こんな僕でも社長になれた - 解説 佐々木俊尚
家入さんとのつきあいはもう六年以上になる。最初は酒も飲めない控えめなオタク青年という外見だったのが、今ではすっかりイケメン化し、夜の六本木西麻布界隈を騒がせる「遊び人」風になった。しかしそういう外見の変化とは裏腹に、彼の心の中にある繊細さと誠実さは、驚くほどにずっと変わっていない。
最初に会ったのは、二〇〇六年六月七日午後のことである。なぜそこまで日にちを正確に覚えているのかと言えば、取材メモが手もとに残っているからだ。だいぶ前に休刊してしまった小学館の青年誌『サブラ』の連載のためのインタビュー取材だった。『ジェネレーションZ』というタイトルで、当時急速に盛りあがっていたナナロク世代の起業家群像を紹介していこうという意欲的な長期連載だった。この連載は後に同じ小学館から『起業家2・0』というタイトルで単行本化もされている。
paperboy&co.の本社は、親会社のGMOインターネットと同じ渋谷のセルリアンタワーにある。豪華な受付で待っていると、広報のNさんがひとりで現れた。クールビューティーで颯爽とした彼女と名刺交換し、「家入社長は後から来られるんですか?」と聞いてみると、Nさんは「えっ」という顔をしてまわりを見渡す。
「おかしいですね……エレベーターで一緒にここまで降りてきたんですが」
困惑し、ふたりできょろきょろと周囲に視線を巡らせていると、フロアの遠方にある観葉植物の陰で何かが動いているのが見えた。
「あ、あれは」
「あ、社長!」
家入さんは背の高い観葉植物のグリーンの陰に隠れて、こっそりこっちをうかがっていたのだった。極端な人見知りなのである。だから「ジャーナリスト」なんていう大仰な肩書きを名乗り、しかも初対面の私に何ともいえない恐怖心を抱いたらしかった。
彼はそういう人間関係や社会に対する、何ともいえない「距離感」みたいなものを持っている。どういう風に人と距離を取ればいいのか、いつも悩んでしまうのだ。それは彼の欠点だ。しかし同時に、彼の最大の魅力でもあるのだ。
彼の創業した会社名の「ペーパーボーイ」は、受験浪人時代に新聞配達をしていたことに由来する。新聞販売店で出会った強烈な人たちのエピソードは、本書でも最も盛りあがる白眉のエピソードだ。たとえば二十代前半で異様なほどに筋肉質な「片岡さん」という同僚。初対面でいきなり「クソ坊主」と呼ばれ、家入さんは動揺する。
「……おい、クソ坊主! ボーっとするんじゃねー! あんまりボーっとしてっとなあ、頭の中までなぁ、どろんどろんに腐ってなぁ、べっろんべっろんになってなあ、そのうち本当のクソになっちまうぞ」
まあいきなりこんなことを言われて驚かない人はいないだろう。しかし家入さんはこの暴言に対して「どう考えても不思議なんだけど、理不尽なまでに威圧感がなかった」と本書で書いている。
私も大学浪人していたころ、家庭の事情で新聞配達をしていた。家入さんよりも時代はさらに二十年ぐらい昔だが、しかしあの世界の空気感はたぶん共通している。
新聞配達の仕事はきつい。朝刊の配達は午前四時ぐらいからスタートする。その時間帯にトラックが販売店の前にどさりと朝刊の束を置いていくからだ。仕事はまずそれを店内に運び込み、折込チラシを差しはさむところから始まるのである。
そしてバイクや自転車で配達に出て、終わって戻ってくるともう七時に近い。販売店のオバチャンが出してくれる朝食をモリモリ食べ終えて部屋に戻ると、ひと仕事を終えた爽快感があった。でもその爽快感は間もなく、猛烈な眠気に変わってくる。早朝から肉体労働をしてごはんをお腹いっぱい食べているのだから当然だ。そしてうっかりこの眠気の魅力に負けて「ちょっとだけ」と布団にもぐり込んでしまうと、気がつけば午後になっていたりする。そうして予備校はさぼりがちになってしまうのだ。だから学業に邁進するには実はあんまり向いていない。勉強と仕事を両立させるには強靭な精神が必要なのだ。だから家入さんもこの時代にはあまり勉強はしていなかったようだ。だから結局、二回続けて受験には失敗してしまっている。
一方で、新聞販売店にはもっと別の魅力がある。この場所にはさまざまな人たちが集まってくる。
家入さんや私のように、家が貧しくてしかたなく奨学生になった若者たちもいる。ひとくせもふたくせもありそうな、怪しげな拡張マンたちもいる。幸せを手のひらからこぼして歩いてきたような、うらぶれた中年のおじさんや、さらには「片岡さん」のような謎の人たちまで。でもたいていの場合は誰もが人に見られたくない裏側を持っていたから、だから他人の事情は詮索せず、干渉しないのが不文律なのだ。
ひきこもりからようやく脱出したばかりの家入さんにとっても、その乾いた人間関係がかえって気持ちよかったに違いない。本書で彼は書いている。
「片岡さんという人は、一言で言えば個性の塊みたいな人で、選ぶこと、好むもののほとんどが社会的にマイノリティだった。本人がそれに気付いてやっていたのかどうかは分からないけど、そんな片岡さんの姿は、当時の僕の目には余りにも鮮烈に映った。
友達をつくるために、社会でうまくやっていくために、みんなと同じ恰好をして、みんなと同じ趣味を持って、トゲのない言葉を選んで話す……そういうことが、当然必要なんだろうと、それまでの僕は思っていた。それができるようにならなくちゃいけない、そう思って疑わなかった。
でも、ずば抜けて破天荒な片岡さんという人に出会って、こんな方法もありなのか、という衝撃が僕の中に走った」
いまの日本社会は同調圧力がきわめて強い。中学でのいじめ事件はその典型だ。クラスメートと同じように行動し、同じように発言していないと、異分子だと思われて排除される側に押しやられてしまう。
でもその「同じ」というのは、実は学校や学級の中だけの狭い狭い世界だ。学校の空間の中にいると、それに気づかない。いじめる側はそういう学校の狭い空間の中で王者のように振る舞っているけれど、実は学校から一歩出て広い社会に足を踏み出せば、自分たちの常識や「同じ」が、実は狭い世界の中のものだったと気づく。
だからいじめを無くすには、「いじめをせずもっと仲良くしましょう」というような空虚なスローガンを叫ぶだけでは何の効果もない。「もっと仲良く」は逆に同調圧力を強めるだけだからだ。
『いじめの社会理論』などの著書で知られる社会学者の内藤朝雄さんは、著書の中でこう指摘している。
「集団にふけることが生活のすべてとなる教育共同体(学校)では、何を言われようと残酷ないじめを繰り返すモンスターたちが、市民社会の論理に貫かれた『普通の場所』では、おとなしい小市民に変わる。あたかも催眠術にかかった人がある解除キーで醒めるように」
これはいじめを受ける側も、実は同じだ。狭い世界の中で、「いじめられないだろうか」「いじめられないためには皆と同じように行動しなければ」と強迫観念のように思わされている。特に敏感な若者であればあるほど、そういう傾向が強い。それが心を痛めつけ、学校生活を送るのがつらくなり、そうして登校拒否やひきこもりへと退避してしまう若者たちも少なくない。おそらく家入さんもそうだったのだろう。
だから彼が学校という同調圧力の強い空間から抜け出し、さらには日本社会からもちょっと外れているような新聞販売店というアウトサイドの空間に出て行って、そこで自由に自分の好きなように振る舞っている人たちを見て、衝撃を受けたのは当然だった。たぶん彼はこの新聞販売店という異形の空間で、初めて社会というものを知ったのだ。
だからこの新聞配達の日々は、家入さんにとっての人生の出発点となった。彼が後に会社を興した際、新聞配達少年という意味で「ペーパーボーイ」という社名をつけたのは、意識的にも無意識的にもそのスタートラインが強烈に記憶に定着していたからに他ならない。
ずっとひきこもりだった家入さん。でもそこで新聞配達をしたり、ネットで遊びながら覚えた生き方が、実は起業へといたる道筋に役に立ったということなのだ。人生にはいろんなやり方がある。そういう成功だってあるのだ。だから彼の生き方は、そういう多様性の見本のようなものだ。
だからといって、彼は自分を受け入れてくれない外界と戦おうとしたわけではない。ただ彼はシンプルに、自分の生き方に誠実に向き合おうと努力しただけだったのだ。
それは彼が思春期のころに出会い、心酔した山田かまちの詩に端的に表現されている。
愛し合いたい。
生きたい。
幸せになりたい。
自由になりたい。
あるいはこんな詩も。
ぼくの意見
朝、気持ちよくおきて
ほんとうに気持ちのよい
一日を暮らす。
そのために すべては
あるのだ
その気持ちを家入さんは、三十歳を過ぎた今も当たり前のように持ち続けている。
しかしそれは常に生きづらい選択だ。日本社会にもインターネットの世界にも、中学校と同じような同調圧力があり、「普通じゃない」「同じじゃない」行動や言動の人間に対して、排除しようとする人たちがたくさんいる。中学のいじめと同じような動きが、常にそこには生まれてきている。
でも彼は、そういう人たちと相容れない。彼らの同調圧力を受け入れないからだ。だからいつも誤解され、批判されてしまう。
彼が二〇一二年にスタートさせた「スタディギフト」という学費支援のプロジェクトもそうだった。学校に行きたくても学費が払えなくて学校に行けない学生や、奨学金の利息が払えず学校に通えなくなってしまう学生たち。長い不況と格差社会化の中で、学費に困る学生が増えているという時代状況の中で、そうした学生が「大学で学びたいこと」や「将来の大きな夢」を語り、学費を支援してくれるサポーターを探す事ができるプラットフォームを作ろうというのが、この計画のスタートだった。
支援金はすぐに集まり、無事ゴールへとこぎ着けた。ところが仕組みに不備があったことや情報がきちんと公開されていなかったことなどがきっかけとなり、強い非難を浴びせられる結果になってしまった。いわゆる「ネット炎上」状態になってしまったのである。
プロジェクトのスタート地点は、家入さんのシンプルな善意だった。だがそのシンプルな善意は、複雑な日本社会のシステムと必ずしもしっくり行くわけではない。社会にはさまざまなルールや義務や権利があり、そうしたややこしいシステムとうまくかみ合わせるように神経を使ってサービスを作っていかないと、どうしてもそこに齟齬が生じてしまう。だが「普通じゃない」「同じじゃない」家入さんは、そこをいつものようにごく当たり前の顔をして、自分なりの誠実さで突破してしまおうとする。だから衝突が生じ、彼はいつも驚くのだ。「なぜ?どうしてこんなシンプルなことなのに?」と。
たぶんその衝突は、今後も続いていくだろう。だから家入さんの未来は、これからも生きづらく、たいへんな人生として約束されている。でもたぶん彼は精神の底流にある誠実さを失わないから、たぶん決してへこたれない。
私もそういう「へこたれない誠実さ」を、友人としてこれからも見守っていきたいと思っている。
目次
全文公開にあたって
プロローグ
第一章 貧乏な家に生まれて
第二章 「ひきこもり」だったあの頃
第三章 長いトンネル
第四章 起業前夜
第五章 ペパボ黎明期
第六章 成功、そして未来へ
エピローグ
新装版にあたって
解説 佐々木俊尚