見えない編み目にフックをかける
掃除から始める
友人の哲学者、苫野一徳さんと対談した時に、こんなことをお話しされていた。「何をやればいいのかわからない、と悩む子には、台所でも良い、部屋でも良い、まずは掃除から始めると良いよ。とアドバイスしています。」と。
また別の友人。お坊さんの松本昭圭さんは、#templemorningという活動を通じて、朝のお寺の掃除メンバーを定期的にツイッターで募集されているのだけど、「人とのつながりを求める方々が応募してきます。そして、掃除、というのがポイントなんです。」とお話しされてました。
哲学者、お坊さん。立場も、学んできたことも違う二人が、揃って「掃除」と言う。これは一体、なんなんだ?
役割をつくる
松本さんはこう続けます。「なぜ掃除が大事かと言うと、そこには、全ての人に役割が生まれるからです。居場所だけがあっても、自ら役割を見つけられない人にとっては、そこは居づらい場所になってしまう。」と。
僕の人生をかけたテーマ「居場所づくり」の原体験となった、不登校・引きこもりで過ごした10代。確かにあの時は、学校にも家にも自分の役割を見出せず、焦りの中で、ただただもがき続けていたような気がします。
そんな10代、ようやく見出せた役割は、なんと「新聞配達」でした。家が貧しかったため、学費のために止むを得ず始めた住み込みの新聞配達でしたが、ろくに挨拶も出来ない僕に声をかけてくれる同僚や、配達先のお年寄りからたまに言われる「いつもありがとね」なんて言葉が、小さな自信となり、自分の役割となり、やがてそこが居場所となっていったのを、今でも覚えています。
小さな結び目をつくる
自分の役割を見つけられず、そして完全に自信を無くしてしまっている状況は、言わば社会との結び目が解けてしまっている状態なんだと思います。そんな状態で、強い結び目を突然つくるなんてことは、とても難しい。少しずつ、ひとつずつ、社会との小さな結び目を作っていくことしか、僕らには出来ない。
お二人が「掃除」と言ったのは、もしかしたら、そういうことだったのかもしれません。
何をしていいのかわからない
「何かをしたいけど、何をしていいのかわからない」なんて子はとても多い。「したいこと」を見つけるって、本当に難しいよね。僕自身もいまだにあるのかどうか、良くわかりません(その話はまたいずれ。)
僕にもよく来る、若い子からのそんな相談に、僕がアドバイスするのはこんなことです。
「そんな時は別に焦らなくても良い。焦って、周りと比較すると余計に辛くなるだけ。まずは、自分のやるべきことを見つけよう。」
「自分のやるべきこと。それは、目の前の宿題かもしれない。家のお手伝いかもしれない。バイトかもしれない。なんとなく興味のある分野があるのだったら、NPOやサークルに飛び込んでみるのもひとつ。スタートアップのインターンに応募してみるとか、友人がやってる活動を手伝ってみる、なんてのも良いかもね。」
「まずは今いる場所で、身近な半径数メートルにいる人の、喜ぶことをやってみな、そこから次に繋がることがあるかもしれない。結局、何にもならないかもしれない。それでも、その身近な人の笑顔が見れるだけでも、ハッピーだよね。」と。
自ら機会を創る
リクルート創業者・江副さんの、こんな有名な言葉があります。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」
この社訓は今ではもう正式に採用はされていないらしいですが、今でもリクルートの皆さんの心には残っていると言います。僕も大好きな言葉として、良く引用させてもらっています。
この言葉には、「会社は一切機会なんてものは提供しない。機会は自ら創るものであり、常に自分自身を成長させ続けよ」という、創業者の強い意志も感じます。これはこれで真実でもある、とも思います。
まずは自分がやるべきことを、やる。身近な人が喜ぶことを、やる。例え地味でも、誰にも褒められなくても、そうやって自ら機会を創り出し続けた人だけが手にできる成長が、きっとそこにあるのだと信じて。
目に見えない網
この世の中には、目に見えない網が無数に張り巡らされていて、何がフックとなって引っかかるかわからない。掃除から始まった小さな結び目から、自分のやるべきことが見つかるかも知れない。日常の中で、僕らはそのいろんな網目を気づかずに通り抜けてしまっている。
そんな網の目が見えずに、そして自分のフックが何かもわからずに、もどかしい思いを抱えてる子には、そんなアドバイスや機会を与えることしか、僕には出来ない。その機会が果たしてその子に合っているのか、その子がその機会をものに出来るかは正直わからないが、大人のやるべき役割とは、とにかく下の世代に、見返りを求めずに機会を与え続ける。それしか無い。
結局の所、目に見えない世の中に無数にある網の目に、何のフックがどう引っかかるかなんて、まずは自分自身が動いてみないとわからない。それを苫野さんは「まずは台所の掃除を」と言い、僕は「まずは身近な誰かの喜ぶことを」と言う。フックが引っかかった後は、そこから糸を手繰って、自分のやるべきことを見つける。
堀江さんの著書「ゼロ」の副題、「なにもない自分に小さなイチを足していく」も、きっと同じことを言ってるのだろう。焦る人はがむしゃらに掛け算ばかりをしようとするが、自分がゼロのうちは何を掛けてもゼロ。成功譚や目立つ話ばかりがメディアに掲載されるが、堀江さんだって突然成功した訳じゃ無い。きっと昔も今も、決して表に出ない地味な日常の中で、小さなイチを足し続けて、いまここにいるんだよね。台所を掃除する中で、僕らにとっての小さなイチが、見つかるのかもしれない。
僕らはみんな暗い井戸の底にいる
僕らはみんな真っ暗な井戸の底にいる。良くそんな映像をイメージします。たまたま運良く一回のジャンプで糸を掴んで外に出られる人もいれば、一生飛び続けても糸を掴めない人もいる。生まれながらにハシゴを持っている人もいれば、ハンデを負ってる場合もあるだろう。
それはもう、不公平・理不尽としか言いようが無い。でも残念ながら、人生とはそう言うものだ。一つ言えるのは、糸を掴もうとするなら、暗闇の中でもぎょろぎょろと目を凝らし、そして手を伸ばし続けるしか無いということ。
そして、生まれながらの不公平さや、生きてる中で出会う理不尽さといった宿命に抗いながらも、乗り越えながらも、小さくとも声を上げようとする方々がいる限りは、僕らはCAMPFIREやBASEやリバ邸や#やさしいかくめいラボと言ったプラットフォーム、コミュニティ、居場所を提供し続けたい。
誰しもが、声を上げ、そして自らの手で、自らの生き方を選び取る権利はあるはずだし、そんな機会や場を提供し続けていきたい。僕は、僕らは、本気でそう思っています。もしかしたら、他者に役割を提供し続ける、といったことこそが、僕らの役割なのかもしれません。
とかとか、フワッとした話を偉そうにしてきましたが、もちろん、手を伸ばし続けたり声を上げ続けるのは疲れちゃうし、いじけちゃったりすることもあるよね。だって、人間だもの。
そんな時は、焦らずに、横になって寝ちゃえ!(そんなオチ、ある?)
最後に、家入からの問い
「やりたいこと」では無く、あなた自身の「今、やるべきこと」とはなんですか?ぜひコメントやSNSで教えてください!
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