために寝る間も惜しんで働く一方で起業し、地道に勉強を積んで放送大学を卒業した、努力の人なのだった。しかし、上品な語り口調や、スマートな物腰からは、そんな過去の苦労なんて微塵も感じられず、僕は驚きを隠せなかった。
「そんなわけで……失礼かもしれませんが、家入社長を、どうしても他人とは思えないんです」
 少し笑いながら、熊谷さんはそう言った。

 その日の夜、ホテルに戻ると、僕はさっそく家に電話をかけた。
「今日、GMOの人と会ってきたよ」
「どうやった?」
「悪い人たちじゃなかった」
「へぇ」
「でももしこの話を呑んだら……いきなり手の平を返されたりするんやろうか」
「……そうかもしれんね。東京は恐いところって言うし」
「……」
 僕は、ぼんやりと一日のことを思い出していた。僕みたいに、ファッションに疎い人間でも、一目見て分かるほど、仕立てのいいスーツをびしっと着こなしていた熊谷さん。紳士的で、穏やかで、信用できる人のように思えた。社長としても、人間としても、学ぶところが多くあると感じた。
 ただ……そうは言っても、他ならぬ熊谷さんが、ペパボを買収しようとしている張本人なわけで、僕はまんまと営業トークに乗せられているんだろうか。もしこの話を呑んだとして、提携後いきなり社長解任、なんてことになったりして……。もしくはいきなり「ナウでヤングなGMO!レンタルサーバー」にサービス名を変更させられたりして……。もっと悪ければ社名まで「ペーパーボーイ&GMO」に変えられたり……。何を信じればいいのか。何を選べばいいのか。僕は途方に暮れていた。
「……あ、熊谷さんから、奥さんとお子さんにって、お菓子をもらったよ」
「やったー!」
「凄く高そうな焼菓子。……僕が今食べよるやつ」
「え、なんで食べると! もういい、明日帰ってきても内鍵閉めとくけん!」
「ええっ、そんなぁ、おみやげ買って帰るけん……」
 僕がこんなにも東京で頑張っているというのに、嫁は冷たいのであった。
 食べ物の恨みは恐い。

お呼びがかかってしまった

 僕が福岡へ戻って間もなく、ペパボを取り巻く事態は、さらに急展開をみせた。
「社長、東京のLという会社からお電話なんですけど……ご存知ですか?」
ある日、スタッフの取り次いだ一本の電話に、僕は思わず、えっ、と声を上げた。
「L社が、どうしたの?」
「社長秘書室の方から、会食のお申し入れがあったのですが、お受けしますか?」
「お、お受けします!」
 色々とあって、今では日本中、誰もが知るところとなったIT企業、某L社。けれどもその当時は、球団なんとか問題も勃発する前で、一般的にも今ほどの知名度はなかった。そんなL社のことを、ただでさえIT業界に疎(うと)かった僕が、どうして知っていたかというと、以前に一度、福岡で行われた当時のL社社長、Hさんの講演会を健太郎と共に聴講したことがあったのだ。講演終了後に名刺交換をした際、Hさんは、ロリポップ!やムームードメインのことを知っていて、少なからず興味を持ってくれている様子が伺えた。東京の人が、福岡で活動する僕たちに注目してくれている、そのことに、当時僕たちは大いに沸きあがったのだった。
 そんなHさんからの、突然の会食の打診。
(何の話だろう……)
 心当たりは全然なかった。なかったけど……もしかしてまた今度も……そんな妙な胸騒ぎがした。

 結果的に、その予感は見事的中。数週間後の会食の席でHさんは、ペパボを、L社の完全子会社にしたいと持ちかけてきたのだ。具体的には、僕の持っているペパボの全株を、L社の相応額の株と交換する「株式交換」で、という提案だった。
(また、選択肢が増えてしまった……!)
 頭を抱える僕。……が、ことは決してそれだけでは終わらなかったのだ。

 L社からM&Aの打診があったのとほぼ同時期に、僕の元にはさらなる「お誘い」が舞い込んだ。若手企業家や、ベンチャー企業の支援、育成に力を入れている、東京のN社。そのN社長が、ペパボに数千万円の出資をしたいと、打診してきたのだ。
 願ってもない出資の申し出。普通なら会社経営者として、こんなにも有難い話はない。
 だけど、正直言ってそのときの僕は、ただ、戸惑っていた。ペパボの周りで、一体何が起きているのか、よく理解できなかった。
「M&A」、「株式交換」、「出資」、「増資」……。
 初めて聞く単語ばかりで、僕には分からないことだらけだった。だけど、そんな中で一つだけ確かなことは、僕の選択が、ペパボの将来を……家族や社員、そしてユーザーの将来を、大きく左右するということだけだった。

 一般に、上場企業が他社の買収に乗り出す場合、その情報の取り扱いにはことのほか慎重さが要求される。なぜなら、少しでも情報が漏れればたちまち株価に影響が出て、最悪の場合、インサイダー取引法に抵触する恐れがあるからだ。だから僕は、提携の話が浮上していることについて、むやみに誰かに相談することもできず、事実上、決断は僕一人に委ねられていた。

 あるとき、アキコさんがふと僕に言った。
「ねえ、前に博多で、手相見てもらったの、覚えとる?」
「博多で手相? あぁ、うん……あっ」
 僕は思わず、彼女と顔を見合わせた。
 それは半年ほど前、所用で博多へ出ていたときのことだった。家族で歩いていると、道端で、初老の爺さんが占いの店を出していた。すると、それを見た嫁がたちまち飛びついた。
「私、占いってやってもらったことないんだ。占ってもらおうよ」
「え、やめときなよ」
「やるやる。お願いしまーす」
「えぇ……」
 占いなんて、朝のテレビの血液型選手権で十分だ。わざわざ三千円も払って、もし「余命短し」なんて言われた日にはどうするんだと、僕は内心やきもきした。ところが、いざ嫁の鑑定が始まると、その内容は当たらずとも遠からず、なかなか面白かった。
「お名前は、家入明子さん……まずますの画数です。性格が少々男勝りなところがあります。浮き沈みが激しく、自分の趣味の世界に傾倒する傾向が強いでしょう……」
 僕が側でニヤニヤ笑って聞いていると、すぐさまアキコさんの鋭い目線で咎められ、僕はゆっくりと俯いた。
「では次に手相を拝見します」
 そのとき。それまで休みなく喋り続けていた爺さんが突然、一瞬口を閉ざしたのだ。
「な……なんですか」
 彼女が不安げな表情を浮かべ、恐る恐る尋ねる。僕も傍らで思わず息を呑んだ。すると、爺さんが言った。
「あなた、玉の輿に乗る相ですね」
「えぇっ。……それはいつですか、相手は本当にこの人ですか!」
(……おい)
 そこで鑑定時間、三十分が終了。旦那さんはどうしますか、と爺さんに尋ねられ、お願いします、と即答した。こうなると、僕の面子にかけて、僕がその玉の輿かどうか、鑑定してもらわなくてはならないと思ったのだ。
「……では、まず旦那さんのお名前を頂戴します」
「家入、一真です」
「家入、一真さん……。あなたは情報に携わる仕事に適しています。具体的には、マスコミか……コンピューター関連もいいでしょう。……勤め人をするよりは、自分で商売を始めたがる傾向にあります」
 僕とアキコさんは、思わず無言で顔を見合わせた。この爺さん何者だ!
「芸術方面に傾倒する傾向があります……。少々飽きっぽいところがあります」
 こんな調子で、その後も爺さんは次々と僕の性格や気質を言い当て、目を白黒させている僕達をよそに、最後にこう付け加えたのだった。
「……あなたにはいずれ、東京方面から、何らかのお呼びが掛かるでしょう。今年から来年にかけて、あなたにとって転機の年です。大きな人生の選択に迫られ、正しい選択をすれば、ひとまず今後しばらくは、安定した生活を送ることができるでしょう……」
「……本当に、お呼びが掛かったね」
 神妙な顔をして、アキコさんが呟いた。考えてみれば確かにそうだった。そして現に僕は今、どちらかといえばかなり大きな選択に、迫られている。
 爺さんの言葉が、嫌が応にも頭の中で渦巻いていた。

(正しい選択をすれば……)

運命の決断

 ある朝。ペパボの社内では、いつも通りの光景が広がっていた。
 おはようございまーす、そう言って一人、また一人と社員が出社してくる。それぞれが自分のデスクへつくと、近くにいる仲間に二、三言、言葉を交わし、おもむろに仕事に取り掛かる。広い室内には徐々に、タイピングの音が響き、誰かの話し声が響き、夜の間、誰もいない静けさに包まれていた室内に、再び活気が戻ってくる。

「……大事な話があります。ちょっと聞いてください。」
 その日、僕は、ついにそう切り出した。
 
 改めて考えてみると、これまでの僕は、会社を大きくしたいとか、知名度を上げたいとか、日本一のサーバー屋になりたいだとか、自分でも不思議なくらい、企業家として当然の野心を持っていなかった。それもそのはず、元をたどればレンタルサーバーは、家族が食べていければいいと、それだけを考えて始めた仕事だったのだ。ところがいざやってみると、そこには僕の予想以上の反響があった。良ければ良い、悪ければ悪いと、明確な評価を下すユーザー達。そんなユーザーに支持されるということは、ビジネスの枠を超えて、僕の喜びになった。全てはサービスを安定して運営するため、一人、また一人と必要に応じて増員したスタッフ達は、共に様々な壁を乗り越えていくことで、僕にとって、家族と同じくらい大切な、仲間になった。
 資本提携の話を受け入れるのか、それとも、今のまま、独立を維持するのか。その決断は、僕自身の価値観と正面から向き合う作業でもあった。
 僕は、何を目指しているのか……金持ちになること、有名になること、六本木ヒルズにオフィスを構えること、ステータスを手にすること、注目されること……。当たり前の願望は、僕にだって当たり前にあった。でも、それらが僕にとって、他の何より優先させるべきものなのかと考えたとき、何となく「それでいいのか?」という疑問が、僕の中でしきりに渦巻くのだった。

 そんな中で訪れたある日曜。その答えは、思わぬところから僕の目の前に降って湧いた。
 その日、僕は息子と連れ立って家の近くの公園へ遊びに来ていた。といっても、まだやっとヨチヨチ歩きを卒業したばかりの息子は、他の子のように勝手を知って遊べない。なのに気持ちだけは一丁前で、自分も歳の大きな子たちの集団に混じって対等に遊びたがるもんだから、しまいには、あっち行って、と邪険にされ、泣きを見る羽目に。そんな姿を見ていると、僕が子供の頃に嫌というほど味わった、あのほろ苦い思いを、これから息子もまた幾度と乗り越えていかなくちゃいけないのかと、少し不憫(ふ びん)に思えた。純粋な子供、それが故の、残酷さ。
(強くなれ息子……父さんだって昔は大変な目に遭ったんだよ)
 何気なくそんなことを思って……はっとした。
 人と話せない。人の目を見ることができない。上手く笑えない。……あの頃の僕は、いつの間に過去のものになったんだろう?
 笑い合える仲間が欲しかった。話し相手が欲しかった。理解してほしかった。分かり合える人が欲しかった。あの頃、僕が何より求めていたものが、いつの間に、僕の周りにこんなにも溢れていたんだろう。
 そのときに僕は気が付いた。僕にとって、最も大切なもの、それは、普段まるで意識しないほど自然に僕の周りにいてくれる、たくさんの「人」だったのだ。
 ロリポップ!のサーバーでホームページを作っている、沢山のユーザーたち。そんなユーザーを、僕と共に支えているペパボの仲間。そして、僕の家族。この人たちにとって、最もいい選択をしたい。そのとき、僕は、そう強く思った。

「……実は、ここ数ヶ月の間に三社から、ペパボに、資本提携の打診がありました」
 その日、僕の緊張が無言のうちに伝わったのか、社内にはどこか張り詰めたような空気が漂っていた。
「内容はどれも様々で、僕も色々と考えました。ペパボにとって、どうすることが一番いいのか。みんなにとっても、ユーザーにとっても、どうしたほうがいいのか……本当はみんなと相談して決めるのが一番だったんだけど……色んな事情で、今日まで発表できませんでした。ただ僕としては、きちんと考え抜いた末に出した結論で、選択はきっと間違ってないと思ってます。……ペーパーボーイは三月から、株式会社グローバルメディアオンラインと、資本提携を結ぶことになりました」
 ペパボでは、まだまだ僕たちが主体となってやりたいことが、たくさんあった。それに、僕たち独自の持ち味を守りたいという理由から、百パーセント子会社化の、L社の提案はどうしても呑めなかった。一方で、N社に打診された出資案は僕たちにとってもありがた過ぎるほどの好条件だった。若手企業家を育てたいという、N社社長の熱意には、何よりの心強さも感じた。
 ただ、ペパボにとって最も大切なことは、会社を大きくすることよりも、より安定したサービスを運営して、ユーザーを満足させられること、そしてその結果、僕を含めたスタッフ全員が、ちゃんとご飯を食べていけることに他ならないと、僕は思った。だからこそ、自社サーバーを持っていて、なおかつ、半子会社化という形での提案だったGMOを選ぶことが、ペパボにとって、最もいい選択だと、僕は考えたのだった。
「……僕たちペパボが今、GMOグループの傘下に入ることは、みんなにとっても、ユーザーにとっても、プラスになると思う。それに……個人的なことを言うと僕自身、GMOの熊谷代表と会って、話をして、学ぶところが多いと感じたんです。……このことで、ペパボを取り巻く環境はこれから少しずつ変わっていくかもしれない。だけど、大事なのは僕たちの、ペパボ本来の持ち味で、それに関していえば、こんなことくらいじゃそう簡単に変わらないと、僕は思ってます。みんな……どうかな」
 どこからともなく、拍手が沸き起こった。
 みんなが、ペパボの一員であることを誇れるような会社にしたい。その日、僕は、改めてそう強く感じた。

「……ごめんなさい。GMOと提携することに決めました」
 後日、僕から送ったそんなメールに対し、L社、Hさんからは、
「これからはライバルですね。お互い頑張りましょう!」
 という快い返事をもらった。
 N社、N社長も同様に、暖かいエールのメッセージを送ってくれた。
 そんなわけで、二〇〇四年三月、有限会社paperboy&co.は、株式会社グローバルメディアオンライン(GMO)と、資本提携を結ぶこととなったのだった。
 この発表は、当日の日経新聞の一記事としても取り上げられ、僕の元にはたちまち、ユーザーを始めとして、一報を聞きつけた多くの人たちから、様々な声が寄せられた。
 がんばれ、と言ってくれる人がいる一方で、事実上、大企業に吸収されるという形に、「がっかりした」、「ペパボはもう終わりだ」なんて言う人もいた。「低価格路線が失敗したんだろう」、「負債を抱えて、経営が行き詰ったんだろう」と、間違った憶測を立てられたりもした。

 そうじゃない、と反論したかった。負債なんて抱えてないし、勢いだって失っていない。そう、真っ向から反論したかった。でも、結局のところ、いくら言葉で説明しても、無意味だと思った。僕たちにできることはただ、誰の目にも見える形で、結果を示していくということ。焦らず、ある程度の時間をかけて、僕たちらしくやっていく、それだけだと思った。

そんな僕たちの今

 資本提携後、間もなく、僕たち家族は東京へと引っ越した。半月ほど後からやってきた健太郎とともに、GMOのオフィスの一画に、デスク二台分のスペースを間借りして、ついに僕たちの、東京での活動がスタートした。思えばペパボの前身、マダメ企画も、アキコさんの実家を間借りして始まったのだ。そういう意味でも、僕たちらしいスタートだった。

 あれから三年。

 有限会社だったペパボは、株式会社paperboy&co.へと変貌を遂げ、福岡と東京、二ヶ所の事務所では、現在、約百名のスタッフが働いている。
 当初お客様サポートとして入社した健太郎は、今や経営企画室室長、兼、取締役に大出世した。またペパボにとって初めての社員となった、かつての同僚、持永君は、「自分は管理より、ものづくりに従事していたい」という、本人たっての希望により、福岡事務所にて今もなお、ウェブデザイナーとして、現役で開発に携わってくれている。
 そんな二人を含む、ペパボスタッフの努力の甲斐もあって、順調に増え続けた、ナウでヤングなレンタルサーバー・ロリポップ!の総申し込み数は、今や五十万人に迫る勢い。ムームードメインのドメイン取り扱い件数は、三十五万件にも及び、二〇〇六年度、会社の年商はついに十三億円に膨れ上がった。
 僕のことを言うと、未だに開発は続けていて、個人で作った「ブクログ」というウェブ本棚サービスでアマゾンから表彰されたりした。僕も、会社も、まだまだ高度急成長のまっただ中だ(なんて自分で言ってみたりして)。

 そんな、二〇〇六年三月。
「ひきこもりからIT社長へ」、そう題された僕のインタビュー記事が、ネット上のあるニュースサイトに掲載された。
 折しも「ひきこもり」と「IT社長」、この二つのキーワードに、これまでになく世の中の注目が集まっている、そんな時期での掲載。僕自身の予想を、はるかに越える、大きな反響を呼んだ。僕の元には連日、記事を見たと言ってくれる人から、ものすごい数のメールが届けられ、「苦労してたんですね」、「自分も頑張ろうと思います」なんて言われると、何だか自分のことじゃないような、不思議な気持ちになったりもした。

 あるとき、その中の一通に、僕は思いがけないメールを見つけた。

〈久しぶり! 記事見たばい! 懐かしかったやー! 新しいFFも出たし、それに触発されてイエイリん家でロマンシングサガをしよったの思い出しよったすぐあとに記事見たけんさらにビックリしたよ! 俺は福岡におるばい! 今地元で老人ホームで働きようばい! やっとこさ去年から副主任で働かしてもらいよる。かあちゃんも元気にしてんの?イエイリん家に行きよった時にタコ焼き買ってきてくれたの覚えとうやー?〉

 それは僕の、中学時代の友達からのメールだった。

 ロマサガのことも、たこ焼きのことも、悲しいくらい全然覚えてなかったけど、ただあのときと何も変わらない、方言だらけのメールに、何だか無性に懐かしくなって、僕は少し泣いた。

 あの頃から、今まで。

 気が付くと、随分長い時間が経っていた。
 随分、色んなことがあった。

『塊魂(かたまり だましい)』というプレステ2専用のゲームがある。
 元は小さな球状の塊をコロコロと転がして、机の上に散らばっているもの、家の中に落ちているものをくっつけて、巻き込んでいく。すると次第にその塊は大きくなっていき、今度は家の外に出て、もっと大きなものを巻き込んでいく。モノ、動物、ヒト、街……。ところが、あんまり調子に乗って転がっていると、行く手には自分の塊より大きな物体が出現して、勢い付いている自分はそれにぶつかってボーンと跳ね返される。跳ね飛ばされて、思わぬ方向に転がって、アイタタタ、なんて言いつつ、そこでまた色んなものを巻き込みながら、転がっていく。

 三十年も生きてない僕が偉そうに語るのも何だけど、たぶん、人生ってこんなもんだ。

 あっちの方向に行って、あれを巻き込みたい。でっかい塊に仕上げたい。
 いくら頭でそう思っていても、そこへたどり着くまでの間には大きいものから小さいものまで、実に様々な物が無数に散らばっている。
 中には器用に、自分に必要なものだけを巻き込みながら、行く手を阻む障害を地道にクリアして、ゴールにたどり着ける人もいる。だけど、これまでのことを振り返ると、僕はどうもそういうタイプじゃなかったみたいだ。目先にある、ちょっと良さそうな物のほうにとりあえず転がってみる。でも、途中、思いがけず出現した大きな壁にボーンとぶつかって、突拍子もない方向に弾き飛ばされる。すると、そこでもまたすぐに、それまでとは違う、ちょっと良さそうな物を見つけてしまうので、飽きもせず再び転がってみる。……で、案の定再び、ボーン。

 ときには、弾き飛ばされた先が溝の中だったりして、しばらくの間、立ち往生を余儀なくされたこともあった。長く暗い溝の中で、僕の塊はただ、もがいて、もがいて、もがいて……やっと脱出に成功、と思ったらまたすぐに転がって、またすぐに有無をいわさず方向転換。
 そんな、一見無意味なことを幾度となく繰り返していくうちに、気づけば僕の塊は、途方もない大きさになっていた。

「あんなふうになりたい」
「こんなことをしたい」
 僕たちはいつだってそう思う。でも、思ったことを思ったように実現するのには計り知れない根気と、努力と、そして強い運が必要で、ほとんどの人は、そう思うように上手くはいかない。数え上げれば切りのないほど、「こんなはずじゃなかったのに」の連続だ。
 だけど、それでいいじゃないかと、僕は思う。
 ハードルが立ちふさがれば、方向転換したっていい。恐そうなものがあれば、逃げればいい。決死の覚悟でぶつかって、予期せぬ方向に弾かれたっていい。
 その先でこそ出会うことができた「ちょっと良い物」を、一つ一つ取り込んで、とりあえず転がってみる。右往左往しても、ちっとも前に進まなくても、懸命に塊を転がす、人間一人ひとりの営み。僕はそこに、たまらない愛しさを感じる。……と同時に、そうしてでき上がった僕の塊も、辿ってきた回り道ばかりの足跡も、改めて考えてみれば、案外、捨てたもんじゃなかったんだな、と思えるのだ。

次の章エピローグ

目次

全文公開にあたって
プロローグ 
第一章 貧乏な家に生まれて
第二章 「ひきこもり」だったあの頃
第三章 長いトンネル
第四章 起業前夜
第五章 ペパボ黎明期
第六章 成功、そして未来へ
エピローグ
新装版にあたって
解説 佐々木俊尚

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家入 一真
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