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ぼくらの未来のつくりかた #全文公開

毎週金曜日に公開している #全文公開チャレンジ 第3弾。今回は2014年5月出版「ぼくらの未来のつくりかた」です。

かつてひきこもりだった経験から、「みんなの居場所をつくりたい」という思いで数々のビジネス、サービスを立ち上げてきた著者。その思いを実現するべく出馬(そして落選)した東京都知事選を経て、この社会や政治の理想の未来像、そして「ぼくらの未来のつくりかた」が見えてきた。そのヒントと、これからの自身のヴィジョンを語りつくした1冊。「最新型の家入一真」の頭の中が、この中にぜんぶ詰まっています。

出馬したのはちょうど5年前の今頃、大雪が降る中での選挙戦でした。選挙後に発表したメッセージはこちらのnoteにも書いています。

この「ぼくらの未来のつくりかた」、なぜ都知事選に出たのか?選挙にかけた想い、そして日本の未来を生きる僕たちは、これからどうあるべきなのか?どう動くべきなのか?…などを語っています。10年後、20年後に「この国に住んでて良かった」と思える社会は、きっと今から一人ひとりが少しずつ動き始めることでしか実現できない。本当にそう思っています。

今回改めて読み直したのですが、後半に「選挙後に『やさしいかくめい』という団体と、投資会社をつくる」と書いてありました。5年という時間はかかりましたが、やさしいかくめいラボ、そしてNOWというベンチャーキャピタルを立ち上げたことを考えると、構想はこの時からあったのだなあ、と。

最後になりましたが、ご快諾いただいた双葉社さん、そして熱血編集者の安東さんには頭が上がりません。もしよろしければ書籍・Kindleの方も購入していただけますと幸いです。

それではぜひお読みください!一番最後には、選挙期間中にみんなから寄せられた声から作成した120の政策も添付しています。感想をコメントやSNSでいただけますと幸いです!(5年前の本なので、当時と様々な状況が変わっているところはお許しください)

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目次

プロローグ:これはただの悪ふざけじゃない
第1章 選挙に出てみてわかったこと
 政治がアップデートされていない
 ネット選挙でチャレンジしたこと
 「政治は特別な人のもの」なんかじゃない
 みんなの声を背負って戦っていた
第2章 みんなの居場所をつくりたい
 ずっと居場所がほしかった
 「おかえり」と言ってもらえる場所
 すべてを失って見えたもの
 炎上なんてもうしない
 「勝ち負け」の向こうへ
第3章 「ぼくら」って誰のこと?
 誤解された「ぼくら」
 世代間闘争なんてしないよ
 二元論からは何も生まれない
 ぼくが「ぼくら」に望むこと
第4章 この社会に足りないもの
 「政策はありません」
 大きな質問になりたい
 新しい学校をつくる
 「標準の生活」という幻想
 「自分と違う人」にリスペクトを
 社会に多様性をセットしたい
第5章 すべての壁を越えていきたい
 ぼくがこれからやっていくこと
 資本主義の中で資本主義を超える
 ポジションなんて気にしない
 「思い込み」の壁を飛び越えて
第6章 ぼくらの未来のつくりかた
 最新型の自分でいること
 目の前からはじまる
あとがき
政策TO DO リスト

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プロローグ:これはただの悪ふざけじゃない

 2014年1月21日、ぼくは東京都知事選への出馬を表明した。

 選挙に出た理由は「みんなに居場所のある街」を作りたかったからだ。 


 ぼくは中2の頃にいじめに遭い、不登校からひきこもりになった。22歳のときに結婚し、家族を養うために始めた事業が幸運にも大当たりして現在に至っているけれど、世の中には当時の僕と同じようにふさぎこんで家から出られないとか、自分が社会から疎外されているように感じている若者たちがたくさんいる。若者だけじゃない。こんな経済大国で、年間に約3万人もの老若男女が自殺をしている。それはなぜかという問いに、誰も答えられない。政治家たちが与えようとする答えが本当に正解なのかというと、そうは思えない。一人ひとりが自分の頭で考え、動き、この社会に自分たちの居場所を作っていく。そうすることでしか、未来は変わらないんじゃないかと思った。そして、まず自分がその場に出ることによって、そのきっかけを作れたらと思ったのだ。

 結果はご存じの通り、落選。もちろん残念ではあるけれど、それ以上にぼくはこの選挙を通じて数多くのことを学ぶことができた。その中でも最も強く感じたのは、「またひとつ、自分の世界が拡がった」ということ。

 もともとここ数年のぼくに決まった仕事はあってなかったようなもので、選挙が終わったあとも変わらず平常運転というか、これまでやってきたのとまったく同じように、いろんな人に会って新規ビジネスやプロジェクトを立ち上げていくための打ち合わせを日々続けている。

 だけど、見える風景や視点はガラッと変わった。自分が誰かと組んで進めるプロジェクト、自分がお金を出すビジネス、そういうものを通じて「どうやってこの社会をアップデートしていくか」を考えるようになったし、そのために自分が行なうことの位置づけも含めて、必然性があるものを選ぶようになったと思う。

 また、自分がこれまで作ってきたもの、やってきたこと、そういったすべてを見る自分の視座がひとつ上がったというか、少し俯瞰してみることができるようになったのは大きな収穫だった。考えてみると、高校を中退してひきこもっていた頃に始めたパソコン通信から、家族を養うために始めたレンタルサーバー「ロリポップ!」、上場後にたくさんのカフェを作っていった日々、そしてここ数年力を入れてきた「Liverty」や「リバ邸」といった活動まで、ぼくは色々なことをやってきた。それは今考えると、目の前にある問題に対処するためだとか、その時点のアイディアを実現するために、とにかく自分の足もとに「点」を打つ日々だったと思う。ひたすら点から点へと移動してきた結果、振り返ってみるとその点が自分の歩んできた道のりをつなぐ「線」になっていた。でも今は、この先を見据えて「次に打つべき点」が徐々に見えてきている。これは大きな違いだと思う。なぜなら、次の点に向かってどう進んでいけばいいか、考えることができるようになるからだ。


 ぼくの人生は、これまで5年周期でガラッと変わってきた。もちろんこれも意図してそうしてきたわけじゃなくて、後々振り返った結果だけど。

 15歳から20歳までは「居場所のない5年」。中学を不登校になり、高校に入ったもののやっぱり中退してひきこもっていた時期だ。この時期が、今のぼくの根っこになったのは間違いない。つまり「自分の居場所」というものに対する強烈な欲求が芽生えた5年だった。

 次の5年、20歳~25歳は、ロリポップを運営するためにマダメ企画(のちのpaperboy & co.。現GMOペパボ株式会社)を設立。その株を売却して東京に出てきた「ひとつめの居場所を作った5年」。自分でお金を稼いで、ビジネスを育てて、そこにまた人やお金が集まってくることを実体験した時期だ。ぼくの〝第一の創業期〟といっていいだろう。

 26~30歳は、ひたすら「突っ走った5年」。29歳のときに、史上最年少で会社をJASDAQに上場した。上場というのは、いわば資本主義のハイライト。そこまでの助走期間も含め、夢中で資本主義という大きなシステムの中を駆け抜けた時期だった。

 31~35歳は恥ずかしながら上場で手に入れたお金を使い果たし、結果的に「資本主義の先へと進んだ5年」。2年くらいでとにかく金を湯水のように使い、ひとりで勝手にバブル崩壊して、そこから「働くってどういうことだろう?」「よりよい生き方って何だろう?」と模索し始めたことが、「Liverty」や「リバ邸」の立ち上げにつながった。

 その少し前にリーマンショックがあったり、SNSの発達によって「評価経済」「贈与経済」という言葉が生まれたり、貨幣経済の次のあり方を社会全体が考え始めた時期でもある。ITジャーナリストの佐々木俊尚さんは「家入さんは自分の体で時代の変化を表現しているよね」と言う。まあ、まったくの偶然だけど、ぼくの人生が時代とリンクしているとすれば、不思議な話だ。

 そして、その最後の1年である35歳。ぼくの現在の歳だ。この年にぼくは都知事選に出馬し、また新しい世界を獲得した。ITや飲食、経営といったビジネスの世界に身を置いてきて、そこからゆるりと「Liverty」や「リバ邸」のような試みへとシフトしてきたぼくだけど、これからはもっと本気で、この社会を底上げしていくような活動に取り組もうと思っている。

 まずは民間でもできることをしようと、NPOなどの立ち上げを準備中。ただ、ぼく自身が完全に「NPOの人」みたいになるのではなく、あくまでもビジネス、社会活動、そして政治といった領域をまたいで活動する人間になるつもりだ。ガチガチな「NPOの人」とか「政治家」みたいに自分を枠にはめてしまうと、どうしてもその枠の外にある世界が見えなくなってしまう。そうではなく、色々な領域を横断しながら動いて、一つひとつの点を打っていきたい。それが、今までぼくが描いてきた「線」を次につなげることになると思っている。

 領域を横断するといえば、世代だって同じことだ。これまでは若い人に向けて「これからの生き方」を説いたりもしてきて、Twitterのフォロワーや応援してくれる人も若い人がほとんどだった。だけど、これからはお年寄りだったり、今までだったらあまり関わる機会のなかったような人たちに向けた言葉もどんどん発していきたい。選挙が終わってから「お年寄りと繋がろうプロジェクト」という、若者が高齢者にパソコンやインターネットの使い方を教えるプロジェクトを立ち上げたのも、まさにそれだ。これからこの本でも書いていくけれど、ぼくらの社会には、様々な「壁」が存在している。その壁を越えるためには、まずぼく自身がそれを飛び越えて新しいところへ新しいところへと、いわば荷物も持たずに「アウェイ」にどんどん飛び込んでいき、一緒に来てくれる人たちにも新しい景色を見せていける人間になるのが手っとり早い。

「荷物も持たずに」と書いたけど、アウェイ=新しい領域へ飛び込むとき、ぼくは本当に身軽に見えるらしい。その「飛び込んだ先」にはそれを見て「あいつ、頼りないし大丈夫かな……助けてやるか」と思ってくれる人もいるし、人によっては「俺たちがこんなに真剣にやってるのに土足でフラッと入ってきやがって」と思われることもある。選挙にしても(もちろんさんざん悩んだ末に出馬したのだけれど)、そうだった。応援してくれる人がいる一方で、「悪ノリだ」と批判する声も多かった。かつて自分の会社を「悪ふざけ文化創造企業」と呼んだりしていたし、いろいろな場面で「炎上」してきたこともあって、何をやっても悪ノリに見えてしまうところはあるかもしれない。

 ただ、ぼくはいつだって本気だ。いつだって切実に自分の居場所を探してきたし、それがある程度できた今は、かつてのぼくのように「居場所がない」と感じている人たちのために、自分の経験してきたことをフル回転させて取り組んでいきたい。

 そして、その「身軽さ」に関しては、ぼくは自分の武器でもあると思っている。これから踏みこんでいくであろう社会活動にしても政治の世界にしても、たくさんの先駆者がこれまで様々な経験を積み上げてきた領域だ。そこにハリボテみたいな理論武装をして入っていったって、ボロが出るのは目に見えている。それならば、偽りも飾りもない素の自分のまま、いわば「ノーガード戦法」のような形で入っていって、お褒めもお叱りも、いろんなものを浴びながら学んでいければいい。ただし、あくまでぼくらしく、それを楽しむことは忘れずに。


 そう、これはただの悪ふざけじゃない。人生をかけて楽しんでいく「未来づくり」だ。あらゆる境界や壁を飛び越えて、この社会をやさしく楽しい場所にしたいと思う。

 よかったら、君も一緒にどうかな。

第1章 選挙に出てみてわかったこと

政治がアップデートされていない

 8万8936票。これが、東京都知事選でのぼくの得票数だ。

 投票率は過去3番目に低い、46.14%。得票数も、そして投票率も、もっと伸びてもよかったと思う。それは悔しいことではあるし、ぼくの力不足として反省する点でもある。


 ぼくがこの選挙で一貫して行なおうとしたのは、「ネットを使いきる」ことと、それによって「若い人の政治参加を喚起する」こと。誤解のないよう先に言っておくと、ぼくは世代間闘争がしたかったわけじゃない。正直言って「若い人の声を聞かない一部の政治家をびびらせたい」という気持ちはあったけど、それだって彼らだけが悪いわけじゃない。ぼくも含めて、これまで若者は若者で「政治になんて興味ないよ」という態度を取り続けてきたし、実際にそれが投票率という形で数字に表れ続けてきた。要するに、年長者たちに政治を押しつけていた。だからこそ、政治家のほうも「若者の声なんて聞いたところで票に結びつかない」と思ってしまった部分はあるはずだ。これはすべての断絶に言えることだと思うけど、どちらか一方だけが悪いなんてことはそうそうあるもんじゃない。「老害」「何考えてるんだかわからない若者」とお互いに否定し合うような二項対立は、何も生まない。

 ただ、今回選挙に出てみて痛感したのは「政治や選挙の仕組みって、長いことアップデートされてこなかったんだな」ということだ。とにかくムダや、本質的ではないことがとても多い。

 まず驚いたのは、選挙ポスターを作ってみたはいいけど、それを貼る掲示板の場所のリストや地図がドサッと大量の紙で渡されること。グーグルが地球上のすべての地図情報を把握している時代に、だ。もちろんデジタル化されていない時代にはそれしか方法がなかったんだろうけど、やり方がその時代のまま止まっている。その紙束を渡してくれるのは、東京都の選挙管理委員会(選管)の方。ずぶの素人のぼくに選挙の仕組みについてすごく親切に教えてくれたのでとても感謝しているんだけど、とにかく諸々の手続きや取り決めに関しては、本当に非効率なことが多かったと思う。

 他に悩まされたことといえば、公職選挙法のグレーゾーンの多さだ。実は選挙のすべてを選管が管理しているわけじゃなくて、ある行為が公職選挙法に抵触するかどうかには、警察の判断も関わってくるというからややこしい。ぼくはとにかくこの選挙でネットの力をフルに使おうと思っていたから、選管にアイディアをもちこんで「こういう選挙活動、していいんですか?」という質問をする。だけど、前例がないので「選管的にはOKなんですけど、これ、警察がなんて言うかなあ」と言われてしまうこともままあった。ぼくは初めての選挙で何もわからないし、知らずにやったことで後から摘発されてしまうのも怖いからさすがに専門家に入ってもらったけど、誰かの解釈によっていかようにも判断が変わってしまいそうな曖昧な部分があまりに多いのには閉口した。

 例えば、選挙事務所への来客に何かお菓子でも……という程度のことも、「高級なお菓子はダメだけど、スナックみたいなものならいいです」となる。買収を防止するためだというのはわかる。でも、高級って、どこまでが高級なんだ? ゴディバのチョコはまあダメだろう。カステラとかようかんも……ダメだろうなあ。チョコパイくらいならいいのかな? 人によってはこれが最高のご馳走だったりするかもしれないし……さすがにハッピーターンは大丈夫だろう。いやしかし……とか、一瞬ぐるぐる考えちゃう。NGなら全部NGにすればいいのに、中途半端にグレーゾーンを残すからわかりづらい。

 2013年からネット選挙が解禁になったけど、当然そこにも対応しきれてないので余計にわけがわからない。例えばeメール。選挙期間中に本人が「ぼくをよろしく!」と送るぶんにはいいのに、支持者がそれをやるのは違反ということになる。eメールはいいけど、じゃあTwitterやFacebookのメッセージとか、LINEはどうするんだ? と問うと、そこはまたグレーゾーン。そこに踏み込むまいとすると、もう身動きが取れなくなってしまう。選挙慣れした人たちには「グレーっていうのは白のことなんだから、もっとガンガンやればよかったのに!」と言われたりもしたけど、とにかくぼくはすっかり戸惑ってしまった。

 謎の禁則もたくさん。例えば、未成年者がSNSで特定の候補者を支持するような投稿をすると「禁固1年または30万円の罰金」とか、本当に意味がわからない。一方では「若年層の政治意識を!」なんて言ってるのに。

 あとは「投開票日には選挙活動しちゃいけない」というのも、割と一般的に知られてはいるけど、よく考えるといまいち理由がわからないよね。ネット関係でも、当日の0時を過ぎたらホームページも一言一句更新してはいけないし、TwitterなどでつぶやくのももちろんNG。それどころか、ぼくが前日までにつぶやいた内容を当日に誰かがリツイートするのもNG。これなんて、ぼくがどうしようが止めようがないと思うけど。

 ぼくはITビジネスの出身とはいえ「ネット化がすべてを解決する」というような主張には慎重なほうだ。ネットはあくまでツールであって、万能の神じゃない。だけど、そういったテクノロジーの発達に合わせてコミュニケーションの方法が変わったり、それによって作業量やコストが効率化されていくのは、ビジネスの世界では当たり前。そんななかで政治や選挙の仕組みはまだ古いままぬくぬくと守られていて、この21世紀にまったく即していないやり方がまかり通ってる。時代に合わせてなんとなく決まりは作るけど、「本質的に変えなきゃ」と思ってないから、解釈によって白にも黒にもなりそうなグレーゾーンばかり残ってしまう。こればかりは、どうにも納得がいかない。

 コストの面だけで言っても、そうだ。都知事選で50億円ほどの税金が使われたと聞くけど、例えば紙の書類を可能な限りデータ化することで経費はかなり節減できたんじゃないか。掲示板だって本当にあんなに必要なのかいまいちわからないけど、それでも彼らはそのやり方を続けていく。「今までこれでやってきたから」というだけじゃなく、その周囲にお金が発生することも大きいのだと思う。選挙があると、掲示板やポスターを作る業者、パンフレットを印刷する業者が儲かる。ポスター貼りを代行する業者というものもあるらしい。実際、東京都が公開している前回の都知事選費用の内訳を見てみると、どの候補者もけっこうなお金を印刷費にあてている。猪瀬直樹前知事は1000万円弱、今回一緒に戦った宇都宮けんじさんも約350万円。これはもったいない。

 マスコミだって儲かる。ただネタができるってだけじゃない。これも今回初めて知ったんだけど、選挙に立候補すると、新聞に4回まで広告を出すことができる。もちろん、選管のお金=税金を使って。だから、選管の周りには新聞社の広告営業マンがいて、候補者が出てくると「ぜひウチに」と声をかけてくる。候補者は選管からもらった「広告掲載承諾通知書」という書類にサインをして渡すだけだ。4回となるとけっこうな額になるはずだけど、候補者自身はその金額は知らないし、自腹を切るわけじゃないから抵抗なくサインする。新聞社は儲かるし、間に広告代理店が入る場合は、代理店も儲かる。今回の選挙で言うと、それが全候補者16人分。ものすごい金額が動いてるはずだ。

 こういった「選挙のたびに儲かる人たちがいる」という構造は、ネット化が進んでいくとどんどん変わっていくだろう。ネットがあればポスターもいらない、そうなると掲示板もいらない、誰が読んでるんだか分からない新聞広告もいらなくなる。つまり「中抜き」が行なわれていく。だからこそ変えづらい部分でもあるんだよね。昔は必要だったものがどんどん不要になってるのに、それでもまだそういう慣習が残るのは、利害関係がそこに発生しているからだ。それを単純には否定しないけど、それによって本来不要な税金がバカスカ使われているのだとしたら、本末転倒だというしかない。

 ぼくら候補者が払わなければならない300万円(都知事選での額。国政の場合は選挙区300万円、比例代表だとなんと600万円だ)の供託金というのも、その最たるものだ。これは一定の票数を取れば戻ってくるけど、そこに満たないと没収される(ぼくも没収された……)。 ちなみに世界の国々を見ると、イギリスの供託金は約8万円、カナダは約10万円、韓国だって高いけど、約150万円と日本の半分。フランスでは約2万円の供託金ですら批判の対象になって制度が廃止されたし、アメリカやドイツなどではそもそも制度そのものが存在しない。こうして見ると日本の供託金の高額さは異常だし、それによって若者が立候補するハードルが上がってしまっているとしたら、本当にもったいないよね。選挙の仕組みを変えてムダな経費を抑えればその供託金だって安くできるかもしれないし、世襲を単純に否定するものではないけど、議員の半分が世襲というおかしな事態はもっと改善され、多様な人の政治参加が可能になるかもしれないのに。

ネット選挙でチャレンジしたこと

 このように、選挙の仕組みにはおかしなことが多い。ただ、それで得をする人たちがいる限り、放っておいてもそれは変わらない。「だったら、ネットの力を使って、自分たちで仕組みを作ってしまえ!」というのが、ぼくがチャレンジしたことのひとつだ。

 ネットによって可能になった大きなチャレンジは、大きく3つあると思う。

1. 選挙資金をクラウドファンディングで集める
2. ネットを駆使して新しい選挙活動の可能性を追求する
3. みんなから政策を集め、本当の民意を抽出する

 これらの過程をできるだけオープンにしていくことによって、ぼくは新しい選挙の仕組みを提示したつもりだ。

1. 選挙資金をクラウドファンディングで集める

 これは、出馬を決めたときから絶対にやるつもりだった。もちろんぼくにお金がないということもあったんだけど「お金を払ってでも応援したい」という熱量の高い人たちがどれだけいるのかを確かめたいという気持ちもあったからだ。最少額を一口500円、最大額を一口50万円として、「Shooting Star」というサイト上で支援を募った。クラウドファンディングに関してはぼくも「CAMPFIRE」というサイトを運営しているけど、さすがに立候補者が自分の運営するサイトでやるわけにはいかないし、それにShooting Starには政治的・社会的なテーマに即した支援要請が多い。ここなら多くの人に訴えかけることができると思ったのだ。

 結果、692人もの方々から合計744万7500円もの支援を頂き、選挙資金として大事に使わせていただいた。結果としては成功だけど、これが「家入だから成功した」で終わってしまうようではいけないと思っている。お金はないけど熱意だけはある無名の若者が立ちあがったときに、同じようにその熱意やアイディアでみんなを動かしてお金を集めることができる、そんな世の中になるのが本当のゴールだ。それこそが新しい社会の仕組みの可能性を示すことだと思うから、ぼくは今後もそういうことを促す試みをやっていきたい。

2. ネットを駆使して新しい選挙活動の可能性を追求する

 今回の選挙では、とにかく「タスキはかけない」「ドブ板はやらない」ということを徹底しようと思っていた。

 ドブ板というのは、日本の選挙活動のスタイルを表した言葉。昔は有権者の家を訪ねることが認められており、政治家は票数を稼ごうと民家を一軒一軒回り、「清き一票を!」とお願いしていた。当時、民家の軒先には側溝があり、板が渡してあった。こうした家々を訪ね歩いたので「ドブ板」と言うようになったのだという。

 IT業界の先輩であり、いわば選挙の先輩でもある、今回の出馬を後押しもしてくれた堀江貴文さんには「選挙はとにかく楽しいから! ドブ板やって、いろんな人と握手して……ってのもなかなか面白いよ」と言われたし、応援してくれる議員の方々も「票を取るにはドブ板やったほうがいいですよ!」と言ってくれたんだけど、それはとにかく嫌だった。「練り歩き」という、大勢で道を歩きながらタスキをかけて「家入一真でございます! 家入一真、家入一真をどうぞよろしくお願いいたします!」なんて言ってみんなと握手して回る活動も、「ぼくがそれをやってるの、想像つきますか!?」と断った。最後はみんな「まあ、家入さんの選挙だから、やりたいようにやるのが一番だよ」と言って理解してくれたけど。途中でブレそうになったこともあるけど、このスタイルは最後まで貫きとおした。

 これには2つの理由がある。ひとつめは、それがどうしても本質的なことに思えなかったから。今回はぼくの支持基盤は明らかにネットにあったから、活動をネット中心に振りきることで、新しい選挙のスタイルを確立させたいという狙いがあった。もちろん当選することが主眼にある以上、得票のための活動はしたほうがいいんだけど、それを考えても果たしてそれが唯一の手段なのかどうか、という思いもあった。

 その代わり、選挙期間中は多くの場面でツイキャスを使ってリアルタイムでぼくや陣営の様子をネット配信した。細川護煕元首相との対談では細川さんにツイキャスの使い方を教えたりもしたんだけど、なるべく多くの時間をそうしたネットでの発信に使った。時間の制約もないから空き時間でも夜でもできるし、効率的だ。ツイキャスはそのうち1万人くらいが見てくれるようになり、反響も大きくなった。それと街頭演説で300人を集めて1時間しゃべるのと、果たしてどちらが本当に効果的か……という話なんだよね。

 街も歩いたけど、活動らしいことはお年寄りの意見を聞こうと思ってツイキャスしながら巣鴨の商店街を歩いたときくらい。ネット空間の中に閉じこもっているとお年寄りとのコミュニケーションが発生しづらいから、あれはいい体験だったと思っている。ただ、それを毎日やるというのは違う気がしたし、2月1日と2月8日には「渋谷ハック」と名づけた街頭演説を行なったけれど、それ以外はやっぱりTwitterやツイキャスでの発信に力を入れた。

 ふたつめは、単純に恥ずかしかったというのがある。これはぼくの性格上、人前に立って何かをグイグイ押し出していくというのが苦手という部分が大きいんだけど。ただ、後で述べるように、この選挙を通して、ぼくはそこからひと皮向けたんじゃないかと思っている。

3. みんなから政策を集め、本当の民意を抽出する

 出馬を表明したときから「政策はありません。ネットで募集します」と言ってたから、「政策がないって、どういうことですか?」という声はたくさんいただいた。「ありえない」「非常識だ!」という感想もあったし、「政策をみんなで作るのなら、別に家入さんじゃなくてもいいんじゃないですか?」という指摘も受けた。

 まあ、全部その通りといえばその通り。ぼくは「別に出るのはぼくじゃなくてもいい」と思っていたし、実際に自分でグイグイ引っ張っていくタイプのリーダー像というにはほど遠い。だが、すべての政治家が自分の意見を持って、それを貫き通してると言えるだろうか? どんな政治家も自分の支持基盤となっている業界や地元の顔色をうかがいながらしかものが言えなかったり、自分の所属する政党や派閥の大方針によって発言にバイアスがかかったりすることから、なかなか自由ではいられない現状がある。だったら、支持基盤もしがらみもないぼくが、みんなの声――どの業界や団体の利益でもない、すべての個々人が感じる「生きにくさ」から発せられた声をしっかり集めていくほうがずっと誠実なんじゃないかと思う。もちろん、最終的にそれを120の政策にまとめる際にはぼくの価値観に基づいて選んだわけだけど、すべての候補者の中でぼくが一番フラットだったはずだと今でも思っている。

 それ以外の批判としては「そんなの、政策にしてもちゃんと実行できるの?」というものもあった。そればっかりは「これからのぼくを見てください」と言うしかないんだけど、ただ、ぼくには会社をゼロから立ち上げて上場までこぎつけた経験もある。そういう「形にしていく力」を信じてほしい、と思っていた。

「政治は特別な人のもの」なんかじゃない

 選挙のスタンスや出馬したことそのものに対しては、温かいものから手厳しいものまで、いろいろとご意見をいただいた。

 経営者仲間の中からは「家入さんは経営者としてはすごかったけど、もう終わったよね」という声も聞かれた。この国にはどうも「政治的な態度を表明するのはかっこ悪い」という風潮があるよね。ぼくだって、正直なところ「そう思われるんじゃないか」と葛藤したこともある。まあ、Livertyを始めて「新しい生き方」みたいなことを言い始めた頃から、そういう人は離れていきつつあったし、ぼくに言わせると「勝手に型にはめてくれるなよ」という話だけど。人は他者に「経営者」「政治家」「ひきこもり」のようなレッテルを貼って分類したがる。そのほうが、相手が何者だかわかって自分が安心できるからだ。逆に、自分の理解できないものを人は不安に思う。ぼくなんかその典型。いったい何をやって生きてるのかよくわからないだろうし、だからこそ「うさんくさい」と思われたりもするんだけど、ぼくの場合はビジネスも社会活動も政治も、すべてが「居場所づくり」というライフワークの一環なのだから、もうそういう声に対して葛藤したりブレたりすることはない。

「売名だ」「ネタだ」という声もあった。ネットユーザーだけじゃなく、知識人や言論人と言われる人たちからも「本気が見えない」というようなご指摘をいただいた。まあ、「政策はないし、別にぼくに入れなくてもいいです」なんて言ってたから、そう思う人もいただろう。その方々に遊び半分のように見えたというなら、それはごもっともだ。心外ではあるけど、だからって「ぼくをそんな風に思うな!」なんて言わない。ぼくは自分自身がみんなの声を集めてすくい上げる器だと思っていたからそれを全うする気だったけど、確かにその役目はぼくじゃなくてもよかったかもしれない。

 

 ただ、これだけは言っておきたい。じゃあ、他の誰が選挙に出たというんだ? ぼくが出なかったとして、30代や40代で誰か出た人はいるのか? この点に関しては、ぼくは深く失望している。出馬するかどうかギリギリまで悩んでいた理由のひとつには、30代・40代を代表して誰かが出るというのなら、ぼくは出馬せずに全力でその人の応援をしてもいいと思っていたこともあった。でも、誰も出なかった。それなら、ぼくが出るしかないじゃないか。「行動する人間が偉い」と一概に言うわけじゃないし、誰もが自分の持ち場で頑張っていればそれでいいと思うけど、政治や候補者に対して文句だけ言いながら自分は出ない/自分が支持できる代表を出さないというのは、やっぱり政治を他人事だと思ってるというか、従来の枠組みの中にどっぷり漬かった思考だと思う。ぼくたちがこれまでそうだったからこそ、今まさに「誰の、誰による、誰のためだかわからない政治」が行なわれている現状があるというのに。

 後で述べるけど、選挙戦の最後に、ぼくは「やっぱり、ぼくに投票してほしい」とみんなに呼びかけた。若い世代の声をぼくに一本化してほしかった。ぼく自身への好き嫌いはともかく、今回でいうと30代・40代と対話してその声を集約しうるのはぼくしかいない。ぼくに票を集めて、若い世代の力を見せつけるべきだ――そういう思いだったのだ。今思うと、それはもう少し早くから伝えていてもよかったかなと思うけど、様々なことの結果としてあの時点でたどり着いた心境だったから、それは仕方ない。

 メディアのあり方に対しても、疑問に思うことは多かった。例えば、候補者を「主要」と「泡沫」に分けてしまったり。まあ、そうは言っても注目候補に報道を絞るのは仕方ないと思うけど、「他の候補は気にする価値なし」みたいな空気を作ってしまうのはよくないよね。ぼくもさんざん「泡沫候補」なんて言われた。話題という意味ではギリギリの線上にいたようでそれなりに取り上げてもらったけど、それでも、首をかしげるようなことは多かった。

 ネット選挙の時代らしく「ニコニコ生放送」での討論会も開かれたけど、なんとぼくはこれに呼ばれなかった。出演したのは、やっぱり主要4候補。別に自分を主要候補と呼んでほしかったわけじゃないけど、運営には知り合いも多いし、なにより一番ネットでの選挙活動を展開していたというのに、変な話だ。関係者に訊いてみると「家入さんは支持基盤がないからダメなんです」という、よくわからない答えが返ってきた。

 この場合の「支持基盤」ってなんだ? ネットユーザーや若者の支持じゃダメだというなら、それは自民党などの政党、企業や弁護士会などの団体といった、いわゆる「地盤」ということになる。その有無で主要候補とそれ以外を分けるというのは、結局、旧来の政治の枠組みを黙認し、新しい可能性に目をつむるのと同じだ。ネットメディアでさえそういう発想になってしまうというのは、やっぱりみんなの中に、政治とはそういうものだという思い込みが根強くあるからなんだろう。メディア、そしてぼくたち自身にそういう意識があることも、「政治の専門家や何かに突出した人間じゃなければ政治家にはなれないんじゃないか」と若者が尻込みしてしまい、選挙に出づらい理由のひとつなのだと思う。今回の選挙戦を通じてぼくはその思い込みを壊したかったし、今でも会う人会う人に「選挙に出た方がいいよ! 楽しいよ!」と言っている。それだけは、実際に出たからこそわかる真実だ。

 逆に、おもしろい扱われ方もあった。朝日新聞に掲載された写真だ。舛添さん、細川さん、宇都宮さん、田母神さんのいわゆる「主要4候補」がそれぞれ街頭演説をしている写真に並んでぼくも加えられているんだけど、みんながマイクを持っているのに対して、ぼくだけマイクと一緒にiPhoneを持っている。これは「新しい選挙のかたち」を示唆するものとして、けっこうネットでも話題になった。これはただこのときにツイキャスをしていただけで別に狙ったわけじゃないし、普通にマイクを持った写真もあったはずだけど、これを選んだ朝日新聞には「やるじゃん」と思ったのを覚えている。

みんなの声を背負って戦っていた

 そんなことも含め、選挙はとても楽しかった。「こんな楽しいことを、ぼくらは今まで政治家に独占させてたのか! もったいない!」と思ったくらいだ。

 何が楽しいって、10日そこらの選挙戦の中に、これまでぼくがやってきたような「会社やプロジェクトを作って育てる」という流れが凝縮されているのだ。選挙事務所や陣営を作って、人が集まったりいろんなプロジェクトが立ち上がっていって、みんながひとつのゴールに向かって猛ダッシュしていく。新しく立ち上げた「家入かずま公式サイト IEIRI.NET」も生き物のようにどんどん育っていき、その更新作業や、たとえばポスター掲示板の位置情報をオンラインでリアルタイムにデータ化していくような作業が、事務所のあちこちですごいスピード感で行なわれていた。クラウドファンディングでの資金集めや、ネットで集めた「みんなの政策」の選定も含めて、ぼくはあの場で、ネットを使った「未来の政治」の実験をすることができたんじゃないかと思っている。

 選挙では、陣営の核になってくれた人たちはもちろん、ボランティアの方々にとても助けられた。事務所開きの段階から、本当に多くの人が集まってくれた。事務所は24時間オープンの状態にしていたんだけど、遠くから夜中の4時に事務所にポスターを取りに来て「今から貼ってきます」と言ってくれる子がいたり、「私もひきこもりで普段は家から出られないんですけど、いてもたってもいられなくて来ました」と、震える手でぼくと握手しに来てくれる子もいた。「渋谷ハック」のときもそうだったけど、普段はネットの向こうにいる人たちが生身の形でぼくの前に集まってきてくれたというのは、単純にとてもうれしかった。

 自己紹介のときに「私は統合失調症という病気で、たまに心のバランスを崩しますけど気にしないでください。薬は飲んでいるので大丈夫です」と言った子もいた。それを自分で言うのもすごい勇気だよね。で、本当に夜中に突然感極まって泣きだしたりするんだけど、みんな最初に聞いているから別に動じない。そういうときに「大丈夫?」とか「がんばって!」なんて言葉はよくないのもわかってるから、「泣きな泣きな。泣きやんだらメシ食いな」とか言ったりして。そうしているうちにその子もケロッとしてきたり。個々人の事情は色々とありつつも、それをその場の誰もが受け入れていたと思う。

 事務所開きのとき、ぼくはこんなことを言った。「この場を、とにかくみんながお互い認め合う場にしたい。2週間も同じ場所にギュッといると、何かと意見の違いやネガティブな感情も生まれるかもしれない。そんなとき、対話や議論は必要だけど、感情に任せて他人や自分を傷つけるようなことはしないでください。自分とは違う人間を認めて、それができる自分のことも素敵だと思ってください。それをできる場所が、ぼくの言う〝居場所〟です」と。みんなのおかげで、ぼくの事務所=通称〝家入キャンプ〟を、誰もがお互いを認め合える優しい場所にすることができたんじゃないかと思っている。

 そんな選挙の間、ぼくはとにかく自分の活動や言葉を通じて若い世代に政治への関心を持ってもらい、投票をしてもらいたいという思いで「ぼくに入れなくてもいいから、選挙に行ってください」と呼びかけていた。それが前述したように遊び半分にみえる向きもあったかもしれないが、その思いは真実だ。

 しかし、選挙戦の最後も最後、ぼくは「言うべきことはそれじゃない」ということに気づき、Twitterなどでも「ぼくに投票してください!」と呼びかけた。これがそのツイート。2月6日、投票日の3日前だ。

 その後押しになったのは、みんなの党の山田太郎議員から言われたひとこと。「家入さん、泣いても笑ってもあと数日なんだから、今しかできない壮大な遊びをしたほうがいいよ。いい人ぶってる場合じゃない」と。「車の上で歌いながら銀座を走れるのなんて、選挙期間中だけなんだから」とも言われた。山田さんは自分の選挙の最終日に、それをやったらしいんだけど(笑)。ぼくの「自分に入れなくてもいい」という発言を直接指してそう言ったわけじゃないと思うけど、とにかくぼくはそれでハッとした。

 その足で事務所に帰って、ボランティアの子を集めてそれを伝えた。「みんな、ごめん。今までぼくはいい人ぶってた。目が覚めた。ぼくに一票を入れてほしい」と。それまではボランティアの子たちの中にも「ボランティアは手伝うけど、家入さんに入れるかどうかはまだ決めてないし、周りに薦めるつもりもありません」という子がいたし、ぼくもそれでいいと思っていた。だけど、目の前にいるボランティアのみんな、ネットの向こうで応援してくれている人たちが寄せてくれた熱量に対して、それはとても失礼なことだった。彼らすべての声を背負って、ぼくはそこにいたのだから。

 それを聞いていた彼らの中から、「ああ、家入さん、ようやく言ってくれましたね」という声が上がった。彼らはずっと、ぼくの「本気」を待っていたのだ。

 別にそれまで遊び半分だったわけではないけど、確実にぼくには「照れ」があったと思う。ぼくは素直に感情を表現するのが苦手だし、いじめられた経験もあって、なるべく傷つかないように、傷つかないようにと生きてきた。ストレートに本音を言ったり情熱を前面に出すタイプではないし、どちらかというとそういう場面ではふざけた顔して逃げ回ってきた人間だ。「1000リツイートで出馬します」なんて言ってたのもまさにそうで、仮にリツイートが集まらなくても出るつもりだったのに、なぜか肌感覚でそんなエクスキューズを用意してしまっていた。

 だけど、投票日直前に、ぼくはそれをかなぐり捨てた。結果はともかく、照れも飾りも捨てて「下手でもなんでもいいから〝本気〟を伝えなければならない時がある」と思えたことは、今後のぼくにとって一番大きな収穫になっていくと思う。

第2章 みんなの居場所をつくりたい

ずっと居場所がほしかった

 冒頭でも述べたように、ぼくのこれまでの活動――ビジネスや非営利の活動を問わず――の根底にあるのは、常に「みんなの居場所を作りたい」という思いだった。


 新しくビジネスやプロジェクトを立ち上げる人に、ぼくが必ず助言することがある。それは「自分がそれをやる必然性があるのかどうか、よく考えたほうがいい」ということだ。「誰がやっても同じじゃん」と言われるようなことなら、わざわざやる必要はない。もちろんぼく自身に関しても同じことが言えて、ぼくがやる必然性のあるもの、ぼくがやることによって意味やストーリー、ひいては説得力が生まれるものを作っていたい。これまでもそういう姿勢でやってきたとは思うけど、そこまで深くは考えていなかった気もする。が、とみに最近はどんどんそういうモードになっているのを感じる。

 ぼく自身のことでいえば、やはり自分が中2のときにひきこもりになったことが全てのベースになっている。貧しいながらも明るい人気者タイプ(と、自分で言うのもなんだけど……)だったぼくは、中2のときにささいな一言がきっかけで友人を傷つけてしまい、クラスに友人がひとりもいなくなってしまった。昨日まで仲のよかった友人たちが、話もしてくれない。そこで対人関係が不得手になってしまい、ついには不登校に。人生というものは、少しのきっかけでガラッと変わってしまうものだ。高校で再デビューしようとしたもののやはり厳しくて、そのままドロップアウトしてしまった。

 そのときには悲しみや言いようのないさみしさを感じつつ、それを分析したり言語化することはできなかった。できるようになったのは、ここ数年のことだ。「なぜこうなったのか」という後悔や親に対する申し訳なさ、「社会からこぼれおちてしまった」という気持ち、さらには「なぜ自分がこんな目に」とか「社会に認められたい」……そういった、あらゆるネガティブな感情をごちゃまぜに抱え込んだ経験が、ぼくの原動力になっている。ぼくの家族は借金でバラバラになってしまったから「お金が欲しい!」とも当然思っていたし、あとは「モテたい!」みたいな単純明快な欲求も含め、ひきこもりから社会に出るまでの間にさまざまに交錯した感情やコンプレックスをベースに、ぼくができあがったのだ。そういう感情を一言で表すなら、やはり「この社会にぼくの居場所はないんじゃないか」という思いだったと言えるだろう。

 だからこそ、ぼくはしゃにむに「居場所」を作ってきた。仲間を集めて、会社を作っていったこともそうだ。そこはまずぼくの居場所になったし、会社で立ち上げたウェブサービスにお客が集まってきたのも、そのサービスがまた誰かの居場所として機能したということでもある。22歳で「ロリポップ!」を立ち上げ、ペパボの前身となるマダメ企画を設立してから今まで、ぼくはそのためだけに次々と会社やサービスを作ってきたと言ってもいい。

 だから、ぼくは自分のことを「プラットフォーム(場)を作る人」だと思っている。場を作って、その上でいろんな人が動いたり、つながったりするのを見ていたいのだ。もちろんぼくはプログラマーとしてビジネスをスタートしたけれど、かっちりとプログラムを組んでいくことに喜びを感じるような、いわゆる職人気質なほうではない。むしろ、「会社を作る」「居場所を作る」ためにプログラミングやウェブデザインを自分で勉強したまでであって、自分の居場所を作るために武器を獲得していった、と言ったほうが正しい。ぼくはいつだってそうで、何かを「やろう」と思ったあとに必要なものが見えてくるし、手さぐりしながらそれを進めていくうちに自然と人も集まってきてくれる。本当に昔から、人にだけはめぐまれていると思う。

「おかえり」と言ってもらえる場所

 ただ、その一方で、立ち上げたものがうまく回って居心地がよくなってくると、今度は言い方は悪いけど飽きてくるというか、また違う景色を見たくなってきてしまうクセがある。安定恐怖症とでも言うべきか、自分の状況が安定していることに危機感を覚えるのだ。だから、「ちょっと行ってくるか」という感じで、また新たな場所に行ってしまう。そんな風にして、ぼくは次々と新しいことに挑戦してきた。

「ここが気持ちいいんだから、このままでいればいいじゃない」と人は言う。が、どうしても「違う景色が見たい」という気持ちを抑えることができないのだ。そして、新しいところに行ったら行ったで、その先で絶対に「新しい居場所」を作りにかかる。そうすると、かつてのぼくのように自分の居場所を求める人たちが集まってきて、そこをよりどころにしてくれる。別に使命感でそれをやってるわけではないけど、ぼくが作っていく場所が結果的にそういうものになればいいと思っている。

 そんな風にして次から次へと新しい場所に向かうことを繰り返しながらも、「ああ、すべてがぼくの居場所だな」と改めて感じるのは、現在のペパボや自分が作ったカフェなど、ずいぶんと離れていた「かつての居場所」に久々に顔を出したときだったりする。そういうときは、みんな「おかえり~」という感じで迎えてくれる。用事は様々で普通に仕事の相談だったり、ときにはぼく絡みでネットで炎上したことを「迷惑かけてごめんね」と謝りに行ったこともあるけど、みんな「まあ、家入さんだからしょうがないね」なんて苦笑しながら温かく接してくれる。そうした場所がたくさんあるのは本当にありがたい。フラフラ放浪しっぱなしのダメダメ親父だけど、そうやって笑顔を見せてくれるみんなが本当に大好きだ。

 最近は「おかえり」という言葉がとてもうれしくて、「ああ、誰かに〝おかえり〟と言ってもらえる場所が居場所だってことなのかな」と思ったりもしている。人は色々な理由で、今いる場所を飛び出すものだ。ぼくのように安定を求めないタイプの人もいるし、不義理をして飛び出して行くこともあるだろうし、人の数だけ事情がある。その結果として成功したり失敗したり、これまた色々あるだろう。だけど、もし失敗して心が折れたり、何かあってまた戻ったときに、何も聞かずに「おかえり」と言ってもらえる場所があるかないかで、心持ちはだいぶ違うはずだ。人によってはそれが故郷の実家だったりもするだろうし、会社や学校だという人も、友人の集まりだという人もいるだろうけど、それさえあれば人は頑張れるし、頑張れない時だって、そんな自分を否定して辛い気持ちになったり、最悪自殺してしまう……なんてことをしなくてすむんじゃないかと思う。

 ぼくはこれまで「今いる場所がいやなら逃げろ!」と言ってきたし、そういうことを書いてもきた。どこかで「生きにくい」と思ってる人たちに、この世には別の居場所・別の世界があるという可能性を示したかったのだ。「今所属している集団や組織が世界のすべてで、そこから外れてはいけないんじゃないか」というような強迫観念で自分をしばりつけてしまって、それに息苦しさを感じている人がいるのなら、「そうじゃない」ということを伝えたかった。

 映画『マトリックス』を観たことがあるだろうか。あの作品では世界のすべてをコンピュータが支配していて、人間は機械に接続されて夢を見させられている。そして、人間はコンピュータが作った夢を現実だと思い込んで生きている。主人公もその一人だったけど、そこにモーフィアスという男が現れてその事実を伝え「仮想現実の世界でこのまま生きていくか、現実の世界で目覚め、本当の人生を生きるか」の選択を迫る。彼は決して「これが正しいのだ」とは押しつけない。「なにを選ぶかはお前次第だ」とだけ言って、あくまでも選択肢だけを提示する。ぼくの生き方は、そのモーフィアスのようなものだと思う。ぼくが外へ外へと飛び出し、新しい場所を作っていくのを見て「この世に、生きる場所はいくつでもある」ということを感じてもらえれば、それでいい。ぼくや他の誰かが作った居場所に集まるのも、自分で自分の居場所を作るのも、すべて自由なのだ。

すべてを失って見えたもの

 ぼくだって、はじめからそこまで明確に自分のやってることの意味がわかってたわけじゃない。その思いが徐々に形になってきたのは、ペパボ上場後、カフェ事業を行う会社「partycompany」を立ち上げてカフェや飲食店をいくつもオープンさせた挙げ句、お金が底をついた後だ。

 その頃は自分が作っているもののことを「居場所」とは呼ばず「遊び場」と言っていたんだけど、とにかくみんなが集まる場所をいくつも作っていた。だけど、あまりに大ざっぱな金の使い方をしてたからそのうちビジネス的に立ち行かなくなって、お金も失ったし、せっかく作った遊び場も、多くは手放さざるを得なくなってしまった。そればかりか、周りにいてくれた人も大勢失った。ぼくのお金に群がってきていた人たちだけじゃなく、ぼくを信頼してついてきてくれていた人たちさえも、ぼくから離れていってしまった。これまで作ってきた自分の居場所を「すべて失った」という絶望の中に、ぼくはまた突き落とされたのだ。

 その理由も、今ならよくわかる。

 当時のぼくは数十億というかつてない大金を手にして、正直舞い上がっていた。欲しいものは何でも買えたし、海外旅行もファーストクラス。1回の飲み代が200万円なんて夜もあった。クレジットカードもブラックカードですべて揃えて、会計時にわざわざそれが見えるように財布を開いたりして。今思うと本当に恥ずかしいけど、当時は完全に「ひとりバブル」という状態だった。「出資をしてほしい」という人もわらわらとやって来て、ぼくはといえば深く考えずにバンバンお金を出して、それが失敗して回収不能になってもほったらかしていた。これじゃ、いくらお金があっても足りやしない。

 ぼくのすべての行動はコンプレックスから来ているとさっき書いたけど、そんなふうにお金を使って、ブラックカードやブランド物で身を固めて、当時のぼくはそれで周りに認められたと勘違いしていた。だから、事業の不採算がかさんで会社が傾き、財布の中身がさみしくなり始めても見て見ぬふりして、さらなる泥沼に突っ込んでいた気がする。「ついていけません」とアシスタントが辞めてしまう頃にはもうファーストクラスになんか乗れなくなっていて、出張のチケットも自分で旅行代理店で手配するようになった。食事だって、それまで行ったこともなかったサイゼリヤ。おかげでミラノ風ドリアのおいしさを知ったけど(笑)、当時はとにかくそんな自分が惨めで、今まで築き上げてたものがすべて崩れていくような気持ちだった。それを受け入れたくなくて、信頼する友人やスタッフの忠告にも耳を傾けず、逆に「会うと小言を言われるから」と避けたりしていた。あのときのぼくは、自分で自分の心をどんどん閉じていってたのだと思う。


 ぼくは元来、何かをするときや「これは……どうしよう」と迷ったときでも、あまり人には相談しない性格だ。「できない性格」と言ってもいい。相談するときは、もう決断した後。新しいサービスを思いついて誰にも相談せずパパッと作ったのはいいが、手が回らないことに気づいて、そこで初めて人に「やばい、手伝って!」と泣きついたこともあったし、事前に相談したつもりでも、相手に「どうせやるんですよね?」と言われる……といったこともしばしば。よく言えば決断が早く、悪く言えば独断専行タイプ。周りから見たら、ずいぶんと自己完結した人間に見えるだろう。調子がいいときはそれでもいいけど、調子が悪くなってきても人に頼ることができず、どんどんドツボにはまっていく。お金を使い果たした頃が、まさにそうだった。それでいて、自分では「あんなに周りに人がいたのに、相談できる人が一人もいない!全員敵だ!」という気分。そんなふうだから、よけいに人は離れていく。当時のぼくは、本当にズタボロだった。

「どこにも自分の居場所はない。ひとりぼっちなんだ」という孤独感。実際には友達がいなかったわけじゃないし、周囲の目には必ずしもそうではなかったのかもしれないけど、ぼくはとにかくそう感じていた。だけど、いつまでもへこんではいられない。「帰る場所がないのなら、また始めるだけだ」と、なんとか新たな活動を始めようと思った。が、何せもうお金はない。そこで、Twitterにこんな内容を投稿した。

 これが、Livertyの立ち上げにつながっていくわけだ。

 ぼくのつぶやきに反応して、プログラマーや学生など、けっこうな数の若者たちが集まってきてくれた。たくさんの人と連絡を取り、実際にも会って、「これはいけるんじゃないか?」という確信が徐々に芽生えてきた。別にLivertyのコンセプトに共感してくれた人だけじゃなくて、「家入に乗っかって自分の実績を作ろう」という考えの人もいたと思うけど、ぼくはそれでもいっこうにかまわないと思っていた。利益が出たらみんなで山分けすればいいし、その時点ではお金は払えなくても、ぼくと一緒にやることでその人になにかプラスの還元ができるなら、その人の動機はどうだってよかった。いつでも何かしら動いてきたぼくだからこそ、一緒にやってくれる人たちにお金以外のものを分配できるんじゃないか。代わりにぼくもその人の面白いアイディアを知ることができるし、イーブンの関係ということだろう。

 そう思っていた頃にちょうど岡田斗司夫さんの『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』という本を読み、ソーシャルメディア時代の新しい働き方に対する興味がさらにわいてきた。「雇う側」「雇われる側」という主従の構図がときに人間同士のつながりをゆがめてしまうなら、その構図をフラットにして、それぞれがゆるくつながりながら、プロジェクトごとに同じ思いでものづくりに向かっていくという「チーム」の形で動くほうがいい。必ずしもお金を媒介にしない、人のつながりがつくる未来。どん底から一歩踏み出した先に見えたのは、そういう景色だった。

 そして、やっぱりそこにも、居場所のなさを感じている若者たちが集まってきた。就職活動に失敗して悩んでいたり、入学や就職はしたもののそこに居場所を見出せなくて苦しんでいた彼らは、ぼくと同じように「人のつながり」が作る未来に希望を見出したのかもしれない。「もう長いこと家から出られない」という子もいた。物もお金も人もたくさん溢れているように見えるこの社会。それなのにこんなにもたくさんの人が孤独を感じている。社会に居場所を見出せないことで「自分はダメなやつだ」と自己を否定してしまう人もいる。そんな彼らが同じ悩みを抱えた人と出会い、「自分はひとりじゃないんだ」と思えるやさしい場所がほしい。そう感じて、現代の駆け込み寺というコンセプトで作ったのがシェアハウス「リバ邸」だ。

 Livertyを立ち上げたあと、オフィスに「何もできないけど、何か手伝わせてください!」と地方から若い子が身ひとつで訪ねてくることが増えた。ぼくは「それならオフィスに寝泊まりしていいよ」と言い、いつしかオフィスは彼らの寝床で溢れるようになった。彼らもまた、家にいても何もできなかったり、人と話すのが苦手だったり、将来に悩んでいる子たちばかり。でも、何も持たない代わりにスポンジのような吸収力があった。だから、ぼくが「プログラミングでもやってみたら?」と本を買い与えると、あっという間に技術を覚え、アプリやウェブサービスをスタートさせてしまった。

 そのうちオフィスに人が増えて手狭になってきたので、知り合いが借りていたマンションを借り、みんなにそこに移ってもらうことにした。これがリバ邸の始まりだ。ここから今のぼくの活動のベースになるものがまた続々と形になり、現在に至っている。自分自身がお金も人も、いわば目に見えるものをすべてを失いゼロ地点まで戻ったことで、逆にたくさんの、それまで見えなかったことが見えてきた。ぼくが「居場所」という言葉を積極的に使うようになったのは、その頃からだ。

炎上なんてもうしない

 2011年。ちょうど時期を同じくして、東日本大震災が起こった。この震災は、ぼくの状況と奇妙にシンクロする部分が大きかった。日本社会全体にとっては「大きな物語」の終わりをひしひしと感じる出来事だったんじゃないかと思う。「大きいことはいいことだ」と言っていた時代は終わり、いよいよそんな物語を信じられない世の中になってしまった。その中には国や行政といったものも含まれるし、土地とかマイホーム神話みたいなものもそうだろう。ぼくにとっても東京に出てきて、上場して……という右肩上がりの時代の終わりから、まずお金ありきではないつながりの形を模索する時代への転換期。実際に自分自身も定住というライフスタイルを捨て、とにかく小さく、フレキシブルに動ける状態を目指した。

 これからの時代は物語の一部になるのではなく、個人個人が自分の頭で考えて行動する主体であったほうがいいし、それが震災以降の、それぞれの新しい「居場所」になっていくはずだ――ぼくはそう思って、「新しい生き方、働き方」を発信するようなツイートを繰り返し始めた。時代のムードからそれに強烈に共感してくれる人も多く、若い人たちのフォロワーも、その時期に飛躍的に増えた。しかし、その一方で、ぼくの発信する内容への反発の声も増えてきた。

 その内容は大きく2種類に分かれていて、ひとつは「なにが『自由に生きる』だ。頑張って働け」という声や「若いうちは苦労するのが当たり前だ。甘やかすな」という主旨のもの。そういった弱者を切り捨てるような自己責任論を社会が振りかざしてきた結果として、居場所をなくした人がたくさんいるというのに。

 もうひとつは、「その仕組みで日本中の若者が救えるのか? そんなのは偽善だ」というもの。そう言われても、ぼくは神様じゃない。ぼくの力ですべての人が救えるなんて、最初から思っていない。だけど、かつてのぼくと同じように居場所をなくした人たちが頼ってきてくれたのだから、それさえも切り捨てるようなことはしたくなかった。

 そうした批判の中には予想できたものもあったし、正直「そんなことまで言われるの!?」というようなものもあった。見知らぬ人からそういう感じで批判を受けるのは初めてだったから、ついついTwitter上で感情的に反論することも増え、それがさらなる批判を呼び、収拾がつかなくなるケースがしばしば出てきた。いわゆる「炎上」だ。ぼく自身がネットの中にキャラクターとして浸透したことが、それを加速させた面もある。

 もっとも話題になったのは、クラウドファンディングを用いた学費支援プラットフォーム「studygift」の件だろう。ぼくら運営側の不手際も確かに大きかったが、そのときもぼくは「いい事をしようとしているのになぜ叩かれるんだ」という気持ちで、批判のツイートに対してけっこうムキになって応戦していた。批判の中には的確なものも、ただ揚げ足を取るような内容にすぎないものもあったけれど、かかる火の粉をすべて払おうとして、よけいに炎上させていた部分はある。これは、素直に反省するべき点だ。

 studygiftに関しては今でもすごくいいコンセプトだと思っているし、不手際やシステムの甘さとして指摘された部分は甘んじて受けるとして(現在、申請や掲載のプロセスをかなりかっちりしたものに改善している)、その他の指摘の中でぼくが気になったのは「教育に関わるような重要な問題に、あんなにカジュアルに手を出すべきではない」というものだった。

 もちろんシリアスな問題であることは百も承知だが、ではスーツを着た有識者がしかめっ面して議論をすれば、有効な対策が生まれてくるのだろうか? 多いときには数百万円のローンとなって学生自身にのしかかる「奨学金」という名の借金から、今まで学生を解放できたことがあるだろうか? ぼくは昔から、そういう空気がいやだった。「シリアスな問題は限られた人しか議論してはならない」というようなムードは、硬直しか生まないと思っている。どこかで聞いたことのある話だけど……。たぶんこれって、政治も同じことなんだよね。

 一方、ぼくがこれまでやってきたことは、スーツで身を固めた人たちの会議に着ぐるみで入っていくような行為に見えたかもしれない。が、それは別に彼らを茶化したかったわけじゃなく、ピエロみたいな奴が入ってきたことでその場の空気が和らぎ、みんなの頭が柔らかくなって、より活発な意見交換のきっかけになればいいなと思ったのだ。この問題に関心のなかった人たちの興味も喚起し、これまで存在しなかった議論が生まれることが、問題の改善につながることもあるかもしれない。政治の世界への関わり方も、たぶんまったく同じことだと思う。志自体はスーツの人たちと変わりはしない。けど、あくまで着ぐるみ。このへんのスタンスは、ぼくの一貫しているところだ。

 とはいえ、当時と今とで大きく違うことがある。当時は「まず問題をカジュアルにして、間口を広くするのがいいことなんだ!」と思っていたから、着ぐるみで会議に割って入ったばかりか「はいはい、みんな脱いで脱いで!」と無理やりみんなのスーツを脱がせようとしていたところがある。すると、脱ぎたくない人もいるから「何すんだよ!」と殴られたりもする。だから炎上する。今では、スーツを脱ぎたくない人に無理に脱がせようとすることはない。実際、シリアスな問題ほどスーツ組がちゃんといたほうが話が早いということもあるからね。ただし、ぼくが着ぐるみで楽しそうにやってるのがうらやましくなったら、いつでもスーツを脱いで輪に入ってくればいいと思う。

 自分の思う「正しさ」を押しつけようとしてもロクなことがないというのも、炎上を繰り返していた時期に学んだことだ。

「勝ち負け」の向こうへ

 ともかく、炎上をする/させる気はもうない。そう思えるようになったのは、ただスルースキルがついたとか大人になったというよりは「それが本質的なものじゃない」ということに気付いたということが大きいだろう。十万人以上のフォロワーが見ている場所で感情的な応酬をしたって何もいいことはないばかりか、例えば本来は奨学金のような問題を解決するべきだった場が、ぼく自身への好き嫌いレベルのことも含めてノイズの投げ合いになってしまい、どんどん荒れていくばかりだ。

 当時は知人がTwitter上で絡まれていたらわざわざ割って入って援護射撃をするようなことまでして、結局火に油を注ぐことになったりもしていた。そういうときは電話かメールで直接そっと助言をしてあげればいい話なんだけど、たぶん、どこかで「勝ち負け」みたいなものを意識していたのかもしれない。自分が歩み始めた新しい生き方か、自分の作った居場所か、はたまた自分のプライドなのか――とにかく、何かを守ろうとするあまり、逆に攻撃的な態度を取ってしまっていたのだと思う。前に書いた「自己完結して見える」ということにも通じるけど、ぼくの考えていることは、自分の中ではつじつまが合っていても、いざ言葉にすると論理としてはひどく飛躍して聞こえるらしい。その飛躍した論理を細切れのツイートでぶつけていたら、それは炎上するよね。今だからわかることで、当時は「なんでぼくの言ってることがわからないんだ、この野郎!」くらいに思っていた。身の周りの人たちに対して閉じていたズタボロの時期を乗り越えても、やっぱりまだ、自分の中の何かが閉じていたのだろうと思う。


 そんなぼくが言うのも何だけど、ソーシャルメディアを見ていても、実社会を見ていても、震災以降、矛先が「他者」に向いた言動を目にすることが本当に増えた。ヘイトスピーチが頻繁に行なわれたり、それを逆に「しばいてやる」みたいな人たちが出てきたりして、とにかくやさしさが足りない世の中になってしまった。なぜなんだろう?

 誰もがそれぞれ苦悩や生きづらさ、未来への不安を抱えていて、どこかで「居場所がない」と感じている。それを「誰かのせい」にして相手にぶつけること以外に、その発散の場がないということなのだろうか。さもなくばその矛先を自分に向け、年間3万人もの人が自ら命を絶ってしまう。こんなにも、やさしさを求めながらたどり着けない人がいる。そういう人たちの叫びが、今日もソーシャルメディアにこだましている。

 ぼく自身、やっぱりTwitterやFacebookは大好きだ。深夜ひとりきりでさみしくなったときにTwitterのタイムラインを見ると、必ず誰かが発言したり動いたりしていて、それがどこかの見知らぬ人であろうと「ああ、ぼくはひとりじゃないんだ」という安心感を覚える。このツールが浸透したおかげで今回の選挙のようにみんなの声をダイレクトに聞くことができたし、逆にマスメディアを通さない形で自分の声を発信することもできた。そういう意味では、ここも確かにぼくたちの居場所だ。だからこそ、自分と違う意見を持つ人の居場所でもあるわけで、誰かを攻撃したり排斥したりして自分のポジションを作る代わりにその人の居場所を奪うようなことは、もうやめにしたいと思っている。だれもが聖人君子でいられるはずもないし、ぼくを叩いて気持ちよくなれるのなら、叩きたい人は叩けばいい。だが、ぼくから反撃することはもうないと思っている。議論の応酬ではなくて、勝ち負けではないところに結論を見出すような「対話」をしたい。ソーシャルメディアの向こうにいるのは、常に「人」なのだから。

 そういう思考の道のりを経て、ぼくは再び、すごくオープンな気持ちになってきた。そして、「みんなの居場所を作りたい」と都知事選に出馬したのだ。必然のようにも思えるけど、それはソーシャルで持ち上げられたり攻撃し合うことに疲れ、「もっとやさしい社会は作れないのか」と思うようになった時期と、猪瀬前知事の辞職のタイミングがまたもやシンクロしたからこそ実現したのだと思う。その前の参議院選挙(2013年7月)のときは、「自分が出る」ということをイメージすらしなかった。都知事選のタイミングがあと何ヵ月か遅れていたら、それはそれでまた違ったかもしれない。そのときの自分を想像できないけど、今ごろどんな活動をしていたんだろう。


 と、ここまで書いてきたような内容は今だから言えることでもある。こんな風に冷静に振り返れるのは、炎上という経験を通じて、そこに本質はなく、大事なことはもっと別のところにあると気づいたからかもしれない。その渦中にいる間――つまりLivertyを始めた頃には、ぼくはまだそれに無自覚だった。当時書いた本を今読み返すと、現在の自分とはもう考え方が違うな、という部分があってハッとする。たかだか2年くらいのことなのに。まあ、これも、とてもおもしろいことだ。つまり、それだけいろいろなことを体験して、経験値が上がったということなんだろう。今のぼくはもう炎上を繰り返していた当時のぼくではないし、未来のぼくも、きっと今のぼくのままではない。だけど、その流れの中で、これから先も「みんなの居場所」を作っていくことだけは変わらないと思う。選挙に出たときに「あれだけ炎上していた人間に政治なんかできるのか」という声も聞かれたけれど、炎上を経験した人間だからこそ、わかることもある。これからのぼくが作っていくものを、ひとつの答えとさせてほしいと思う。

第3章 「ぼくら」って誰のこと?

誤解された「ぼくら」

 ぼくは東京都知事選で、「東京をぼくらの街に」という言葉を掲げた。それ以外にも、みんなから政策を公募するにあたって「#ぼくらの政策」というハッシュタグを作ったりして、とにかく「ぼくら」という言葉に意識的であり続けた。が、この「ぼくら」という言葉にも、賛否を問わずさまざまな感想が寄せられた。

 否定的な意見の多くは「『ぼくら』って誰だよ?」「仲間うちで『ぼくら』を設定して、それ以外を排除するのか?」というもの。

 ぼくは選挙が始まる前から「ぼくら」という言葉を使ってきた。だから、選挙が始まっても何の違和感もなくそれをそのまま使っていたんだけど、ぼくの意に反してそこに排他性を感じた人がいた、ということだ。「ネットを使って新しい生き方を謳歌できる若い世代の選民思想」というふうにとらえられたということなら、それは的外れだと言わざるを得ない。言葉尻をどうこう言われるのは慣れてるから普段は全然気にならないんだけど、この「ぼくら」という言葉に関しては、ぼくが今後進めていく活動の根幹に関わることなのでちゃんと真意をわかってほしいと思う。

「ぼくら」に排他性を感じるという方からすると、ぼくがみんなの意識を代弁しているように見えて、結果的にそこにいるみんなの意識をやわらかく強制しているように聞こえるのかもしれない。まあ、確かに「ぼくはこう思う」と言うのと「ぼくらはこう思う」というのでは、ややニュアンスは変わってくる。そこに、やや閉じた雰囲気を読み取れなくもない。考えてみるとなるほどね、とは思う。

 ただ、それは全然ぼくの本意じゃない。ぼくは昔から「こういうことをやろう!」とみんなに提案する、いわば言いだしっぺタイプ。そして、そこに賛同する人が集まってきて形になっていく。それがパッと見、「家入と、それに従う人々」に見えることもあるのかもしれない。家入が人々を煽動している、という風に。残念だけど、ぼくにはそんなことを狙ってやれるほど器用じゃない。何かやろうと思い立つのはいつも直感に従っているだけだし、何より、そもそもぼく自身が常にそういったあり方を気持ち悪いと思っている人間だからだ。ぼくは常にみんなとフラットに関わり合いたいだけで、「お山の大将」になんてなりたいわけじゃない。

 ぼくが提唱した「ぼくら」とは、この社会の問題に対して当事者意識を抱き、積極的に関わっていこうという意志を持つすべての人、という意味だ。ぼくも含めて誰もがこの時代に生きる当事者である以上、社会をよりよい方向に変えていくのはみんなの仕事であるはずで、それを誰かに任せっきりにしてはいけないと思う。そこには男女の別も、ましてや年代の別もない。すべての人々を「当事者化」するための言葉として、「ぼくら」という言葉を使ったつもりだ。

 誰もがこの社会の主人公であるべきだと思っている以上、ぼくと行動を共にする/しないとかぼくが何を言っているかに関係なく、みんなが自分自身の価値観や問題意識に基づいて動けるのならそれに越したことはないとぼくは思う。「家入さんはこう言ってるけど、ぼくはこう思うからぼくのやり方でやるよ」ということでもかまわない。それが何らかのアクションにつながるなら、なんでもいい。つまり、誰もが「ぼくら=自分の社会をよくするために、自分なりに動く人」になり得るということ。それが、東京を「ぼくらの街」にする、ということなのだ。だから、「『ぼくら』って誰?」なんて言ってる人も、その人なりの問題意識を持って日々行動してくれればいい。異論があるなら、むしろ一緒にやろうよ、と思う。あらゆる考え方の人が集まって、コミュニケーションを重ねながら社会をよりよくしていけばいいじゃないか。

世代間闘争なんてしないよ

 この「ぼくら」の解釈については、色々と物議をかもした。ぼくとしては思うように意図が伝わらなくて歯がゆかったけれど、自分なりに意味を込めたところで、受け手がそうとらえなければ意味がない、ということを痛感する機会にもなった。常々そうといえばそうなんだけど、「言葉づかいには特に気を遣わなければいけないな」と思ったことは他にもある。たとえば「社会を変える」という言葉もそう。もちろん、この中には社会をよくしていきたいという思いが込められているんだけど、この世の中には社会や生活が「今のままでいい」と思っている人も少なからずいるということを念頭におくと、彼らに自分の思いを届けるときにするべき言葉遣いは変わってくるはずだ。

 選挙活動中、インターネットではなかなか聴けないお年寄りの意見も聴きたいと思って、巣鴨の地蔵通り商店街をツイキャスしながら歩いたことがある。そこで出会うお年寄りたちに、「東京がこういう風に変わったらいいな、と思うことはありますか?」と聞いていった。中には「国民主体の東京都を作ってほしい」「元気のある街にしてほしい」と、要望を話してくれる人もいたけど、その一方で「今までこれで大過なく暮らしてきたんだから、社会はこのままでいいんだ」という声もとても多いことに驚きを覚えた。今まではよかったとしても自分の子や孫の世代のことを考えるとそんなこと言えないはずだけど……と思いつつ、「ドラスティックに『変える』『変わる』という言葉を使うと、不安や拒否感を煽ることになる」とも気づいた。だから、最近のぼくは「社会を変える」ではなく「アップデートしていく」のように、根底からひっくり返すのではなく、今のあり方をベースにしながら少しずついい方向に向かっていくようなニュアンスの言葉を使うようにしている。今の社会はぼくらが育ってきた前提としてあるものなので、それを単純に否定していても何も始まらない。

「世代」というキーワードは、ぼくが選挙に出馬した当初から話題にのぼっていて、今回の選挙における、ひとつの隠れたテーマになっていたんじゃないかとも思う。候補者16名のうち、30代の出馬はぼくひとり。ぼくのすぐ上はもう50代で、あとは60代から80代しかいなかった。一部のマスコミはぼくのことを若者の代弁者のように取り上げたし、実際、ぼくも選挙戦を通じて、若者の代表として振る舞った。それは決して間違ったことではなかったと思っている。

 ただ、何かの折に「古い世代をびびらせよう!」みたいなことを言ったせいで「あいつは世代間闘争をしようとしてる」「上の世代を排除しようとしてる」のようなとらえ方をされてしまったことがあった。まだ選挙戦も出だしで、ぼくの物言いもまだ不慣れだった頃だ。それが「ぼくら」という言葉の意味をゆがめて伝えてしまったとしたら残念だし、反省すべき点ではあるかもしれない。

 誰が何と言おうがぼくらは上の世代が作り上げてきた社会の中で生きているわけで、だったらその感謝も含め、自分が世代間のかけ橋になっていかなければならない。きれいごとじゃなく、「みんなの居場所を作る」という目標を実現するために。そもそも、自分と意見や感覚の違う人を切り捨てるのではなく、巻き込んで一緒に何かを作り上げていくほうがクリエイティブだろう。

 この数年でデジタルテクノロジーが急激に進歩したことで、デジタル世代とアナログ世代の感覚の違いは、ほぼ言語の違いに等しい状態になってきつつある。かつてはぼくも「使えない人はしょうがない」なんて思っていた。が、選挙に出馬する前、第2章で述べたように「誰の居場所も大事にしなければならない」と思い始めた頃から、その意識は大きく変わってきた。

「今どきネットも使えないような年寄りはひっこんでろ!」と言うつもりは毛頭ない。むしろ、ネットの便利さやそれによる変化を体験して、自分がこれまで得てきた経験や知恵をさらに生かして楽しく暮らしてほしいと思う。「使ってみたいけどわからないから」とあきらめている人たちには、積極的に働きかけていきたい。


 実際、ぼくは今「お年寄りと繋がろうプロジェクト」という試みを始めたところだ(2014年4月現在)。昔のような大家族の形態が少なくなって独り暮らしのお年寄りも多い中で、社会の中で「居場所がない」と感じている方も多いはず。以前、地方の健康ランドで缶ビールを飲んでいたら、年配の方から「その蓋(プルタブ)をちょうだい」と言われたことがある。換金するために集めているのだそうだ。若者たちは「この国の老人はお金を貯め込んで、ぬくぬくと余生を過ごしてる」なんて言ったりもするけど、人がたくさん集まる健康ランドにたったひとりで来て、「お金になる」と言っても二束三文のプルタブを集めて、たったひとりで帰っていく人もいる。そのさみしさ、切なさは若い人と同じか、体力や気力が弱っている分、それ以上なんじゃないだろうか。

 このプロジェクトは、そういったお年寄りたちがたとえばSkypeで孫や友達と話せたりSNSで人とコミュニケーションをとったりするところから始まって、より実際的な社会参加をしていくきっかけが作れたらと思ってスタートしたものだ。Twitterで呼びかけたところ450名以上の参加表明があり、第1回目のグループワークには、最終的に60人くらいの人が集まってくれた。ぼく自身そんなに来てくれると思っておらず、直前に「大きい部屋を確保しなきゃ!」と大慌てになったくらいだ。

 グループワークはとても意義あるものだった。初回ということで、プロジェクトの趣旨説明も兼ねていたから、どちらかというとお年寄りよりも「教える側の人」が多かったけれど、双方とても一生懸命に取り組んでいて、回を重ねるにつれて発展していきそうな雰囲気がすごく感じられた。こういうのは1回の成果で判断するものではないし、きっと地道に続けていくしかない活動なのだと思う。社会を変えるとか、よくしようという試みは、一朝一夕にできるわけではない。それを瞬時にやろうとするとテロや革命を起こすしかなくなる。少しずつ少しずつ、一人ひとりが社会をよりよくしていくためにできることをやればいい。そういう人々の集まりが「ぼくら」なのだ。

二元論からは何も生まれない

「ぼくら」を非難する人は、少なくとも「『ぼくら』に自分は含まれない」と思っている。でも、この社会に抱いている問題意識のベクトルはそんなに違わなかったりもする。そういう人たちが何らかの理由でこの「ぼくら」という言葉に壁を感じているのだとしたら、それを感じさせないよう、ぼくのほうからもっと働きかけていくことが大事だと思う。

 選挙のときは、他の候補とも積極的に対談した。宇都宮けんじさんとはもともと言ってることが少し近かったので、話はスムーズだった。宇都宮さんの陣営の中には「家入なんてチャラチャラした感じだし、出馬もどうせ売名だろう」と思っていた人もいたらしいけど、そういう人たちにはぼくの本気を伝えることで「イメージが変わりました」「家入さんの考えてること、よくわかりました」と言ってもらうことができた。そういえば、宇都宮さんの事務所では「ザ・選挙事務所」という感じの雰囲気を味わえてすごくおもしろかった。本物の必勝ダルマも、このとき初めて見たなあ。

 元首相である細川護煕さんとは、ツイキャスを教えてる写真がネットで話題になった。あの写真は、ぼくのスタンスを如実に示しているもののひとつだと思う。ツイキャスはぼくの武器だったはずで、古い考え方でいくと「敵に塩を送る」ということになる。でも、そう言われても、ぼくからすると「敵って誰のこと?」という感じでしかなかった。だって、候補者のみんなが東京を、この社会をよくしたいと思って選挙に出ているわけで、方法論は違えど志は同じはず。それを敵とか味方みたいな二元論でくくってしまうと、対立するばかりで建設的な話なんてできないと思う。武器をシェアするなんて、ぼくにとってはしごく当然のこと。実際に、細川さんはそのあとすぐにツイキャスをスタートしていた。ぼくより閲覧者が多かったので「なんだよ~」なんて思ったりして(笑)。それは冗談としても、取り組みの早さにちょっと感動したくらいだった。よく考えたら元総理大臣が元ひきこもりにツイキャスの使い方を教わるって、前代未聞だよね。

 結果的には割とリベラルなイメージの人たちとばかり話していたから「あいつは左側に取り込まれた」なんて言われたりもしたけど、本当は舛添さんとも田母神さんとも対談したかった。スケジュールの問題などもあって、実現しなかっただけ。ぼくはいつだってそうで、若者だろうがお年寄りだろうが、右翼だろうが左翼だろうが、興味を持った人とは誰とでも話すつもりだ。ただ政治に無知なだけだと思われるかもしれないが、そうじゃない。イデオロギーや属性だけで社会を切り分けるような考え方は、ぼくにはないということなのだ。

「敵」「味方」を分けてしまったほうが、「ぼくら」という言葉の強度は増したのかもしれない。もしかしたら「若者だけの力で、年寄りが支配する社会を変えよう!」みたいな極端な言い方をすれば、もっと若年層の票が集まったのかもしれない。でもぼくは、たとえそれが自分の立場をフルに利用した戦い方だったとしても、考えてもいないことを口に出すことはしなかった。ぼくはあくまでニュートラルな立場で、誰の言ってることも賛同できる部分はできる、できない部分はしないというあり方を貫こうと思った。

 八方美人になってしまうのではなく、この世の中の多様性を受け入れたうえで「自分の頭で考える」自分でありたい。これまでぼくは政治や社会活動に関わる上で「ぼく、何もわからないんです」と正直に言ってきたけど、今は歴史や哲学、思想といったものをどんどん吸収している最中。いくら勉強してもし足りないし、単純に楽しい。とはいえ学んだことの内容だけで頭がガチガチになってしまっても意味ないから、いろいろな知識を取り入れたうえでも、やはりどこにも偏らず誰も排除しない優しさを保ち続けられるだけの芯とか器のようなものをきちんと持ち続けていようと思う。

 ぼくは今まで色々なビジネスやプロジェクトを手がけてきたけど、その行動原理としては、これまで何度も書いてきたように「みんなの居場所をつくりたい」という気持ちがかなり大きかった。でも、よく思い返してみると、昔はそれとは別に、自分が作ったビジネスやコンセプトによって人が動き、場ができ、そのうちそれがひとつのシーンになっていくこと――端的に言うと「人を動かす」ということに対する快感も多分にあったと思う。そして、たぶん、これはぼくだけじゃなく多くの経営者が感じる心理で、それ自体は決してそんなに悪いことじゃない。だけど、ここ最近、そういう快感を感じることはなくなった。いや、快感はあるんだけど、その中身がだいぶ変わったというべきだろう。今ぼくが様々な活動をしている中で一番気持ちいいと感じるのは、人が集まって、言いだしっぺであるぼくを無視してみんなでワイワイ盛り上がっている瞬間だったりするのだ。


 たとえば「お年寄りと繋がろうプロジェクト」のときだってそうだ。第1回のグループワークでは60人近く集まった人たちを6人ずつくらいのチームに分けて、そこで「どうしたらお年寄りが抵抗なく簡単にネット社会に参加できるか」といったテーマで議論を行なってもらったんだけど、みんな、ぼくがいてもいなくても同じように目を輝かせながらああでもない、こうでもないと話し合っていた。ほとんどは、その当日までお互い出会ったこともない、赤の他人。もともとは「家入さんに会いたい」という動機で来た若者もいたはずなのに、そんな彼らもぼくのことなど忘れて、おじいさんとの話に夢中だった。かまってもらえないぼくはポツンとその光景を眺めながら、内心では「よしよし」と思っていたりする。そういうきっかけを作れたことが嬉しいのであって、自分が中心になって目立ちたいとか命令をしたいという気持ちは、そこにはない。

 だから、「家入を中心にした狭い世界」という意味で「ぼくら」という言葉を批判しているのなら大間違いだ。ぼくの言う「ぼくら」はあくまでオープンなもので、中心にぼくがいなければならないわけでもない。この社会をより魅力的な、より誰もが参加するに足るものにしていくために設定した、オープンな場所なのだ。「『ぼくら』って誰?」という人には、「あなたのことでもあるんですよ」と言うしかない。それがわからない人は、「ぼくら」を「みんな」とか「私たち」と言い換えても、なんなら「生きとし生けるものすべて」にしたって同じ反応をしてくるだけだろう。ぼくはそんなぼんやりした言葉じゃなく、もう少し意志のある言葉を使いたかった。それが「ぼくら」であった、というだけの話だ。

「ぼくら」という言葉への批判や疑問は、大別すると2種類。まず、社会活動とか福祉の一線でずっとやってきた人たちからの指摘は、大いに参考になるものが多かった。「家入さんの言ってることは甘いよ」とか「そのやり方はちょっと違うんじゃないか」など、個々のディテールを大事にしながらアドバイスをくれるのだ。それならばと、ぼくも「じゃあ、どうしたらいいと思いますか?」と、具体的に話を掘り下げることができた。一方で、そういう現場を持たない評論家みたいな人たちもいて、彼らの場合は目的が「議論」そのものになるケースが多い。つまり、それぞれの「ぼくら」論が展開していくだけになり、実際に行動する時間が削られる。ぼくは正直なところ、そこにあまり時間も労力も使いたくなかったので、反応は控えていた。もちろん行動してる人だけが偉いなんて言うつもりはないし、批評や言論に携わる人も必要だ。でも、選挙期間には限りがある。その中で時間の許す限り動き続けようと思うなら、机上の議論をしている暇はない。色々な人と会って、色々な現場を見て、そうやって得た経験を次々にアウトプットしていかなければならない。過去に政治の現場を経験していないぼくは、自分の中に政治家としての回答など持っていない。だから、現場に飛び込んで、知識や経験のある人に教えを乞う必要があったのだ。

 ぼくの言う「ぼくら」を否定するなら、その人たちの「ぼくら」を見せてほしかった。その「ぼくら」の代表を選挙に出して、証明してほしかった。結果的にぼく以外に30代も40代も候補者はいなかったのだから、その人たちは何をしていたんだろう? と思ってしまうよね。

ぼくが「ぼくら」に望むこと

「ぼくら」以前に、ぼく自身を否定したい人も多いに違いない。個人の好みのレベルだから仕方がないとは思うけど、ぼくの言動がとにかく嫌い、という人もいるだろう。これまで、数々の「居場所」を作るにあたって、自分自身が発信源になったほうが物事がスムーズに運ぶようなケースがたくさんあった。例えば会社の情報を、オフィシャルアカウントで発信するのではなく、家入一真として発信する。僕のほうがフォロワーが多いから、はるかに早く、かつ大勢に情報を伝えることができてとても効率がいい。ただ、どうしてもぼくの色がついてしまうから、情報そのものは有益かもしれないのに、「家入が発信した情報だから見たくない」という人もいるはずだ。実はこれも、影響力のひとつの形といえる。「家入だから見たい」も、「家入だから見たくない」も、ベクトルが違うだけでどちらも同じ影響力なのだ。

 水に投げた小石が小さな波紋を作り、それが徐々に水面いっぱいに拡がっていく。ぼくは、あくまで小石という「きっかけ」を投げる人だ。主役はあくまで波紋そのものであって、石を投げる人じゃない。しかし、最初に石を投げる時は「こんな石、投げるよ~」と宣言して、そこに注目を集めておいたほうが波紋も拡がりやすい。そして、注目が集まるかどうかは「その石を投げたのは誰か」によるところがどうしても大きくなる。これが影響力だ。薄っぺらく「有名になりたい!」とはこれっぽっちも思わないけど、自分の作りたいものや望むことを成し遂げるためには、影響力が大きいに越したことはない。そのバランスは肌感覚としてずっと持っていたいと思うし、自己顕示欲だけが肥大したネット芸人になっていたとしたら、ぼくはもっと早くに消費しつくされて消えていたはずだ。

 だから、ぼくは自分が影響力を持っていること、そして持つこと自体についても否定はしない。将来的には100万人くらいにリーチできるメディアを持ちたい。多くの人たちにぼくの声を届けることができて、その一人ひとりが「社会をよくしたい」と思ってくれるようなメディア。それが実現するのはまだまだ先の話かもしれないけど、現時点で「お年寄りにパソコンを教えて仲良くなろう」とTwitterでつぶやけば、500人近い人がババッと集まってくれる状況がある。そういうものが活動のベースになっている以上、影響力を持つことによって一方で嫌われることを恐れてはいない。


 とはいえ、例えば100万人のフォロワーがいたとして、その人数をマスゲームみたいにすべて画一的に動かしたいかといえば、そうじゃない。「Aという活動をやりますよ〜」と呼びかけて100人しか集まらなくても、「はい、じゃあBという活動に参加したい人!」と言ったら別の1万人がやってくる……というように、それぞれが自己判断でやりたいことをやればいいのだと思う。Aにしか参加しない人、AにもBにも参加したい人、いろんな人がいて当たり前なのだ。社会をよくしていくというベクトルさえ同じなら、別にぼくの言うことに従う必要すらない。さっきの石と波紋の話で言うと、Aが生んだ波紋がやがてBの波紋と重なり、より多様で豊かな文様になることもある。それこそが社会の多様性だと思う。そんな文様を描くのが「ぼくら」なのであって、ぼくの言うことを盲信する人の集団であってはいけない。

 誰かに心酔するあまり「○○さんの言うことが絶対です!」という感じになってしまう人は、Twitterなどを見ていても確かにいる。そういう人はその前にも誰かに依存していて、「違う」と思ったらまた別の人にドップリはまってしまうということも多いようだ。だけど、それはその人にとってあまりいいことではないとぼくは思う。その相手の言うことが絶対に正しいと思って思考を停止してしまうと、せっかくの自分の人生を他人の判断基準に預けてしまうことになるから。

 だから、ぼくのところに来てくれる子には、ぼくのいいところも悪いところも、そして自分のこともちゃんと客観的に見て、その上で「自分はこの人と一緒に何をしたいんだろう」ということを自分の頭で考えてほしい、と伝えている。ぼくは、自分を絶対視する人に囲まれて天狗になれるような性格ではない。それで調子に乗れる人もいるんだけど、ぼくにはそれはできない。なぜなら、彼らにぼくの人生を担がせるのではなく、一人ひとりにちゃんと自分の人生を生きてほしいからだ。

 まあ、ときには調子に乗れない自分をもどかしく思うこともあるけど、こればかりはぼくのクセで、常に自分をメタ認知、つまり客観的に見てしまうのだから仕方ない。バカになれない性格、と言い換えてもいいだろう。時代や状況を切り拓いていくための「突破力」みたいなものは意外とそういう人が持っていたりもするから、うらやましいなと思うこともある。だからときには自分に勢いをつけるために酒の力を借りたりして、結果として携帯や財布、そして記憶まで紛失したりするわけだけど……。

 この客観性は、ひきこもり時代に身につけてしまったものなんだろうと思う。あの頃のぼくは心から笑うことすら忘れてしまって、人の顔色をうかがいながら生きていた。「あ、こういう場では笑ったほうがいいんだな」とか、「この場はあえて空気を壊したほうがいいんだな」といったことを常に考えていた。そうしていれば、傷つかずにすむから。それによって、必要以上に空気を読みまくるというか、常に「自分は今どう見えているか」を意識する人間になった部分はあると思う。

 これまでいろんなところで「空気なんて読むな!」と言ってきたくせに、実は自分が一番、空気を読んでしまっている。「おやおや、家入、喜んでいますね」「あ〜、家入、今ちょっと調子に乗ってます。よくないですね〜」といった具合に、野球の解説者みたいなもうひとりの自分の声がいつでも聞こえていて、どうしてもそれを無視できないのだ。

 ぼくには影響力はあっても、ついて来られない人間を振り落としてでも目標に向かって猪突猛進するような突破力はない。振り落とされる側――かつては自分もそうだった側の人の気持ちがわかってしまうから。それは「想像力」と言い換えてもいいだろう。そんなぼくだからこそこの社会をやさしい場所にしたいし、たくさんの「ぼくら」と一緒にそれを一つひとつ実現できると思っている。

 あなたも、ぜひそこに参加してほしい。いつでも待っています。

第4章 この社会に足りないもの

「政策はありません」

 すでに書いたように、ぼくは都知事選に「政策はありません」と言って出馬した。その代わり、Twitterで「#ぼくらの政策」というハッシュタグを作って、誰もが広く政策を提案できるようにした。

 実はこのアイデア自体は出馬を決める前からあって、「みんなが参加して公約作るの、面白くない?」と仲間うちで話してはいたのだ。前代未聞のやり方に聞こえるかもしれないけど、世界を見渡すと前例もちゃんとある。

 ハンガリーにその名も「インターネット民主党(IDE)」という政党があって、ここはまさにぼくがやったような、「政策がない」という状態での政治活動を行なっている。ある議題が議会に提出されたら、それを党のサイトにアップし、そこに市民が投票できるようにする。その結果に基づいて、彼らは議会での行動を決める。例えば議員が10人いてネットでの投票結果が賛成70%、反対30%だったら、彼らは議会の採択のときに「賛成」7票、「反対」3票をそのまま投票するのだ。私情も利権も挟まない。

 もっとも、これをなるべくコンセプト通りに行なおうと思ったら10人以上の議員が必要になるんだけど、まだIDEは国会に議席を持っていない。だが、スウェーデンで同じ試みを行なっている「デモエックス(Demoex)」という政党は実際に町議会に議席を持っていて、ネットを使って市民に対する議題の提案を行なっている。これらの国は日本と同じ、有権者から選ばれた議員がいわば政治を代行する「間接民主制」なんだけど、その仕組みの中でこういうふうに市民の声をダイレクトに反映する「直接民主制」を行なっているというのは、とても興味深い。国という大きなシステムはわずかな力で変わるものではないけれど、自分たちの力が及ぶ範囲からじわじわ浸透していこうという姿勢も、なかなか今っぽくて面白いと思った。

 ぼくは、日本でもそれが実現できるならやってみたいと考えていた。出馬が現実味を帯びてくるにつれて「やるならぼくしかいない」という思いも徐々に強くなってきた。それもあって「政策はありません!」とぶち上げたわけだ。

 ただ、短い選挙戦の間にそのシステムを一から作ろうとするのは大変。だから、まずはTwitterを使ってみんなの声を集めよう、ということになった。なにせ、これまでさんざんTwitter上で騒ぎを起こしてきたぼくだ(良くも悪くも、だけど)。そのぼくがTwitterで政治について呼びかけたらかなりの話題になるだろうし、そもそも、ぼくが出馬をした目的のひとつである「若い人たちに、政治に興味をもってもらう」ことのきっかけにもなると思った。

 

 これまで多くの若者たちは、自分たちの意見が政治に反映されるなんて考えてもいなかったはずだ。いや、仕組みとしてはわかっていたかもしれないけど、その実感などなかったと思う。自分の声が届くんだと思うことができれば、声を上げやすくもなるだろう。事実、若い人の投票率が低いことで、政治家たちは若者を「大事なマーケットじゃない」と見なしている向きがある。若い世代たちの意見が軽んじられるのは、政治への参加意識が低いこともひとつの要因なのだと思う。だって、高齢層の方々はやっぱり、雨でも雪でも投票に行くから。だから、「若い世代の意見には価値がある」と思わせるためには、まずは自分たちの声を上げて、それを投票というアクションに結びつけることが大切だ。

 さらに、それ以上に大事なことは、声を上げる前に一人ひとりが「自分の頭で考える」ことだと思う。どのくらい効果があったかは分からないけど、今回「『ぼくらの政策』で初めて政治が身近に思えて、興味を持ちました」という人がけっこういた。「政治」というものをどこか遠くの世界のことだと考えて「興味ないよ」と過ごしてたけど「よくよく考えたら、オレたちの生活に直結するものじゃないか」ということに気づいた、と。「現代の政治についてひとこと!」みたいな抽象的な質問じゃ答えはなかなか出てこないけど、誰にだって、毎日生きてる中でのささいな困りごととか「もっとこうだったらいいのに」という想いがあるはずで、ぼくはそれが知りたかった。ほんのちょっとでいい。まず声を上げることで、自分たちの社会がよくなる可能性が少しだけ増える。それを信じることが、政治に参加することなんだ。

「なぜ、現状に不満なのか」。その思いの正体を考えて、それが届くよう声を上げる。今はここからしか始まらない。一朝一夕で何かが動くなんて思ってないし、地道な作業ではあるけど、一人ひとりが声を上げていけるようになれば、世の中は少しずつ変わっていくと思う。 

大きな質問になりたい

 自分の頭で考えるには、想像力だって必要だ。ネットには色々な声が溢れていて多様性があるように見えるけど、TwitterでもFacebookでも、結局自分の好きな人や興味のあることだけをフォローしていたら、考えは偏るいっぽう。この世の中は、AがマルでBはバツ……みたいに白黒でハッキリ割り切れるような簡単なものじゃない。自分と似たような考えの人だけを集めて、意見を鵜呑みにするのはちょっと危険だと思う。

 たとえば「脱原発」というテーマにしたって「放射能がよくない」とひとくちに言うのは簡単だけど、その放射能と隣り合わせで生きなきゃいけない人、放射能の影響で自分の故郷を離れざるを得なかった福島の人、逆にそれまで原発のおかげで幸せに生活していた人たちなど、様々な人生が複雑に絡み合っているわけで、何かを切り捨てて何かを選ぶなんて、そんなに簡単にできることじゃない。原発をできるだけ廃炉にして、代替エネルギーに切り替えていくことには賛成だけど、その陰で切り捨てられていく人たちだっていることも考えないといけない。この世はとにかく、右や左、白や黒で割り切れないものだ。ぼくは誰かに石を投げる前に、自分がその相手だったら……と考えて立ち止まりたい。「自分が原発立地に暮らしていたら」「自分がひきこもりだったら」「自分が同性愛者だったら」どうだろう? と考える。それが想像力だ。

 寺山修司の言葉に「わたしは質問になりたいのだ。大きな質問に」というものがある。ぼくはこの言葉がすごく好きなんだけど、今までぼくがやってきたことも、偉そうに言うとそういうことなのだと思う。ぼくが何かにコミットすることで、みんながその事象について考えるきっかけになっているというか。今回の出馬もそうで、疑問が生まれることは予想がついたから、その人たちに「お互いに考えましょう」と言いたかった。その投げかけが、「#ぼくらの政策」になったわけだ。「家入じゃなくてもいいじゃん」と言われることはあらかじめわかっていたし、いっそ出馬せずに政策だけを集める、というアイディアもあったんだけど、自分が出ないなんて説得力に欠けるしね。

「ぼく、政治のことは何も知りません」とも言っていたけど、それも批判は承知の上。事実、あらゆることの専門家になんてなれはしないんだから、ぼくはとにかくみんなの声を聞いて、「このテーマにはこんな考え方があるのか!」ということを知りたかった。実際、ひとつのテーマの中でも相反する意見が来たりして、「なぜなんだろう?」と、ぼく自身がそのテーマについて考えることもできた。

 そうして生まれたのが「120の政策」だ。完成してみると、ぼくの目指す社会像に属するものや、少数派とか社会的弱者に対して「多様性」を認め合えるような内容になった。先ほども書いたように、最初はTwitterのハッシュタグ機能を使ってみんなにツイートしてもらい、それをぼくがリツイートしまくるという形で拡散して、とにかくみんなにこの試みを知ってもらうというところから始まった。集まったハッシュタグ付きのツイートは、すぐにデータ化して、選挙中盤からはリアルタイムに「IEIRI.NET」に反映されるようにしていった。この過程はとてもエキサイティングで、「今まさに、新しい形の政治が生まれている!」と興奮したのを覚えている。ちなみに、紙でもらった選挙ポスター掲示板の地図を全部オープンデータ化してみんなが使えるようなプロジェクトも、ボランティアの有志の方々のおかげで実現した。ぜひ、次回以降の選挙でみんなが使ってくれればいいと思う。というか、そうじゃなければこれを作った意味がない。いつでも提供しますので、どうぞお声がけを。

 政策のほうは「若い人向けの施策ばかりになるのではないか」という批判もあったけど50代や60代の方からの声もけっこうあったし、何より「ひきこもりで家から出られないんです」という人の声も拾い上げることができた。声を上げたくても上げられない人の思いこそ政治が目を向けるべきところだと思うから、ネットを通じて意見をもらうことの意義がここにあったような気がしている。これはひとつのケーススタディと言うか、おもしろい前例になったようで、都知事選後に、東京都板橋区の中妻じょうた区議が「すばらしいと思うんで丸パクリさせていただきます」と言って「#ぼくらの板橋」という試みをスタートさせた。中妻議員と面識は別にないから、これは自然発生的なもの。

 こんな風に多くの政治家が「丸パクリ」をして、もっと多様な声を聞くようになってくれれば、ぼくが「#ぼくらの政策」を実施した意義はあると思う。有用なデータや新しい仕組みを独り占めではなく共有してみんなでアップデートしていくというのはまさにオープンガバメント、つまりみんなに開かれた政治の形だ。そういう意味では、今回の選挙に、新しい政治のヒントはたくさん詰まっていたと思う。

 結局ぼくは都知事にはなれなかったけど、120の政策を「じゃあ、やりません」と投げ出すわけじゃない。政治の力を借りなくても民間でやれることだってあるし、NPOとして活動していく部分もあるし、ここに寄せられた「みんなの困りごと」というのは言い方を変えれば「ニーズ」でもあるわけだから、ビジネスアイディアのもとにだって十分なる。ぼくの本領であるビジネスの分野でも社会に貢献することができるのだ。

 どういう形で実現をめざすにせよ、この120の政策はぼく自身のストーリー……つまり、ぼくが今までどんな人生を送り、どういう思いを抱えてきたのか──それを色濃く反映したものになっている。つまり、ぼくの中で説得力を持ったものを選び、これからの活動のベースとするということだ。かつてのぼくや、今同じような状況にある人々がほしかった社会を作っていく、ということでもある。

「新しい学校」をつくる

 ぼくの原体験として、ひきこもりになって「普通の社会(=学校)」から外れてしまうという出来事があった。そのさみしさは、今でもぼくの中に残っている。だから、最近は「新しい学校」を作りたいと思っている。ひきこもり時代のぼくが「こんな学校だったら行ってみたいな」と思うような学校だ。もしかしたらオンラインでもいいかもしれない。ぼくがひきこもっていた当時はパソコン通信しかなかったけど、今の子たちにはインターネットがある。彼らにとってはインターネットが居場所になってる部分も大いにあると思う。だから、どういう形かはまだ決まっていないけど、フリースクールのようなものをリアルでもオンラインでもいいから作って、「普通」から疎外されてしまった人たちの受け皿になれればと思っている。

 例えば、プログラミングを小学生の時から教えてあげるとか、映像の編集とか、身につけることで何かしらのものづくりができるスキル。絵の描き方だっていい。何かひとつ、自分の武器となりえるものを教えてあげられたら、それがきっかけになってもっと勉強してみたいと思うかもしれない。そしてそれが、社会との接点を持つきっかけになっていくんじゃないだろうか。

 今の教育はみんなを(よく言えば)平等に扱うことになっている。それにはいい面もあるんだけど、その仕組みに沿うことが唯一の道だとみんなが思い込んでしまうと、むしろ悪い面が出てしまう。これだけ子供たちの識字率が高くて、みんなちゃんと読み書きが出来るって素晴らしいことだけど、それゆえに、例えば粘土細工はとにかく得意だけどコミュニケーション力がなくて学力も運動能力も低い……みたいな子がいると、いじめの対象になりやすかったりもする。教師も横並びの規準、つまり勉強や運動のほうを気にするがゆえに粘土細工の才能に着目できなかったりして、彼はいつしか居場所をなくしてしまう。そういう子がいきいきできる場所を、ぼくが作ることができたらと思う。「ギフテッド」と呼ばれる、ある面ではすごく秀でてるんだけど一般的な意味でのバランスを少し欠いて見えるような子供たちもいて、アメリカにはそういう子のための学校やホームスクールもある。そういったものも含め、教育による「標準化」に収まらないような子の居場所が、もっとあるべきだ。

 

 ぼく自身ひきこもりだった経験上、精神的に弱い子には「本当に頑張れないとき」が必ずあるとわかっている。そういうときに「逃げてもいいかな」と思えるようなゆとり、そしてその行き先が、この社会には足りない。特に子供の頃は学校か家かという選択肢しかなくて、「頑張ってみたけどどうしても無理」だと思ってるのに学校以外の行き場所はないし、家に帰っても親に「頑張って学校に行け」と言われ、体と心に鞭打って学校に行ってるうち、心が折れてしまう。そして、自殺を選んでしまう子もいる。ぼくは、大人たちには「頑張れ」と背中を押すんじゃなくて、余白を示してほしい。「居場所は他にあるから、逃げてもいいんだ」と思える場所があることが、どれだけの希望になるか。フリースクールでも何でも、もっと自分に合いそうな学校があれば「今の学校が合わないからこっちに行くわ」という選択もできる。親だって、そうすることで「子供を責め立ててしまった」という罪悪感から解放されるかもしれない。その選択を「ドロップアウトだ」と見なしたがる世の中の偏見があったとしても、本人たちが心安らかであることが何より大切じゃないか。

「居場所」の定義はいろいろあるけど、人とのつながりが生まれる場所であったり、社会との接点が生まれる場所だという側面もある。第2章で書いたような「おかえり」と言ってもらえる場所というのも含めて、誰かがそこにいてコミュニケーションが生まれると、人はほっとするものだ。外の世界が見たければ出て行ってもいい。いろんなことがあって心が折れれば戻ってきてもいいし、またそこから羽ばたけばいい。そういう場所は、人とのつながりなくしてはなかなか築けない。本来は家庭がそういう場所として機能したら一番なんだけど、今は親子でもつながりが途切れがちだったりする。社会や人との接点がだんだん減っていく世の中で、「居場所づくり」とはそのパイプを作っていくということでもある。ぼくが作る新しい学校も、それ単体だけで完結するのではなく、そこからさらに地域のようなもう少し大きな単位、そして家族のような小さな単位、どちらとのパイプにもなれるようなものにしたい。

 ぼくは小学校の低学年くらいのころ長屋みたいなボロい家に住んでて、お隣さんにおじいさんとおばあさん、向かいには同級生の家族が住んでいた。本当に田舎だったから、帰ってくる途中に「一真くん、おかえり」とか「お母さんにこれ渡しておいて」と果物をもらう……みたいなやりとりが普通に存在していた。親も共働きだったから、いないときは隣のおじいさんおばあさんの家にいたり、向かいの友達の家で夕飯をごちそうになったり。そういうつながりがあったからこそ、ぼくや家族は貧乏に負けずにすんだような気がしている。みんなが孤独を感じがちな都会でも、そうした場所をなんとか再構築していくことはできないだろうかと思う。お金がなくなった姉妹が近所の誰にも頼ることができず餓死したというニュースが前にあったけど、そういう人たちだって、「おかえり」と言ってくれる人=何かあったら頼れる人が近所にいれば、もしかしたら救われたのかもしれない。

 日本ではずっと、「居場所」は何か高いところにある大きいもの──それこそ国とか企業といった──から与えられるものだというイメージがあったように思う。学校であれ職場であれ、そうだ。その中に収まりきれない人たちの居場所は、用意されていなかった。そうした社会のすき間に、ぼくらは新たな居場所を作らなければならない。日本のこれからを考えてみると国がすべてをカバーできなくなってきているのは間違いないから、その中でぼくらは自分たちの力でそれを作っていく必要がある。そして、それは「普通」から外れた人だけではなく、すべての人にとっての「居場所」であるべきだと思う。

 例えば、東京の練馬に「まちの保育園」という名前の保育園がある。そこには保育園の機能はもちろん、ギャラリーやレストラン、ベーカリーなんかも併設されているから朝は子供を送りにきたお母さんがそのままパンを買って会社に行ったり、お迎えに来たお父さんが、近所のおじさんと早めの一杯をやりながら子供を待ってたりする。保育園という枠組みを越えて、より地域とのパイプを強くしたコミュニティスペースとして存在しているわけだ。

 ここは子供たちだけの居場所じゃなくて、この街に住むみんなの居場所としてオープンになっている好例だ。特に都市部の保育園は圧倒的に足りていないんだから、こういう大人も楽しめる保育園がもっと増えれば素敵だと思う。子供のいる場所をオープンにするということにはセキュリティなど様々なハードルがあると思うけど、こういう前例もあるし、可能性は大いにある。いつかぼくも、自分なりのアイデアを詰めこんだ、あらゆる人の集まる学校や保育園をやってみたい。

「標準の生活」という幻想

 保育園の話ついでに言うと、待機児童の問題は、この国のシステムがいかにアップデートされてこなかったかを如実に示している。厚生労働省がある地域の中で認可をする保育所の数には一定の規定があるんだけど、それはいまだに、高度経済成長期の日本社会が想定した「標準家族」の像にもとづいて定められたまま。その定義は、お父さんが外で働いてお母さんは専業主婦、子どもがふたりいて幼稚園までは家で世話をする……というもの。今は共働きやシングルマザーもごく普通にいて、その「標準」は実際にはとっくに「標準」ではなくなっている。なのに従来の仕組みのままだから新規の保育所に認可がなかなか下りず、待機児童が増加するという問題が起こっているわけだ。こうした「標準」のズレは、保育の話に限らない。本当は1980年代くらいにガンガン変えていかなければならなかったような法律が各分野にたくさん残っているせいで、今になって社会が機能不全を起こしてしまっているのだ。それを変えようとしている人もいて、状況は少しずつ動き出そうとしているけど、まだまだ道のりは長い。民間の保育園も含めてあらゆる保育サービスをもっとみんなが安心して使える状況が必要だ。

 と、ぼくがこうやって「民間でもやればいい」と言うと「市場原理主義、新自由主義だ!」なんて言われたりもするんだけど、これはそういうイデオロギーの話じゃない。行政だけじゃ賄えなくなっている現状が実際にあるんだから、民間と行政がそれぞれのできることを一緒になってやるべきだと思う。

 ベビーシッターをCtoCでやれるような仕組みを民間で作るのだってアリだ。ただ、少し前にシッターが子供を殺してしまうという事件があったように、誰でもかれでも参入できてしまうとトラブルも起こるだろうから、そういう部分では行政の力を借りて、個人登録制度を設けてもいいと思う。また、シッターになる人も、子供を預けて働く人も、お互いがギリギリのところで生活をしてる現状があるから、その精神的、金銭的なバックアップを行政が考えるべきではとも思う。

 とにかく少子高齢化を叫び、子供をもっと増やそうと言う割には、そこに対する支援があまりにも弱いんじゃないだろうか。「子供を産んでもいいかな」と思える社会作りがなされていないように見える。そもそも働き方や生き方が多様化してきている今、誰にとっても「子供を持つこと=幸せ」ではなくなり、その選択をしない人も増えている。そんなふうに多様化する時代の中で、産みたい人さえ「このままじゃ安心して産めない」と不安に思うような社会のままでは、ますます子供は減っていってしまう。

 最近では幼老複合施設、つまり老人ホームと保育施設の機能を併せ持った施設もいくつか登場している。「みんなの政策」では国が推進特区に認定した富山県を取り上げたけど、この動きは神奈川など、全国に広がりを見せている。小規模なホームのような施設で一緒に過ごす形もあるし、老人ホームに保育園が併設されていて、入居者やデイケアに来るお年寄りたちが園児たちと行事や食事などで盛んに交流し、コミュニケーションをとっているケースもある。おじいさんおばあさんは孤独を感じないですむし、最近はお年寄りのいない家も多いから、子供からすれば多様な価値観を知るきっかけにもなって一挙両得。ガミガミ叱るおじいさんもいれば優しいおばあさんもいて、パパやママとは違う大人と触れ合っていくことは、子供の学びにとってはすごくいいことだ。

 ぼくらの社会は今「子供は子供。青年は青年、老人は老人」のように、何につけてもパターン化され、分断されている。年齢別、さらには性別で区切られたマーケット、サービス、施設……まるで、そのカテゴライズから外れたものに価値はないというように。そうした断絶がこの社会を生きにくい場所に変えているのだとしたら、そこにふんわりとした余白を設けたり、この幼老複合施設や、前述の「まちの保育園」のように世代を越えてあらゆる人が出会う場所がもっと作られるべきだと思う。

 

 居場所や安らげる場所を切実に求めているのは、バリバリ働いてる現役世代だって一緒だ。日本はそれこそ「モーレツ社員」という言葉があった時代から、とにかくワークライフバランスがおかしい国だと思う。満員電車にすし詰めになって出勤して、朝から晩まで働いて、その結果として幸せになったかといえば身体を壊したり、家庭が壊れてしまう人もいる。

「ぼくらの政策」を集める中でも、「東京都民はみんな満員電車によって心を削がれている」という声が寄せられた。やる気や他人を想いやる気持ち、自分たちの住むこの社会をもっとよくしたいという気持ちが削がれていると。確かに、毎朝あんな状態で人と押し合いへし合いしながら出勤している光景は、とても非人間的に見える。働くというのは本来とてもポジティブな行為なのに、満員電車のせいで朝から暗くギスギスした気持ちにならないといけないなんてもったいない。あの通勤地獄を軽減することができれば、みんな社会のためにどうしたらいいか、もっと考えられるようになるんじゃないか。もっと人にやさしくすることができる社会になるんじゃないか。その投稿にはそういうことが書かれてあって、とても興味深かった。

 じゃあ満員電車をどうやったら軽減できるのかというと、フレックスタイム制を企業に導入していくとか、ネットを使って家で仕事ができる人もたくさんいると思うので、在宅勤務を奨励していく、または自転車レーンを整備して自転車に優しい街作りをする……といった、比較的ベーシックなことが政策化される。「当たり前のことを言ってるな」と思われるかもしれないが、実際に時間をずらしたり勤務の形態や交通手段を変えるのが一番効果的なのだと思う。空いた時間を趣味に費やしたり、子供の送り迎えをして、自分の家族のために遣う。みんなの人生も豊かになるし、生産性も上がるはずだ。

 ただし、言うは易し行なうは難しで、多くの日本企業や社会全体で、それができない「空気」がかっちり出来上がっていることは否めない。それが一番の問題だ。なんというか、あらゆる人間が「頑張らないといけない社会」になってしまっている。もう少し多様な生き方・働き方があってもいいのに、それができていない。ここにも、高度成長期から亡霊のようにつきまとう暗黙の圧力があるような気がしてならない。

 国が右肩上がりに成長して、個人も頑張れば頑張ったぶん給料が上がって、会社がある意味家族のようになっていた時代は、かつて確かにあった。土日も上司とゴルフで、夜だって会社の人と飲み会。そんな日々の中で、父親くらいの歳の上司が会社のために残業していれば、「お前が帰るとはどういうことだ」みたいな空気が自然と生まれるのも無理はなかっただろう。実際にはそんなこと必要なかったり、むしろ業務効率上マイナスだったりするのに、単なる精神論で。残念ながら、この21世紀にも、そうしたムードは残っている。高度成長期が終わってもなおはびこるそういう空気がみんなの心を削いでしまっているとしたら、そういう空気を壊さなければならない。

 日本社会は、なんでもかんでもすぐ「空気」にしてしまう。もしかしたら、キリスト教やイスラム教のように社会全体の規範を作る強烈な宗教がないから、そのぶん会社や学校が宗教化してしまうのかもしれない。だからブラック企業なんてものが生まれるんだろう。と言いつつ、その会社にしか居場所がなければ「会社で嫌われたらオレの居場所なんて無くなってしまう」という恐怖心が働いて、上司がいる間は帰れなかったり、自分の仕事の範囲を超えた頼みも断れなかったりして、どんどん自分を見失ってしまう。「別にオレは会社で嫌われてもいいし、自分の人生のほうが大切だ」と定時で帰るような人のほうが、出世はしないかもしれないけど、のびのび生きているような気がする。やっぱり、会社以外にも自分の居場所があったほうがいい。家庭はもちろん、町内会でも、趣味の同好会でも、行きつけのバーでもいい。「自分の居場所は会社だけじゃない」という安心感が、結局、社会を包んでいる「標準化」の空気から自分の人生を取り戻すことにつながるのだと思う。

「自分と違う人」にリスペクトを

 なんでも標準化させたがるこの社会には、そこから「外れた」人への寛容さが本当に足りない。例えば婚外子やシングルマザー、またはLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダーの頭文字=性的マイノリティを指す言葉)の人たち。もしくは、生活保護の受給者や貧困家庭などもそうかもしれない。彼らのように、もはや幻想と化した「標準家庭」「性差による役割分担」みたいな「みんなが思う標準」の像に当てはまらない人たちに対して、今の社会は実に冷たい。彼らを「自分たちとは異質なもの」として見てしまうのだと思う。

 だが、想像してみてほしい。もし、自分が彼らの立場だったら。どんな人間も自分と同じ確率のもとにこの世に生まれてきたわけだし、この世界に存在する何らかの条件によって今の状態にあるというだけ。彼らはいわば、自分の――自分が暮らすこの社会の鏡だ。条件次第で、いつ自分が彼らと入れ替わってもおかしくはない。その時に「自己責任」とか「私たちと違う」という言葉で社会から排斥されてしまったら、どう思う?

 人権とかなんとか大きな概念を持ち出さなくても、それだけのシンプルなことなのだ、想像力というのは。多くの人は、まだ「自分はこの社会のメインストリームだ」と思っているかもしれない。だが、「一億総中流」というメインシステムの崩壊が徐々に明らかになり、誰もが違う価値観を持って多様な生き方を選んでいる今、もっともっとみんなが「自分と違う誰か」に対するリスペクトを持ち、それを受け入れるべきじゃないだろうか。

「一億総中流」から外れてしまう人ということで言うと、貧困というものがクローズアップされるようになって久しい。正直、ぼくの家もとても貧乏だったけど、幸い「貧困」という言葉の持つ、心までもがキリキリと削られていくような雰囲気を感じるほどではなかった。もちろん、それはお金がないなりにぼくたちをきちんと育ててくれた両親や見守ってくれた近所の人のおかげでもあると思う。当時は、うちよりもっと貧しい家庭も、そういった地域や社会のセーフティネットのようなものが働くことで救われるケースが多かったんじゃないだろうか。

 だが、今はそうではない。生活保護を受ける人は216万人(160万世帯)を数えているし、相対的貧困率(家庭全体の所得が標準的所得の半分未満の人の割合)は上がるいっぽう。17歳以下の子どもがいる家庭の場合、2009年の調査では15.7%(厚生労働省調べ)もが貧困家庭になっていて、ひとり親世帯に限ると50.8%にもなるという。独身で年収200万円以下という、いわゆるワーキングプアも相当に多い。もう、日本はとっくに「世界一豊かな国」なんかじゃなくなっているのだ。

 そういう問題を解決する考えとして「ベーシックインカム」がある。ざっくり言うと最低限度の生活を送れるだけのお金を政府が国民に支給するという考え方で、世界各国で導入論があるものの、まあ財政上の問題もあったりしてなかなか実現はしていないのが現状。もちろん行政がそれをできればいいと思うけど、もし厳しいのなら、それを民間で代わりにやることができないだろうか。

 具体的にどうやるかと問われるとパッと答えるのはなかなか難しいけど、かつて日本の村にあったような「結(ゆい)」とか「催合(もやい)」という相互扶助の制度は、そのヒントになるのかもしれない。これは、例えばある地域の中で結婚式などの行事があれば住民総出で手伝ったり、またその費用をみんなで出し合って使いまわしたりして、お互いに順ぐりに助け合う仕組み。これって、今でいうクラウドファンディングに近いんじゃないだろうか。現代に再現するなら、例えば何百人かのメンバーで構成されたオンラインの「村の金庫」みたいなところに「今月、お金が余ってるからちょっと入れておこう」という感じでみんなで入れていって、お金がない人はそこから使っていくようなことなのかもしれない。その金額には上限があって、最高でも家賃分+1〜2万円という風に決めておく、とか。まあ、遊びみたいな発想だけど、これは要するに「持つ者から持たざる者に、富を再分配する」という考えだ。

 ちょっと話はそれるけど、最近お笑い業界の方々との付き合いが増えた。マネージメントサイドから芸人さんまで肩書きは様々。ぼくとは住む世界が全く違うのがいい。みんな興味深い話を山ほど持っているから、頻繁に会っても飽きることがないのだ。そんな彼らの世界でよく聞くのが、先輩が売れない後輩たちをご飯や飲みに連れて行き、おごってあげるという話。これも「富の再分配」のひとつの形なんじゃないだろうか。

 富の再分配が理念的には正しいとされながら現実的にうまくいかないのは、富める側が「なんで自分が頑張って稼いだ金を他人に分配しなきゃならないんだ」と思ってしまうから。この世にはただ怠けているだけじゃなく、さまざまな理由で頑張っても無理な人がいるんだけど、富める側はそれを「自己責任」の言葉のもとに切って捨ててしまう。要するに、彼らは「納得いかない」のだ。

 だけど、お笑いの人たちは「自分も売れない頃、先輩におごってもらったから」と、納得の上で後輩におごる。業界の慣習的なことはあるにせよ、システム上しかたなく再分配するのとはちょっと違う。そこには「合意の上での再分配」という構図がある。ドライにシステム化するのではなく、「自分もそうだったから」というウェットな動機で再分配をする。

 

「頑張らない人が得をして、頑張る人が損をする社会はおかしい」という声は、こういう話題になると決まって出てくる。だけど、この社会には「頑張れない人」だっていっぱいいる。彼らには、病気とか精神的なものとか親の介護とか、それぞれ個別の事情がある。そういう人たちもたくさんいるんだ、ということが想像できないとなかなか理解してもらえないと思うけど。ぼくは、そういう人のことも含めて「社会」だと思うから、あるひとつの角度から見て答えを決めつけることはしたくない。反対に、どちらの立場の人たちも楽しめるような仕組みが作れたらなと思う。

 例えば、なにか「いい人ポイント」みたいなものを導入して、他者に分け与えたことで何か別のメリットやリターンをゲットできる、というのも手ではあるよね。他者に分け与えることで「逆に得をする」という考えを持ってもらえるような。さっき例に挙げたような相互扶助が成り立つのはただの綺麗ごとだけじゃなく「いつか自分にもお金が必要な時が来るかもしれないから」という考えによるところも大きいはずだし、「情けは人のためならず」という言葉を具体的な形にしてみたい。

 人はみんながみんな聖人君子じゃないわけで、「人にやさしくすること」に何らかのインセンティブをつけることでうまく回るのなら、それはそれでアリだと思う。アメリカなんて日本よりはるかに貧富の差が激しくて、よりシビアな社会だけど、一方で寄付やチャリティーはすごく一般化している。そこにはキリスト教的な倫理感ももちろんあるだろうし、それに基づいて善行を行なうことで社会の中で認められるという動機づけも大きいはずだ。「そんなの不純だ」と非難するよりも、その結果として救われる人がいるならそれでいいという考え方に立ちたい。

 

 もしかしたら、ベーシックインカムに近い形で「住宅だけは支給してあげる」というのもアリなのかもしれない。人口減少の時代に入った日本では、空き家も土地もたくさん余っているという。都心にだって、老朽化してガラガラ空きまくってる公営住宅や人が入らなくて困ってる団地がまだある。そういう物件を、お金のない人たちのために有効活用することができるんじゃないだろうか。

 一時期取り沙汰された生活保護の問題も含め、現金を渡されたら生活費以外のことに使ってしまう人もいる。「生活保護をもらってるのに遊ぶなんて!」という声が出るのもわかるけど、ぼくはそれを一概には責められない。ぼくたちは動物じゃないんだし、苦しい暮らしの間に息抜きも必要じゃないかと思う。ただ、そんな批判が出るのも理解はできるから、こういった空き家を行政が借り上げて支給する形にすれば、不満の声も少ないのではないだろうか。衣食住の「住」さえなんとかなっていれば、あとは意外とどうにでもなるものだ。ほかにも、いわゆる「バウチャー」という考え方なんだけど、「食品にしか使えないクーポン」のように用途の限定された交付をして最低限の生活の基盤を作ってあげるのもいい。

 最近ではシェアハウスという居住形態も一般的になってきて、徐々に法整備も行なわれつつあるみたいだ。ただ、「脱法シェアハウス」などのニュースの影響もあってか「シェア」という形態に疑問や悪い印象を持つ大家さんも少なくない。これまでは「住居」のかたちもいわゆる標準家族の想定のもとに作られてきたけど、それが崩れ去ってきている今、借りるほうだけでなく貸すほうも時代に合わせて考え方を変えていったほうが幸せになれるはずなんだけど。

 ちなみに、Livertyでは今、「シングルマザーだけのシェアハウスをやろうか」というアイディアが出ている。母親たちが各自の生活や仕事のスタイルに応じて相互に子供の面倒を見ることができれば、ひとりでは手が回らない部分をみんなで補完し合える、最高の居住環境になるんじゃないかと思っている。それに、シングルマザーに限らず、同じ境遇の人たちがお互いに助け合うという「新しい居住」──ひいては、「新しいコミュニティ」の形が提案できるのではないだろうか。それと近い形で、もともとある建物を一棟丸ごとシェアハウスにしてしまう「ソーシャルアパートメント」のようなビジネスモデルも盛んになっている。まるでホテルみたいな造りで、共用の受付があって、ラウンジもキッチンスペースも何もかも広い。これなんて、既存の資産を活用しながら時代に合わせた新しい居住の形を提案して収益を上げていくという点では、とてもいいサンプルだ。

 

 そうして得た収益の中から、どうしてもお金がないような一部の人たちのサポートをするというのもアリだと思う。「出せる人は出してね。出せない人は、一定の審査のもとに入れるようにしてあげる」という発想。これは実際に、Livertyやリバ邸をNPO化して進めていこうと思っている。住居ともなると消防法とか、前述のシェアハウス規制のようなハードルも出てくるから、ロビー活動も必要だ。積極的に政治に対して声を上げ、話し合いながら折り合いをつけて、住まいの仕組みや概念自体をアップデートしていきたい。

社会に多様性をセットしたい

 居住の概念をどうしていくかという問題は、突き詰めていけば東京という都市のリソースをどう使うか、この街の形をどうしていくべきかという問題に行き着く。当然、2020年に控えた東京オリンピックだって無関係ではない。

 個人的には東京でオリンピックが開かれるのはすごく素敵なことだと思う。わくわくするし、またそこで色々な新しい出会いが生まれていくはずだ。そのこと自体はいいと思うんだけど、それとは別に、組織委員会などを見ていてわかるように、戦後復興を高らかに宣言した第1回目──1964年の東京オリンピックと2020年のオリンピックをだぶらせるむきがあるのはいかがなものかと思っている。なんだか、おじさん政治家たちの「夢よもう一度」という一種の懐古主義のようにも思えるし、もっと言えば、あの頃と同じように国威発揚したいと願かけをしているようにしか見えなくて、正直「そうじゃないんだよな〜」と思う。

 今の日本は、もうあの頃のような若い国ではない。それよりも大事なのは、「オリンピック後」の日本をどう描いていくのか、だ。今のJOCや組織委員会のメンバーを見ても、とにかくご高齢で、果たして2020年の未来を描けるのかどうかは疑問が残る。2014年の今から2020年まで、東京はものすごいスピードで変わっていくはずで、このスピードを想像しながら、その想像をはるかに超えるものを世界に提示できなければ、オリンピックをやる意味はないとぼくは思っている。そして、さらに重要になってくるのが、2020年以降に訪れる「東京のその後」だ。年齢のことを問題にしたくはないけれど、幹部クラスの人たちがそこにまで責任をもったプランを描いているようには、失礼ながら今のところ思えない。

 すでに日本は高度成長の果ての果てまで行き着いた「祭りのあと」のような状態なわけで、これからオリンピックの準備を進めていくのなら、それを受け入れた上で「これからの時代の日本のプラン」を見せていくしかない。世界に対して日本の未来ビジョンを見せるのに、オリンピックは絶好の機会だ。そこに向けて、何をするべきか。国の予算もかなりの額が投下されるわけで、それをムダにしないためにも東京の「これから」、日本の「これから」の形を真剣に考えなければならない。

 

 ぼくはやっぱり、この章の中で再三書いてきた「多様性」というキーワードがものすごく大事だと思う。日本にやってくる外国人も含めて、これまで述べてきたような社会的マイノリティ、つまり、それこそ前回のオリンピックを頂点とした高度成長期に「標準化」された社会の枠組みの中で居場所を見出せなかった人たちも、豊かな気持ちでいられる街になっていればいい。

 

 そういえば、多様性のひとつの象徴である「パラリンピック」って、実は前回の東京オリンピックの際に、日本で生まれた呼称なのだそうだ(正式名称になったのはもっと後のソウル大会)。「またふざけやがって」なんて言われることを承知で言うと、これを機にもうひとつ、さらなる多様性を認めるオリンピック、名づけて「裏リンピック」を開いてみるのはどうだろう! ……まあ、これは確かに冗談半分なんだけど、そんなに非現実的でもない気がしている。というか、この話の軸にあるのは、ぼくの個人的な体験だ。ぼくは子供の頃からスポーツができなくて、それが原因でけっこうからかわれたりもしてきた。体育の成績はずっと「1」。小学校なんてしょせんはスポーツができるやつが人気者になるし、いつも恨めしく思っていた。そういう人は、ぼく以外にも絶対にいるはずだ。だから、「スポーツができないやつでもヒーローになれるんだぜ!」という、オリンピックの真逆にある「運動オンチの祭典」があってもいいじゃないか、と思ったのだ。さっき例に挙げた粘土細工とか、鉛筆削りがものすごく得意な人の選手権とか……。すでに「ニコニコ超会議」なんかもあるけど、それとはまた別のエンターテインメントを提示できるんじゃないかと思っている。

 

 まあ、それはさておき、オリンピックを開くことそのものが目的化するようではいけない。街づくりや都市設計、それは単純に「駅や道路をバリアフリーにしましょう」というようなものも含めて、高度成長期に社会に組み込まれた「標準」をいったんリセットして、新しい街の形、暮らしの形を示すことができるような準備をする必要があると思う。オリンピック以降も、ぼくらの人生は続いていくのだから。そして、その中に多様性というものをどのように組み込んでいくか。幼稚園児もお年寄りもLGBTの人たちも、できれば運動オンチのぼくも含め、みんながポジティブになれるあり方を示せれば確実に東京はやさしい街になるし、海外から来た人たちにも「東京って、ものすごく多様性が豊かで先進的な街じゃん」と思ってもらえるんじゃないか。そうしたら、日本を訪れる観光客だってもっと増えるかもしれない。

 

 と、ここまで120の政策の中から、ぼくの問題意識に基づいていくつかピックアップしたトピックについて書いてきた。他にもたくさんあるけど、ここでは紹介しきれないので巻末に「To Doリスト」を掲載した。ぜひ見ていただきたい。

 これまで出してきた本やツイートの中で、ぼくは「常識を疑え」とか「逃げてもいいんだよ」と、啓蒙というか自己啓発めいた言葉も発信してきた。もちろんその根底にある思いは変わらないんだけど、選挙を経て、ぼくの中でその意味合いはだいぶ変わった。「ぼくたちは自由であるべきだ。これまでの価値観なんか気にすんな! 飛び出してしまえ!」と煽るだけではいけない。一方で実際に飛び出そうとする人たちの受け皿というか、行き先を示してあげないと説得力がないんじゃないかと思うようになったのだ。要は、ふたつでひとつ。車の両輪みたいなものだ。

 もちろん、そういうものは多くの先駆者が色々な形で作っているけど、ぼく自身もそれをやっていかなければ、ただ外からものを言ってるだけの批評家になってしまう。あくまで行動で示すのがぼくのやり方だから、LivertyのNPO化や、(次章で詳しく書くけれど)新会社の設立のように、実際に居場所を作っていくという活動はこれから先も続けたい。そして、少しずつ多様性が認められる場を増やしていきたい。ついでに言うと、ぼくと同じような「居場所を作る人」をも同時に作っていかないと、広がりがスケールしていかない。そのへんは、ぼくのやっていくべきことだと思っている。ぼくがモデルを作りつつ、他の人もどんどん作っていくようなあり方が理想的だ。

 

 もっともっと、世の中に余白と多様性をセットしていきたい。そのためのアイディアを生み出し、実際に形にしていきたい。誰もがどん詰まりで「頑張らなきゃ」と必死な顔をしているこの社会をアップデートしていくきっかけになるように。かつてのぼくのように「居場所がない」と感じている人たちを、やさしく照らすものになるように。

第5章 すべての壁を越えていきたい

ぼくがこれからやっていくこと

 いつも前のめりに走ってきたぼくも、ふと立ち止まって考えると「いったいぼくは何者なのか」という思いがよぎることがある。

 政治家、では今のところない。Livertyやリバ邸を作って非営利の活動もしている今は「活動家」とも言えるのかもしれない。いくつもの会社を立ち上げ、ビジネスをしてきたという点では確かに経営者ではあるけれど、これまでプロフィールによく使ってきた「連続起業家」は、「なんだかもう違うな」と思っている。最近は「もう出馬はしないんですか?」「政治家にはならないの?」と訊かれることが増えたけど、正直なところ肩書きそのものには本気で興味がないので、そういう質問には答えようがない。肩書きなんてその時々で変わるもの。Twitterのプロフィールを書き換えるみたいに、軽やかに変えていきたい。

 政治にかかわることはこれからもやっていくけれど、政治は必ずしも「背広に議員バッジをつけた人でなければできない」というものではないだろうと思う。もしかしたら、いつか「政治家」というものになるのかもしれないし、永遠にならないかもしれない。でも、肩書きなんてどうだっていい。都知事選に出馬したのも、別に肩書きやステータスが目的だったわけじゃない。ぼくがずっとやってきた、この社会に「居場所」を作る活動の延長線上に政治があっただけだ。それ以上に特別なことは何もない。だが、出馬を通じてその方法論が自分の中でひとつアップデートされたことは、思いがけない大きな収穫だったと思っている。

 今まで「居場所づくり」のために色々な取り組みや仕組み作りをしてきて、その中で政治にも徐々に興味がわいてはいたけど、実際に出馬したことで、より自分のやるべきことがクリアになった。そして、この本の冒頭でも書いたけれど、これまでの活動が「点」だとすると、これからは「線」を引くための点を打つ……という意識が芽生えてきた。選挙活動を通じて若手の議員や自治体の首長さん、または社会活動家や社会起業家など、これまで関わりのなかった人たちと会う機会が多くできたことも大きい。彼らとの出会いによって、この社会について「行政の視点」から考えようと思えるようになったからだ。ぼくの世界は新しく、大きく拡がった。離れていった人もいるけど、新しい仲間もたくさんできた。それぞれの現場で地に足をつけて、最前線で踏ん張っている人たちの話を聞くのはすごく勉強になる。専門家の前ではぼくの考えが足りないことも多くて、そういう時は素直に反省する。新しい気づきや「こんなおもしろいことをしてる人がいたのか!」という発見もあって、そんな気づきにに興奮する日々だ。

 それと同時に、必ずしもぼくが「政治家として」そこに参画する必要はない、ということも強く感じている。そうではない形でも、社会や政治を変えられると思っている。そのためには、ジャンルや形式にこだわらずに、政治のことを日々考えて発信することが大切だ。そして、それをどう影響力につなげていくか。今のところ「家入なんて」という人もまだまだ多いけど、できることから一つひとつ形にしていけば、きっと誰かに届くはずだ。

 と、ここまで言うと当然「じゃあ、具体的に何をやるの?」という疑問が浮かぶと思うので、ここからはぼくがこれからやろうとしていることをいくつか紹介していきたい。まだ概ねの骨格が決まった段階で、ディテールを詰めていくのは先になるけど、きっと毎日何か楽しいことが巻き起こるような、ワクワクできる場所になると信じている。

 まずは、新しい会社をふたつ作る。

 ひとつめは、その名も「やさしいかくめい株式会社(以下、平仮名で『やさしいかくめい』)」。ぼくがこれまでの活動や選挙の中で訴えかけてきた、「誰も傷つけず、みんなに居場所のある社会づくり」ということを一言で表すと、「やさしい革命」になると思っている。争わず、血も涙も流さず、誰も置き去りにしない。そういう風に、やさしく社会をアップデートする。この会社は、そんな「やさしい革命」を「ビジネスとして」実行に移していくための組織だ。

 この会社のキーワードは3つ。「つながり」「居場所」「仕組み」だ。少し付け加えると、人と人のつながりを増やし、みんなの居場所を作り、その仕組みを通じて社会をもっとよくしていきたい……ということ。これまでこの本の中で述べてきたことそのままだ。要するにこれこそが、ぼくがこれまでにやってきたこと。そして、これからの核にもなる部分なのだ。

 今はまだいくつかのプランを検討している段階だけど、ひとつだけ明確なのは「ビジネスとして継続可能なものを作る」ということ。やはり「経済的な活動のベースを作る」ということはとても大事なことだからだ。

 ぼくはこれまで「社会に居場所がない」と感じている人たちの側に立って活動してきたし、それに共感してくれる人がぼくの周りに集まっている。彼らや選挙でぼくに一票を投じてくれた人たちの8万3936票の重みに報いたいと、ぼくも思う。その反面、気をつけなければならないこともある。今回の選挙では、「この社会をよくしたい」とか「自分も居場所が欲しい」とか、単に「家入、おもしろいじゃん」とか、とにかくぼくに共感してくれた人たちが応援し、投票をしてくれたと思っている。共感で人の心は動くし、それは瞬発的にはとても強い。しかし、醒めるのだってとても早いのだ。共感という現象に甘えていると、大切なことを見失ってしまう。票を集めた、ということに慢心してはいけない。

 みんなが共感してくれたもの――ぼくの思いとか考え方――を大事にしつつ、それを継続的・発展的なものにしていくには、やはりビジネスとして成立させることが、ぼくなりのひとつの回答なんじゃないかと思っている。ビジネスになれば、志を同じくして協力してくれる人たちに、お金や何らかのインセンティブの形で還元してあげられる。そのプラットフォームとして、この会社『やさしいかくめい』を作ったのだ。

「居場所」というキーワードを通じて地方自治体や企業と一緒にプランニングをしていくこともできるし、ウェブサービスやアプリなども作っていけるかもしれない。前の章で書いたフリースクール構想も、この会社で進めていこうと思っている。他にも、ベーシックインカムを民間だけで完全に実現したり、富を再分配するシステムを特定の地域で試してみるとか、色々な実験をここでやってみたいと思っている。一見、ふつうのITベンチャーのように見えても、その先に見据えているものは「やさしい革命」の実現なのだ。

 また、Livertyから「BASE」みたいな会社や、様々なウェブのプロジェクトが生まれていったように、『やさしいかくめい』を運営していくうちに、また新たな何かが生まれるに違いない。「独立させたほうがいいね」という事業が出れば、起業の可能性も出てくるだろう。会社というものはただの器でしかなくて、そこから何がアウトプットされるかが大事だから、それがもっとも適切な形で運営されるように進めていきたい。『やさしいかくめい』が、そういうスタートアップのためのファーム、いわば航空母艦になれば最高だ。

資本主義の中で資本主義を超える

 ふたつめの会社は、投資会社。といっても、ただ利潤を追求してなんでもかんでも投機を繰り返す会社にしたいわけじゃない。「喜び」「幸せ」といった、数値化できない、精神的な価値を追求する分野のビジネスに投資をするのだ。それは、今の日本にとって大事なものだと思う。例えば、ヨガやピラティスが女性の間で大流行したけど、あれもそういう分野のひとつなんじゃないだろうか。洋服を買う、かわいい靴を買うといった、外見を飾る欲求がマーケットを動かす時代は徐々に過ぎ、これからは健康的な食生活とか、精神的な充足といったものが人々に求められていくはずだ。実際、ファッションやメディアの世界でも、単純に物欲を満たす情報というよりは、ライフスタイルなど、内面的な満足にフォーカスしたものが増えている。

 古民家のような昔ながらの建築に今また注目が集まっているのも、そういう流れだと思う。この間、奈良市長とお会いした時に、もともと奈良の街にたくさんあった伝統的な町家が開発によってどんどん消えていき、街の景観が損なわれて困っているという話をうかがった。とはいえ、町家の家主さんの立場に立ってみれば、維持費用や冷暖房費のかさむ古い家を新しくしたい! と思うのもわかる。じゃあ、その景観を保全しながら収益化する方法はないか――。たとえば前の章で書いたようにシェアハウスにするとか、外国人が喜んで泊まるような宿にしてみるとか、そういうことで維持費用をまかなうというアイディアだってあるはずだ。そうしたプランを自治体と一緒に作っていくようなことも、この会社でやろうと思っている。

 あとは、檀家さんが減ってしまって存亡の危機にあるお寺さんがけっこうあるという話も聞いたから、そういったところで例えば「お寺で座禅を組みましょうツアー」とか、「精進料理でダイエットツアー」なんてこともスタートできるかもしれない。お寺というものは昔からその地域のコミュニケーションのハブになってきた存在だけど、地域のつながりが薄れることでその力が弱まっているのなら、その地域には属さないけれど、そういった場所を求めている人たち――それこそ、厳しい社会に疲れて内面の安らぎを求めるような人たちが集まる新しいハブとして再生させることもできるはずだ。そうして、お寺という存在の社会的な機能もアップデートされる。

 そういった「内面からの充足」というものをテーマにしたビジネスに投資をしていくし、おもしろい人たちがいたら「一緒にビジネスをやろう」という展開だってあるかもしれない。

 

 このふたつを核に新ビジネスを進めながら、そこで得た利益を再分配する方法論を作る。これは単なるビジネスモデルの問題ではなく、思想的にも大きなチャレンジだ。なぜなら、これは「資本主義の土俵に乗っかりながら、これまで資本主義が見捨ててきたものをマーケットにしてみせる」ということだから。ネットで集めた120の政策も、間接民主制のシステムの中で直接民主制を試してみた、ひとつの挑戦。もちろん当時は必死で、あらかじめそんな思想を持って試していたわけではなかったけど、既存の枠組みを活用して新しいものを生み出すという発想は、大きな変化を嫌う日本人のぼくたちにとってすごく親しみやすい手法なんじゃないかという気もしている。

 さらに言うと、ぼく自身の意識が大きく変わった部分もある。既存のものを否定して新しいものを始めるのは簡単だけど、その仕組みの上に乗っかって新しいものを作り、それを動かし、世の中に影響を及ぼすことによって社会全体のあり方をゆるやかにスライドさせたいのが今のぼく。以前のぼくが言ってきた「古い仕組みなんかぶっ壊せ!」「飛び出しちまえ!」みたいな言葉に比べると、すごくマイルドに聞こえるかもしれないけど、これは一見丸くなったようで、実はより刺激的なチャレンジだと思う。

 そして、その主体は別にぼくだけじゃなくていい。たとえば、仮に『やさしいかくめい』のフリースクール事業が大成功して、それを見て全く関係のない人が新しいフリースクールを作り、それもまた成功するとしよう。そうすれば第2、第3と後に続くものが出てきて、ぼくがやらなくても、結果として社会の中での「居場所」が増えていく。それこそが「やさしい革命」のひとつの形だ。

 

 また、Livertyと「リバ邸」はこれまで任意団体として活動していたけど、これをNPO化する。さっき出た『やさしいかくめい』とLivertyはどう違うの? と思う方もいるかもしれないが、Livertyはもともと非営利団体として設立したものなので、資本金も予算もない。「みんなでプロジェクトを立ち上げて、利益が出たらみんなで分配」というシステムだから、これは根本的に違う。「居場所をつくる」というテーマにおいては非営利であることのほうがプラスに働くこともあるだろうし、こちらは引き続き今の形を続けていくつもりだ。

 

「リバ邸」はどんどん増えていて、今は六本木、渋谷、仙台、梅田、京都、福岡で活動している。(2014年4月時点)これからさらに札幌、埼玉、下北沢、大井町、祇園、名古屋、広島……などなど、各地に開設する計画が進行中だ。実はまだ公式ホームページみたいなものもないし、もっとインフラを整備して、より開かれたシェアハウスにしていきたい。「リバ邸」の運営は、基本的にはフランチャイズみたいなもので、「やりたい!」と手を挙げてくれた人が物件を決めて運営費を出し、Livertyがそこに対する告知やノウハウの提供をするという感じでスタートしている。立ち上げも運営費も運営者自身の持ち出しになるので、金銭的な負担も発生している。これは、NPO化することである程度カバーできるのではと考えている。寄付のお願いや各自治体との協力も行ないやすくなる。そういう意味でも、NPO化の意義は大いにあると思う。

 海外を絡めた展開もおもしろそうだなと思っている。お金もチャンスも二極化しつつある日本で居場所を見つけられないなら、日本に固執せず外国で幸せのかたちを探すのもアリだ。「リバ邸」は、まさにこの社会からこぼれ落ちてしまいがちな人たちのためにやってきたけど、その場所は別に日本だけじゃなくてもよかったんだな、と思っている。

 少し前に知り合った人が、日本で目標もなくくすぶっている大学生を、ベトナムなどの東南アジアに連れて行って寝泊まりをさせ、自分で手売りで物を売って得たお金で生活させるというプロジェクトをやっていると聞いた。

 その人の話によると、日本でドロ〜ンとした目をしてた大学生が、ベトナムで3カ月トイレ掃除をしてみたらものすごく目がキラキラしはじめたのだという。人によっては言葉やスキルを身につけてそのまま向こうで企業したり、日本に帰ってきても目標を見つけて自分で動くようになったりと、目覚ましい効果があるらしい。人は結局、小さな成功体験を積み重ねなければ変わっていけない生き物だし、「こんなぼくでも外国でお金が稼げた!」「ありがとうって言ってもらえた!」という一つひとつの積み重ねが、その人の今後の人生を開くきっかけになるかもしれない。

 

「お年寄りと繋がろうプロジェクト」は、Livertyを軸に進めていく予定だ。今、群馬県でも「スマホの学校」という、やはりスマートフォンの使い方を教える活動をしているNPO団体がある。ぼくも何度かその教室にお邪魔したりして、コラボして活動することもある。一から立ち上げるより、既存の団体に参加したりコラボするほうがより効果的であれば、そういう活動の形もアリだ。第4章で挙げたシングルマザーのシェアハウスや、コミュニティスペースを兼ねた幼老複合施設なんかもそうだけど、すでにそういった活動をしている先駆者たちに話を聞いて勉強しながら、みんなで同じ方向を目指して活動していきたいと思っている。

 

 都知事選中には、政治団体「インターネッ党」も立ち上げた。当初、前述した「120の政策」の実行に向けて動く団体と位置づけていたけど、わざわざ政治家にならなくても民間ですぐできることはあるという考えになってきた今、インターネッ党では2つのアプローチで政治そのものの未来像を示していきたいと思っている。

 

 まず、若者向けのメディアをつくる。政治を遠いものだと思っている人たちに、もっと関心を持ってもらうための情報を発信したい。

 メルマガはすでにスタートしているけれど、特性上、どうしても情報が一方通行になってしまうのが難点。ぼくは、政治というのは発信側の意見だけを押し付けるものではないと思っている。必ず、双方向でやり取りされるべきだ。だから、そのうちソーシャルも取り入れて、相互に意見を交換できるプラットフォームを作りたい。そこに集まった人たちが自由に対話できるような、活発なコミュニケーションの場になってほしい。

 

 そして、ネット選挙の「あるべき姿」を、実際のプレイヤーとともに考えていく母体にもしたい。議員の方々と会うと、「インターネットを政治にどのように活用するか」という話で盛り上がる。みんな、都知事選でのぼくのネットの使い方を見て、興味を持ってくれたみたいだ。事実、ネット選挙が解禁になってから、あれだけインターネットをフルに使ったのはぼくくらいじゃないだろうか。

 例えば選挙中、ぼくはこれまでどおり、自分のアカウントで、自分でツイートをしていた。ぼくやネット世代の人にとっては当たり前のことだけど、選挙用に公式アカウントをわざわざ新設し、主にスタッフがつぶやいていた候補者もいたという。まだまだ、真の「ネット選挙」にはほど遠い状況だ。

 ぼくが行なったネット選挙が興味を引くということは、そこに何らかの未来の匂いをみんなが嗅ぎ取ってくれたからに違いない。東京都だけじゃなく、各地の議員の方ともっと会って、「新しい政治のかたち」について語り合いたい。

ポジションなんて気にしない 

 ビジネス、NPO、政治団体。IT企業もカフェもやってきた。こうして考えると、ぼくは本当に何者なんだろう? と思う。確かに、政治という「新しい世界」に踏み入れてみたことで得たものは、いくつもある。けれど、どんなフィールドにいたところで、ぼくは家入一真でしかない。Twitterではアホなことをつぶやくし、酔っぱらって記憶をなくすし、相変わらず忘れっぽくていろんな人に怒られる。自分が政治にコミットしてるからといって偉ぶる気はないし、ましてや自分の立ち位置によって使う言葉や生き方を変えるような人間でもない。ぼくはずっと自分の居場所がほしくて生きてきた人間だけど、だからといって自分の立場を守るためにポジショントークをしたり、誰かを攻撃したり貶めたりすることは絶対にしない。とはいえ、じゃあそういうことをする人が目の前に現れた時に単純に嫌ってしまうのも、またよくないと思っている。すべての人間の行動には、理由があるからだ。

 

 例えば「ネトウヨ(ネット右翼)」と言われている人たちがいる。インターネットの中で「中国人は帰れ!」みたいな、右翼的な発言をする人たち。最近はネットの外にもそれが広がって、在日外国人が多くいる場所で聞くに堪えない罵詈雑言をスピーチしていたりする。個人的には、ああいう風に他者を大声でののしる行為は好きじゃないし、そもそも「日本を(自分の思う)古きよき時代に戻そう」みたいな動きには拒否感がある。「戻ってどうするの?」と単純に思うし、テクノロジーや時代の流れによってぼくら全員に起こった生活や感覚の変化は、もう「なかったこと」にはできないからだ。しかし、だからと言って彼らを単純に非難しているだけでは解決しない、とも思う。実際に現象として起こっている以上、彼らなりの理由があるわけだし、この社会にある何かが彼らをそういう行動へ駆り立てている側面があるからだ。それを解き明かさなければならない。もちろん、誰かを排斥して自分の居場所を確保するような行為は今すぐやめてほしいけど。

 このネトウヨに限らず、ネット上にもリアルにも「情報弱者」とか「マイルドヤンキー」みたいな感じで、他者を何かにカテゴライズしようとする言葉がとにかく多くなってきたような気がする。お年寄りに「老害」なんて言ったりするのも、そうだ。情報が世の中に溢れていていくらでも自分を相対化できる時代に、逆に自分のイデオロギーに閉じこもって、自分ではなく他者をカテゴライズして安心しようとしている。全員同質な「一億総中流」であった社会がいつの間にかなくなっていき、一人ひとりがマイノリティというか「個」として存在する時代へと移りゆく中で、「いつか自分の居場所がなくなってしまうんじゃないか」と不安でたまらないのだろう。だから、せめて他者を見下したようなレッテルを貼って「そこに属していない自分」のポジションを確認するのだと思う。それは、ぼくの言う「居場所」とは大きく違う、ネガティブな場所だ。そこに陥ってしまわないためには、まずは自分の不安や「なぜ不安なのか」という理由と向き合い、そんな自分を自分自身が認めてあげること。つまり、自分自身をきちんと自分の「居場所」にしてあげること。それが、やさしい社会への近道なんじゃないだろうか。そうしてからでなければ、他者を受け入れることも不可能だし、他者も自分を承認などしてくれないはずだ。

 

 よくネットで言われる「セルフブランディング」という考え方も、そういう自意識によるポジション取りのひとつの形かもしれない。ちなみに、ぼくはセルフブランディングというものにまったく興味がない。自分の中にないものを無理に打ち出そうとしたってお里が知れるというか、このSNSの時代には絶対ボロが出るんだから、「盛った」ってしょうがないと思う。常にストレートに、本来の自分を偽らずにいるしかないのだ。だから、ぼくは前のめりだけど飽きっぽくてルーズで、酔っぱらいでさみしがり屋な自分のことを、何ひとつ偽ることなく全開でツイートしている(いばって言うことか? 笑)。みんなにぼくという人間をそのまま認めてほしいし、誇れたもんじゃない自分もまた自分なのだから、それを含めてぼく自身が自分を認めてあげなければならない。ぼくはコンプレックスの塊みたいな人間だけど、最近はそんな自分をようやく許せるようになってきた気がする。

 セルフブランディングに興味がないということは、何をしても誰と会ってもいいということだ。言動や付き合う相手をアクセサリーにする気はないから、誰と会ってもきっと何かしらで盛り上がれる。誰とでもニュートラルな立場で会って話して、賛同するところは賛同するし、賛同はできなくても、できるだけ理解をしたい。そして、できればみんなを「ぼくら」に巻き込んでいきたい。自分を他者と差別化するため(もしくはその逆)のポジション取りも、イデオロギーとか優劣のような色眼鏡で誰かにイエスとかノーを言うこともしない。その色眼鏡が人と人を隔て、それぞれの世界を狭める壁なのだから、そんなもの、なくしたほうが楽しいに決まっている。

「思い込み」の壁を飛び越えて

 この社会に存在する壁といえば、お金だってそうかもしれない。「お金がなければ○○できない」という状況がこの世の中にはいくらでもあるけど、それは絶対的な真実なのだろうか。それを逆転する手段(もちろん合法的なものに限るけど)はたくさんあったほうが、社会の可能性はうんと広がるんじゃないだろうか。studygiftはそういう意識で作ったつもりだし、選挙資金をクラウドファンディングで集めたのだって同じこと。「お金がなければ選挙に出ちゃいけない」なんて、ぼくから言わせると本当にバカバカしいけど、そのシステムを変えるには時間がかかる。ならば、発想の転換だ。お金がないなら集めればいい。実際にぼくがやって見せたら、みんながお金を出してくれた。そういう前例を示して、次の誰かがまた可能性を見出してくれればいい。「お金がない」というだけで才能や機会、そしてときには命の芽をつぶしてしまうような社会より、そっちのほうが絶対にいいじゃないか。

 

 ある時期、ぼくはTwitterに自分の銀行口座を開示して「ビール代を振り込んでください」とツイートしていた。恥ずかしい話、財布も貯金も空っぽで、ビール一杯も飲めないような状況の頃があったのだ。そうつぶやくと、「いつも見てます。支援します!」とか「生ビール一杯ぶんぐらいにはなるかな?」と、みんなおもしろがって振り込んでくれた。そのやり取りによって生まれるぼくとのコミュニケーションを、みんなが楽しんでくれていたんだと思う。

 そうしているうちに、「出産費用がないんです」という妊婦さんがTwitter上に現れた。ぼくはすかさず、この「口座晒し」を薦めてみた。最初はためらっていた彼女も、やり取りしているうちに意を決したのか、自分の口座番号を投稿した。すると、ぼくのフォロワーたちがおもしろがって次々と彼女にお金を振り込みはじめた。100円の人も、5000円の人も、10万円くらい振り込んだ人までいたらしい。本気で「妊婦さんを助けよう!」「いいことをしよう!」と思って振り込んだというよりは、本当にちょっとしたイベントのつもりの人が多かったんじゃないかと思う。「お金をそんな風に軽く扱うなんて」とか「彼女が本当に妊婦なのかはわからない。詐欺かもしれないじゃないか」という批判も浴びた。でも、ぼくはすべて承知の上で、ネットで「祭り」をやろうとしたのだ。いわば「喜捨(自分の金品や財産を惜しみなく差し出すこと)」のようにお金を振り込むことで、日頃みんなが絶対視している「お金」というものの意味を問いたかった。

「お金がないなら子供を作るべきではない」

 これは様々に寄せられたコメントの中で、鮮明に覚えている言葉だ。ぼくに、と言うよりはその女性に対する、辛辣な批判。他にもあった。計画性のない親のもとに生まれてくる子供がかわいそうだとか、わかった時点で堕ろすべきだとか、多くはそういう趣旨のもの。子供を持つか持たないかは、その子どもの親となるふたり(いろいろな事情でひとりの場合だってある)が決めることで、他人が決めることじゃないのに。

 この社会では多くの人が自分のことで精一杯で、「自分があの状況だったら」という想像力を持てずにいる。なぜそこまでの事態になったのかに思いを致すことなく、鉄板のような「べき論」に押しつぶされながら、自分以外の誰かを攻撃している。世の中には「お金がない」からと自宅の風呂場やトイレで出産して、そのまま子供を死なせてしまうお母さんもいると聞いた。テレビやネットのニュースを見ながら「なんてことを!」と驚く人もいると思うけど、そこには実際に「お金がない」ということで居場所をなくす人や、救われない命があるのだ。みんなの言う「お金」って、その現実よりも重大なものなんだろうか?

 口座晒しに関しては「あなたにとってお金とは何ですか?」と抽象的に問うより、「家入がまた何かやらかしてるよ」くらいのテンションで、お金とか命のことに考えを巡らせてもらういい機会だと思っていた。みんながそれを考えるきっかけになるなら、極端な話、妊婦さんの言うことの真偽なんてどうでもよかった。とにかくみんなに一度、どぎついくらいの問いを投げかけたかったのだ。「炎上マーケティングだ」と言われたりもしたけど、この件でぼくが儲かったり得したことなんて、たぶんひとつもないだろう。イメージ的にはマイナスのほうが大きいと思う。でも、結果として多くの人が見返りも求めず、ある人は心からの善意で、ある人はただ楽しんで、とにかく合意のもとに富を分配した。その瞬間、少なくとも彼らにとっては「お金」、いや「見ず知らずの人に『自分の』お金を出す」ということに対するハードルは無効化されたんじゃないかと思っている。それは「見ず知らずの人」との間にある、ある意味この世で一番高い「自分と他人」という壁を、共感なのか楽しみなのか、何らかの理由でその人が越えたということ。そこにつながりが生まれたということ。ぼくにとっては、それで十分だ。

 

 レストランに行って「あなたのお食事代は、あなたの前に来たお客様が支払ってくれています」と言われたら、どうする? ぼくだったら一瞬意味が分からなくて「ドッキリか?」と隠しカメラを探してしまいそうになるかもしれない。でも、そういうレストランが実際にアメリカにある。「カルマキッチン」といって、前に来たお客さんが次のお客さんの食事代を払うという仕組みなのだ。別にお金で支払う必要はなくて、ボランティアで皿洗いを手伝ってもいいし、なにか芸をしてもいいらしい。とにかく、次の人のために純粋に贈与すること――誰かが自分にしてくれたように。

 これは「富の再分配」よりもさらに先を行く、「善意の循環」と呼ぶべきものだ。日本でも、このカルマキッチンをプロジェクト化して実施している人たちがいる。彼らは「恩送り」という言葉を使っているけど、とてもいい言葉だと思う。人はひとりで生きているのではないし、必ず、親なり友人なり誰かの善意の結果として生きている。それに気づいて次の人に善意のバトンをつなぐことができた人は、そのリレーの中で数えきれない人たちとつながっていることになる。そんなことを考えさせられるプロジェクトだ。

「自分は自分」という孤島から、ゆるくて広いつながりのある「居場所」へ。しかも、義務感ではなく、楽しんで。こうした試みが、今、あちこちで始まっている。ぼくがやっていくべきことのヒントも、まだまだいろんなところにあるなあと思う。

 

 政治、学び、思想、世代、お金。この世のあらゆることに対してみんなが無条件に抱いている「べき論」や「常識」は、果たして本当に絶対の真理なのか? ぼくは、いつでもそういうものに対する問いを投げかけ続けてきた。

「政策とお金がない人は選挙に出ちゃいけないのか?」

「一度レールを外れた者は、この社会に居場所はないのか?」

「右翼と左翼は永久にわかり合えないのか?」

「老人は本当に、若者の犠牲の上にぬくぬく暮らしてるだけなのか?」

「お金がないのはすべて自己責任なのか?」

「自分は絶対に社会からこぼれ落ちないと言えるか?」

「政治は一部の特別な人だけのものなのか?」

 

 そして、

「この社会は、本当にこのまま変わらないのか?」

 

 ぼくは違うと思う。これからぼくがやっていくことは、そういう問いを繰り返しながら「思い込みの壁」を越えていくことだ。連続起業家と名乗っていた頃と比べて「政治」という要素が関わったからといって、真面目くさるつもりもない。これまで通り着ぐるみを着たまま、反復横跳びのようにあらゆる領域を行ったり来たりして、この社会を前に進めていきたい。そこに祭りの喧噪を作り出し、みんなを呼び集めて対話し、誰もが居心地いいと思える場所を作っていきたい。

 

 すべての壁を無効にして、その向こうにあるもっといい景色をみんなで見たい。

第6章 ぼくらの未来のつくりかた

「最新型の自分」でいること

 この本の中で、ぼくは再三「ぼくら」という言葉を使ってきた。だけど、誤解してほしくないのは「みんなで一丸となって世界を変えていこうぜ!」と思っているわけではない、ということ。誰もがプレイヤーでいなければならないわけではないし、実際、すべての人が自分の力で自分の居場所を切り拓けるわけじゃない。人それぞれに事情はあるから「動かないやつはダメだ」とも思わない。ただ、願わくばみんなに自分の居場所を見つけてほしいし、もし居場所のない人や今いる場所の居心地が悪いと思っている人がいたら、色々なものを見て、考えて、視野を広げてくれればいいと思う。そうすることで、強固な壁のすき間にふと、新たな居場所を見つけられるんじゃないだろうか。リアルでもネットでもいいから、いつもいる場所に固執しないで、違う場所に足を踏み入れてみるといい。そうすることで、新しくゆるく広がっていく人と人のつながりもできるかもしれない。

 

 ただ、そのためには、やっぱりまず他者を認めて受け入れる心が必要なんじゃないかと思う。それがなければ、誰かに出会ったところで結局また孤独になってしまうから。何か気に入らないことを言われたとしても、「あいつはあんなことを言ってたからクソだ!」と切り捨ててしまうんじゃなくて、その裏にある思いや真意を、いったんは考えてみること。できれば対話して、理解できなくてもいいから理解しようとしてみること。これが大事なんだと思う。「中国人なんて!」とネットで叫んでる人でも、実際に中国に行って現地の人と接してみたら、きっと好きになるだろう。

 ぼくは昔から臆病で弱い人間で、とにかく傷つきたくないと思って生きてきた。それは今でも変わらない。自分がそうだったからこそ、他人を傷つけたり、簡単に白黒つけるような言い方はしたくない。さみしがり屋で、みんなに受け入れられたいからこそ、自分も他者を受け入れたいと思っている。自分のことを言うのもなんだけど、ぼくのことを嫌いだった人が、ぼくと会ってみて「なんだ、家入って意外といいやつじゃないか」と言っていたと聞いたことがある。素直にうれしかったし、違う意見の人と出会って、交わって、お互いの色が変化していくのを見るのも楽しい。

 何度も言うけど、ぼくの言う「ぼくら」は必ずしも一色に染め上げられた排他的な集団ではない。それぞれ異なる人たちで構成された、カラフルな集団だ。いや、集団ですらなくていい。その「異なる」ということ=多様性をきちんと尊重し、一人ひとりが自分の持ち場で少しずつやさしくなれれば、それだけでいいと思う。その気づきのきっかけを作るために、ぼくはこれからも動き続け、みんなに「問い」を投げかけていきたい。情報過多な世の中だからこそ、飛び込んできた情報に脊髄反射的に「イエス」「ノー」を言うんじゃなくて「これはアリなのか、ナシなのか」の理由そのものをじっくり考えてほしいと思う。どこかの教祖みたいな人を盲信するんじゃなく、自分の頭で。それはすなわち、他者への依存とか「自分が満たされないのは誰かのせい」という思考から脱却するということなんじゃないだろうか。それが、自分自身をアップデートしていくことにつながっていくと思う。

 

 みんなに「きっかけを与える」なんて言うとちょっと偉そうかもしれない。なぜなら、こんなことを言ってるぼく自身が、常にわからないことだらけだから。ビジネスやITの分野ではある程度の結果を残してきた自負があるけれど、それだって、自分自身で経験してきたこと以外はわからないことだらけだ。日々勉強、と言うほかない。正直、ネットには様々なご意見番がいて、「なぜみんな、いろんなことをわかったように言えるんだろう?」と感じることがある。ほうぼうで講演をさせてもらったり、こういう本を書かせてもらっても、自分で経験したり、あるいは人の話を聞いて自分の中で十分に消化したことしか、ぼくは話せない。しゃべりも下手だし。結局、自分が行動しているところ意外、ぼくがみんなに見せられるものはないんだなと思っている。

 

 自信がないのか? と問われると、ちょっと違う。自分でわかっていることに関しても、どこかで「ぼくは本当にこのことについてわかっているのだろうか」という思考をしているということだ。それはつまり、真実や本質を軽んじたくないというか、正しく物事を捉えたいと思うから。何でも決めつけのようなことは恥ずかしくてできないし、むしろ色々な人に会って教えを請い、意見を聴きたい。時としてぼくとまったく違う視点からの答えが返ってくると、視野がぐんと広がる。また思考がアップデートされていく。相手が誰だろうが関係ない。政治家だろうが、ニートだろうが、ぼくが何かを教えるような場だったとしても、結果的には教えられていることのほうが多い気がする。確かに選挙は大きな経験だったけど、その後に出会ったさまざまな人、見たもの、感じたことによって、それ以降のぼくもまた、日々刻々と変わっている。相変わらずちゃらんぽらんなやつだけど、少しずつ少しずつ、自分をアップデートしていると思う。今日出会った人や物事を認め、受け入れることで、昨日とはまた違う世界を生きる。人はいつだって「最新型の自分」なのだ。

目の前からはじまる

 だから、本のタイトルにしておいてこんなことを言うのもなんだけど、「未来のつくりかた」なんてわかるわけがない。正確に言うと、未来をつくる確実なマニュアルなんてない。「こんなふうになったらいいな」という未来のためにこの本を書いてきたけど、その設計図なんてない。ただ、この国の未来を自分の気持ちいいものにしたいし、自分が気持ちいい未来を、自分の大切な人にも気持ちいいと思ってほしい。それが「居場所」ということなんだと思う。

 この本の冒頭、ぼくはこれまで自分の足もとに点を打ってきたと言った。その「点」から先々までの「線」を描くことを意識したのはつい最近――35歳にしてようやくだし、それにしたって、次に打つべき点は見えていても、それをどうやって打つかは今後も試行錯誤を繰り返すだろう。今日もまた最新型の自分を積み重ねているけれど、それは明日出会う人によって、またいかようにも変わる。だからこそ、目の前にあるすべてが「今」であると同時に「未来の一部」だと思って生きている。

 

 この国の政治だって同じことだ。選挙を通じてぼくは若者たちに「政治に参加してほしい」「未来は自分で選ぶんだ」と訴えたけど、それは30〜40年後の自分たちへ向けたメッセージでもある。自分たちがその頃に生きていたいのは、どんな社会か。そう考えたら、他人任せにはできない。すべてが荒廃し、誰もが孤独な国になんか、誰も住みたくないだろう。これは、高齢の政治家やお年寄りたちではなく、自分たちの未来の話だ。だからこそ、彼らのせいにして怠けていてはいけない。今ひしひしと不安を感じている自分たちがどうするか、なんだ。

 すごく遠大な話に聞こえるかもしれないけど、その30〜40年後を作るために、今、自分がここから何をするのか。大きなことじゃなくて、単純に「自分が70歳になったときに、どんなふうに暮らしていたいか」ということを考えて、次に「そのために今日できることは何か」と考えて、思いついたらそれをやればいい。ぼくは70歳になっても――まあ、いつ死ぬかはわからないけど、運良く生きていられるのならば――今と同じようにたくさんの人たちとゆるくつながって、おもしろいことをやっていたい。「お年寄りと繋がろうプロジェクト」も、「みんなの政策」も、「リバ邸」や「ロリポップ!」だって、全部そこにつながっている。今ならそう言える。

 

 ぼくの友人で哲学者でもある苫野一徳さんは、「何かやりたいけど、何をすればいいかわからないんです」と相談を受けたら「とりあえず台所を磨きなさい」と言うそうだ。つまり、目の前にあることを無心にやっているうちに、何かがきっかけとなって次が見えてくるということ。言い換えれば、未来は常に目の前からしか変えられないということなのかもしれない。それが親や恋人の喜ぶ顔なのか、それともまた別の何かなのかはわからないが、とにかく、この世には変化のスイッチが無数に隠れている。そのスイッチがどこにあるのかは、自分自身を含めて誰にもわからないようになっている。だけど、半径数メートルの距離にあるものを大事にして、手探りでも自分のペースで動いていれば、どこかでそのスイッチに触れることができるはず。最悪その時は見つからなくたって、身近な人の喜ぶ顔を見られたり、台所がピカピカになったりすれば、それでハッピーだ。いい気分でその日を過ごせるだろう。そして、そんな気分でいられたほうが、次なるスイッチだって見つけやすいと思う。

 

 今すぐに世界を変える必要なんてない。一人ひとりが自分の目の前にある半径数メートルの空間を認めて受け入れ、それを心地いいものにしていければ、そのささいな積み重ねが、いつしか未来になっていく。いつもしかめ面をしてる人は、明るい顔をしてみればいい。Twitterで人の悪口を言うのをやめる、とかでもいい。今はまだ力がなくて、何もできなくたってかまわない。自分が「今日もよく生きたなあ」と思えるような日々を送っていければ、それでいいと思う。絶望の果てに向かいつつあるようなこの日本を少しずついい方向に向かわせるのは、ぼくら一人ひとりが自分の中で起こしていく、小さな「やさしい革命」の積み重ねなのだ。

 

 よかったら、君も一緒にどうかな?

あとがき

 ときどき思うことがある。「15歳のぼくが今のぼくと出会ったら、なんて思うだろう」って。あいつ、まさかぼくが都知事選に出てるなんて思ってもみないだろうな……。

 この本を手に取ってくれている人たちの多くは、当時のぼくと同じように居場所のなさを感じていたり、自分の生き方を考えていたり、今の社会に「これでいいのか」という思いがあったり、つまりこれからの「未来」に漠然とした不安を抱いている人が多いんじゃないかと思う。その中で、ぼくたちはどうそれと向き合っていくべきなのか、なるべく自分自身の体験からわかったことを伝えるように努めたつもりだ。

 ぼくは昨日まで、徳島県の上勝町へ行っていた。おばあさんが山で集めた葉っぱを売ってビジネスをしている「株式会社いろどり」を見学しに行ったのだ。葉っぱは、料理の〝つまもの〟になる。魚料理なんかの下に引いてある、あれだ。取り扱う葉っぱは全部で320種類以上あり、季節を問わず注文が入る。年収1000万近いおばあさんもいるという。「いろどり」代表の横石知二さんは、この上勝町という小さな町で30年間こつこつと活動を続けてきた。すごいのは、ビジネスとして成立しているだけじゃなく、おばあさんたちに生き甲斐、つまり「居場所」を与えているところ。おばあさんたちはみんな、「忙しい、忙しい」と言いながら、とってもいい顔をしてた。

 ぼくは話を聞いていてハッとした。東日本大震災のあと、日本では少しずつ「大きなシステムに依存せず、自分の半径数メートルの世界を充実させて生きていく」ということが注目を集めている。「いろどり」が実現しようとしている社会はまさにそれだ。時代が横石さんの地道な活動に追いついたのだ。

 世界を変える魔法はない。人はどうしても劇的な変化を望みがちだけど、そんなことはごくまれだ。ぼくらにできるのは、自分が「こうありたい」というものに向かって、小さな一歩一歩を着実に重ねていくこと。大げさなスローガンや誰かを鼓舞するような言葉はいらない。Twitterで思いをつぶやくだけでもいい。きっかけはちょっとした一歩かもしれないけど、積み重ねていけばきっと誰かに届く。だからまずは、動いてみること。そして、続けてみることだ。

「私には力がない」なんて、今から諦めてしまうのはつまらない。ぼくだってはじめは影響力なんてなかったし、迷いながら小さな小さな積み重ねをしてきた結果、今のぼくがいる。誰もが最初は何者でもないんだから、逆に言えば、誰もが何にだってなれるはずだ。自分で自分の視野を狭めることさえしなければ、政治家にだって、社長にだって、NPOの代表にだって、アラブの石油王にだってなれるかもしれない。

 大事なのは、自分にできることから「始める」こと。何かを実現できるのは、それを望んだ者だけだ。望んだようになるとは限らないし、結果、ぼくみたいに10年前は思ってもみなかったような地点にいるようなこともあるかもしれないけど、それはそれで、自分の選んだ未来。大事なのは、大したことなんかできなくても、とにかく「今を精一杯生きる」ということなのかもしれない。

「0から1を作る」という言葉があるけど、ぼくは、もうこの世には0なんて存在しないと思っている。この世界ではあらゆることがすでに誕生して、形作られてしまっているからだ。自分が考えたことは、きっともう世界のどこかで、誰かがとっくに考えたことなんだ。

 だけど、0を1にすることはできなくても、目の前にあるものをかけ算していけば、可能性は何通りにも広がる。例えば「ロリポップ!」は、従来の「サーバー」に「安価」という要素をかけて、ちょっとキモカワイイ、ロリポおじさんという「キャラクター」をかけ、さらに「女の子が好むようなデザイン」をかけ合わせた。この4つは、それぞれ別の世界では存在していた要素だけど、IT業界にはありえなかった組み合わせだ。それが化学変化を起こして、ヒットに繋がった。そう考えると、この世界は、いつでもヒントで満ちている。

 目に見える景色の中に隠れた、数えきれないヒント。その一つひとつを手繰り寄せながら、15歳の頃には想像すらできなかった未来を、ぼくは今歩んでいる。そしてきっと、これからも。

 最後に、2014年東京都知事選挙の際にボランティアとして協力してくれたみんな、Twitterで「ぼくらの政策」に声を上げてくれた方々、一票を投じてくれた東京都の皆さん、そして、いつもぼくを支えてくれている皆さん。本当にありがとうございます。ぼくと一緒に、ぼくらの未来をつくっていきましょう。

2014年5月2日 家入一真

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