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さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について #全文公開

著作の #全文公開チャレンジ  、流行っていますね。この流れに乗って、僕も過去の全ての作品を無料で全文公開していきたいと思います。まずはこの作品、「さよならインターネット」。こちらに関してはまずは3ヶ月限定で無料公開します。

およそ半世紀前に産声をあげたインターネット。その進化は社会、経済、文化、時間、人、あらゆるものを変化させた。しかし常時接続、無線接続、IoTのなかでその姿は見えなくなり、自由と可能性に満ちた「世界」は、むしろ閉ざされつつあると家入氏は警告する。パソコン通信からSNSを経由し、サーバー事業やプラットフォーム事業、さらに都知事選まで、ネットに人生を捧げてきた氏は、なぜ今その「世界」に別れを告げるのか?果たしてこれから先にやってくる「世界」の姿とは? これは、その「輪郭」を取り戻すための思想の旅。

出版社さんに打診したところ、速攻でOKいただきました。関わってくださった編集者さん、ライターさん含め、関係者みなさんに還元できるよう、読んだ後に「良い本だな」と思っていただけましたら amazonで購入 もしていただけましたら幸いです。もしくはSNSなどで拡散をお願いします!それではぜひお読みください。

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目次

はじめに
インターネットが「ハサミ」?/小さな世界の大きな価値/じゃあインターネットとぼくらはどこへ向かうんだろう

前章 インターネットが消える前に
インターネットという言葉の意味が変わった/無意識のネット接続/輪郭を失うことによるリスク/インターネットは最初に儀式を失った/そして「輪郭」を失ったインターネット

第一章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで
ぼくは確かにインターネットに救われた/やさしかった小さな世界/つながりたいことの可視化/「破壊の道具」や「逃げ込める先」としての期待/爆発し始めた自己表現/現実世界を侵食するインターネット/信じるに足る世界は確かに存在した

第二章 さよならインターネット─その輪郭を喪失するまで
「Web2・0」で決壊が始まった/ギークのためのインターネットの終わり/現実と同じ「つながり」をもたらすSNS/「Web2・0」の向こう側に姿を現したもの/即物的で現実的な期待の中で/ソーシャルゲームに参入しなかった理由

第三章 輪郭が失われた世界─まだそこは信頼に足るものだったのか
終わりの始まり/クラウドファンディングという光/輪郭が溶けたことによるポジティブな側面/「個人」の再発見/政治とインターネット/そして余る「時間」/インターネットの輪郭をつかまえる

第四章 インターネットは「社会」の何を変えたか
インターネットは何を変えて、変えなかったのか
社会
インターネットの世界はむしろ縮小している/祭りの場すら閉ざされる/インターネットに怯える人々/警備員だらけの相互監視社会/パノプティコン化したインターネット/シェア、フラット、フリー
文化
あふれる表現者と不足する鑑賞者/無理強いされた表現としての「批評」/「欲しがらない名無しさん」から「欲しがる名無しさん」へ/かつての「匿名性」は奥ゆかしさをもたらしてくれた/目出し帽を被る覚悟
経済
インターネットがポジティブな変化をもたらした分野/激減したコミュニケーション・コストがもたらしたこと/進む「CtoC」と「シェア」/コピーできるものにお金は集まらない/お金に生まれた新しい価値/善意も炎上する

第五章 インターネットは「私たち」の何を変えたか
時間

誰もが別の時間を歩み始めた/細切れになった時間/常に「オン」の弊害
空間
不幸な伝言ゲームが蔓延した/あえて伝言ゲームをしたがる人たちの登場/サードプレイスの登場

人の価値はポイントで決まる/「装置」になりたい人/人は「概念」にもなれる/あなたの友達はネットが選ぶ/変わる家族の意味

第六章 ぼくらはインターネットの輪郭を取り戻せるのだろうか
インターネットの輪郭を取り戻すということ/分断された世界の外へ向かおう/エクスターネット的/Six degrees の外に行こう/世界を強制的に変えてみよう/書店に行こう/プラットフォーマーになろう

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はじめに

インターネットが「ハサミ」?

 ある日、仕事の合間にお茶をしていたときのこと。インターンシップをしていた20歳の学生が、ぼくにこんなことを言いました。
「家入さんは『インターネットが大好き』とよく言うけれど、ぼくにはその意味がわからないんです。なんだか『ハサミが大好き』って言っているみたいで」
 インターネットがハサミ? 一瞬、意味がわかりかねたこの言葉。どうやら彼は「インターネットなんて、ハサミのようにあたりまえに存在するもので、わざわざ賞賛する価値があるような対象ではない」と考え、そうたとえたようです。
 しかしぼくにとってのインターネットとは、10代半ばの引きこもりのさなかに光を与えてくれた大きな存在。
 そこから紆余曲折を経て、インターネットにかかわる会社を設立。20代で上場を果たした後も、やはりインターネットを通じてたくさんの人とつながり、飲食店やシェアハウスなどを手がけ、ネット選挙解禁後には、それをフル活用して都知事選を戦っています。ぼくはまさにインターネットとともに、その人生を進んできたといえるでしょう。
 また、陳腐な言い方だけれども、インターネットはやはり無限の可能性を秘めた世界であり、ときには見たことのないようなものを生み出し、ときには中央集権的な構造にとらわれていた、いろいろなものを私たちの手に取り戻してくれる、無条件に賞賛される存在だったと思います。
 それだけに、自分より若く、同じくその可能性に胸をときめかせているものとばかり思っていた彼の言葉が、衝撃以外の何ものでもありませんでした。しかし一方で、彼の言葉をあらためて考えてみると、「ぼくの好きなインターネット」というイメージも、はっきりと形にすることができなかった。そのことも、また大きな衝撃でした。

小さな世界の大きな価値

 彼は、続けてこう言います。
「『Facebook』も『Twitter』もぼくには必要ない。『LINE』さえあればいい。つながりたい人とだけちゃんとつながっていれば、それ以上は必要ありませんから」
 この言葉を聞いて、今度はとある思い出がぼくの頭をよぎりました。それは福岡で美大を目指しつつ、絵を描いたりして暮らしていた98年、20歳のときのこと。
 描いた絵がだいぶたまったのを見て、ふと画廊を借りて絵を展示してみたくなりました。それは自分一人で描いていて、誰にも見せることのなかった作品が、第三者からはどう感じてもらえるのか、その反応を見たかったからです。もちろん絵が売れて少しでも収入になれば、という思いもあったので、画廊には結構な金額を支払って展示したのだけれども……。
 結果はさんざん。このとき足を運んでくれた人は親しい友人以外、ほとんどおらず、絵もまったく売れませんでした。
 そこで、その頃興味を持ち始めていたインターネットを通じ、それらの作品を自作のWebサイトに載せてみたところ、こちらでは驚くべき反応がありました。なんと福岡県内どころか、海外からも絵を賞賛してくれるコメントが届いたのです。
 インターネットの向こうには想像できないくらいに大きな世界が広がっていて、つながり始めている。そして、その世界こそが、これからの時代、自己表現や発信の中心となるに違いない。これからやってくるかもしれない未来の片鱗を目の当たりにしたぼくは、強い興奮を覚えました。そして21世紀となった今、彼の言葉からこの経験を思い出したのです。
 実際、そのあとには「一億総表現社会」という言葉が生まれ、それを象徴するようなブログブームが到来。続いて「mixi」や「Twitter」「Facebook」などのSNSが流行(はや)り、「Six degrees」、すなわち「6人を介せば世界中の誰とでもつながる」、そんなことがいわれるようになりました。
 そこから、さらに進んで現在。世界はさらに大きく、そしてつながり続けました。しかしその結果として、目前の若者はむしろ小さな世界にこそ、大きな価値を見出していたのです。
 特にぼくは承認欲求が強いせいかもしれませんが、かつてはブログで、今ではSNSを通じて、なるべく多くの人へと情報を発信したり、ときには悩み相談にまで乗ったりして、不特定多数の人たちから認められたいと思っていました。
 しかし最近になって、そういった実際の姿が見えていない人たちとのつながりが、いったいどれだけの価値を持ちうるのか、どこかで疑問にも感じ始めていました。最近だと、つながりすぎたせいなのか、伝えたいと思ってもいないような人にまで、メッセージは容易に届いてしまい、想定をしていないような反発をもらうことも増えていました。それだけに彼の言葉に驚きを覚えつつ、でもどこかで納得して、受け止められたのです。

じゃあインターネットとぼくらはどこへ向かうんだろう

 繰り返しますが、かつてのぼくにとってのインターネットは、いじめに遭い、引きこもったぼくのような人間にとって、極端なことを言えば「聖域」のような存在だった気がします。部屋から出なくとも同じ価値観を持つ人とつながり、存在を認めてもらえる場であって、ある意味で、目の前の社会以上にリアルな場所であって、存在でした。そして、多くの人がおそらくそうだったように、既存の価値観や構造がインターネットによって「ぱたぱた」と置き換えられるそのさまに、興奮を覚えた一人だったように思います。
 ただし、今現在あらためて考えてみれば、インターネット上だろうと、現実の世界で大きな声を持つ人がやはり発信力を持ち、行きすぎたつながりは、お互いを見張っているような居心地の悪さや炎上をどこかしこで引き起こすようになりました。
 さらに、常時接続や無線回線が当然となり、スマートフォンの登場、そして「Internet of Things(モノのインターネット化)」、いわゆるIoTの流れもあり、インターネットにつながっているかどうかを、自覚しなくなってしまった。その結果として、インターネットそのものの姿はほとんど見えなくなったのかもしれない。そして見えなくなって、インターネットがその輪郭を失った今、上手くは言えないけれども、弱い人たちやマイノリティが守られる「聖域」としての期待からかけ離れた、逃げ場のない、むしろ息苦しい世界になりつつあると感じているのです。
 もちろん、これから起こるであろう変化や、可能性を否定するつもりはまったくありません。しかし、インターネットと私たちにどんな未来がやってくるか、ということについては、大いに関心があります。
 そして、浮かび上がってきた未来の姿によっては、インターネットとぼくらは、ここで一度距離を置く必要もあるのかもしれない、などと考えています。それどころか、実はぼくらはもう、別れを告げないといけないところまで、とっくに進んでいるのかもしれません。
 だからこそ、インターネットと半生を歩んできたぼくが見てきた景色、もしくは新しく見えてきた景色をここで整理し、その姿を浮かび上がらせてみたいと思い、筆を執ることにした次第です。
 あなたもこの本を読み進めてインターネットの未来、そしてそこへとつながる社会や私たち自身のこれからの姿を、ぼくと一緒に考えてみませんか?

前章 インターネットが消える前に

インターネットという言葉の意味が変わった

 インターネット。この言葉の意味するものが、どうやら以前のものとは変わってきたように、ぼくが意識し始めたのはいつ頃だっただろう。
 ぼくの世代以上、つまり30代以上の人たちの多くは、おおむねこれまで「インターネット=Webサイト」だと捉えていたのではないでしょうか。一方、「はじめに」にも書いたように、ぼくが今一緒に仕事をしている、20代どころか10代の若い世代の人たちは、インターネットという言葉を聞いても、何かはっきりとしたイメージが浮かぶわけではない。形があるようでないような、空気のような存在だという認識を持っているようです。
 実はこの感覚の違いは、とてつもなく大きな隔たりのように(それこそ断絶のように)、ぼくは感じています。
 そして「インターネット=Webサイト」だと言ったものの、実はその肝心の「Webサイト」という概念もこの先なくなるかもしれない、と感じる機会が増えています。というのも、現実として、いつでもどこでもつながるスマホの興隆によって、インターネットそのものに向かい合う姿勢が明らかに変わったことに、その大きな理由があります。
 たとえばこれまでWebサイトとぼくたちを仲介する意味で大きな役割を持っていたサービス、いわゆるブラウザ。これまではブラウザを用いて、目的を果たしてくれるであろうサイトを「Google」や「Yahoo!」などの検索サービスで探して、そこへ到達する、という過程をたどるのが一般的でした。
 しかし今、スマホからネットに接続する場合、いきなりアプリを開き、目的のコンテンツへと直結することが増えています。「Twitter」や「Facebook」などのSNSのアプリから友人がシェアしたURLをタップして、その先のページに飛ぶ人も少なくないはず。
 実際テクノロジーを見ても、Internet ExplorerやFirefoxなどといった主要ブラウザが積極的な開発をやめてしまったことからもわかるとおり、その飛躍的な発展はこの先、見込めないのかもしれません。一方、便利で機能的なアプリはインターネットと私たちの仲介における中心的な役割となり、さらに発展を遂げていくのは明白でしょう。
 Webサイトへの流入数を見てみても、アンドロイド端末やiPhoneなどからの数は増え続けていますが、パソコン経由で流入する数は減っています。Webサイトによっては、ほぼ全部がスマホからの流入になっているとも聞いたことがありますが、若年層のユーザーを獲得していればいるほど、その傾向は顕著に見られるようです。
 そうした流れを受けて、パソコン経由での閲覧だけを対象に作られたサイトは減っていて、スマホ対応、つまりいつでもどこでも閲覧できるようにした仕様のほうがスタンダードになりつつあります。

無意識のネット接続

 ここで皆さん、自分の行動を振り返ってみてください。気になるニュースがどこからともなく耳に入ってきたとしましょう。ニュースが気になったのだから、いわゆるニュースを取り扱うテレビや新聞社などのサイトそのものを見にいこう、と考えますか? もちろんそのように考える方もいらっしゃると思います。しかし今だと、ニュースアプリ上で関連記事をチェックしたり、「Twitter」や「Facebook」などのSNS経由で誰かがシェアした記事などを見たりして、とりあえずの情報収集を終えてしまう、なんてことも少なくないと思います。よくよく考えれば、アプリやSNSすら、よく使うものは数種類に限定されている気もします。
 ちょっと空いた時間に「Twitter」やニュースアプリをチェックして、そこに貼られたURLをタップして情報を得る、といった一連の動きについて、その動線はあまりに自然です。 そのため、今インターネット上のどこに自分がいるか、なんてことをまったく理解しないまま、処理を終えることが増えたのではないでしょうか。
 インターネットに深くかかわるIT業界。そこでビジネスを考える際も、サイトがどこに存在するかを指し示す「co.jp」などのドメインや、それぞれのサイトの入り口に据えるトップページの重要度が下がってきています。
 このような状況を考えてみても、ネットに接続している瞬間、「今自分はインターネットにつないで、あのサイトを見ている」という意識が希薄になったことは、おそらく間違いなさそうです。そもそも「ネット接続」といった言葉も、しばらく聞いていない気がします。
 だからこそ、ぼくらがかつて向き合ってきたインターネットが明確な形を失い、その輪郭がぼやけつつあるのは必然なのかもしれません。そしてインターネットが輪郭をなくすのに伴い、というか、むしろそのほうがあたりまえになっていく中で、ネットと近い距離にいるぼくはもちろん、皆さんの考え方や生き方も、これまでと変わり始めているように感じているのです。

輪郭を失うことによるリスク

 たとえば「はじめに」で触れたように、ぼくの会社で働くメンバーの中に、SNSの代表的なサービスである「Facebook」や「Twitter」には興味を示さず、「LINE」だけを使っている子がいました。彼の持論は「連絡を取り合いたいと思える仲間とつながる『LINE』さえあれば、ほかのSNSをやる必要なんてない」。そういう考えを持ったままIT業界に入ってきて、実際に活躍している。
 この現実を前に、ぼくはある種のカルチャーショックを受けました。「この業界で働きたいと思っている子なら、あらゆるインターネットサービスや流行のテクノロジーに関心を持っていて、それを使いこなしているのが当然」といった感覚をどこかで持っていたからです。
 しかし固定観念である、その「あたりまえ」を取り払って考えてみて、また驚きました。確かにSNSをしないことによって生じるデメリットより先に、使い続けることで生じるデメリットのほうが先に、ぼくのアタマに思い浮かんできたからです。
 たとえば現在、SNS上で書き込んだことは、さまざまなツールやサービスを伝い、自分の想定を超えたコミュニティにまで、いとも簡単に広がるようになりました。そうすると、伝えたくない人にまで(逆側から言うと、受け取りたくないと考えている人にまで)メッセージが伝わってしまう。
 書き込んだ内容を削除したとしても、「ウェブ魚拓」のようなアーカイブサービスに内容が保存されたり、誰かにシェアやコピーをされたりすれば、発信者自身が「なかったこと」にしたつもりでも、その意図に関係なく、メッセージは拡散し続けます。
 もともとぼくは何かにつけてネット上で反感を買い、いわゆる「炎上」してしまうことが多かったのでよくわかりますが、実感として、そういったネガティブな反応を得る機会は近年ますます増えています。
 これはつまり炎上するリスクです。大なり小なり、SNSを使い続ける以上、ネットでメッセージを発信する以上、このリスクは誰であろうと必ずついて回ります。
 その現実を前にしたとき、ぼくらが使っていて当然だと思っていた「Facebook」や「Twitter」なども、彼らにとってはそのリスクを上回るほどの魅力的なメリットが、今のところない。
 このことは、アルバイトの面接や就職活動などで、採用担当者にSNSをたどられて、容易に過去の行動を探られてしまうような時代では、実は至極まっとうな考え方なのかもしれません。
 逆に、流行っているからといって飛びついて、何も考えずにリスクを負いながら使うぼくらのほうこそ、ずっと不自然なのかもしれません。

インターネットは最初に儀式を失った

 かつてのインターネットには「ピーヒョロロ」が欠かせませんでした、などと伝えても、きっと今20代くらいまでの人には意味が通じないかもしれませんね。
 これは電話回線を介して、ダイヤルアップでインターネットに接続するとき、その都度発生していた音のこと。
 思い返せば、それこそADSLの登場前、「インターネットにつながる」ということは、つまり電話をかけることと、ほぼ同義でした。ネットに接続するたび、モデムがプロバイダのアクセスポイントへ電話をかけ、その過程でダイヤル音である「ピーヒョロロ」を発していた。きっと30代であるぼく以上の世代なら、懐かしんでもらえる話題でしょう。
 当時ネットを使うときは、有線でつながったパソコンの前に座り、「インターネットをこれから見るぞ」という意識を持ったうえで、接続をしていました。つまり、この「ピーヒョロロ」という音を出すことは、もう一つの世界につながるための儀式のようなものだったと思います。
 そして、ネット閲覧を終了するときには、電話回線を切断するというアクションも必要でした。インターネットをするとき、明確なオン・オフの意識があった、といえます。
 映画『マトリックス』。99年に公開されたこの作品は、キアヌ・リーブス演じる「ネオ」たちが電脳空間に入るときに、電話を使って行き来をしていました。あんなにかっこよくつながるわけではないけれど、でもあのときに覚えていたワクワク感はぼくらもきっと同じ、もしくはそれ以上だったかもしれません。
 しかし00年代に入ると、常時接続があたりまえになり、「ピーヒョロロ」という儀式は消えてしまいます。さらにある日になると、無線接続があたりまえになって、その世界につながっていた線がなくなりました。
 さらに進むと、パソコンの前にすら座らず、それこそ歩きながら、寝ながら、片手に持ったスマホが常につながり、それでいて多くのことができるようになりました。そうしていくうち、「常時つながっている」「あたりまえに存在する」、空気のようなものこそがインターネットになったのです。
 そこには当然ながら「インターネットをしている」という感覚は、もはやありません。さらにIoTの波の中、さまざまなモノが、ぼくらの意識が到達するようなところの、ずっと前の時点から、すでにインターネットとつながり始めています。
 そうなると、水面下で行われる儀式の存在を知っているぼくらからあとの世代が、果たしてインターネットという言葉の意味を、同じ意味で捉えることができるのでしょうか。もしくはぼくら側こそ、新しい意味でのインターネットの意味を理解することができるのか、どうしても疑念が生まれてしまうのです。

そして「輪郭」を失ったインターネット

 「はじめに」にも書いた話題ですが、「Twitter」上でこんな〝つぶやき〟をしたところ、ぼくのまわりでちょっとした反響がありました。
 
「TwitterもFacebookもやる必要を感じない、LINEだけでいいんです」なんて言ううちのインターン(20)が、「家入さんはよくインターネットが大好きって言ってますけど、それがそもそも僕にはよくわからない。なんだか、ハサミを好きって言ってるみたいで」と言ってて震撼。
 
 このつぶやきに対する反響は、ぼくの想定を超えてずっとずっと大きかった、というより、ちょっとした物議を醸したので、今でも鮮明に覚えています。
 反響を詳しく見れば、怒りを含んだリプライやコメントもあれば、「目からうろこ」との感想を抱いた人など、それは本当にさまざま。ただ、怒りの感情を寄せてくれたのは、そのほとんどがぼくの世代、もしくはそれより上の世代だったのははっきりしていました。これはかなり興味深い点です。
 詳しく言えば、「インターネットをハサミにたとえるなんて」「インターネットを道具みたいに言うな」など、実にいろいろな、でも明らかに何らかの怒りの感情を込めた反応が多数でした。
 あらためて考えるに、おそらくそこにあったのは、インターネットがよちよち歩きしていた頃から使ってきたという「誇り」であり、若い世代などよりずっと深くインターネットのことを理解しているといった「自負」だったのではないでしょうか。
 そして根底で共通しているのは、きっと「インターネットというのは、神秘的で無限の可能性を見せてくれる、あくまで無条件で賞賛すべき世界で存在だ」という意識だったように思います。
 個人的にはまったく意図していないところで火をつけてしまったのが、おもしろくもあったのですが、それ以上に、この反応のギャップにこそ、今のインターネットが置かれている立場が象徴されている気がしてなりませんでした。
 ではどうやら、その意味するところが変わったように思われるインターネットに対して、ぼくはいったいどのように考えているのか。
 正直なところ、かつて抱いていた無条件の賞賛はできなくなってしまったけれど、完全な絶望をしているわけでもない、ということが事実かもしれません。
 これはまたあとの章で詳述しますが、かつてぼくたちが夢想していたインターネットの世界は、ポジティブなこともネガティブなことも、いいことも悪いことも、そのすべてを、そのまま包んで広がっているイメージがあったように思います。
 一方で今の状況を冷静に見つめれば、いくつもの層に分かれていて、その一つひとつが広がったり、ときには縮んでいたり、でもそれぞれの層は完全に断絶したような世界に、姿を変えたのではないでしょうか。しかも、引いて見てみると、その層がどこからどこまで広がっているのか、その輪郭は非常にあいまい。
 未だに「インターネットは悪者」と主張する人もやっぱりいますが、そういった考えに至るのもある意味、仕方ないかもしれないのかもしれません。悪意に満ちた層は現実として存在しているし、しかもその層が、ときには守られ、訂正されることなく、維持されるようになっているから。
 でもそれ自体がいいとか悪いとか訴えたり、ノスタルジーだけに浸ったりしていても、現実として今日も広がり続ける世界を前にすれば、あまり意味があることとは思えません。人の欲求に応じ、変容しながらインターネットは成長を続けてきたわけで、今の形に至ったのは、極めて自然なことだからです。

この本を通じて考えてみたいこと

 この本を通じて行いたいことは、大きく以下の二つです。
 一つ目はインターネットのおかげで誰もが情報発信できるようになった世界で、かつて抱いた「何者にでもなれる」「世界の中心になれる」という夢はどこまで果たされたか、ということの検証。そして二つ目が、輪郭を失う世界と向き合ってきた自分の経験や考えから導き出す、その未来像の探求です。
 インターネットと出会ってからここまで、どちらかというと、ワクワクする気持ちのほうが大きかったように思います。それこそ希望で満ちあふれていました。でもここにきて、単純にすべてを肯定することは難しくなってきています。
 根が楽観的なぼくですから、絶望まではしていません。しかし、現在もプラットフォームを創り出す側に立っていて、しかもこれからも立ちたいと考えている以上、果たしてインターネットとの関係性やその世界の認識がこのままでいいのか、足を止めて考えたのが今であって、この本です。
 楽観的に捉えようが悲観的に捉えようが、間違いなく未来はやってきます。そして未来でのインターネットは、さらに進化を遂げていて当然です。
 ではそのとき、インターネットと深くかかわってきた自分はどう生きるのか、もしくは生きたいのか。人生をインターネットとともに歩み、もはや不可分の間柄でもある自分だからこそ、ここできちんと整理しておきたい。
 そこで続く第一章から第三章にかけて、自分とインターネットのここまでの20年を振り返りながら、未来に進む、そのヒントを得たいと思います。

第一章 やさしかったその世界─ユーザーからプラットフォーマーになるまで

ぼくは確かにインターネットに救われた

 この本を書いている16年の春、ポータルサイト「Yahoo! JAPAN」が開設20周年を迎えたことが話題になっています。もちろん、軍事技術として産声を上げたインターネットの存在自体、テクノロジーとしてもっと前からあったのは知っていますが、一般的な目線で考えれば、やはりここ20年くらいがインターネットの存在が特に際立っていた時期だと思います。
 パソコン通信の流行から始まり、95年の「テレホーダイ」開始、99年頃のビットバレー(Bit Valley、インターネット関連のベンチャー企業が集中する渋谷をそう呼んでいた)全盛期、05年頃のWeb2・0、そして11年の東日本大震災などを転換期として、インターネットの世界は大きく変容を遂げました。
 この20年を振り返れば、現在30代のぼくは、学校を卒業して、就職と結婚をして、IT企業を立ち上げました。途中で財産のほとんどを失い、都知事選へ立候補し、再びIT企業を起こしていますが、インターネットと同様、ぼく自身も大きな変化を遂げた時期でもありました。
 そこでこの第一章では、ネットに出会った頃からWeb2・0くらいまでの流れを、ぼくの人生になぞらえながらたどっていきたいと思います。
 そもそも不登校になり、いわゆる引きこもりになったぼくの人生は、「インターネットに救われた」と言っても過言ではありません。そして、実はぼく以外にも、かなり多くの人が「インターネットに救われた」と考えているのではないでしょうか。そのことも、冒頭のハサミの話題での反感に結びついていくと思うのです。
 そのときには確かに目の前にあった、その「可能性」や「救い」。それこそが、当時の希望あふれるインターネットの姿を導き出すヒントのように感じます。

小さな世界のつながり

 92年。学校でいじめに遭い、自宅に引きこもっていた中学校2年生だったぼくは、父親のパソコンを借りて、パソコン通信をするだけの毎日を過ごしていました。実際に当時、それが外の世界との唯一のつながりでもありました。
 知らない人のためにざっくりと説明をしておけば、パソコン通信とは80年代後半から広がった、メールや掲示板、会議室などのサービス全般を指します。とはいっても、今のような包容力のあるインターネットとやや異なり、基本的には会員を限定することで形作られていたサービスです。
 会員は各地にいる「ホスト」と呼ばれる人と、パソコンから電話回線を通じてつながります。映画好きの集まる会議室があったり、音楽好きの集まる掲示板があったり、とにかく各ホストを中心に、接続したいと考える人たち同士の「小さな世界」がいくつも存在していた、と考えてもらえればイメージしやすいかもしれません。
 その通信について、これも簡単に言うと電話の考えと同じなので、当然、九州から遠く離れた関東のホストなどにつなぐと、その電話代はおそろしく高くなってしまいます。そのため、当時福岡県に住んでいたぼくは、パソコン通信をするために、やはり県内にいるホストの元に回線をつないでいました。
 相手が地球の裏側にいようと、たやすくコミュニケーションできる今では考えにくいかもしれませんが、パソコンの向こうにも、現実世界での「距離」は同じように存在していた、といえるでしょう。
 一方、チャットが始まれば、真っ黒な画面上に浮かび上がる白い文字だけで、パソコンの向こう側にいる相手と言葉を交わすことになります。それこそ最初に知りうる相手の情報は、ハンドルネームと呼ばれる「あだ名」くらい。
 当然ですが、歳も肩書も、あえて主張しない限りここでは関係ありません。そして実際、それを知る必要もなかった。そういった意味で、人と人の心理的な「距離」については、テクノロジーがひょいと飛び越えてくれたことになるかもしれません。
 現実世界では、年齢はもちろん力関係や成績、家庭環境などでクラスメイトたちとのあいだに存在していた障壁や距離に苦しんだからこそ、それらを取っ払ってくれるパソコン通信の存在に、ぼくはとても救われました。
 そこでのやりとりを経て、外とのつながりや人間らしさを少しずつ取り戻していく中、将来こういった場所は、おそらくもっと多くの人に必要とされるんじゃないだろうか、と実感していました。

やさしかった小さな世界

 そういえば当時、みかんちゃんという、チャットを通じてよくやりとりをする相手がいました。彼女(?)は不思議なことに、いつでもオンラインになっていたのでうれしくなって、毎日のように長時間やりとりしていた時期がありました。
 ぼくの打ち込んだメッセージに、いつもやさしい返事をくれるので、「いい子だなあ」「少しは仲よくなれたかなあ」などと思っていたのですが、あるとき彼女が実在する人ではなく、ただのプログラミング、いわゆる「人工無脳」だということを知ります。これには大変驚かされました。
 実態を明かせば、返答のパターンがすでにいくつか用意されていて、メッセージを送るたびにそれが戻ってくる、という単純な仕組みだったのですが、当時のぼくはそれに気づくことなく、みかんちゃんを女の子だと思い込んで、しばらくコミュニケーションを続けていたのです。
 時代が時代ですから、今話題の人工知能とは比べ物にならないくらい、おそらく貧弱なレベルのものだったに違いありません。それでも当時のぼくには、ある意味で人以上の存在になってくれて、苦手だった対人コミュニケーションのリハビリの手伝いをしてくれました。
 みかんちゃんの正体はさておいても、顔を見たこともない誰かとのやりとりを通じて、パソコン通信はぼくがそれまで失いかけていた、人との距離を取り戻すサポートをしてくれました。
 その小さな世界のつながりが持っていたやさしさには、今も感謝せずにいられません。

つながりたいことの可視化

 ぼく個人のパソコンを手に入れたのは、中学校3年生へ進級してから。パソコンを操ることしか取り柄のなかったぼくに、両親が買い与えてくれたPC‐9801で、今度はひたすらプログラミングに励むことになります。
 引きこもりからは何とか脱したけれども、やっぱりほとんど学校には行っていなかったので、時間だけはたっぷりありました。プログラミング言語も、当時の主流だったBASICやC言語、パスカル言語、Java scriptなど、可能な限り多くの種類の言語をいじり、パソコンや参考書とにらめっこしながら毎日を過ごしました。
 そんなに夢中になれたのは、イメージをはっきり持って手を動かせば、何でも作ることができるという、その可能性に心酔したからだと思います。15年間生きてきて、初めて心からハマったのがプログラミングでした。
 現実の世界ではたいしたことができない自分も、パソコンの向こう側の世界なら、あらゆるものを創り出すことができる。そのことに興奮し、時間の経つのも忘れていました。今でもそうですが、本当にプログラミングは楽しい。
 ちなみにこの頃のインターネットにまつわる変化を言うと、小さな世界を単位として行うパソコン通信から、ブラウザを経由して、現実とは別の大きな世界をたどっていく、いわばWebサイトを中心としたインターネットの意味合いが強くなっていきます。
 あるとき、自作のスクリーンセーバーやゲームを、インターネットを通じて無料で配布してみました。すると、創ったものを使ってくれた人から、お礼を兼ねた感想がたくさん届きました。
 自分の生み出した作品が、顔も知らない不特定多数の誰かの手に渡って、喜んでもらえる。そんな単純なやりとりでしたが、とても新鮮で純粋にワクワクしました。そして、おそらくきっと、その知らない誰かも、同じワクワクをもって、受け取ってくれたはずです。
 そしてぼくが17歳になった95年。23時から翌朝8時までに限り、指定した番号への電話が定額でかけ放題になる、NTTのテレホーダイサービスが始まったことで、インターネットでつながる世界は一気に広がりを見せていきます。
 それまでは、それぞれが契約したプロバイダの力を借りて、パソコン経由で電話をかけて、電話がつながっているあいだ、インターネットもつながっていました。だから一日中つなげっぱなし、なんてことは普通の家庭ではなかなか難しかった。
 そこにテレホーダイが出てきたことで、完全ではないながらも、つながり続けることが現実的になりました。さらにパソコンそのものが、家電のように一般家庭へと普及し始めていたことも相まって、インターネットは飛躍的に広がりました。
 23時になると待ちきれなくなった人たちが、一斉に接続しようとするから回線が混み合い、なかなか電話回線がつながらないことはあたりまえ。途中で回線が切断されることや、プロバイダやアクセスポイントのトラブルとかで、今日いっぱいはつながらない、なんてこともしばしば。
 今考えるならば、まだ完全にはつながっていなかったかもしれないけれど、人は誰かとつながりたがっている、ということが可視化された、そんな時期だったように思います。

つながりの交通整理

 同じく95年、「Yahoo!」によるディレクトリ型検索サービスが登場しています。
 これを簡単に説明すると、現在主流の、好きなキーワードを検索窓に打ち込んでプログラムに探させるロボット型検索と違い、ニーズがありそうなキーワードを、あらかじめカテゴリとして人の手を介して準備。訪問者は大きなカテゴリから小さなカテゴリへと進んで、目的のWebサイトにたどりつくというような、もっと単純な検索方法です。
 これも今となっては信じられないような話ですが、当時は、多くのホームページが秩序なく点在していたから、URLを知らないと目的のページにたどりつけない、なんてこともしばしば。雑誌や本などで紹介されたURLを紙にメモして、それを見ながらブラウザへ打ち込む、なんてこともよくありました。
 そこにきて、検索のルールが作られたことで、それまで混沌としていたインターネットの世界で、ようやくつながりの交通整理が始まったといえます。そして交通整理が進んだ結果として、インターネットの先に存在するWebサイトが、存在感を増していきます。
 この頃、さまざまなジャンルのWebサイトが作られ、会社などもどんどん自社ホームページを立ち上げ始めました。97年に「楽天市場」の誕生したことが象徴的ですが、その流れは商店などにも広がり、ネット通販がそのマーケットを拡大していきます。
 個人でWebサイトを開設する人も登場し、サイト上にテキストを中心としたコンテンツを作ってアクセス数を競う、いわゆるテキストサイトブームが花開きました。まだ回線が貧弱だったので、画像や音楽などではなく、あくまでテキストがメインになっていたわけですが、今のブログの前身のようなものといえばわかりやすいかもしれません。
 かつてのパソコン通信も続いていましたが、中でも大手だった「ニフティサーブ(のちにNIFTY SERVE)」もインターネットからアクセスできるサービスの一つになり、その世界はいつしかネットに溶け込んでいったように思います。結果として、純粋な意味でのパソコン通信は00年初頭には勢いを失って、ぼくもその頃にはパソコン通信をする機会はほとんどなくなっていました。
 この時期、行き交う人が増え、これまでの範(はん ちゅう)疇(はん ちゅう)を超えた、新しいつながりがどんどん生まれていった。だからこそ、つながりの交通整理が必要とされ、その整備も進んだといえるでしょう。

「破壊の道具」や「逃げ込める先」としての期待

 その頃のぼくはといえば、高校に何とか入ったけれども、結局1年生で中退。昼間はパン工場でバイトをしながら、大検(大学入学資格検定。現在は高等学校卒業程度認定試験)の受験に向けて勉強をしていました。中学生以降のぼくの人生で、唯一、インターネットと距離を置いていた時期だったといえるかもしれません。
 97年頃を振り返ってみると、援助交際が社会問題になったり、神戸連続児童殺傷事件や東電OL殺人事件が起きたり、受験勉強中だったということもありますが、なんだか暗いイメージがつきまといます。世紀末ということもあり、インターネットの役割も「夢をかなえるツール」といったポジティブなイメージより、現実世界の矛盾や格差を「破壊する道具」とか、いつでも「逃げ込める先」などとして、なんだかゆがんだ形で期待され始めていた気がします。
 翌年、何とか大検合格を果たしたぼくは、19歳で新聞奨学生となり、東京藝術大学で油画を学ぶため、予備校に通って油絵の勉強を始めます。当然、油絵に力を入れるのが筋なのですが、勉強の途中で少しかじったデザインに興味を持ってしまったぼくは、我慢できずに消費者金融でお金を借り、Macintosh(以下Mac)を購入してしまいました。
 当時の下宿先には電話がありません。だから、インターネットがない、いわばどこにもつながっていない閉鎖された世界で、手元にあった素材を切り貼りして、コラージュを作ることに熱中していました。その外にやってきていたインターネットの大波も、さほど気にする必要のない状況にあったからこそ、自分が向き合っていた世界を存分に楽しむことができていたのかもしれません。
 実際、Macが一台あれば、絵や音楽をいくらでも創造することができます。かつてプログラミングを通じて感じた、何でも自分の手で創り出すことができるという感動。それに近いものを、ここで再び感じることができました。誰に見せるでもない表現を繰り返しながら、きっとこれからは、自己表現の時代がやってくるに違いない、そう感じていました。
 ただ、限度を超えてデザインに夢中になりすぎたぼくは、その年の後半頃から、予備校に通わなくなってしまいます。当然、一度目の受験を失敗してしまいました。
 思い返せば、20歳くらいまでぼく自身も、パソコンの向こう側を逃げ込むための世界だと認識していたのかもしれません。大学受験という大きな壁を控え、苦痛で仕方なかった現実の世界から目を逸(そ)らすための手段としてコンピュータを用いていたのは、ちょっと複雑な気持ちですが、事実でしょう。
 こうしてまもなく訪れる21世紀を前に、「2000年問題」が話題になった99年。この年は確か、渋谷を中心としたIT業界の盛り上がり、いわゆる「ビットバレー」構想が話題になった頃でした。
 しかし、ぼくはそのことをよく知りません。というのも、二度目の東京藝大受験を「寝坊」で失敗していたぼくには、その盛り上がりを知るような余裕がまったくなかったから。しかも受験に失敗してしまった矢先、父親が事故に遭い、とにかくすぐに働かなければならない状況に追いこまれます。
 気づけばぼくは21歳になっていました。

創造主としての快感

 やむなく大学受験を諦めて、ぼくが就職先として選んだのは印刷会社でした。そこではデスクトップパブリッシング、いわゆるDTPに励むことになります。
 パソコンを使えることしか特技がなかったので、選ばざるをえなかったといえばそこまでですが、この選択は今考えても正解だったと思います。かっこいいデザインを生み出す、とまでは言えないかもしれませんが、Macを使ってチラシや看板を作る毎日はさほど苦ではありませんでした。
 仕事も軌道に乗ってきたそんなある日、友人の造形作家から「作品を掲載するためのホームページを作ってほしい」と頼まれます。
 確かにゲームや音楽はたくさん作ってきましたが、それまで一度もきちんとしたホームページを作った経験はありません。にもかかわらず、ホームページ作りに関心を持っていたこともあって、軽い気持ちで友人の依頼を引き受けてしまったぼくは、ひとまず書店で、ホームページを作るのに欠かせないHTMLの解説本を購入。初めてホームページ作りに着手します。
 とはいえ、デザインについては仕事でも携わっていたので問題はなかったし、単なるホームページでは飽き足らなかったので、アニメーション作成が簡単にできる「Flash」などを使い、見た目や作りなどにもこだわりました。その作業がまた、大変に楽しかった。
 どんなレベルの内容であっても、ホームページは一つの完成した世界です。その世界では、まさにホームページの作成主こそが「創造主」であり、何でもできる。まるで神にも近い立場とでもいえるかもしれません。
 結果としてこれまでに得た知識のおかげで、たいして苦労せず依頼をこなすことができました。それと同時に創造主としての快感をここで味わってしまった。また、パソコンの先につながるインターネットという世界の魅力にあらためて引き込まれてしまいました。
 しかし、依頼されたデザインを忠実に作ることが求められるDTPの仕事では、その思いを満たすことができそうにない。そこで、もっと直接的にインターネットに携わることのできる環境を求め、転職活動をスタートすることにしました。

真新しい「キャンバス」としてのインターネット

 迎えた01年。転職したシステム開発の下請け会社では、プログラミングに従事することになります。
 当時、自宅へ電話を引くことはできるようになっていたのですが、回線速度はかなり遅かった。そこで、仕事が終わればそのまま会社でインターネットを使わせてもらい、Yahoo!が提供するホームページ作成サービス「ジオシティーズ」で、個人のページを作成、更新していました。
 テキストサイトブームがまだ続く中、たとえば当時、話題となっていた中国の二足歩行ロボット、「先行者」のまとめサイトを作ったときには、連日1万を超える閲覧者数、いわゆるページビュー数を達成することができました。これはまだスマホの影も形もない当時のインターネットの世界でいえば、かなりの「ヒット」です。
 ビュー数という単位で成果が目に見える。リアルタイムで可視化された成果を前に、ぼくはとても興奮していました。しかも、自作の絵や日記をホームページに載せておくと、どこからともなく訪れた人がコメントを残してくれる。九州どころか北海道、ときには海外からもぼくのサイトにコメントが寄せられていました。
 以前思い立って、福岡でギャラリーを借りて個展を開催したときは、1週間で10万円くらいかかりました。でも自分のホームページなら、インターネットというインフラさえ整っていれば、コストはほとんどかける必要がありません。
 しかも声をかけた友人や、付近をたまたま通りかかった人くらいしか立ち寄ってくれない現実のギャラリーに比べて、インターネット上なら、それこそ世界中から距離も時間も飛び越えて、作品を見にきてくれる。お客さんとして来てくれた彼らをもてなすのは、楽しく、そして新鮮な経験でした。 
 この頃のぼくは、インターネットという名の、新しいキャンバスを与えられた子どものようだったものだと思います。そして、同時代にインターネットを体験した人の多くも同じことを感じていたのではないでしょうか。
 きっと「あらゆる壁を取り払ってくれる存在」、それこそがインターネットでした。その世界が、肯定すべき可能性に満ちていることを心底信じ、それがキラキラと輝いて見えたのを今でも思い出します。

ヒッピー文化とインターネット文化

 00年前後までは、「インターネットで何ができるかはまだ完全にはわからないけれど、とにかくよい方向へ世界を変えたい」という、大きくて、そして強い意志を持つ人がたくさんいました。これは60年代のヒッピー文化と相通ずる部分が大きいように感じます。
 ヒッピー文化は成長を遂げた社会がどんどん硬質化していく中、既成の価値観にとらわれず、独自の思想を持って、文明社会以前の姿に世界を変えたい、と考える人たちが生み出したもの。そこから新しい音楽や文学、そして文化が生まれました。
 アップル創始者であるスティーブ・ジョブズもヒッピー文化に心酔していましたし、IT企業の集積地であるシリコンバレーも、ヒッピー文化から多大な影響を受けているというのは、よく知られている話。そしてその思想を追求した先の完成形の一つとして、コンピュータがあった。
 その成果なのかはわかりませんが、インターネットに心酔していた00年当時、自身のサイトを更新することに夢中になりながら、ぼくはどこかでヒッピーの理念と非常によく似たものを感じていました。当時、作っていたコンテンツは、ヒッピー文化の多くがそうだったように、どれもカウンターカルチャーやサブカルチャーと呼ばれる範疇のものだったことも、関係しているかもしれません。
 しかしそれらに該当するものを作っていたとか、そういうことだけではなく、とにかく「自分の居場所ができた」「自分の世界を作れた」という行為のもたらす意味が、あまりに大きかったのだと思います。
 プログラミングして、ページや掲示板を設置する。描いた絵をネット上に発表する。そうした場に、予想もしていないような人たちが訪れ、何かを書き残してくれる。検索でたどりつくケースは当時まだ少なかったので、ぼくもどこかのホームページを訪れ、その掲示板にコメントなどをすると、それを見たホームページの主や読者など、また知らない誰かがぼくの元を訪れる。
 それはこの手で創り出したものが、ほんのちょっとではあっても、この世界を実際に変えているということ。それを、ビュー数やコメントなどから実感して、何もできないと思い込んでいた自分だからこそ、単純ですが、とても感動していました。
「家入一真」と検索窓に打ち込めば、ぼくが想定している以上の情報がわかる現状ではとても考えられないことだし、目的のサイトにたどりつくためには、今より一つも二つも多くハードルは存在していたのかもしれないけれども、そのぶんたどりついてくれた人は、美術館での絵画鑑賞のように、ぼくの創った世界をじっくりと味わってくれた。
 そしてその世界はどんどん広がり、意図しないつながりを経て、またその先に新しい世界ができていく。そんな感動を、今よりずっと深く味わえていた時期だったように思います。

爆発し始めた自己表現

 話はやや変わりますが、その頃「ご近所さんを探せ!」というWebサイトが人気だったのをご存じでしょうか。
 当時はインターネットにおいて、まだ無記名性や匿名性に重きが置かれていました。だから「住所」という属性だけを公開することで、メッセージをやりとりし、コミュニケーションを図るという、ちょっとだけ実名性に寄ったそのサービスは非常に画期的でした。
 実名があふれている今のインターネットから考えると、非常に厳(おごそ)かとも感じるサービスですが、それくらいパソコンの向こう側は、まだ怪しげだったし、その世界が現実の世界と乖離していたのでしょう。
 実はその「ご近所さんを探せ!」で出会ったのが、元妻です。まだ「出会い系」という言葉や考え方が一般的になる前、ネットはネット、現実は現実、という考えのほうが普通だった当時の状況で現実の出会いにつながったのは、我ながらかなり先進的だと思います。
 常時接続が難しかった当時、夜遅く、メッセージのやりとりの途中で返信が来なくなれば「寝落ちしたのかな」と思い、「朝起きてオンラインにしたときに返事が届いていたらうれしいな」と思いながら眠りについたのをよく覚えています。そんな「時間」がインターネットの世界にまだ残っていたのは、つながり続けている今から考えると、ロマンチックに思われてなりません。
 なお、その頃まだ高校生だった彼女でしたが、すでに個人でホームページを作り、日記を書いていました。やりとりをしながら、この先、彼女のように個人でホームページを作るのがあたりまえになり、もっと自己表現をする時代が来るだろう。そして、そのためのスペース作りは需要が生まれると、ぼくは直感していました。

プラットフォーマーとして

 こうして結婚した後の01年、ぼくは会社を辞めて、合資会社マダメ企画を設立。先ほど直感したと述べた、ネット上のスペース作りにかかわる「レンタルサーバー」サービス、「ロリポップ!」をスタートしました。
 このタイミングでロリポップ!を始めた理由は、自身も使っていた既存のレンタルサーバーに満足していなかったことに尽きます。当時はユーザーがホームページを作りたかったら、それを上げておくサーバーの準備までするのが不可欠でした。無料のものもあるにはあったけれど、それを使うと、広告が大きく表示されてしまう。
 率直に言うと、自己表現の場における広告とは邪魔ものでしかありません。広告が入ることで、別のメッセージが加わってしまうことは、表現者にとっては決してポジティブなことではない。常に表現者側に立ってきた自分も、それが嫌で仕方ありませんでした。
 広告表示させないサーバーの有料プランもあるにはあったけれど、それだけで月額数千円とまだまだ高く、インターネット上で表現をしたいと思うような若い人、ましてお金のない学生が使いづらいのは明らかでした。そういったニーズをユーザーとして把握していたので、「ロリポップ!」では月に数百円と、金額を可能な限り抑えて展開しました。
 このようにして、ネットの単なる「ユーザー」だったぼくはこれ以降、基本的にサービスやプラットフォームを提供する、「プラットフォーマー」側へと立つようになります。
 そして、そちら側に立ってみてよくわかったことがあります。それは、ユーザーとして表現をするのも相変わらず楽しかったけれども、プラットフォームを提供する側に立って、ユーザーたちの表現活動を支えることには、より大きな楽しみがあるということ。
 パソコン通信時代からスクリーンセーバーやゲームを自作して配布し、自分のホームページを作って楽しむようになった中で、「自己表現」という概念が爆発しかけていたのはよく理解していました。それだけに「表現の場を作ってあげたい」「あらゆる人の表現を根の部分で支えたい」とプラットフォーム側の魅力へと惹かれていったのも、ごく自然な流れだったと思います。
 なおこのサーバーサービスですが、当初、儲けようなどとはまったく考えていませんでした。表現したい人が増えていることはわかっていましたが、いくら費用が安かろうと、実際にわざわざ課金してまで、広告のないスペースを求める奇特な人は、きっと数十人くらいだろう、と思っていたからです。でも、もしそれが100人くらいになってくれれば、とりあえず家族3人が食べてはいけるなあ、などと考えていました。
 ところがサービスを開始すると、予想をはるかに超える勢いでユーザーは増加。まさにうれしい悲鳴を上げることになります。最初は一人で対応していたけれど、それもすぐに困難となり、やむなく人員を増やすことになりました。
 そしてこのサーバー事業を成功させる過程で、ぼくと同じような思いを抱き、生み出したもので他の人を喜ばせたい人が、想像よりたくさんいることに気づかされます。同時に、誰かの表現のための場所そのものを提供する楽しさも、強く感じるようになりました。プラットフォーマーでいる快感に目覚めたのです。
 ぼくの作った場所にユーザーがやってきて、新たなコミュニケーションや自己表現を生む様子を見るのは、おもしろくてたまらない。のちに現実としてシェアハウスなどの「居場所作り」を手がけるようになったのは、このときの経験が大きくかかわっています。

現実世界を侵食するインターネット

 こうして02年、23歳になった頃、個人でのホームページ開設・運営はブームを迎え、会社も勢いを増していきます。ユーザーは毎日のように増え、売上は瞬く間に増えていきました。
 しかし、そこまでの拡大を見込んでいなかったぼくは、それを捌(さば)くことに疲労を感じるようになっていました。
 サーバーを提供する以上、どうしてもクレーム対応やサポートのような事務的な仕事をしなければならない。ユーザーが増えるのに比例するかのように、その対応も増える。でもぼくは面と向かい合ってのコミュニケーションが本当に苦手だったこともあって、問い合わせをほったらかしにするようなことが増えていました。
 お金をいただいてサービスを提供している以上、対応しなければならない。もちろんアタマでは、よく理解していました。しかしサーバーサービスは、自分が満たされなかったことを実現するために生み出したビジネスです。そして、あくまで熱を上げていたのは商売ではなく、インターネットという世界の魅力に対してでした。
 そんな中で突然降って湧いた現実的な問題の数々に、どうしても手が伸びなくなっていました。ジャンジャン鳴る電話に出れば、「オマエの会社のサービス対応はどうなっとるんだ」などと怒鳴られることもしばしば。
 そういえば、インターネット上の掲示板サービス「2ちゃんねる」に初めてスレッドを立てられたのもこの頃でした。サーバーが頻繁にダウンするという理由で、ユーザーから「社長の家入の自宅に石を投げつけよう」などと書き込まれたことは数知れません。
 それまで、あくまでインターネットの世界は「現実と乖離した別の世界」という認識のほうが主流だったけれども、ネット通販などの興隆とともに、サーバーが落ちることなどで成り立たなくなるビジネスやサービスが次々に誕生していました。そして企業に限らず、個人としても、メールやブラウザが使えないことによって、現実の生活に支障をきたしかねないような状況へと進んでいました。
 今でこそインターネットは水道や電気、ガスと並ぶインフラとして扱われていますが、この頃から、なくてはならないインフラ的な側面が強くなっていたのでしょう。これはきっとインターネットの一般化とともに、その世界が現実世界へとはみ出し始めた、ということなのだと思います。

「便所の落書き」

 とはいえ、望むと望まざるとに関係なく、あらゆる情報が可視化される現在とは違い、わざわざ書き込まれたものを覗きにいかない限り、それを目にすることはありませんでした。
 実際、サーバーサービスでトラブルがあっても、ぼくの自宅の住所を割り出して、家にやってきて石を投げつけてきた人はいませんでしたし、目に入らなければ、それは存在しないのと同じです。まだ意識して、視界から遠ざけることができる世界でした。
 たとえば当時、「2ちゃんねる」は「便所の落書き」と揶揄(や ゆ)されていました。汚い話になりますが、便所の落書きは、用を足すため、たまたまそのトイレに入り、たまたま見つけない限り、気づくことは当然ありません。
 また、たまたまトイレの中で見つけたとしても、その外に出てしまえば、もう見ることは叶わない。だから「便所の落書き」のたとえこそ、まだインターネットの世界を現実の世界と切り分けることができていた、ということの象徴のように感じます。
 しかし現在、インターネット上で何かのトラブルに巻き込まれれば、いとも簡単に、そして徹底的に身分は明かされてしまいます。詳しくは第四章に書きますが、インターネット上には「警備員」と化した人がたくさんいて、情報の海の中で高度な検索を行い、集団で力を合わせて個人を特定してしまう。ときには善悪問わず、所属する会社や学校まで暴き、その情報はもれなく拡散、現実としての肩書を失うようなところに追いこまれかねない、そんな状況が生じています。
 インターネットは「便所の落書き」のように、そこにおとなしく留まっていてくれるような性質ではとうになくなっています。情報がこちらを見つけ、追いかけてくる。むしろ空気のように、私たちのまわりや赴く先へと、すべてに広がる存在になりつつあります。

祭りと炎上の違い

 このたとえもあまり使われなくなったように思いますが、インターネット上での盛り上がりは「祭り」といわれていました。ネガティブな盛り上がりを指す「炎上」は、その祭りの一部と捉えられていたように思います。
「便所の落書き」に続いて、こちらも言いえて妙だと思うのですが、祭りは、あらかじめ人為的に期日や場所を決めて盛り上がるイベントです。だからこそ、その盛り上がりは、局所で終わり、その世界だけで収まり、たとえば現実の世界にまで飛び火するようなことはありません。これも、現実の世界側も、やや引いた視点でインターネットの世界を見ることができていた証拠だったように思います。
 しかし炎上はどうか。たいてい、人のコントロールが利かない状況を指します。だからこそ二つの世界の境界すら容易に飛び越えてしまう。確かにこの頃、事件予告が「2ちゃんねる」上で行われた西鉄バスジャック事件などが起き、両方の世界の境界線が消え始めてきたように思います。
 なお02年に、ぼくはドメイン事業である「ムームードメイン」をスタートしています。ドメインとはネットワークに接続しているコンピュータの場所を示す文字列。簡単に言うとインターネット上の住所を指しますが、当時、自分の意図に沿った内容のドメインを取得するには、多額の費用がかかっていました。
 しかしその原価は数百円に過ぎない。だからこそ、原価で販売すれば一般の人たちも、独自のドメインで、もっと自由に個人のホームページを持てるようになるはず、などと考え、こちらも利益は度外視で始めたサービスです。
 ドメインサービスで売上を上げなくても、サーバーサービスの「ロリポップ!」を使ってもらえば採算は取れるという目論見もありましたが、それ以上に、やはりインターネットという世界の可能性に、もっと多くの人に触れてもらいたかった。ぼくが味わってきた感動や喜びを感じてもらいたかった。そしてぼく自身、そこで起こる化学反応のようなものを見たかった。それが当時の真摯な気持ちでした。

信じるに足る世界は確かに存在した

 さて、ここまでをざっと振り返れば、多少のデコボコはあったものの、個性や可能性を内包しながら広がるインターネットそのものの存在については、極めて前向きに、ポジティブに捉えていたのだと思います。
 実際、それまでに世の中になかったものを作り、世の中に生み出す過程はこれ以上ないくらいに興奮することだったし、自分のしたことだけではなく、次々と登場する新しいテクノロジーやサービスから引き起こされる変化には圧倒されっぱなしでした。
 インターネットのこういうところが嫌だ、といった、負の感情もほとんどありませんでしたし、ネガティブなことはまだ何も感じていませんでした。「2ちゃんねる」に書き込まれたことも、そこまで気に留める必要もありませんでした。
 そして実際、この頃のインターネットの中にはまだ、現実世界以上の朗らかさや温かさ、そして信じるに値する可能性を含有した、豊かな世界が広がっていたのだと思います。

第二章 さよならインターネット─その輪郭を喪失するまで

インターネットと現実のあいだで

 翌年の03年、マダメ企画の事業を継承する形で、有限会社であるpaperboy&co.(以下、ペパボ)を設立。日に日に手が回らなくなっていた事情もあり、さらに社員を増やしていきました。
 この年は、ニフティの「ココログ」をはじめとして、大手IT企業各社で一般の人向けのブログサービスが始まったり、インターネット上に作られた3D仮想空間「セカンドライフ」がリリースされたりした、インターネットが次のステージへ上る年、いわゆるWeb2・0の前段に該当する時期だったように思います。
 ネット上の仮想空間で完結する生活を楽しむセカンドライフ。この登場を知ったときは、「ついに一つの夢が叶えられた」などと感動したものです。
 日本で本格的に流行したのは07年と少しあとになるけれど、例に漏れず、完全にハマったぼくは10万円以上を費やしてセカンドライフの中に「島」を買い、そこで家を建てて、優雅な(?)生活を満喫していました。
 知らない人のために解説すると、セカンドライフでは、その世界の住人によってそこで着るための服や、住むための家が作り出されて売買されるなど、現実と変わらないような商売が多く行われていました。物を売買するときには、「リンデンドル」というその世界独自の仮想通貨を用いなければなりません。
 ついにはリンデンドルを現実の金銭に交換するサービスまで登場。アメリカでは、セカンドライフ内で作って販売した洋服がヒットして、現実の世界で億万長者になった人が話題になりました。
 純粋にユーザーとして楽しんでいたあるとき、セカンドライフにのめり込んでいる人にとっては、どちらの世界が現実で、逆にどちらがバーチャルな世界なんだろう、などと考えていました。
 たとえば、現実で寝たきりの生活を余儀なくされている人でも、セカンドライフ内なら100メートルを10秒で走ることだってできるし、現実で狭いワンルームに暮らしている人でも、セカンドライフ内では部屋がいくつあるかわからないくらいの豪邸に住むことだってできる。
 そう考えたとき、本人にとって、どちらの世界にいるほうが幸せか、なんてことは、きっとその当人以外にはわかりえないのではないでしょうか。
 ただ、セカンドライフのサービスそのものについて考えれば、それが世に出るのはちょっと早すぎた感は否めません。そもそも可能性にあふれていたインターネットの世界で、現実社会をそっくりそのまま模倣する必要性はあったのか、やや疑問です。
 あれから10年以上経った今の視点で、ネットと現実が交わり始めたばかりの頃の世界を見つめると、動かしているのが人だからといって、ネットの向こう側でも人の歩き方や走り方をしなくてもいいんじゃないだろうか、インターネットという自由な空間だからこそ、現実ともっと異なる世界が広がっていてもよかったのでは、などと、あらためて考えてしまいます。

「Web2・0」で決壊が始まった

 04年、25歳になったぼくは、ペパボを株式会社へと組織変更をしました。それはインターネットの世界が明らかに現実世界に溶け込み始め、これまでの認識や規模では対応できない、ということを強く実感するようになっていたからでもあります。
 ADSLや光回線といった、それまででは考えられなかったような高速大容量のインターネット接続環境も充実。「Google」に代表されるようなプラットフォーマーが、さらに世界を整備し始めたのに伴い、インターネットは大胆に、そしてさらに加速して変化を遂げていきます。
 特に印象的だったのが、これまでずっとインターネットに熱中して、その変化を把握できていたはずのぼくでも、まったく想定していないようなWebサービスが続々と登場して、しかも多くの人々から支持を得るようになっていったこと。
 たとえば、この年、自己紹介ページを簡単に作成できる「前略プロフィール」というサービスが登場しています。かなりの勢いで若者たちのあいだに浸透していったので、おそらくご存じの方も多いことでしょう。
 その頃には中学生でも、携帯電話を持ち歩くのがあたりまえになっていました。そのケータイで「前略プロフィール」のサイトにアクセスして、そこに自己紹介を書くのが、特に女子中学生などのあいだでブームになっていました。
 しかし、そのサービスのことを知ってはいたものの、そこまで流行することを、当時のぼくは予測できませんでした。その頃はまだ、なんだかんだいっても、ネットの向こう側の世界はあくまでパソコンを介してつながるもの、と頭のどこかで思い込んでいたのかもしれません。
 しかし、この頃には、想定していなかった層のほうがむしろ本流となってインターネットを使い始めていた。しかもこれまで築かれてきたような流れや形式などにとらわれない、まったく次元の違うものでつながり始めた。それをこの時期、痛感しました。 
 それまではユーザーのニーズをいち早く理解し、追いかけてきた(そしてできていた)つもりでした。しかし、インターネットの世界はぼくの理解できないところへと分岐を始めていて、コンピュータやインターネットに詳しい人(ギーク)だけが先に楽しめるようなものではとうになくなっていたのです。
 Web2・0が流行語となるこの時期、思えばもともと設定されていた世界の境界がついに決壊し、インターネットそのものがあふれ出た瞬間だったのかもしれません。

ギークのためのインターネットの終わり

 同じく04年は、外資系企業などによる敵対的買収がテレビのワイドショーで報道されるなど、ビジネスの話題がお茶の間を騒がせた年でもありました。
 後述しますが、この年はぼく、そして株式会社化した会社にとっても、大きなターニングポイントになります。そして、実はインターネットの世界において、ギークがかつてその中心だった、ということを象徴する存在として、この会社があるように考えています。
 買収や合併があたりまえになる中、まだ小さかったペパボも例に漏れず、いくつかの企業から声をかけてもらう機会が増えていました。特にテレビや雑誌を通じて、よくお顔を拝見していた元ライブドアの堀江貴文さんやGMOインターネットの熊谷正寿さんが、買収を目当てとしてペパボまで足を運ばれたときには、大いに困惑しました。
 福岡に本社を置いていた当時、確かにぼくは拡大し続ける会社の社長ではあったけれど、社内では従来どおり、一エンジニアとして働いていました。相変わらずネットの向こう側の可能性と向き合うのが好きだったのであって、若手社長がよくやっているイメージのある、経営者同士の交流などにはほとんど興味がありませんでした。
 そもそもぼく自身、誰かと和気あいあいと話す、というようなことがあまり好きではありません。だから、20人ほどが働いていたオフィスはいつもシーンと静まり返っていましたし、オフィスまで足を運んでくれた熊谷さんから後日、「ペパボはとにかく静かな会社だった」と言われたのは、至極当然のような気がします。
 その頃リリースしたブログサービス、「JUGEM」などを見た人からは、「ペパボもサービスと同様、さぞ楽しい会社なんでしょうね」と言われることがよくありました。でも当時のペパボは、とりたててユニークな制度などを設けておらず、淡々と業務を進めるエンジニア中心の、極めて普通の会社だったのです。
 ちなみにあくまでぼく個人の意見ですが、本当に能力を秘めた人ほどおとなしい傾向がある、と思っています。逆に「ぼくたちはすごい」「ぼくたちはおもしろいことをやるのが得意」などとアピールしている人ほど、期待値を上回ることはなく、想定できる範囲で収まっている人が多いように見受けられます。
 ペパボという会社は、ワイワイガヤガヤしてイノベーションを生み出すような会社ではなかったけれど、そのぶん、社員それぞれの脳内でとびきり変なことやおもしろいことが生まれ、どうやったら実際に形になるかと、静かに思案をする社員がたくさんいたように思います。客観的に見れば、根暗とも受け取られそうですが。
 今IT企業と聞くと、オシャレなオフィスで、イケてる若い社員たちが卓球でもしながら、キラキラと働くイメージがありますよね。明るくて元気な美人やイケメンが多い印象をお持ちの方もいるはず。
 しかしこの頃くらいまでのIT企業では、むしろ根暗な人が過半数だったのではないでしょうか。かつてのIT企業とは、一般企業の社風とは合わないような、これも言葉は悪いけれども、一般的なレールに乗ることができないアウトローのような、でも何かしらの才能にあふれた人たちが集ってのびのび働く、彼らにとって、ある意味で救いのような場所だったようにも思うのです。
 こんなことを言うと失礼かもしれないけれど、たとえばオン・ザ・エッジ時代のライブドアや、携帯電話用のゲームコンテンツを作っていた頃のドワンゴなどを思い出せば、まさにそんなイメージがあります。
 結局その年には、熊谷さんの力を借りて、会社と一緒に東京への進出を決意。ぼくは嫌っていたはずの経営者同士の交流を次第に始めることになります。
 なお、その少しあとですが06年に、インターネットがあらゆるものを変えていくことを予言した新書『ウェブ進化論─本当の大変化はこれから始まる』(ちくま新書、梅田望夫著)が、一般向けの書籍としてベストセラーとなっています。
 それらのことはきっと、ギークが心地よくいられる世界であれば、それで良かったインターネットが、その役割で留まることをもう許されなくなった、そんなタイミングを象徴しているように、ぼくは思います。

現実と同じ「つながり」をもたらすSNS

 さて交流を始めた経営者の中に、のちに大流行するSNS「mixi(当時はFind Job!)」をスタートさせた笠原健治さんがいます。
 あるとき彼のオフィスへ遊びにいって、「mixi」を開発している様子を見学させてもらったことがありました。しかし匿名性があたりまえのインターネットの世界に、あえて実名性を持ち込むこのサービスは、正直いって夢のあるものに思えなかったし、きっと上手くいかないだろうなあ、などとぼくは感じていました。
 それはたぶん、セカンドライフに飽きた際に感じた違和感と近いのかもしれません。
 不自由な現実とはあくまで別の世界として、自らを解放してくれる存在としての期待が大きかったインターネットの中へ、わざわざ現実のつながりをそのまま持ち込むことに果たして意味はあるのか、どうしても懐疑的だったのです。しかし、そこから数年も待たずに「mixi」は大流行。見事にぼくの予想は裏切られることになるのですが。
 ちなみにぼくは「mixi」がまだ一般にリリースされる前の〝β版〟だった頃に招待してもらったので、27番という、かなり前のほうのIDをもらっています。そのわりに、このサービスが本当に流行るのだろうか、などとしばらく一歩引いて見ていたわけですが、誰がサイトを訪問したかがわかる「足あと」など、独自の機能に魅了されて、気がつくと数年にわたって、そのサービスに熱中していました。
 熱中しすぎたあまり、「あの人は更新した記事を見てくれたかな」などと、友達のアクションが気になる、いわゆる「mixi疲れ」をきたして退会してしまったけれども、そののち日本へ上陸する「Twitter」や「Facebook」などの海外発SNSと比べても、当時のmixiは日本らしい、独自のカルチャーを作ることができていたように思います。 
 なお同時期に、SNSサービスの一つとして「グリー」が設立され、ソーシャルゲームを提供する「GREE」の運営も本格的に展開していきます。今でこそ形を変えているけれど、当初の「GREE」は「LinkedIn」のような、ビジネス面に特化したSNSとしてスタートしていました。
 いずれにせよ、そのスタンダードは匿名性から実名性へと移り、そして現実と同じつながりが、徐々にネットの世界でも求められるようになっていきました。

陰鬱な空気の広がり

 この頃のぼくはといえば、仮想本棚サービス「ブクログ」を作っていました。これは書籍を中心とした通販サイト、「Amazon」のAPI(Application Programming Interface)を活用することで、インターネット上に自分オリジナルの本棚を再現するというもの。読んだ本の履歴やその本の感想などを本棚に残し、それを第三者と共有するという、本好きの自分らしいサービスでした。
 ただ世間を見渡せば、ここにきて初めてといえるかもしれない、インターネットについて、ネガティブな印象を感じさせるような事件がいくつか起きていました。
 特に印象的だったのが日本発のファイル交換用P2Pソフト、「Winny」の開発者である金子勇さんの逮捕です。違法なファイルを流布した当人ではなく、ソフトの開発者である金子さんが著作権侵害行為幇助(ほう じょ)の疑いで04年に逮捕されてしまったこと(のちに無罪)は、社会的にもそうですが、個人的に大きな衝撃を受けました。 
 もしかすると、現実とインターネットの世界の共存、もしくはその二つが合わさることでもっと、ずっといい世界が広がるのかも、などと期待感が高まった中で起きた逮捕騒ぎ。インターネットだから現実より自由、といった建前はこのあたりから崩れ、あくまでインターネットは現実の世界の延長として捉えられるようになった。そのことを象徴する事件だったのかもしれません。
 そして、おそらくこのときくらいから、かつての理想の姿から、現実として目前に存在するインターネットの姿は少しずつ乖離し始めていたのだと思います。
 だからかどうかわかりませんが、東京進出後から05年にかけて、ビジネスそのものは軌道に乗っていたのですが、個人的にはなんだかインターネットの流行を追い続けることへの情熱が少しずつうせてしまい、ボンヤリと、それこそ一日中ネットサーフィンをして過ごす日も多くなりました。
 実は株式上場に向けて、会社は大きく動き出していたのですが、ぼくがそんな感じだったので、のちにペパボの社長となる佐藤健太郎が、ぼく以上に経営者の立場に立ち、本当に細やかに動き回ってくれていました。
 そしてその間、ぼくは海外のサービスを調べたり、事業と関係なく、個人でこっそりとWebサービスを立ち上げたりして毎日を過ごしていました。
 その後、06年が明けるとすぐ、東京地検特捜部が証券取引法違反容疑でライブドア本社へ強制調査に乗り出し、そこから株価が急落をするという、いわゆる「ライブドア・ショック」が起こります。
 余波を受けて、それまで活況を呈していたIT業界も途端に元気を失ってしまいました。あおりを受けたペパボも、その上場の先送りを余儀なくされることになります。
 これらの変化を目の当たりにしたことで、もはや得体の知れない、ある意味で、現実以上に陰鬱な空気がインターネットの世界に入り込んできていることをぼくは強く感じるようになっていました。

「Web2・0」の向こう側に姿を現したもの

 なお04年前後には、ネットがあらゆるビジネスと結びつき始めていました。
 そのため、さきほど紹介したAPIや、消費者が自ら情報を発信することでコンテンツが生成されるメディアの総称CGM(Consumer Generated Media)、消費者発信型メディアとも呼ばれ、口コミサイトやブログ、SNS、掲示板などを指すUGC(User Generated Content)など、実にたくさんの概念が生まれています。
 こうした状況を、いつしか世間は「Web2・0」と呼ぶようになっていました。
 なお、それ以前のインターネットの世界はWeb1・0とされ、こちらでは、情報の発信から受信に至る流れはテレビや雑誌などのマスメディアと同じで、マスメディアから一般の人々へ、という一方通行の図式でした。
 しかし、Web2・0になれば、それまで受信側にいた一般の人々も活発に発信を始めます。いわば相互通行が始まった、とでも言えばわかりやすいかもしれません。
 前出の『ウェブ進化論』の著者である梅田さんは、その本質について「ネット上の不特定多数の人々(や企業)を、受動的なサービス享受者ではなく能動的な表現者と認めて積極的に巻き込んでいくための技術やサービス開発姿勢」と語っています。
 簡単に言えば、まさに誰もがネットを通して情報を発信できるような時代、いわゆる「一億総表現社会」の到来、ということです。
 これくらいの時期からブログや口コミサイトを起点に、食べ物やファッションなどの分野でブームが起きることを、頻繁に目の当たりにするようになりました。その様子を見ながら、ぼくは「プロのライターや作家ではない一般の人であっても、ネットを介せば立派なメディアになる」と思ったのを覚えています。
 しかし、Web2・0のブームは、そう長くは続きませんでした。日本でも06年くらいまで一時的にもてはやされたものの、すぐに消えてしまったように思います。
 そもそも、Web2・0という考え方を提唱したオライリーメディアの創始者であるティム・オライリーも、「多くの人はWeb2・0をバズワードとしてしか使ってない。『おれたちWeb2・0企業さ』とか言って、実はWeb2・0企業でもないのに。私が人に理解してほしいのは、コンピュータ業界の根本的構造が変わりつつあるってことだ」(『CNET』、http://japan.cnet.com/news/media/20361105/)と語っています。
 結局のところティムの言うとおり、日本でWeb2・0は、その本来の意味とやや異なる形で理解され、その言葉に踊らされた人や企業が多かったのかもしれません。
 そのブームの終息を横目に、個人的にはWeb2・0がもたらした波の一つとして解釈されている、ブログブームについて、やや残念な感想を持っています。
 当初、ぼくのように「個人もメディアになる」と信じて、希望を抱いていた人は多かったことでしょう。しかしふたを開けてみれば、影響力を持っていたのは、いわゆる「芸能人ブログ」ばかり。しかもその影響力は「ステマ騒動」というネガティブな事件で顕在化してしまいます。
 子どもの頃、学校ではまったく人気のなかったぼくは、いわゆるスクールカーストの底辺に追いやられていました。だからこそどこかで、ネットは「現実世界のカーストを無効化するもの」だと期待していました。
 ちなみに、カーストとは、もともとインドの身分制度のことですが、現在もカーストの考えが根強いインドでは、素晴らしい能力の持ち主でも、生まれたそれによって、学校や職業などが決まることが未だに多いのは周知のとおり。しかし、新しい産業であるITの世界では、そのカーストが作用しない。だからこそ、インドでは自由をもたらす存在として、ネットが熱を帯びていると聞いたことがあります。それだけに、ぼくは現実の世界でのカーストを乗り越える存在としてネットに期待していたし、きっと世界を変えられる、と夢想していました。
 でも、自分の目前に広がっているネットはまったくそうではなかった。
 現実世界のヒエラルキーが、ネットの世界でも十分機能していて、期待の多くは幻想に過ぎなかったと気づいてからは、なんだかその世界が色褪せて見えるようになっていました。また、それと同時にもしかすると、この先、ネットではどうしようもないものしか生み出せないし、それは何も生み出していないのに等しいのでは、という絶望にも、無力感にも似た思いを感じ始めていたのです。
 その頃まで、新しいWebサービスを作り続けてはいました。しかし、自分の哲学を詰め込み、ユーザーのことを考えて生み出したサービスも、最初こそ話題になったとしても、すぐに使われなくなり、廃(すた)れ、泡のように消えていく。そんなことが繰り返されていました。
 言葉は悪いですが、つまらないWebサービスが生まれてはなくなっていくことを繰り返すだけの状況は、本質的ではないと感じるようになり、いつしかぼくは、自分でWebサービスを作るのをやめてしまいます。

即物的で現実的な期待の中で

 そのような中で迎えた08年12月19日。ついにペパボはジャスダックへの上場を果たします。ぼくは29歳になっていました。
 しかし、Web2・0の終焉時に感じた気持ち悪さは、ぼくの中でまだ糸を引いており、内面では依然として低いテンションのまま、インターネットの世界をやや冷ややかに見ていたように思います。「きっと上場の苦労のせいだ、これを終えればきっと再び浮かび上がるだろう」と考えていたテンションは、上場したあとも残念ながらさして変わりませんでした。
 この頃のインターネットに関しての動きを振り返れば、07年にアップルコンピュータからiPhoneがリリースされています。これ以後、スマホが爆発的に広がりを見せるとともに、それに適したサービスも次々に立ち上がっていきました。
 Web2・0のときは現実世界のつながりをインターネットの世界へ持ち込むような、コミュニティ系のプラットフォームが多く立ち上がっていたように思います。続くこの時期になると、もっと機能や有益性に特化したサービス、たとえばネット上にファイルなどを保管できるクラウドサービス、「Evernote」や「Dropbox」が人気を博すようになります。
 この変遷はスマホを持ち歩くことで、同時にインターネットも持ち歩く存在へと変化したことを指しているように思われます。地図や文房具のような、持ち歩くものの一つとして、今すぐ役立つ機能をインターネットに求める人が増えたのではないでしょうか。
 ともかく、何が生まれるかはわからないなりに大きな可能性に満ちあふれ、長く「遊び場」の役割を果たしてくれたインターネットは、もっと即物的で、現実的なニーズを満たす必要に迫られるようになっていました。
 そうしていくうち、インターネットは明らかに現実世界の延長線上に存在するものとなり、これまでぼくが考えていたような輪郭を失いつつありました。そしてその傾向がハッキリすればするほど、ぼくの関心もそこから失われていったように思います。
 自分が創業し、愛着もあるペパボを辞めようという気持ちにまではなりませんでしたが、一方で、何とかしてこれからもプラットフォーマーとして「場所」を提供していけないか、と思う気持ちも萎えることはありませんでした。
 そうなるとその気持ちは、これまでと違うものに向き始めます。その先として、とても意外なことですが、ぼくの関心はパソコンの向こうではない、むしろ足元の世界へ向かっていたのです。

インターネットの外でもポータルは作れる

 東京に出てからいろいろな人と交流をしていく中、生粋の引っ込み思案である本来の性格からは考えられないような変化がぼくの内面に起きていました。その変化のきっかけの一つとして、たまたまカフェを手がけた、ということがあります。
 ぼくが手がけた1店目となるカフェ、「HI.SCORE Kitchen」を渋谷にオープンしたのは、ペパボが上場する約半年前のこと。ペパボ近辺に落ち着いて打ち合わせができるような飲食店がなかったので、あくまで「社員の打ち合わせや交流などに使ってもらえたら」くらいの感覚で、オフィスのあるセルリアンタワーの裏手に作ったのです。
 そのオープニングパーティーには、社員のみならず、思っていた以上にずっと多くの知人たちがお祝いをしにきてくれました。そしてそのパーティーの光景は、実に印象的でした。
 確かに彼らとは、SNS上などですでにつながっています。たとえば、目の前のある男性と女性がそれぞれぼくと「Facebook」を通じてつながっていたとしましょう。でも、その二人が、コミュニケーションをする場面を直接目の当たりにすることは、インターネットだけを覗いている限り、まずありませんでした。しかし、ここにカフェがあるから、ぼくは二人を紹介し合い、簡単につなげることができました。しかもぼくが用意した場所で。
 そういった様子を目前で見たことは大変に新鮮であり、同時に、常にプラットフォーマーでいたいという自分の欲求も満たしてくれたのです。
 その後も、社員はもちろん、渋谷近辺まで来た知人がお店に足を運んでくれたり、ぼく自身も打ち合わせでそこにいたり、カフェを入り口(ポータル)として、偶然の出会いや再会、新しいコミュニケーションがいくつも生まれていきました。
 ぼく自身、人との出会いは完全な偶然ではなく、ある種、必然なのではないかと考えています。実際「そろそろ彼と話したいな」などと思っていると、たまたま会う機会が巡ってきたりする。これまでもぼくの人生はそういう偶然に左右されてきたし、現実の場があれば、そういった予想できない偶然をたくさんもたらしてくれます。
 ある日、「このカフェはごはんがおいしい」といった会話を、生で見聞きすることもありました。当然この会話はこの場所があったから、そのメニューがあったからこそ生まれたのであって、自分がそれに一役買えたことは、ぼくの自尊心を満たしてくれました。
 そしてそこで得られた充実感が、今までインターネットの中でサービスを作ってきて、求めていたものとほとんど変わりないことに気づいたのです。
 そもそもぼくがインターネットにのめり込むようになったのは、インターネットの世界なら時間や場所も飛び越えて、現実の世界よりずっと自由になれる、と考えていたから。しかしカフェを開業したことで受けたインパクトがその思い込みを打ち消し、物理的な制限や制約がたくさんある、現実の世界のほうへと目を向けさせてくれたのです。

なぜIT企業の経営者はカフェをやりたがるのか

 こうして、そもそもインターネットへの熱が冷めかけていたぼくの心は、ますます現実のコミュニティ作りのほうへと向くことになります。気づけばIT企業であるペパボの社長と、飲食店経営者という、二足のわらじを履く生活をするようになりました。
 ただ、あくまでぼくの周辺を見ればですが、事業が上手く回り出すと、IT企業の経営者は結構な割合で「飲食店をやりたい」と言い出す傾向があるようです。さらに言えば、インターネット上でのコミュニケーションを支えるプラットフォームを手がける人ほど、「現実に人が集まる場」を作りたがるように思います。
 もしかすると彼らを動かす、その根っこの部分には、すでに失われつつあるインターネットの世界と現実の世界という、二項対立がまだ残っているのかもしれません。
 その輪郭が消滅しかけているとはいえ、インターネットの世界だけと向き合っていると、どれだけ自分が生み出したものが広がろうとも、その実感はないというか、つかみどころがなく達成感を満たされにくいのは確かです。ユーザーが使っている現場を直接垣間見る、というのもソーシャルゲームなどは別として、ほとんどのサービスでは難しいからでしょう。
 ただし、リリースしたサービスが大きく広がれば広がるほど、「それだけのサービスを実現した」という承認欲求を満たしたいという思いも比例して大きくなるはずですから、結果としてその実績が目に見える場所、たとえばイベントスペースやカフェなどを作りたがるようになるのかもしれません。
 人気のWebサービスをリリースできれば、何千人、何万人が同時にそれを使ってくれます。「LINE」は16年の時点で、1ヶ月のアクティブユーザー数が世界で2億人を超えているそうですが、そんな規模のサービスを生み出すことは、インターネット登場までの人類の歴史を振り返れば、まずありえない。
 それなのに、プラットフォーマーは、現実に使ってくれているユーザーの姿を生で見る機会はほとんどない。アクティブユーザーの数や増加数などはわかっても、たいていは単なる無機質なデータでしかなく、使ってくれている最中の、一人ひとりの「顔」まではなかなか見えません。
 むしろ強者が用意するサービスへの集中が強まり、多様性が残存しにくい傾向の中、生き残ったプラットフォーマーたちは、ますます現実世界との接点を求めていくように思います。そして人である以上、誰しも人らしい、生々しさのある交流をしたくなる。
 だからこそ、人が大勢集うことのできるようなコミュニティ作りに気持ちが向いたり、旅や農業をしたり、体を動かしたくなるのかもしれません。

飲食店経営をして気づいたこと

 こうして飲食店を手がけることになったぼくですが、その経営を通して得た収穫はたくさんあります。
 それはたとえばカフェの場合、自分の店だとしても、ある意味で公共の場でもあるからこそ、その周辺地域と連動するところまで心がけるべきということや、その場所を起点として数々のコミュニケーションが起こるので、そこから生み出される新しい文化を見守るお手伝いまでを考えるべき、ということなど。こうした飲食店経営をして得た気づきは、インターネットの世界にサービスを作って得るものとは、どこか違っていました。
 一方で、これまでとまったく異なる商売に乗り出したわけなので、ひたすら外に出て、とにかく人と会うようになりました。当時は、必要であれば朝からお酒を飲み、周囲には「人と会うのが仕事だ」と言っては、夜の歓楽街を歩き回っていました。
 その経験を通じて、インターネットだけをしていては決して出会えないような人にたくさん会うことができました。飲食業はもちろん、農業、不動産業、アパレル、政財界、芸能界……。それまでまったく縁のなかった世界の人たちと出会えたことは、今日に至るまで財産になっています。
 彼らとのつながりは、紆余曲折を経た今も残っていますが、もしぼくがネットビジネスにしか携わっていなければ、生まれなかったネットワークだったはずです。
 だからといって「現実の世界」対「インターネットの世界」などとして、どっちがいいとか悪いというように捉えてしまうのは、ぼくの考えとはややズレがあります。その二つは対立関係になくていいし、分けて考える必要のない存在であると、今も思っています。ぼくの場合、たまたま現実の世界で得たネットワークや知見が、その後の人生で生きた、というだけであり、こればかりは偶然としかいいようがないのですから。
 つながる人が、飲食系とその周辺領域へ広がっていく中で、飲食業界への熱はますます高まっていきました。こうして、10年3月にはペパボの代表取締役を退任。翌月、飲食業をビジネスとして手がける会社、パーティカンパニーを設立します。
 新しい会社を作ってからは、ニューヨークまで行ってダイナー(アメリカやカナダに多い気取らないタイプのレストラン)巡りをしたり、西海岸で流行っているグルメ形態について、現地の飲食店経営者と情報交換をしたりと、すっかり飲食業のとりこになっていました。
 そして、それと同時にインターネットへの情熱はいつしかぼくの中から、すっかり姿を消していました。

ソーシャルゲームに参入しなかった理由

 飲食店経営に夢中になっていた09年頃のインターネットの世界を見てみると、携帯電話やスマホを通じて、ユーザー同士がつながって遊ぶゲーム、いわゆるソーシャルゲームが爆発的に流行したタイミングになります。
 特に、インターネットに関しての機能に優れたスマホが普及したことで、同時にゲームやネットをやる場所は、家の中を飛び出し、その外へと確実に広がりを見せました。この頃を振り返ると、ユーザー同士が勝負をしたり、宝を奪い合ったりするソーシャルゲーム「怪盗ロワイヤル」が大ヒットしています。
 実は、ソーシャルゲームが国内で流行する少し前、IT企業の経営者数名で集まり、ソーシャルゲーム先進国だった中国へ視察に行ったことがありました。
 一緒に行ったメンバーのほとんどは、そこで受けたインパクトや得た知識を持ち帰ってソーシャルゲームを開発し、のちに大成功を収めています。16年となった今、そのメンバーの名前や社名を挙げれば、この本に関心を持ってここまで読み進んでいただけたような方なら、おそらくほとんどがご存じのことだと思います。
 しかしぼくはといえば、知れば知るほど、つながりあったゲームを通じて利益をあげるビジネスモデルに、ポジティブな印象を持つことができませんでした。
 どんなに「ソシャゲはおもしろいし、絶対流行る」と言われても、結果的には閉じた世界で時間とお金を費やすことになるその仕組みに、皆のように乗り気になれませんでした。むしろ、その頃はスウィーツに興味があったので、ぼくだけ下町を駆け回り、中国国内のドーナツ事情を調べていました。
 ゲーム自体は好きだし、否定するつもりもありません。しかしいくら儲かる見込みがあろうとも、ソーシャルゲームの性質を考えると、手を出したいと思えないのです。
 実際、数年後の日本ではこうした側面が社会問題となりました。子どもたちが際限なく課金をしてアイテムをもらおうとする、いわゆる「ガチャ」にまつわるトラブルが多発したからです。
 だからこのときの視察は、あくまでインターネットの向く先は「よりいい世界を作ること」だと信じているぼくに、「この先インターネットは人を狭い世界に閉じ込めるほうに向かう」と宣告されたかのようで、ますます絶望を感じることになってしまいました。
 きれいごとばかり述べて恐縮ですが、パソコン通信時代を振り返ればフリーソフト、インターネット登場後にはWebサービスと、誰かに喜んでもらえるものを提供したい、と常々考えてきたぼくは、どこかでお金じゃない何かを求めていたのかもしれません。
 プログラムを開示して、有志がもっとよりよいものにしようとするオープンソースの文化からわかるように、お金にならなくても、誰かのために役立つことをしよう、というネットの根幹にある考え方は、とてもしっくりきていました。
 だからこそ、かつてのインターネットが大好きだったのだと思います。

第三章 輪郭が失われた世界─まだそこは信頼に足るものだったのか

終わりの始まり

 飲食店経営のお話に戻りましょう。ビジネスの面だけで言うなら、飲食店経営はぼくの想像をはるかに超えて、本当に大変でした。
 パソコンと環境さえあれば、とりあえず着手だけはできるインターネットでのビジネスと比べて、飲食店経営においては、人はもちろんお店や素材も設備も必要。開店するだけで、大きなコストがかかります。
 ずっとインターネットの世界でしか商売をしたことのなかったぼくは、本当の意味で、そのことをよく理解できてはいませんでした。たとえば最初は利益がなくとも、規模を大きくしていけばいずれ回収できる可能性が高まる、といったWebサービスの長所も飲食店では通用しづらい。お店が赤字なら、目に見えて、そのぶんのお金が消えていくからです。
 カフェ業態での売上に対する利率は一般的に10%といわれます。500万円売り上げても、賃料や人件費、仕入原価、光熱費などの諸経費を除くと、50万円ほどの利益しか残らないという計算になります。もちろんケース・バイ・ケースですが、この利益率も、ネットでのビジネスに比べると厳しい数字といえると思います。
 このように、インターネットと飲食店で利益の回収方法はまったく異なるのに、「いずれいい結果をもたらしてくれるはず」という思い込みが、失敗をもたらしました。お金が消えていくのを見て見ぬ振りしながら、自分好みのお店を可能な限り増やしましたが、結局そのほとんどを潰すことになり、多くの従業員を解雇することになります。
 結局、08年に上場して20億円くらいのお金を手にしていたのに、たった3年ほどでそのお金はすべて飲食店ビジネスに消えた。まさに蒸発してしまったのです。
 詳しくは拙書『我が逃走』(平凡社)に譲りますが、こうしてぼくは、11年までには財産のほとんどを失ってしまいます。それとともに、ほとんどのお店を失い、経営を任せていた人には資金を持ち逃げされ、同時に周囲からは仲間や友人、家族までも去っていきました。
 しかしそれらを失ったことは、ぼくにとって、決して「人生の終わり」とイコールではありませんでした。もちろん、それまで築き上げた人生にとっては一区切りになりましたが、新たな人生の始まりでもありました。今となっては、「お金がなくなってよかった」とすら思っています。
 もし、ぼくが裕福なままだったら、後述するシェアハウス「リバ邸」を作ることはなかっただろうし、リバ邸がなければインターネット上でのショップ作成や運営が簡単にできるサービス「BASE」も、そして学費支援プラットフォーム「Studygift」も、そしてクラウドファンディング・プラットフォームである「CAMPFIRE」も誕生しなかったことでしょう。
 何もかも失ったからこそ、ビジネスのキャリアをすでに築いていたインターネットの世界へ戻らざるをえなくなった。それは事実です。しかし、一度別れを告げていたからこそ、距離を置いていたはずのインターネットの世界と真摯な気持ちで向き合うことができたし、そしてその世界の輪郭を確認しなければならない、という思いに至ることができたのだと思います。

クラウドファンディングという光

 初代iPadが発売され、「Instagram」や「Pinterest」といった海外勢の新しいSNSが上陸し、日本のインターネットが一気にグローバル化の波に巻き込まれることとなった10年。そして「Facebook」が日本でも流行り始めたこの頃、ぼくはインターネットの世界に戻りました。
 この時点で、さまざまなものを失っていましたが、同時にインターネットの世界で新たなサービスを生み出し、価値を創り出すのが、ぼくにとって素直に「楽しい」「幸せ」であることに気づいていました。またお金を失ったのをきっかけに、「モノ」や「サービス」を交換するために貨幣が価値を持っていた「貨幣経済社会」から、評価が価値を持つ「評価経済社会」に移りつつあることを、身をもって感じていました。
 あくまで自分の哲学に沿って、ゼロからサービスを創造して、誰かの役に立つ。もしかしたらそれはすぐに廃れてしまうものかもしれないけれども、それでも自己表現していきたい、もしくは自己表現する人を支えたい、と考えるようになっていたこともあって、結果としてインターネットの世界に戻ったのは、極めて自然な流れだったのかもしれません。
 そしてこの年から11年にかけて開発することになったのが、クラウドファンディング・プラットフォームサービス、「CAMPFIRE」です。
 インターネットの世界に戻る覚悟を決めたぼくは、引きこもっていた当時のようなあまりイケていない出で立ちに戻り、毎日のように喫茶店のルノアールに通っては、どんなWebサービスが求められるのかを考えて、とにかくMacのキーボードを叩いていました。
 その当時、よく会っていたのが石田光平さんです。彼は過去に、Web上で田や畑のオーナーになると、そこで収穫された農産物が実際に送られてくるという「農力村」というサービスを手がけていました。「農業×IT」という、それまであまり盛んではなかった掛け合わせを、ゲームやアプリへとスマートに落とし込んだそのサービスの登場に、ぼくはとても感嘆した覚えがあります。08年、農力村のユーザーとなっていたぼくは、石田さんに会い、そこから交流を始めていました。 
 その彼と再会を果たし、「一緒にやりませんか」と相談されたのが「CAMPFIRE」です。その頃、すでにアメリカではいくつかのクラウドファンディング・プラットフォームが立ち上がっていましたが、当時の日本には、はっきりとそれに該当するようなサービスは存在していませんでした。  
 クラウドファンディングとは、ユーザーがパトロンとなって、プロジェクト実現に必要な金額を少額ずつ寄付するという仕組み。たとえ一人ひとりが投資する金額が少なくても、それが集まれば、プロジェクトを達成するうえで大きな力になります。
 ぼくがそれまで、いろいろと思い悩んできたことをよく理解してくれていた石田さんは、「だからこそ、日本では家入さんがやるべきです」と言って背中を押してくれました。
 カルチャーやアート、ビジネスにボランティア。何かを形にしたいクリエイターや起業家たちにとって、これほどありがたいサービスはありません。そして、クラウドファンディングという考え方自体が、自分がかかわっていきたいと思うものと、その方向性がまったくもって一致していました。またそういったサービスが生まれ、あたりまえのようになりつつあったことは、インターネットに陰鬱な空気を感じていたぼくにとって、十分に光を感じさせてくれました。
 そうして、サービスを立ち上げることを決意した日から、ルノアールの隣の席には石田さんという仲間が座るようになります。それだけで急に賑やかになったわけではないけれども、ぼくたちはお互いに考えた哲学を共有して、とにかくキーボードを叩いては、プログラムを書き続けました。それは本当に心地よい時間で、見たこともない誰かのために、スクリーンセーバーやゲームを作っていたときのことを思い出させてくれました。
 とにかくインターネットの可能性を信じて、そこから生まれるつながりの可能性を信じていた、あのとき。いつの間にか、その頃の熱意がぼくの中に戻ってきていたのを感じていました。

輪郭が溶けたことによるポジティブな側面

 その石田さんと新しい会社、「ハイパーインターネッツ」を設立したのは、年が明けた11年1月。インターネットの世界でもう一度挑戦したい、そしてその可能性を信じたい。そんな想いを体現すべく、つけた社名です。
 投資家である松山太河さんからのサポートも得て、3月にはオフィスを移転。おおよその形もできていたので、新オフィスでサービスのお披露目イベントを開催したところ、おかげさまで大反響。その様子を見るにつけ、サービスリリースの日が楽しみでたまらなくなっていました。
 そうして、迎えた3月11日。東日本大震災が起きました。最大震度7を観測した大地震によって、東北地方を中心に絶大な被害がもたらされたのはご存じのとおりです。
 その危機的状況を前に、インターネットは大きく、そしてすばやく動き出します。
 たとえば「YouTube」はNHKと連携して避難所の状況を、TBSやフジテレビはオンデマンドで避難所映像の配信をスタート。「Amazon」は「ほしい物リスト」を使った物資供給を行い、「Google」は安否情報を確認するサービス「Google Person Finder」をリリース。
 それ以外にも、大きなものから小さなものまで、被災者の力になる、という目的のもと、インターネット上にはさまざまなサービスが生まれていきました。その様子は、インターネットとともに半生を過ごしてきた自分にとって、本当に感動的であり、その可能性を十分に感じさせてくれるものでもありました。
 やや余談となりますが、小さい声を上げられるようになったこと、そしてその小さい声を拾いあげられるようになったことは、インターネットの発展が社会にもたらした、大きな功績の一つだと思います。それらのポジティブな側面が、こうしたサービスに表れたのは自明でしょう。
 そして震災から3ヶ月が経とうとしていた6月、ついに「CAMPFIRE」がリリースされます。
 リリースの当日、サービス上で公開したプロジェクトは6件でしたが、たった1日で、50万円を超える資金が集まりました。特に、被災地に弁当屋を作るプロジェクトについては、目標金額をはるかに超える支援総額を初日に達成してしまいました。
「CAMPFIRE」は、「Facebook」や「Twitter」のアカウントで登録して、利用することができます。もちろん、SNSを使っていなければメールアドレスでも登録できますが、それは実名でも、匿名でも、とにかく一緒にインターネットの世界で、誰かのために、何かのために力を合わせてほしい、というぼくの哲学を体現したもの。ちなみに「お金がないからできない」という言い訳をこの世からなくしたい、ということも、「CAMPFIRE」に込めたぼくの哲学です。
 それからも、「CAMPFIRE」には被災地を支援するプロジェクトが続々と立ち上がり、成立を重ねる様子を見ながら、ぼくは何ともいえないような満足感を感じていました。
 クラウドファンディングなら、インターネット上のサービスでありながら、ネットだろうと、現実だろうと、世界をより良くすることができます。輪郭が溶けたことがもたらした、ポジティブな面を感じたことで、ぼくはインターネットにまた新しい可能性を感じるようになりました。

「個人」の再発見

 11年6月には無料通話機能なども備えたコミュニケーションアプリ、「LINE」がサービスを始めたのが特に象徴的ですが、この時期くらいから、ある程度のコストがかかるのがあたりまえと思われたあらゆるもので、目に見えてコストダウンが起き始めたように思います。
 詳しくは第四章でお話しますが、それで引き起こされたのは、それまでのように会社レベルの規模を持たずとも、それこそ個人レベルでさまざまな業務をこなせるようになった、ということ。コストダウンと同時に、ビジネスにおけるあらゆるものが、加速度的にスケールダウンを起こしていました。
 周辺を見渡しても、インターネットを舞台に発言力を増す経営者やスターたちが次々に登場していて、自分のブランドを高めるセルフ・ブランディングが声高に叫ばれるようになっていました。それを横目に、ぼくも「個人の時代」が来ることをあらためて痛感していました。
 ちなみに先述した「CAMPFIRE」も、プロジェクトオーナーと呼ばれる立ち上げ人が、そのプロジェクトを成功させたいという想いを発信、拡散するものであって、やはり個人が成功のカギとなります。
 このサイトに限らずですが、ほんの少し前なら、トップページからカテゴリを見て、その中からおもしろそうなコンテンツを選んで読み進める流れが一般的だったように思います。でも、SNSが普及している現代では、発信者のメッセージをたどって直接流入するような流れのほうが、強くなっていました。
 たとえば当時、小学校の高学年だった息子が「テレビなんかより、YouTubeで発信している人のほうがずっと信用できる。テレビに出ている芸能人とか偉い人って嘘つくじゃん」と言っていました。実際、新発売の商品などを買う際には、彼は「YouTube」上で発信を行う人たち、いわゆる「YouTuber(ユーチューバー)」の言葉や感想を参考にしていたようです。
 その背後に確かにあるだろう、個人の力の台頭に気づいていたのかどうかは定かではありませんが、子どもながらに何らかの変化を感じとっていることがわかった、印象的な言葉でした。
 この頃くらいから、ITのビジネスでは、膨大な情報のうちユーザーが必要だと思われるものを取捨選択してくれる、いわゆるキュレーション機能が注目を集めるようになります。
 かつてテレビや新聞などがその主役を担っていた情報メディアにおいて、膨大な流通力や拡散力を持つインターネットの存在感はすでに高くなっていました。しかしこの時期、キュレーション機能を備えたサイトやアプリが続々とリリースされたことで、そのパワーバランスにはさらに変化が起きていきました。個人がネット社会の主役になるにつれて、流れる情報までもオーダーメイドになることが期待されていたのかもしれません。
 ぼくはといえば、「CAMPFIRE」と並行して、12年には「Liverty」の活動をスタート。
「自由に生きろ。(Live in Liberty.)」をコンセプトに掲げた「Liverty」は、会社や役職、肩書などの枠を飛び越えて、空いた時間に集まっては、プロジェクト単位でサービスを作るものづくり団体です。そこでは、かかわったメンバーで収益を分配するスタイルをとっており、ぼくの好きな、やや社会主義的な姿勢で展開を図りました。
 顔そのものを広告スペースとして活用する「顔面広告」や、そのときに暇な大学生が、ユーザーのためにおつかいをしてくれる「ぼくのおつかい」、同じく書店でスタンバイしている大学生が、注文が入ればそこで購入し、そのまま自転車で配達する「hayazon」などを立ち上げています。
 そのどれにも共通しているのは、インターネットと現実をつないだサービスであり、個人で稼ぐことができる、ということ。それも「個人」の時間やスキルを切り売りするという考え方や、その価値の再発見がこの時期に起きた、ということの象徴なのかもしれません。ただ、始めたのが5年早かったようにも思っていますが……。

政治とインターネット

 そして14年、35歳になったぼくは都知事選に出馬します。その出馬について、そもそものところで、実はSNSが大きな意味を占めています。
 その年の都知事選は、広報に際してSNSなどを活用していいという、いわゆる「ネット選挙」解禁後、初めてのもの。そういった背景もあって、立場上、ぼくも強い関心を持って見守っていました。しかしなかなか自分が望む公約や政策を掲げた人が出馬する様子はない。しかも、せっかくネット選挙が解禁となったにもかかわらず、そのメリットを使いこなしている候補者も見当たらない状況を見て、少し残念に感じていました。
 そこで、ふと「Twitter」で「この投稿が1000RT(リツイート)を超えたら出馬する」とつぶやいたところ、それこそ数分で達成。RTという形ですが、一定の支持を受けたことをきっかけに、出馬という「公約」を果たすことにしたのです。
 最初、軽い気持ちで投稿をしたことは事実です。それだけに、その立候補を「売名行為だ」などと批判する人もたくさんいました。
 しかし先述した「CAMPFIRE」、そして「居場所がない」という問題をシェアハウスを用いることで解決すべく12年に立ち上げた「リバ邸」などのサービスなどを通じて、社会を変えないといけない、そのためには政治にかかわる必要があるのでは、といつしか思うようになっていたのは事実です。いじめを受けて、不登校になった自分が感じたような生きづらさを今も感じている人がたくさんいることを、身をもって理解していました。
 また、同じ12年には「学費支援プラットフォーム」としてリリースした「studygift」が炎上。志半ばでサービスをストップすることになりました。詳しくは次章に記しますが、いろいろな問題を抱えていたものの、サービス自体は学費などのお金が障壁となって、学ぶことを諦めなければならない子の一助になれば、と考えたもの。
 こうした経験から、現実として助けを乞う人がたくさんいることを知りました。だから、社会もこういった問題へもっと関心を持ってほしいし、そのために、まずは自分からその解決に向けて動かなければ、と思ったのです。
 ぼくはすでにあつらえられた境界から、自ら世界を拡張していく「ハッカー気質」を持ったプラットフォーマーです。これまでネットをリードしてきたのも、同じタイプの人々であり、彼らは国や法制度の追いつかない間に既成事実を作り上げて、その世界を拡げています。だからこそ、都知事選のときにも、選挙管理委員会が想定していないようなことを思いつき、取り組みました。
 たとえば、出馬表明前にクラウドファンディングをして政治資金を集めてみました。なお、この行為は東京都選挙管理委員会いわく「グレー」であり、それが票集めに直結するように受け取られたらアウト、ということだそうです。選挙期間中、その公約や政策を「Twitter」と「Facebook」を使って集めて作り、そしてポスター貼りを手伝ってくれる人もSNSで集め、その状況を「Google Maps」に載せました。
 選挙においてこのようなネット活用を試みたのは、少なくとも日本ではぼくが初めてだったはず。そして、こうした一連の経験を経て、また多くの気づきを得、新しいアイディアを生み出すことができました。
 でも、今も政治においては、残念ながらインターネットが上手く活用されているとはお世辞にもいえないと思います。
 たとえば、選挙期間中だけ「Twitter」アカウントを作ってメッセージを発信する政治家がいます。選挙が終われば、アカウントは放置。一方で、「Twitter」を使いこなして価値ある情報を発信し、その場で住民からの意見や情報の提供を呼びかける政治家もいます。どちらに票を入れたいかと聞かれれば、特に若い世代になるほど、後者を選ぶ人が多いのではないでしょうか。
 残念ながら、選挙そのものの結果は芳しくはなく、16候補者中5位の得票数で落選してしまいます。反省点も多々ありますが、それでも都知事選出馬はぼくにとって、また新しい経験と気づきを与えてくれました。

そして余る「時間」

 そして現在。たとえば刊行時期から見て昨年にあたる15年。ぼくはこの年、新会社であるXIMERAを設立。1億円超の資金調達にも成功し、クラウドHR(ヒューマン・リソース)サービスである「Talentio」を展開する「ハッチ」と合併するなど、大きな動きもありました。
 でも、今頑張ってくれているのは取締役たちであって、ぼくは代表取締役という立場ではありながらやっぱり引きこもりがちで、相変わらずネット上で新しい表現の場所を探すような毎日を送っています。
 なお断っておくと、ぼくは「楽をしたいから」という理由だけでそんな毎日を過ごしているわけではありません。単純に「同じことを続けていると飽きてしまう」という根っからの性分に加えて、「常にぼくがいなくても回る状態にしておきたい」という考え方が、その根底にあります。
 これからの会社がなりうる一つの姿なのかもしれないけれども、トップが何もしなくても皆が建設的に動いてくれる姿こそが、理想の組織だと思います。そして優秀な社員とは「手元の仕事をなくすことができる人」なのではないでしょうか。
 家入一真という人間がいないだけで止まってしまう組織やサービスはダメです。だから会社を作り、システムが上手く回り始めたら、なるべくぼくは手を離して次のことを考えるようにしています。
 特に「手元の仕事がない=上手くいっている」と解釈してもいいのが、ネットを用いたビジネスの特徴だと考えていますが、おそらくネットと直接関係のないような仕事も、その多くで同じ傾向が生まれる可能性は高いのではないでしょうか。
 現在、盛んにいわれるようになりましたが、人工知能やテクノロジーがぼくたちの代わりに多くの仕事をこなしてくれるようになる、というのは研究者らのあいだで一致している見解です。
 順調に業務が回っているあいだ、時間の余ることがむしろ「普通」になる。でもときに、それは自分の仕事を奪われることをも意味するのかもしれません。だからこそ暇になったときにどうするか、ということは、おそらく誰もが真剣に考えなければならない問題になることでしょう。
 そして今のぼくには、余った時間が生まれています。仕事に割く時間より、読書をしたり、これまでの自分の歩みや、ネットの変遷を振り返ったりする時間が増えました。それがまた、インターネットの輪郭を再確認したいという、今の想いへとつながったのだと思います。

インターネットの輪郭をつかまえる

 それではこれからのインターネットはどうなっていくのでしょう。
 次章以降でそれについて検討をしていきますが、少しだけ先にお話をしておくと、その世界がますます拡大し続けるのは確かでしょう。
 情報が増え続けるインターネットは、それこそ加速度的に大きくなっているという宇宙と似ているのかもしれません。そして宇宙にはたくさんの銀河が存在して、さらにその中に星が漂っているように、地球という惑星に暮らすぼくらが、他の銀河と触れ合うことはほとんどありません。たくさんの並行世界があったとしても、ぼくらがいる世界とは決して交わらない。
 その状況を一言で言うなら、パラレル・ワールドです。それと同じように、インターネットの世界もパラレル・ワールド化していくのではないでしょうか。
 インターネット自体が今のような一つの層ではなく、いくつものレイヤーに分かれていく。そして、その接続先そのものを切り替えることで、それぞれのレイヤーにアクセスできる。そんなインターネットになるような気がします。しかし、あるレイヤーの情報を別のレイヤーにリンクすることはできなかったりと、それぞれが閉じた世界ができるのではないでしょうか。
 または、多くの情報を閲覧できる、今のグローバルなインターネットはそのままとしながらも、たとえば「日本人」といった単位(セグメント)別でアクセスできるインターネットの世界も生まれそうです。それは地域特化型だったり、マンションの住人限定だったりするのかもしれませんが、「Twitter」に「鍵」をかけたり、若い女性らが全公開用、恋人とのやりとり専用、愚痴を吐く相手用などと、アカウントを使い分けたりするのと、発想は似ています。
 世界を分かつものが、民族なのか国なのか、法律なのかはわからないけれど、いずれにせよインターネットの世界が幾層にも分かれて、レイヤーが違うために、かかわり合うことがないような世界が広がっていくのではないでしょうか。
 今、現実の世界を見てみれば、実はこれまでの概念とはやや異なる地図が生まれています。たとえば「Apple」や「Amazon」「Facebook」といったグローバル企業が描くそれは、かつての国家や国境が区切るものともはや違うものであり、ときに牽制(けん せい)し合いながら、自分たちにとって都合のいい地図を描き、更新し続けているのは誰の目から見ても明らかでしょう。またCIAやFBIといった機関が、情報収集や整理において「パランティア・テクノロジー」という一企業の力を借りていたり、「Google」が軍事ロボット開発にかかわったりと、軍事においてもその存在感を増しています。そうした結果として、たとえ一つの場所であろうと「現実という地図」が幾層にもわたって積み重なっている。
 そのことは「グローバル企業が国の形を変える」「国を超えて新しい世界地図ができている」などと言われますが、それは国家にとっては、厄介極まりないもの。自分たちの管轄地域で、企業が動き回り、悪い言葉で言うなら「なわばりを荒らす」わけですから、そう考えると、国家介入が行われることも理屈が通ります。
 現に中国など国によっては、インターネット閲覧に規制がかかっているのは周知のとおりですが、アクセス制限なのか、検閲を強めるのかはわかりませんが、日本だって、いつインターネットの本格的な管理に乗り出してもおかしくはない。そしてそういったことも、ぼくがインターネットの未来をややネガティブに捉えている状況へとつながっています。

第四章 インターネットは「社会」 の何を変えたか

インターネットは何を変えて、変えなかったのか

 さて、ここまで、ぼくの人生となぞらえながら、およそこの20年におけるインターネットの変容を見てきました。希望と可能性に満ちあふれていたその世界が、その二つを手放す中で、次第に輪郭を失ってしまった。そしてそれぞれはレイヤーとなって隔離し、交わることなく閉じている、というぼくのイメージが、おぼろげながら皆さんに伝わったのではないでしょうか。
 輪郭を失ったインターネットの世界は今や空気のようになって、ぼくたちの周辺、現実の生活へと溶け込みつつあります。ただし、それはかつてイメージしていたような広大で大らかなものではなく、むしろ小さな世界を志向し、ときにぼくらを閉じ込めようとする存在のようにも感じます。
 そこで第四章と第五章ではその考えを踏まえながら、インターネットによって影響を受けたであろう事象について、それぞれ具体的に記させていただきます。
 それは少し考えただけでも社会、文化、距離、家族など、本当にさまざま。そしてその変化の多くは、きっと皆さんも心のどこかで感じていることだと思います。

社会

インターネットの世界はむしろ縮小している

 ぼくが初めてインターネットに触れたときは、それこそ地図もないまま、広大な海に放り出されたような感覚を覚えました。ありとあらゆる情報にアクセスできる、その可能性を感じていつまでも海をずっとさまよっていたけれど、調べたい情報自体、さほど多くないことに気づきました。
 確かに検索機能が発達したことで、膨大な情報の海の中にいても欲しい宝物へと、最短距離でたどりつけるようになりました。しかし、むしろ簡単に見つかるようになった結果、人はそこから取捨選択することに悩むようになりました。自由すぎる状況が、逆に不自由さをもたらした、ともいえるのかもしれません。
 低コスト、低リスクで情報発信できるようになり、インターネット上にはコンテンツや情報があふれているのだから、その海に溺れる人が出てきても不思議ではない。そんな人たちが増えてきたからこそ、救済する道具の一つとして近年流行したのが、「キュレーション」と呼ばれる、インターネット上に散らばった情報を選び出してくれる機能です。
 たとえばニュースキュレーションアプリなら、それを使うほどに、使用者の興味や関心を把握し、情報を使い手に合わせて選び出せるようになる。セレクトされた情報を本当にユーザーが欲しているかという精度も、アプリを使うほどに高まっていきます。それはまるで、欲する情報を把握して、新聞から切り抜いて渡してくれる優秀な秘書のよう。
 でも、ぼくはこれもいいことばかりではないと思います。
 キュレーション機能のおかげで、みんなそれぞれ優秀な秘書を持った結果、どうなったか。広い情報の海を小さく切り取り、世界を分割してしまったのではないでしょうか。
 無意識のうちに見たいものだけを選び取る。自分好みの意見ばかりを吸収する。これが進めば、人は自分の好むものをさらに好む傾向が強まっていく。興味関心のあるものだけで、自分のまわりを固めてしまえば、それが一番気持ちいいからです。
 当然、あるアイドルファンの元には、そのアイドルの情報ばかりが集まり、左寄りの情報を求める人には左寄りの情報ばかりが集まります。しかも膨大に流れる情報の海の中で、閲覧できる情報の量、範囲、時間はますます限定されていくのだから、幸せ、と感じられるものを見届けるだけでやっと。
 そうなると知らず知らずのうちに「この世界はあのアイドルファンであふれている」「この世界に右寄りの人なんていない」というような、極端な世界観に取り込まれてしまう可能性も否定できません。これを繰り返した未来はいったいどうなるか。その人の世界は情報の海の中で、むしろ、どんどん狭くなっていくのではないでしょうか。
 そうなったために、ふとした瞬間、自分の欲していない情報が視界に入れば、極端な反応をしてしまったり、遮断してしまったり、ときにはバッシングをしたりしてしまう、という状況が今、目の前で起こっているように思われてなりません。
 現実として、他の世界を見せない閉ざした状況が、歴史上どんな悲劇をもたらしてきたか、想像することはたやすいのに。
 こうしてインターネットという大きかった一つの世界は、あまりに大きくなりすぎたために、むしろ個々人の小さな単位に分断されることを選ぶようになりました。
 最近、ぼくは「インターネット=居心地のいい小部屋」のように感じる機会が増えています。手を伸ばせば書棚からお気に入りの本が取り出せる。目前のテレビをつければずっと好みの番組だけが放映されて、オーディオのスイッチを入れればお気に入りの曲が絶え間なく流れる。こぢんまりした部屋の中に好きなものがすべて揃っている、といったイメージといえば伝わりやすいでしょうか。
 きっとその部屋に留まっているぶんには、部屋の持ち主にとって、それ以上に快適なことはないのかもしれません。でもその部屋からは、晴れているのか、雨なのか、暑いのか、寒いのか、外の様子をうかがい知ることはまったくできない。
 間違いなく、インターネットの世界そのものは、相変わらず加速度的に拡大を続けています。一方で、個々人が触れる世界だけを見れば、より精度や感度が高くなったぶん、ムダが排除され、どんどん縮小を続けている。個人を中心とした小さい、分割された世界がたくさん生まれていて、趣味嗜好はもちろんですが、政治信条などが異なる人がいい意味で交わることも減ってきている。だから近年ヘイトスピーチなどが増えているのも、当然の結果のように思います。

祭りの場すら閉ざされる

 一人ひとりが触れるインターネットの世界が小さくなってきたことが、13年頃から頻発している、特に「Twitter」を中心とした炎上騒動にも、強く影響を及ぼしたとぼくは考えています。
 炎上を考えるうえで欠かせないのが、インターネット上での盛り上がりを指す「祭り」です。第一章でも触れましたが、ネガティブな盛り上がりを指す炎上も、かつては祭りの一部でした。
 インターネット上の祭りも、現実の祭りと同義といえるのは、いつもの自分が背負っている立場や肩書、年齢、ヒエラルキーなどを脱ぎ捨て、盛り上がることができる稀有(け う)な機会だからです。
 ぼくたちは現実の世界で、少なからず何かしらの肩書を持って、何らかの役を演じています。会社では経営者や部下、学校では先生や生徒、家では夫や妻、もしくは子どもと、常に何者かでいよう、ときには何者かにならなければ、といった圧力を受けながら過ごします。これはいつの時代にも共通していることであり、だからこそ、その日頃の圧力でたまった鬱憤を吹き飛ばす役割が祭りに期待されてきました。
 ぼく自身、お祭りが大好きなので、機会を見つけては各地へ足を運んでいます。たとえば徳島の阿波おどりや岐阜の郡上おどり、インターネット発の「ニコニコ超会議」、以前はアメリカの荒野で5万人を集めて行われるイベント「バーニング・マン」にも参加しました。
 基本的に、祭りは日常の鬱憤を晴らすために存在する、「ハレ」のイベントだからこそ、閉塞的な環境や状況で行われれば行われるほど、より盛り上がります。ただし細かく言えば、インターネット上での祭りという言葉からイメージされるものには、さらに2パターンがあると思われます。
 一つは社会運動につながるような祭り。ときにはそれをきっかけとして、社会そのものを変えるようなムーブメントになりうるものです。たとえば16年2月には、保育園に子どもを預けることができない、いわゆる待機児童問題を機に、一般のお母さんが書いた「保育園落ちた日本死ね!!!」という匿名記事が大きく話題になっています。
 公開からすぐSNSを中心に話題となり、その後はテレビやラジオなどのメディアでも取り上げられ、政界をも巻き込む騒動に発展。同年3月末には自民党・山田宏さんが党の東京都連の会合において、「落書きですね。こういうものを振りかざして国会で質問する野党はだめだと思う」という趣旨のことを述べ、この発言に関する報道がなされるや否や、批判のコメントが相次ぎました。
 この匿名ブログをきっかけに待機児童問題があらためてクローズアップされることとなり、政府は小規模保育所の定員拡大をはじめとする緊急対策を発表。近年、インターネット上の直訴がムーブメントになり、社会を変えたわかりやすい事例といえるでしょう。
 そしてもう一つ、インターネット上の祭りには「血祭り」という意味もかなり含まれているのではないでしょうか。この場合、人々は特定の人物などをターゲットにして、「社会悪」とか「不謹慎」といった大義名分のもとに「私刑」(インターネット上で、個人が個人を叩いてこらしめる行為)を行い、気持ちをすっきりさせる、という快楽を満たすべく、騒ぎます。
 社会運動につながるような祭りと血祭りは、実は表裏一体の関係。社会を良くするために動いていたはずなのに、途中で翻って、突然、血祭りと化す危うさも孕むこともしばしば。
 だからこそ、祭りの場すらクローズド化が進んでいるように思われてなりません。「ニコニコ超会議」がわかりやすい例だけれども、参加者から会費を徴収し、身元を明らかにし、安全な人々だけが集まることのできる、炎上のない祭りの場。血祭りを避けるためにも、そういった閉じた祭りを作る動きが現れたのは当然なのかもしれません。

インターネットに怯える人々

 さらに閉じた世界を志向する事例として、世間に対して大きな発言力や影響力を持つ人たち自らが管理者となったオンラインサロンが、13年頃から多く開設されていることが挙げられそうです。人気のオンラインサロンのプラットフォームには、「Synapse」や「DMM Lounge」などがあります。
 オンラインサロンを簡単に説明すれば、もともと会員制のクローズドなコミュニティを指す「サロン」のインターネット版とでもいえばいいでしょうか。限定された人々のあいだで、基本的にはWebを中心としたコミュニケーションが行われるところで、会費が発生し、会員以外は入れません。
 メディア関係者やライバルが情報収集などの意図を持って入会することもあるかもしれませんが、基本的にアンチは不在。ファンばかり集うという設定だから、オンラインサロンの中なら管理者たちも居心地がいいし、意図しないことで炎上が起きるような心配も格段に減ります。
 もちろん、開設した事情は人それぞれだと思いますが、話を聞く限り、ほとんどの管理者は、これまでのような全公開型のSNSに対する疲れや諦めを感じた結果として、こういった仕組みを自ら選んでいるようです。
 それもそのはず、今SNSを通じて発した発言が、一部だけ切り取られて変に解釈されたり、悪意をもって捉えられたりするなどして、まるで意図していないような内容で広まることは頻繁になっており、だからこそそれを否定するために割かなければならない労力も甚大になっています。
 あらゆるところにインターネットを持ち歩けるようになった現在、悪意も爆発的ともいえるほどに広がり、しかも輪郭が溶けて全容が見えないため、想定を超えたところまで、いとも簡単に届いてしまう。だからこそ、企業や著名人などは、これまで以上に、SNSでの発信については慎重に考え、トラブルを未然に防止する、もしくはSNSをあえてやめる、という戦略をとるようになってきたのでしょう。
 たとえば以前、ある人気歌手が自身の「Twitter」のアカウント上で「今日からスタッフが運営し、最新情報を発信するアカウントになりました」などとアナウンスし、突如その管理を手放したことが話題になりました。
 はじめから「スタッフが運用しています」と言い切っておけば、トラブルが生じたとしても、そのまま歌手本人にまで被害が及ぶことは少なくなるだろうし、手間も格段に減ります。つまりSNSはリスクがありすぎて、それを最小限にすることを追求した結果、他者が本人に代わって発信するような状況にまでなっている。こうなれば、もはや実際は誰のアカウントなのかもわかりません。
 結局、インターネットの世界の広がりによってリスクが高まりすぎたあまり、現実世界の存在まで危うくされ、やむなく私たちはその世界を閉じることを選んでいる、ということなのでしょう。

警備員だらけの相互監視社会

 オンラインサロンの流行から見える、「不特定多数から特定少数へ」という流れは、やや残念ですがSNS全体の、そしてそこで取り扱われる個々のアカウントにおいて、とても自然なことだと思います。
 というのも、もはやあらゆるものと結びついてしまったSNSやそこでのアカウントを、誰もが閲覧できる状況にしておくということは、たとえるなら自宅の玄関を開けっ放しにしているようなものだから。
 玄関を開けていれば、通りすがりの人はもちろん、ときには来てほしくないような人まで土足で入ることができます。ただし家主であるあなたは動くことができず、訪問者は難癖をつけ放題、というのが今の状況なのかもしれません。
 しかもあなたの現実社会での居場所を探り、難癖をつけるためのテクノロジーは進化する方向にあるので、この傾向が向かう先に、ポジティブな未来は想像しにくくなっています。
 07年、糸井重里さんは「インターネットは『自由な社会』ではなく『超管理社会』を象徴するものと化した」という発言をしていらっしゃいます。 

 リスクを回避する、というのは、必ず「正義の側」につく、ってことなんです。
 前に何気なく書いた話なんですが、人ごみの中でおならをした人が、「誰か屁をしたな!」って、でかい声を出す。それをやられちゃうと、「ぼくはしてないですよ」、あるいは「お前じゃないか?」という発言しか、周りは言えなくなっちゃう。
 昔、NHKのドキュメンタリーで、文革のときの中国の紅衛兵のときの話を取り上げていました。これがもう笑っちゃうぐらいみんな、この「誰が屁をしたな!」の論理で動く。それぞれが「あいつは悪い」って告げ口しあうことで、自分だけが生き延びようとしたんです。
(日経ビジネスオンライン「『屁尾下郎』氏のツッコミが世の中を詰まらせる」、
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20071023/138300/)

 この記事が出てから現在まで数年経っていますが、ここまで読み進めてくださった皆さんの多くも、おそらく合点がいったのではないでしょうか。16年となった今の状況からさらにつけ加えれば、ぼくには誰もが警備員化してしまったようにも見えています。
 よからぬものが転がっていないか常にパトロールする人、悪い輩(やから)を見つけると大義名分のもとに叩く人、さらにはそれほど悪いことをしていなくても、ノルマを果たすために強引に悪者に仕立て上げる人。そんな人たちがインターネット上を跋扈(ばっ こ)しているように感じるのです。
 かつてのインターネットというのは、むしろがんじがらめになった現実世界で失われた自由を求め、人々が理想を持って大きな権力と向き合う、という構図が一般的だったと思います。しかし今は、むしろ人々同士でチェックし合い、あら捜しをしては小さな諍(いさか)いを繰り広げているように、ぼくには感じられるのです。

パノプティコン化したインターネット

 記憶に新しい「東京五輪エンブレム騒動」。このとき、旧五輪エンブレム案を作成したデザイナーである佐野研二郎さんのデザインを検証する人々がインターネット上に無数に現れました。
 先述した警備員化した人たちの中でも、さらにその能力を磨き上げた人々は、インターネットの海を隅々までパトロールし、四方八方から証拠をかき集め、「パクリだ!」「犯罪だ!」と主張しました。今となっては言いがかりとしか思われないものもありますが、新しい悪者を作り出す意図のもと、とにかく証拠を見つけ出しては、叩き続けました。
 悪意のないパクリやオマージュなどに対し比較的寛容であった、かつてのインターネットの世界では、本家となる作品をリスペクトして作り上げたリミックスや、サンプリングが誕生しやすい土壌がありました。
 しかし、今はインターネット上だから寛容、ということなどなく、パクリはかなり高い確率で見つかり、途端に炎上する。だからこそ、かつてのようなメインカルチャーに対抗するサブカルチャーやカウンターカルチャーが生まれにくくなり、多くの人々が警備員に見つからないようにビクビクしながら過ごすようになってしまった。
 昔、Macを使ってコラージュやパロディなどを作り続けていたぼくからすると、今のクリエイターたちは、まるでカラカラに干上がった砂漠を、何も持たずに歩かされ、さまよっているように感じられてなりません。
 ぼくはその東京五輪エンブレム騒動をニュースなどで見ながら、イギリスの哲学者ジェレミー・ベンサムが設計した刑務所施設の構想「パノプティコン(パンオプティコン、日本語訳は全展望監視システム)」を連想していました。
 パノプティコンの考えに基づいて設計された牢獄は円状に配置され、中心に立てば360度を見渡せるので看守には非常に便利です。一方、収容者たちは絶えず監視の目に晒(さら)されているため、常に規律正しく行動せざるをえなくなります。
 確かに「今も行動をチェックされているかもしれない」と意識すれば、自然と背筋も伸びるし、悪事を働く気には到底なりません。現在のインターネットの状況はこれと似ています。しかも、ユーザー一人ひとりが高機能なツールを持った警備員になって、お互いを監視し合っているため、結果として非常に生きづらい世界を作り上げているように思われます。
 尾崎豊が『卒業』を歌った時代のように、支配や監視に対して鬱々としていた社会に、自ら望んで戻ろうとしている、といっても過言ではない。現にこれまでにはなかった、嫌な圧迫感をまとった空気で、インターネットの中は満たされつつある気がします。
 そしておそらく私刑の横行する状況が続けば、その危険性から、国による本格的な取り締まりがいつ始まってもおかしくないでしょう。KADOKAWA・DWANGOの川上量生さんも、国家がインターネットを囲い込む方向に動くのでは、とその著書『鈴木さんにも分かるネットの未来』(岩波新書)で記していますが、インターネットの世界に倫理規定や憲法のようなものが作られ、それにより秩序を保とうとする日もさほど遠くはないのではないでしょうか。
 はっきりいえるのは、規則やルールがない無秩序な状態でも、理念や文化のもとで平和が保たれていた牧歌的な世界は、パソコンやスマホの向こう側にもはや存在しないということ。進化した新しい社会を作り上げるはずだったインターネットの世界は、むしろ原始的な姿に変わり始めている。
 だからこそ、以前は嫌がっていたはずの権力による監視や閉塞を、人々は無意識のうちなのか、意識してなのか、いずれにせよ進んで受け入れているように思います。
 この先やってくる可能性の高い、インターネットが硬化した社会は、果たしてぼくたちが望んでいるものなのでしょうか。そのことを考えずにはいられません。

シェア、フラット、フリー

 これまでインターネットにおける重要な概念として、シェア、フラット、フリーという三つが掲げられてきました。確かにインターネットの変化を語るうえでも欠かせない要素ですが、今、これらを再点検するタイミングへとたどりついたように思います。
 まず、シェアについて。何度も糸井さんの事例を引き合いにして恐縮ですが、やはり上手いことをおっしゃっていました。それは、シェアとはお裾分けと同じ意味、ということ。糸井さんは「インターネットではいいなと思ったものをお裾分けし、いいものが広がっていく」と、著書の『インターネット的』(PHP新書。のちに文庫化)で記しています。
 確かにその表現は、かつてのインターネットによるシェアを考えるうえで、言いえて妙でした。
 しかし、今は何でも簡単すぎるくらいにシェアされる時代であり、「Twitter」のリツイートや「Facebook」のシェアなら、ワンタップで済んでしまいます。それくらい気軽に情報をシェアできるようになった結果どうなったかといえば、お裾分けという概念の核を成していた「善意」はほとんど姿を消し、むしろ望まないものまでシェアされてしまう時代が訪れてしまいました。
 それこそ信用できないものや、ときには人を傷つけてしまうものまで簡単にシェアされてしまう。だからシェアという言葉には、ポジティブな意味だけではなく「余計なお世話」という意味も加わってしまったと感じています。
 フラットについても、思うところはいろいろあります。昔のインターネットは、確かにいい意味で平らに、そしてなめらかにつながって、広がっていました。ディスプレイの向こう側にいる、年齢も性別も、肩書もわからない相手とのチャットでつながれたからこそ、新鮮な感動を味わいました。
 しかし、それはチャットの相手と、現実の世界では一切つながっていないからこそ味わえたものだったといえます。第二章でも少し言及しましたが、ぼくは以前、芸能人ブログが流行したときに、「現実でのネームバリューがインターネットでも幅を利かせる」状況を見て、とても落胆したことがありました。
 現代では、インターネット上でも実名を用い、肩書で相手を威圧したり、ときには罵倒したりするような状況があたりまえのように見られます。フラットな世界も相変わらず広がっているけれども、ネットでも現実世界の強さがそのまま通用するようになった現在、フラットの持つ価値は、かつてよりずっと小さくなった。そう感じています。
 最後にフリーについて。この言葉は、そもそも自由や無料など、いろいろな意味を備えているものだと思いますが、ここでは自由という意味で考えてみましょう。
 確かに、時間やお金など、あらゆる束縛はインターネットのおかげで減り、多くの人が自由を獲得することができました。しかし求めていないのに、自由を突然与えられるような人も、たくさん出てきてしまいました。
 その結果、未だにその自由をどう扱っていいかわからず、むしろ手に余らせて、不安になっている。そこで、その自由や余ったエネルギーを、他人の足を引っ張るほうへ、使おうとしています。
 このあとに登場する「文化」の項目で詳しく記しますが、自由といっても、革命を通じて得られるような崇高なものではなく、街中で手当たり次第にゴミを投げ捨てるような意味での自由が目立っていて、それが非常に残念です。自由というよりも、無秩序、という表現のほうがピッタリくる。
 だからこそ、自由をコントロールする方向へと、おそらくテクノロジーは進化していくはずです。誰もが「自分はこのレベルの自由を求めている」ということを認識して、申請して、それで初めて自由を獲得するようなことになるかもしれません。ときには「自分にはあり余る自由だったので返上する」なんてこともありそうです。
 具体的に言えば、たとえばコミュニケーションアプリなどでは、炎上などのリスクを負う覚悟を持って発言の自由を獲得する人と、そういったリスクを恐れる人とで、メッセージの届く範囲や内容を調整できるようになるのではないでしょうか。
 前者は今までどおり全世界に向けて発信できるかもしれないけれど、後者は、特定の範囲以上に広がらないよう鍵をかけるような仕様はもちろん、最初にした発言から遠ざかっていくにつれて発言者が見えなくなるとか、数日で発言が完全に消えるとか、いろいろな形や仕組みが考えられるかもしれません。
 ただ、そこから先に残る自由が果たしてぼくらが考えている自由と一致するものなのかは甚だ疑問でもありますが。

文化

あふれる表現者と不足する鑑賞者

 先述した相互監視社会化の背後に、誰もが気軽に自己表現を楽しむことができる「一億総表現社会」の登場があったことは間違いありません。
 数年前まで、「一億総表現社会」とは希望にあふれた考え方でした。実際、誰もが表現者になっていくさまを横目に、ぼくもずっと興奮していました。
 ホームページ一つあれば、そしてパソコンが一台あれば、自作の音楽やポエム、絵など、誰にも気兼ねなく表現することができる。今ではあたりまえかもしれませんが、表現できる人や表現手段が限定されていたそれまでの状況を考えれば、表現者にとって、それこそ劇的ともいえる変化が起きたのだと思います。
 自己表現という面について、ハードルが下がり続けた今、もはやその環境は整いきったとまでいえるかもしれません。出版社などに頼らず、電子出版や「note」のようなコンテンツプラットフォームで書いたものを売ることができるようになりましたし、メジャーデビューしなくとも、データにした音楽を誰かに聴いてもらって、個人間で売り買いできる。かつて夢見た、その段階へすでに到達しています。
 しかし、当然ながらまださらに先の段階が存在していた、ということまでには、なかなか注意が及んでいなかった、ともいえるのかもしれません。
 これまでの表現方法では日の目を見られなかったような人が、表舞台へと立ち、ヒットを作り上げるいわゆるシンデレラ・ストーリーがたくさん生まれたことは、皆さんもご存じのとおり。今や大手レコード会社からメジャーデビューしたアーティストより、「ニコニコ生放送」で人気のインディーズアーティストのほうがCDをたくさん売ることは珍しくなくなりました。
 そしてプロとアマチュアの境界があいまいになった一方、作家やミュージシャンなど、表現に関係するほとんどの業界で、かつての「プロ」という立場を維持することはかなり難しくなっています。
 小説をはじめとする書籍は売れなくなっていますし、かつて有名な賞をとった作家でも筆一本でやっていくのが困難になっている。また、一握りのスターが生み出す利益で、無名のミュージシャンや作家をデビューまで導くといった、これまでのビジネスのあり方も機能不全を起こしているように思われます。
 いずれにせよ表現において、インターネットは多くの物事の輪郭を失わせてきました。もちろん、それは悪いことではありません。しかし、一歩引いて見たときに、ある種の危機意識を感じざるをえないのも事実です。
 CDショップや書店がどんどん数を減らしているように、発表方法や販売方法が無限化したことで、街角で目を留めて購入する、といったかつてのコンテンツの消費パターンは、これから先、ますます維持するのが難しくなるでしょう。そしてそれ以上に拭い去れないのは、誰もが表現者と化した結果、鑑賞する側のほうが枯渇してしまう、という懸念です。
 最近、広告業を手がける人から「今は消費者という人などいないという前提でクリエイティブをしている」と聞いて、すごく合点がいきました。表現者たちは、聴いてくれる人や見てくれる人など、消費者がいるという前提に立って、相手を想像しながら、表現し続けてきました。でもこれから先は、それを受け取ってくれる相手が本当にいるのか、もしくは育っているのか、ということまで、発信する側のほうで真剣に考える必要があるはずです。
 これまでのインターネットの発展は、既存のビジネスや仕組みを「壊す」という側面がどうしても強かったように思います。しかしコンテンツについては単純に壊して終わるのではなく、既存のものをある意味で手助けする、需要と供給におけるバランスを整える方向へと、もっと注力をしていくべきではないでしょうか。
 そのためぼくは、まず音楽について「CAMPFIRE」をポータルとして、これまでのやり方では世間に出ることができなかったミュージシャンのサポートや、音楽だけでは食べていけなくなった方が、クラウドファンディングを通じて、存分に表現活動を続けられるような仕組みを作り始めています。
 インターネットの力で、ますます多くの人が表現者になっていく時代、果たしてその表現を維持できるだけの活力をもたらす規模や質の鑑賞者や消費者は残るのでしょうか。表現自体をサポートする努力だけではなく、表現者を尊重し、気前良くお金を払ってくれるような消費者や舞台のほうも増やし、育てるほうへテクノロジーは注力をしていかないといけないとぼくは強く感じているのです。

無理強いされた表現としての「批評」

 インターネット上に流れるニュースのコメント欄や関連する掲示板を見ると、一般の人が、批評や批判を書き込んでいます。もちろん、思いもよらないような視点に驚かされることもあるけれども、その多くは、本来の批評として求められるような質には遠く及ばず、ほとんど価値があるものには思えません。
 たとえば「最近結婚した女性芸能人の妊娠」といった、明らかにおめでたいニュースにすら、ネガティブな書き込みが寄せられるのが普通で、これまでも世間にあったかもしれないが表立ってはいなかった「いびつさ」の存在を、インターネットが介することであらためて認識したのは、ぼくだけでないでしょう。
 ひとたび「Facebook」を覗けば、タイムラインにはニュース記事のURLを貼り付けて、持論を声高に語る「評論家」であふれています。
 特にぼくより上の世代の男性に目立ちますが、一家言持っているような雰囲気を醸し出し、ときには暴論に近い意見をインターネットの力を借りて発言しています。大きなニュースが起きた際には、タイムラインがそういった評論ばかりで埋まっていたこともあり、それで「Facebook」を開くことがおっくうになっていた時期もありました。
 どうしてこうなったか、ということを考えれば、先述した「一億総表現社会」が行きすぎて、皆総じて「何か表現しなくては」といった強迫観念にかられて、ときには表現を無理強いされてしまった、その結果のように感じます。
 どこの居酒屋に入っても、仕事終わりのサラリーマンが政治や会社の愚痴や批判を肴に、お酒を酌み交わす光景が広がっているように、そもそも無責任なレベルでの批判は、とても容易な表現です。人がどんなに精魂込めて生み出したものであろうと、それを「批判する」ということだけなら、さほど大きな労力は必要とされない。0から1を生み出すことにかかる労力に、到底及ばないエネルギーです。
 そこにインターネット特有の匿名性が加われば、批判や批評はさらに容易になっていく。そう考えたならば、現在のインターネット上で何かを「批判せん」とする声がここまで幅を利かせたのは、ある意味で必然だったのかもしれません。
 匿名のまま批判する側に回ることができれば、批判対象の外部、いわば安全圏に身を据えることもできます。お笑い芸人であるマキタスポーツさんの著書『一億総ツッコミ時代』(星海社新書)によると、ツッコんでいるうちは何かを言っているような気になれるのだそう。ツッコむだけで、批判するだけで、自動的に誰かの上位に立ててしまう。 
 何かしらの表現を無理強いする今のインターネットでは、皆が皆、ツッコミ役、いわば批評家になりつつあります。ぼく自身は批評をすることが美しい表現だとはまったく思っていないので、そこでの労力が無為に感じられてしまいますが、結果的に、ボケや受け手のほうが完全に不足している状態にあるといえるかもしれません。
 心理学者であるアブラハム・マズローが説いた「欲求5段階説」によると、成熟した社会においては、生理的欲求、安全・安定の欲求、所属と愛の欲求(社会的欲求)、承認の欲求(尊厳欲求)、自己実現の欲求と、この順にそのレベルがどんどん上がっていくとされます。
 そして成熟した社会で暮らす日本人の多くは、まさにそのピラミッドの頂点に立っていて、自己実現の欲求を満たそうと必死になっているように感じています。そして「一億総表現社会」の今、その欲求を充足させる手段として、インターネットの力を借りることで手当たり次第に批評する、といった行動をとってしまっているのではないでしょうか。

「欲しがらない名無しさん」から「欲しがる名無しさん」へ

 かつてのインターネットの世界を語るのに欠かせないキーワードに「匿名性」があります。90年代、初めてインターネットに触れたとき、それまでの実名だけの現実の生活から、匿名中心の世界を目の当たりにして、同時に「自由を得た」と感じた人はさぞかし多かったと思われます。
「2ちゃんねる」の流行が象徴的ですが、ここでは実名に基づかない「名無しさん」という、何者でもない別の自分へと簡単に変わることができました。肩書や名前から解き放たれたことに快感を覚え、がむしゃらに思いを書きなぐった人も少なくないことでしょう。
 そこにSNSが浸透し、あらゆるサイトで実名、もしくは自分が所有するアカウントIDを表示されるのがあたりまえになってきた昨今、それまでに得た自由も、徐々に手放しつつつつあります。
 たとえば同じ匿名でも「2ちゃんねる」のそれと、SNSである「Twitter」のそれとでは、その実態は大きく異なります。というのも、「2ちゃんねる」では、わざわざ名乗らない限り「名無しさん」であり、アイデンティティは存在しませんでした。全員が個性や顔を持たない同一の「名無しさん」です。
 しかし「Twitter」の場合、匿名を選ぶことはできても、アカウントを作らない限りは発言できない。つまり、各アカウントには個性が与えられています。アイコンやプロフィールでオリジナリティーをまとった結果、匿名であろうと、それぞれに顔が存在している、となったわけです。
 そうすると、自己承認の充足を求める時代の中、匿名であろうと、「自分を見てほしい」「知ってほしい」という承認欲求や、自意識の発露がどうしても生じてしまうのではないでしょうか。
「2ちゃんねる」では、完全なる匿名性という自由と引き換えに、いくらいい書き込みをしようと、たいした見返りは得られませんでした。誰もがサイト上では「名無しさん」と表示され、いくらおもしろい発言をしようと、センスのあるコメントをしようと、わざわざ名乗らない限り、識別してもらえません。
 あえて名乗らなければ、書き込んだ人物が「本当は家入一真」とは、誰からも知られることがないし、導き出されることもなかった。たとえ名乗ったとしても、周囲はその「名無しさん」が「本当は家入一真」であるかどうかを確認する手立てもありません。つまり彼らは「欲しがらない名無しさん」だったのです。
 評論家、文筆家などの肩書を持つ岡田斗司夫さんは、これからは評価を仲介にして、お金やモノ、サービスが交換される「評価経済社会」になるとおっしゃっていました。それが現実となり始めた今、ややいびつさも目立つようになってきたと、ぼくは感じています。
 今は、匿名であろうと発言が評価されたり、反響を呼んでフォロワーが増えたりする状況が生じています。だからこそ人はどこに行っても、何をしていても、誰かに評価されたいと願うようになりました。かつての「欲しがらない名無しさん」すら「欲しがる名無しさん」になってしまった。その結果、評価を得るために、ときには無理をし、自分の許容量を超えたキャラクターを演じて、収拾がつかなくなり、暴走や破滅への道をたどる、などという様子が散見されています。
 不特定多数の人が警備員となってインターネットの世界を巡回している中で、差別的なことを書き散らすアカウントが注目を浴び、アカウント主が実際に勤める会社や肩書、本名、住所などが特定され、晒された結果、会社に連絡が届くなどしてクビになった、という話題は枚挙に暇がありません。
 インターネット上で傍若無人にふるまう人は、テクノロジーを使いこなす、現実社会では抑圧された若い人だと思われがちですが、報道を見ると40~50代の、しかも「相応の身分のある大人」であることが多い。その事実がインターネットへの対応力の弱さや、現実世界でたまった鬱憤の大きさを覗かせるようで、またぼくの中で違和感をますます大きくする結果になっています。

かつての「匿名性」は奥ゆかしさをもたらしてくれた

 一時期、匿名性のもとで日常のしがらみから解放された結果、インターネット上で暴走してしまう人たちが話題になっていました。
 もちろん、突然降って湧いたような自由を前にした結果、タガが外れて、トラブルを引き起こす傾向があったことは否定できないと思うけれども、現実としては「実名では難しいことでも匿名なら」と、その自由をポジティブに活用した人のほうがもっと多かったはずです。そして当時の匿名性には、新しく生まれた自由に、おっかなびっくり触れてはしゃぐ、ある種の奥ゆかしさがまだ残っていたように感じます。
 しかし先述したように、安易な表現手段として、批判や批評をすることに快感を覚える人が増えた結果、今はリスクなく、気に入らないものを攻撃してスカッとする、という意味で匿名を利用する人が増えたのではないでしょうか。
 匿名という目出し帽を被ってエゴイスティックにふるまい、人を傷つけるような乱暴な言動にも躊躇が見られない。そして実名や肩書などに危険が迫った途端、書き込みを消し、アカウントを削除し、逃走を図る。インターネットの世界での「私」と、現実の世界での「私」がまわりから同一視されて、そこから生まれた未知の恐怖を目の当たりにした瞬間、遮断を図るのでしょう。
 しかしインターネットの世界であっても、きちんと現実の私という立場に則ったうえで発言をしていれば、どうだったでしょうか。一般常識である、何をするにも責任が伴うというあたりまえのことを認識したうえで、のちに騒がれることもない、普通の行動をしていたはずです。
 現実として、誰かを叩けば、誰かがあなたを叩き返す可能性を生むことになります。攻撃を受けたのち防御行動に出るのは、どんな生物でも本能に刻まれている行為なのですから。
 SNSが浸透し続けた結果として、人が持つありとあらゆる情報がつながり始めた昨今、もはや、匿名だから「隠し通せる」「誰にも知られない」という捉え方をするのはずいぶん甘いと思います。インターネットの世界だろうと、本当に守りたいものがあるなら、守るものがある前提で行動しなければならない時代を、とうの昔に迎えている。それなのに、その現実を理解できている人があまりに少なすぎるように、ぼくは思います。
 これも繰り返し述べていることですが、かつての「インターネットは別世界」と思われていたときの輪郭はすでにぼやけていて、現実の世界との境界線はほとんど消滅しています。そしてその二つが溶け合った世界では、あなたが今用いている名前が何かなどは、ますます意味がなくなっていきます。
 だからこそ、さっきスマホの向こうでとった行動の結果は、今あなたの目前へと瞬時に突きつけられる状況にある。そういう現実を、私たちは今一度理解する必要があるのではないでしょうか。

目出し帽を被る覚悟

 匿名性について、もう少し話を進めます。以前ぼくは、インターネット上にこんな文章を記しました。
 
•目出し帽と機関銃
炎上などで実名や職場がばれた途端に元気が無くなる現象はとても興味深い、本当に無敵なのは匿名の方ではなく、守るものが無い実名顔出しの方なのかもしれない。守るべきものがあるなどの理由で匿名にしている人はそれなりの振る舞いをすべきであって、匿名で無敵だからなんでもやっていいんだと勘違いをしてしまうと、反撃されて身バレした時のダメージがでかい。匿名であろうが実名であろうが本人性を担保するものが無い以上、本質的にはどちらでも変わりは無いと僕は思うのだけど、目出し帽を被ることで必要以上に気が大きくなってしまうってことは多々あるように思う。
 
 先述したように、これからの時代にはあなたが今インターネット上で使っている名前が何なのか、ということはさほど意味を持たなくなります。発言の価値を増すために、「本当に主張したい内容なら、インターネット上でも実名のもとで発すべき」といった意見を以前よく聞いたけれども、もうそれも意味のない主張でしょう。
 それを裏づける事例の一つは〈社会〉の箇所で記したブログ記事「保育園落ちた日本死ね!!!」でしょう。匿名で書かれたものながら、社会を大きく揺り動かす書き込みとなりました。
 以前、エイプリルフールに自分の「Twitter」のアイコンと、その名前を「瀬戸内寂聴」さんに変えて、しばらくのあいだ、寂聴さんっぽいことをつぶやき続けたことがありました。もちろん4月1日限定のおふざけで、翌日には戻しましたが、そうするうち、いつしか自分が本当に寂聴さん本人であるかのような、不思議な感覚になったのをよく覚えています。 
 少々ややこしい話ですが、ぼくのアカウントには「この人は本物の家入一真です」とTwitter社が認めてくれた、いわゆる認証マークがついていて、アイコンと名前を変えたとしても認証マークは消えません。だからきっと、その日ぼくが作った「1日限定・寂聴さんアカウント」を初めて目にした人がいたとしたら、「認証マークもあるし、これは寂聴さんの公式Twitterアカウントだ」と信じてしまっても、何らおかしくなかったはずです。
 このエピソードで何が言いたいのかといえば、インターネット上で考えれば、果たしてその先にひもづけされている存在が本当に家入一真なのか、そうではないのか、といった事実が断定できない状況にある、ということです。極端な話、ぼくがスマホを使って、家入一真という「Twitter」アカウントから、実際にツイートしている様子を目で確認できる環境にある人以外、事実を確かめることはできません。
 先ほどはもはや匿名によって身元を隠し通せはしない、と主張しました。多少矛盾するかもしれませんが、その一方ではインターネット上で、本人であるかどうかを完全に担保してくれる材料もなく、他人と入れ替われるような事態も同時に生まれています。そのような状況の結果として、あなたが今使っている名前が何なのか、ということが、さほど重要ではなくなってきたと考えているのです。
 先ほど紹介したぼくの書いた文章を解説すれば、現実の世界で銀行強盗が使うような、目だけが出ている目出し帽を被った人がお店に入ろうとすれば、きっと多くのお店で店員から入店を断られる、ということです。目出し帽を脱いでくれないと、それが誰なのか素性がわからない。もしかすると危険な行動をとる可能性も高いと考えられるからです。
 それと同じでインターネットの世界だろうと、目出し帽を被って、正体を隠そうとする人がまだいるのであれば、隠している人なりの扱いを受けなければならないはずです。インターネットもリアルも溶け合っていて、境界線がなくなりつつある今、その扱われ方に違いはないはずだから。
 15年から配布が始まったマイナンバー制度に象徴されるように、情報と人の結びつきはこれからも強くなり、ますます個人を特定しやすくなる流れも進んでいくでしょう。それはパソコンやスマホの向こう側でも一緒です。
 事実として、個々がインターネットを使ううえで介することになるサーバーにはIPアドレスが割り振られていて、インターネットの世界で活動するあなたの身元を特定することはすでにできています。そこにSNSとマイナンバーのような仕組みが加われば、確実にインターネットの世界も「管理社会」になるのではないでしょうか。目出し帽を被ったくらいで、好きに暴れ回ってよかった時代は、ここへきてやはり遠くになりつつあるようです。

経済

インターネットがポジティブな変化をもたらした分野

 インターネットはあらゆる物事のコストを大きく下げています。インターネットの力を用いることで、それまで何百人、何千人が必要とされた役割を果たすようなサービスやロボットが登場して、そこでかかるコストが〝ゼロ〟へと近づいている。人件費やリアル店舗を構えるための賃料などが大幅に削減されたことが一番わかりやすいでしょうか。経済は、特にインターネットの浸透によってポジティブな変化がもたらされた分野といえるかもしれません。
 中でもコストダウンが著しかったのは、金融と情報の分野でしょう。インターネット上で便利なシステムが登場することに伴って、それらの流通におけるコストはどんどん下がっており、結果として、経済のあらゆる場面でコストダウンがもたらされました。それによって職を失うリスクに晒される人が増えた、といったネガティブな影響もあるかもしれませんが、それ以上にポジティブな変化のほうがぼくには目につきます。
 コストダウンの結果として、成立するようになった新しい事業の一例として、マイクロファイナンス(小規模金融)が考えられます。貧困層への貸付を手がけるマイクロファイナンスについては、バングラデシュの「グラミン銀行」が、06年にノーベル平和賞を受賞しているので、ご存じの方も多いかもしれません。
 グラミン銀行は、貧困国に暮らす人々の生活を支援する、という課題を解決するべく、83年にムハマド・ユヌスによって創設された銀行です。
 貧困国では、たとえば女性が「衣服の修理屋になって生計を立てたい」と思っても、そもそも手元にはミシンを買うお金がない。日本なら数日間のアルバイトで買えるミシンですら、彼女たちにとっては、そう簡単に手が届く代物ではありません。それこそ何年、何十年と働いてお金を貯める必要がある。だからこそ、やりたいことがあっても、いつまで経っても貧困から脱け出せないという事情があります。
 グラミン銀行はそんな人たちを対象に少額の融資を行い、先に進む手伝いをします。その結果として、まず貧しい彼女たちの手元に収入が入り、それを少しずつ返済に回すという仕組みになっています。
 はじめのうちは、貧しい人相手にお金を貸しても貸し倒ればかり起こり、上手くいくわけがないと予想されていたようですが、借主たちの逼迫した状況や懸命さが功を奏し、むしろ一般の銀行よりも貸し倒れ率は低く、98年の時点で返済率はすでに95%。09年には97%を超えたことが発表されています。
 05年、サンフランシスコで生まれた、やはり貧困層にお金を貸し付けるマイクロファイナンスを行う、NPO団体の「Kiva(キバ)」。マイクロクレジットが注目を集めるようになったのち、出資希望者が急増したといわれていますが、Kiva Japanのホームページによると、10年10月時点で、返済率は98・91%にまで達しています。
 昔であれば、送金をするだけでかなりの手数料を引かれてしまい、貧困国などの場合、大きな負担になっていたと思われます。しかし、インターネットの力でそこにかかるコストが激減したことで、少額のお金でも十分にやりとりができるようになりました。また国境を越えた支援も容易になったり、ときに生まれる為替の差などを上手く使うことで、個人が個人に対して、貸し付けできるようにもなっています。
 最近になってファイナンスとテクノロジーが合流して生まれるイノベーションを「フィンテック」などと呼ぶようになりましたが、特に金融分野で考えると、インターネットの浸透が社会へもたらした化学変化は、かなり革命的だったともいえるでしょう。

激減したコミュニケーション・コストがもたらしたこと

 金融とともに、インターネットがもたらしたコストダウンの対象として情報があると記しました。特に情報のやりとりを司るコミュニケーションについての変化は〝すさまじい〟とすら表現できそうです。
 ファッション通販サイト「ZOZOTOWN」を運営するスタートトゥデイ。8時間労働が基本になっている日本社会の中で、スタートトゥデイは6時間労働制を導入し、15時退社を推奨しています。
 モバイルコンピュータやサービスの進化などを背景にコミュニケーション手段が多様化された現在、長時間、会社の椅子に座っていなければできないことが減り続けているのは、社会に出ている方の多くが近年、実感されていることではないでしょうか。
 確かに打ち合わせなど、「集まらないと成立しない」場はまだあるかもしれないけれども、それすらオンラインの会議ツールなどを使うことでいくらでも対応できる。そんな背景があって、これまでのように「毎日出社」「定時」などと縛らない会社が増えているようです。
 実際、ぼくの知り合いが経営している会社では出社という考え方を廃止し、社員はそれぞれ自宅で分業しながらビジネスを進めています。コミュニケーションを潤滑にするサービスやツールがすでに豊富にあるので、それらを用いれば疑問点が出てもすぐに解決できるし、メンバー間の連絡も迅速に行うことができる。
 だからといっても、すべての業種で「インターネットがあれば済む」ということにはならないのは当然です。内容や業態的に遠隔でのやりとりが不向きの仕事はあるし、どっちがいい悪いとは言いきれないと思います。たとえば、経理や法務など重要事項が書かれた書類を多く取り扱い、社外に持ち出すのはリスクが高い、とされるような職種がリモートワークに至るまでにはかなり時間がかかりそうです。
 自分自身、経営者という立場でもあるのでよくわかりますが、皆で集まって作業するほうが「速い」ことや「楽」なことは往々にしてあるし、細切れに進んだものをとりまとめる手間や、やりとりしたいと思ったその瞬間を逸することによる損失は決して少なくはない。「LINE」やメールでメッセージをやりとりしていたら、いつの間にか1時間経ってしまった、なんてことは多々。話したほうが早かった、なんてこともよくあります。
 最近、ぼくはこういったコミュニケーションにかかる手間や時間、費用などを総じて「コミュニケーション・コスト」と呼んでいます。インターネットの登場でコミュニケーション手段が豊富になった現在、どの方法を用いるかで、そこにかかる手間や時間が大きく変わるようになった。だからこそ、コミュニケーション・コストはビジネスを進めるうえで、とても重要な概念になっています。
 チャットにメール、「Skype」に「LINE」。基本的に、これまでのテクノロジーは、時間や費用という意味でのコストを下げる方向で進んできたのは周知のとおりです。しかし最近では、さらにそれが進み、感情表現という意味でのコミュニケーション・コストを大きく下げる機能が登場しました。その一例が「LINEスタンプ」です。
 もし「私は怒っています」と伝えたいなら、怒った顔などのスタンプを、喜んでいるならその感情に近い内容のスタンプを送ります。文章を介さず、簡単に感情を伝えられる、という意味でのコストダウンもあるでしょう。一方で、怒りを想起させるスタンプを送ることで、相手を傷つけることもない程度に感情を抑えたうえで、気軽に意思表示できる、という心理的な負担の意味でのコストダウンも生じているように感じます。
 生の言葉や文章に書き起こして相手にぶつけてしまったことで、想定を超えた強いインパクトを与えたり、自分の気持ちも疲弊してしまったり、ということは多くの人が経験してきたのではないでしょうか。また、時間や場所を設定して会ったのに、不毛なコミュニケーションになってしまい、とても疲れた、という経験も、やはり誰にでもあることだと思います。
 しかし、より効率良く進められ、ときには強引に遮断(シャットダウン)までできるインターネットを介するのなら、そのコストは大きく下がります。簡易なやりとりで問題のないコミュニケーションなら、できることならコストをかけず、相手と意思疎通を図りたい。そう感じているのは、特にインターネットに慣れた世代に共通することだと思うし、その願望が具体化したのがスタンプなのでしょう。
 テクノロジーの進化は、おそらく今後もコミュニケーション・コストを下げる方向に進んでいくことを考えると、文章中心で行われていたコミュニケーションについては、スタンプのような、より手軽なものへと変化を遂げていくのかもしれません。
 それがさらに進んでいくと、やがては言語を介さない会話(ノンバーバル・コミュニケーション)も一般化するのではないか、などとぼくは感じています。以前、8歳(当時)の娘がスタンプだけで完結する物語を作って見せてくれたことがあり、これには大変驚きました。
 現時点でスタンプは文章の補助的な役割を果たしているけれど、近い将来、スタンプのほうがコミュニケーションや表現のメインとして使われても何らおかしくはない。いずれはほかの国の人と話すために必要なのはその国の言語ではなく、共通して使われるスタンプになるかもしれないし、言語に頼るのはローテクノロジー、と認知されるようになるのかもしれません。
 先日成田空港が、スマホに向かって話した日本語を、希望の言語に通訳してくれるアプリ「NariTra」を発表しました。いよいよ言語や国の境界線はインターネットとともに輪郭をなくし、よりなめらかにつながっていく。そうぼくは感じています。

コミュニケーション・コストは下がるほどいいのか

 では、コミュニケーション・コストは下がれば下がるほどいいかというと、それはまた別の問題かもしれません。現実を見ていても、実はその流れは一方的に進んでいるわけではなく、ここにきて、むしろコミュニケーション・コストを高めようとする逆の動きも生じているように思います。
 先述した会員サロンのように、情報に高い値段をつけ、一部の人だけで分け合う商売が活況を呈しているのはわかりやすい例ですが、もしかすると、今になってコストが下がりすぎた反動が起きているのかもしれません。または、いわゆる「スマホ依存」になって疲弊してしまった人や、ディスプレイ越しの交流ばかりになったことに生理的な嫌気を感じて、現実のコミュニケーションの場へ足を運ぶ人が増えているのかもしれません。
 いずれにせよ、コミュニケーション・コストが下がる中、十二分にどこでも、誰とでもつながる状況が生まれたのに、それでも多くの人は、また別のイベントやコミュニティに積極的に加わり、さらに新しいつながりを増やしながら、その強化に勤(いそ)しんでいます。
 誰かとのつながりが絶えないように、食費や娯楽費を節約してでも、スマホの高い料金を払い続けるし、シェアハウスより設備などのグレードが高いソーシャルアパートメントやソーシャルレジデンスに住み、単純な一人暮らしより割高な家賃を払って集団生活をすることを選ぶ。それらはきっと、直接つながることに魅力や価値を感じているからでしょう。
 あるとき「人に会うことは疲れる」とツイートして、多くの反応をもらったことがありました。ぼくはそもそも人に会うことがそれほど好きではありません。
 だから、どんなときでもスマホを手放さずにコミュニケーションを図ろうとする人や、居酒屋やカフェで、何時間も他愛のない話を続ける人たちを見ているだけで疲れを覚えてしまうことがあります。あくまでぼくの視点ですが、彼らはあえてコミュニケーションをとることを通じて、わざわざ疲労を蓄積しているようにすら、ときに感じてしまうのです。
 本来、誰にとっても、人と会う、人とつながるということは相当なエネルギーを消費する行為だと思います。もちろん、実りある出会いに、気持ちのよい疲労を感じることもあるけれども、ネガティブな方向で疲労を重ねた結果として、心や体を削ってしまうことはよくあること。
 それなのに、コミュニケーション・コストが下がりきった現在では、つながりを断つほうが難しいから、どこに行っても人はつながってしまい、休むことができなくなっている。
 だからこそ「人に会うと疲れる」という感覚を、忘れるべきではないとぼくは思います。そういった主張をすると、「つながっていないと取り残された気持ちになる」「一日誰とも会わないと死にたくなる」といった反応をよくもらいます。自分だって、人とつながっていたい気持ちはあるし、それもよくわかる。でも、辛くなるほどのつながりなら、やっぱり避けるべきです。
 つながった結果として、誰かと比べてしまうから辛くなるのであり、一日や二日、誰とも会わなくても、世界はあなたを置き去りになんかしない。それで消える世界なら、その程度のものだったと思ってほしい。
 なお、コミュニケーション・コストが激減した時代だからこそ、ぼくは「人とつながらないこと」に大きな価値があることについては、また第六章で主張しています。自分自身と対話したり、一人で思考したりする時間は、自分を成長させるためには必要不可欠だし、そこで本を読むことや何かを書くことで得られる価値はとても大きい。それなのに、だらだらつながっていることに意識を取られてしまうと、その大事な価値に気がつかなくなる。
 人類が孤独を発見したのは大きな功績です。つながる快感に溺れた結果、「寂しさに耐えられない」と、その孤独をあっけなく捨ててしまうのは、本当にもったいない。「寂しい」と感じる気持ちは、本来とてもいつくしむべきもの。これまで寂しさを栄養として、多くの優れた芸術作品が生まれたことは歴史上の事実なのですから。

進む「CtoC」と「シェア」

 インターネットは、モノの流れや商売のあり方も大きく変えました。
 特に社会へインパクトをもたらしたこととしては、企業間取引などを指す「BtoB(Business to Business)」や、企業と一般消費者の直接のやりとりを指す「BtoC(Business to Consumer)」を超え、ここへきて消費者間取引である「CtoC(Consumer to Consumer)」を実現したことが挙げられるでしょう。
 ぼくがかかわって開発した、インターネット上でのショップ作成や運営が簡単にできるサービス「BASE」。これは「CtoC」の流れの、まさに延長にあるもので、近年のテクノロジーの発展やコストダウンの恩恵があって成り立つようになった象徴的なものだと思います。
 数年前までだと、インターネット上でモノを売ろう、商売を始めようなどと考えたならば、コストに加えて手間、技術などの面でかなりの準備が必要とされました。だからといってインターネットでの販売に特化した大手通販サイトなどの力を借りれば、出店するだけで月に数万円のコストがかかります。個人レベルだとハードルは高く、なかなか挑戦できるものではありませんでした。
 しかしテクノロジーが進化し、同時に消費者もインターネット上での売買への理解が進み、やりとりにも違和感を抱かなくなった結果、そこでの流通コストは急速に、やはり〝ゼロ〟へと向かい始めています。
 大手通販サイトを百貨店やショッピングモールにたとえると、わかりやすいのかもしれません。そういった場所で暖簾(のれん)を借りていると、それだけでさまざまなコストが生じるため、利益率がよいもの、確実に売れる商品、既存のニーズが見込めるような商品を並べない限り、出店料すらペイできない可能性があります。
 一方、近年登場しているサービスは、あなたの庭先で商品を広げて即売会をするようなもの。庭先だから出店料はタダ同然。大きな費用や手間がかからないから、趣味の延長で作った商品だろうと、欲しい人がどこにいるのか、皆目検討のつかないような商品だろうと、とりあえず販売をスタートさせることはできます。
 もちろん売れることが何よりだろうけれど、ハードルがずっと下がるぶん、それまでのような「立ち上げたサイトでこれだけ売れないと赤字」といったリスクは減るだろうし、売り始めてから、販売状況に応じて柔軟に方針を調整する、といったことも容易になるはずです。
 そうした背景で商品化され、売り買いされるものの裾野も広がり始めています。手作りのアクセサリーや洋服はもちろん、野外でのアクティビティに代表される経験や感動など、あらゆるものが売買される時代となりました。このことはもしかすると、「売買できる対象が再発見された」とでも表現したほうが適切なのかもしれません。
 並行して、欲望のままにモノを売って買って消費する、これまでの大量生産・大量消費経済から、場所や時間をシェアして、そこに対価を支払うようなシェアリングエコノミーへと、世の中は動いています。
 自宅を貸したい人と旅行者のマッチングをする「Airbnb」や自動車の貸し借りサービス、育児・家事代行サービスなどの流行に象徴されていますが、「シェア」をキーワードとして、消費のあり方は大きく変わり始めました。今では「必要最低限のものだけ揃えて暮らす」ということを指すミニマリズムやミニマリストといった言葉やそれを体現する人々も登場。あらゆるものをシェアしつつ、ムダを削減して生きるのは、ごくあたりまえのことになりつつあります。
 さらに、近年すっかり市民権を得たシェアハウスもわかりやすい例でしょう。たとえば、ぼくもシェアハウス「リバ邸」を全国で手がけていますが、これは家と学校、もしくは家と会社しか居場所がない現代人のもう一つの居場所、という意図で作ったもので、出入り自由。そこに住みたいと思う人がいたのなら、月に5万円もあれば暮らしていけるようになっています。
 5万円という金額は、日本の経済事情を考えれば、仕送りを受けるか、月に何日か働けば十分に稼げる額だと思います。なおぼくはこの先、住居費や食費、通信費など、最低限の生活をすべて〝込み〟で月額5万円とした「人生定額プラン」をやってみたらおもしろいかも、などと考えていますが、確かに暮らしを維持するためだけなら、何十万円も稼ぐ必要はない。頑張りすぎなければ、誰も「消耗」なんてしないはずなのです。
「リバ邸」の運営にかかわって気づいたことですが、生活へのコストを下げることで手に入るのは貧しさや惨めさといったネガティブなものではなく、新しい生き方の「選択権」だと思います。最低限しか稼がず、華美な暮らしを避けて、ミニマムに暮らそうとすることは、ほかの誰かに迷惑をかけるようなことではないし、余った時間を好きなことや別のことに費やせるということにほかなりません。
 表現することが簡単になった時代なのだから、その時間を使って、絵を描いてもいいし、文章を書いてもいい。モノを作って売って、それを職業にしたっていい。そうしているあいだに創作活動が実を結び、世間から大きく評価される日が来るかもしれない。
 そのように個人の生き方の自由度を上げたのは、インターネットの大きな功績だろうし、おそらくその流れはこれからも広がり続け、一般化していくと思われます。

コピーできるものにお金は集まらない

 近年、今まで「お金を払って購入するのがあたりまえだったもの」が売れないという状況がいろいろな業種で見られるようになっています。
 たとえば本。近年、雑誌の廃刊が続き、書店が減っているのは誰の目にも明らかでしょうが、それらが売れなくなった一因は、やはりインターネットの登場にあると思います。すべてがそうだとは思わないけれど、お金をかけずに十分に楽しめるコンテンツがネット上にあふれた結果、単行本や雑誌が売れない状況へつながっているのは間違いない。
 またゲームや音楽も、その消費行動や楽しみ方が大きく変わった分野でしょう。昔はCDだとかソフトだとか、パッケージされたものをお店の店頭で買うのが普通でした。しかしインターネットの登場で、いつしかパソコンやスマホでダウンロードすれば入手できるようになり、さらには先述したとおり、今では「一億総表現社会」が進んだ結果として、無料で楽しみ、必要に応じて課金する、という考えが普通になりつつあります。
 こういった状況を考えてみてはっきりしているのは、どんな対象にせよ、コピーができるものに対して、人はお金を容易に使わなくなった、ということではないでしょうか。
 音楽なら「YouTube」などを通じて聴くだけなら無料でできるようになったこともあり、とりあえず耳に入ればいい、というスタンスの人にはお金を費やしてはもらえなくなりました。CDもファングッズの延長のように捉えられていて、どうしても家に置いておきたいモノでない限り、簡単には購入してもらえなくなっています。
 一方で、現実のライブやコンサートにしっかりお金を払って参加する、アーティストを直接応援する、という傾向は強くなっています。現実として、最近では楽曲そのものだけで売上を保つより、ライブなど、イベントを通じてのコミュニケーションやグッズなどの売上に重点を置くミュージシャンが多いと聞きます。
 ネット上でのデータなどで充足できるようなコンテンツは、どんどんコストダウンが進んでいるけれども、それで代替できないものは、付加価値をつけて価格を上げても売れたり、需要が増えたりしている。需要と供給のバランスについては一考する余地があるものの、インターネットがもたらしたそういった変化は、あらゆる文化が向かう未来を考える意味で、とても興味深い。
 確かに、音楽業界として見れば、かつてミリオンセラーを出したようなアーティストであってもCDが売れない、という状況に陥っているわけで、衰退産業だといわれても仕方ないのかもしれません。
 しかし、誰もがすべての人に直接発表できる可能性を得たことで、それぞれのアーティスト単位で見てみれば、以前より活動の規模や利益が拡大した人がいるのも事実。日本のミュージシャンである「BABYMETAL」の新曲が、海外でのチャートの上位に食い込むように、局所での盛り上がりは、以前より大きくなる可能性も残っています。

お金に生まれた新しい価値

 20億円もの大金を手にしておきながら、わずか数年で一文無しになってしまった経験を経て、極論ではありますが、ぼくはお金について「国が信用を保証した、ただの紙切れ」と解釈しています。
 まったくなくてもいい、とまでは言わないけれど、長いあいだお金に振り回される経験をした結果、どこか冷めた視点で捉えるようになってしまったことは否定できません。同じように、いい車に乗りたいとか、ゴージャスな家に住みたいとか、そういったことに対する関心もすっかりなくなってしまいました。
 おそらく消費の向かう先が、かつての大量消費から必要最低限の消費へ変わったのと同様、やはりぼくも今がそれなりに満足度の高い状況にあるなら、それ以上の生活は望まないようになったのだと思います。事実、蓄財して高価なモノを手に入れて、一人で悦に入るよりも、新たなサービスを生み出して、多くの人と一緒に感動を分かち合えたほうが断然おもしろい。その感動を味わい続けたいがために、お金を稼いでいるともいえます。
 単純にモノを買って、消費するだけの時代が終わったのは多くの人が認めるところでしょう。そして、ぼく以外の人たちも例外ではなく、モノではなく、体験や感動を得るために、お金を使いたいと思うようになった気がします。
 ぼくはクラウドファンディング・サービスを手がけていますが、これこそモノではなく、体験や感動を買うためのサービスです。
「古民家をシェアハウスに造り変えたい」「究極のジーンズを作りたい」「秋葉原にオタク専門の美容室を作りたい」……。一つひとつのプロジェクトに付随する体験やストーリーに惹かれ、パトロンとなってお金を支払う。それぞれが拠出する金額は少額だろうと、集まれば、それは誰かを支える大きなパワーとなる。そして出資したプロジェクトが成功した暁には、当事者と一緒に喜びを分かち合う。そんなお金の使い方はインターネットのない時代には、ほとんどありえないことだったと思います。実現することすら叶わなかったことでしょう。
 このようにインターネットはお金のあり方やその価値を変え、消費のスタイルを変えました。そして今後もこの傾向はまだまだ続くはずです。

善意も炎上する

 では新しいお金の使い方が全面的に賞賛されるものか、といえば、それもまたしっかりと考える必要はあるでしょう。たとえばぼくが12年に立ち上げた「studygift」。このサービスは学費に困った学生を、クラウドファンディングを通じて直接支援するという、基本的には善意に基づいたサービスです。
 ご存じの方も多いと思いますが、それがリリース直後、瞬く間に炎上。やむなくサービスをストップすることになります。これまで幾度となく炎上の輪、その中心にいたぼくではありますが、その中でも、特に印象的だった経験でした。
 今となっては、運営側の立場として不手際がいくつもあったことはよく理解しています。しかしそれと同様に、そういった仕組みそのものをよく思わないような人にまで、ある意味でその情報が「強制的に」届いてしまったことにも原因があったように感じています。そこにインターネットの負の力が大きく働いたのでは、とも認識しています。
 本来は「私のお金を使って若い人に学業を頑張ってほしい」と考えてくれた人だけに伝われば、それでこのサービスの広報としてはとりあえず事足ります。しかし今の時代、意図しないところにまで情報はシェアされ、知らず知らずのうちに拡散され、容易につながっていく。それが「クラウドファンディングによる学生個人への奨学金」というスキームと、非常に相性が悪かった。さらにそこに運営側の不手際が加わり、「この人だけズルい」という発言が一度起きると、いつしか否定する声のほうが大きくなり、妬みやそねみに近い声まで生み出してしまいました。
 実は「studygift」に限らずですが、新サービスを投下する際にはいつも「ある程度の炎上」は想定しています。多くはそれまでになかったような新しいものですし、あらゆる人の理解を得られるものかは、実際にスタートするまでなかなかわからないからです。
 このときも、話題になれば多少は炎上してもいい、などとどこかで考えていました。その認識も今となっては大変に甘かったとは理解しているものの、とりあえず話題になることで、経済的に困窮した学生にもサービスの存在を知ってもらえれば、また善意の人たちがその思いを満たしてくれれば、などと、理想の状態をイメージしていました。しかし、想像以上の大きな炎上が起きた結果、サービスそのものの幕を下ろすことになります。
 誰かとしては善意に基づいた行動のつもりであろうと、捉え方はいろいろ。発信する側の意図をそのまま受け止めてはくれない人がいるのは当然です。ぼく自身、そのことをアタマの中ではよくわかっています。しかし、それを具体的に、そしてインターネットを通じて痛感したのはこのサービスが炎上したときでした。
 では、どうすればこの炎上は避けられたのでしょうか。繰り返しになりますが、運営上での不手際は解消するものとしても、はじめからそうした仕組みに興味を持ってくれる人や、支援する意志のあるような人だけに情報が届くよう、情報が伝わる範囲や筋道を整えた設計にしておけば良かったのかもしれません。
 しかし、それを追求しすぎると、炎上を恐れて何も行動ができなくなるし、広げたいものを広げられなくなるという、ジレンマに陥ってしまう。あらゆる世界がつながった昨今、単純に情報などを広げる、伝える、ということだけではなく、見せたくないものを見せない、見たくないものは見ない、という仕組みをどうやって作り出すのか。不要なつながりを、どうすれば切断することができるのか。
 それこそが今後生まれるビジネスやサービスにとって、大きな課題になっていくのかもしれません。

第五章 インターネットは「私たち」 の何を変えたか

 続くこの章では、社会よりさらに小さな単位である人、その周辺の環境や存在について、インターネットがもたらした変化を考えてみたいと思います。掲げたテーマは時間、空間、そして人。
 こちらの章では誰でも、当然あなたにも、その身のまわりで起こったと思われることについて多く触れているので、インターネットがどういった影響を及ぼしたのか、またはどれほど大きな変化をもたらしたのか、より肌感覚でもって理解してもらえるかもしれません。

時間

誰もが別の時間を歩み始めた

 インターネットの登場によって、ぼくは時間や時代というものの概念が大きく揺れていると思います。今までは「時間だけは誰でも公平に流れる」「みんな同じ時代を生きている」などといわれていましたが、ここにきて、それぞれに流れているそれは、どうも同じではないのでは、などと考えています。
 たとえばSNSではおなじみのタイムライン。いろいろな人の書き込みが新しい順に上に表示されて、更新されていく流れであり、インターネット上における「時間」を可視化した存在だと思うのだけれども、まずこれに注目をしてみましょう。
 ぼく個人としては、評論家や警備員のような人が増えたのが鬱陶しいと感じるようになり、昔ほどにはSNSを見なくなってしまいましたが、タイムラインという存在そのものについてはこのところよく考えています。
 たとえば14年に『ホットロード』という映画が公開されたのをご存じでしょうか。もともとはマンガだったものを映画化したものであり、ぼくも紡木たくさんによる原作を読んだことがあったので、ストーリーなどは知っていました。
 公開してしばらくしたある日、たまたまその映画の関係者と会う機会があり、その人から「全国で大ヒットしています」と聞かされました。しかし本当に恐縮なのですが、ぼくはそれがヒットしていることはもちろん、実写の作品が公開されていることすら知りませんでした。
 そのとき、「なぜその状況を知らなかったのか」と考えたら、ぼくが当時、情報収集手段の中心にして、閲読に多くの時間を割いていたSNS上に、その情報が流れてこなかったから、という事実に突き当たります。
 ぼくとつながっている人たちの中に、たまたま『ホットロード』のことに言及している人がいなかった。だから結果として、タイムラインにもその情報が現れず、可視化されなかった、ということに気づきました。
 可視化されなかった以上、本当にヒットしているのか、もしくは誰が観ているのかはぼくにはわかりません。そこで初めて検索してみたら、ヒット作品だけに出るわ出るわ、「観にいって泣いた」「座席が埋まっていて困った」といった投稿が山のように見つかりました。
 そこで気になった人の「Twitter」、そのアカウントを詳しく調べてみると、高校生のような、ぼくよりずっと年下の世代が多く、さらに言えば郊外の都市在住の方がほとんどでした。10代で子どもを持つご夫婦や、アイコン画像に、〝盛った〟プリクラ写真を選ぶ人が多かったりと、普段ぼくがコミュニケーションをとるような人々の中にいないタイプの人が多いことも見えてきました。
 それはともかく、インターネット上で検索したことで確かに流行っていることを初めて認識したのと同時に、「彼・彼女たちとぼくはつながっていない」ことを実感しました。というより、その人たちの世界とぼくの世界は断絶している、という表現のほうがしっくりくるようにも思います。こうした状況にあったからこそ、『ホットロード』のヒットどころか、公開されたという情報すら一切入ってこなかったのは当然だったのでしょう。
 ちょうどその頃は、若い頃に「やんちゃ」をしていた、いわゆるヤンキーたちが、結婚したり家族を持ったりした結果やや柔和になった、「マイルドヤンキー」という属性が注目され始めた時期。そんな言葉が生まれた以上、そこに該当する方たちは現実にいるのかもしれませんが、思いつく知り合いの中にはいなそうだし、彼らの行動は、やはりぼくのSNSのタイムラインに上がってきません。
 しかし16年5月時点で、ぼくの「Twitter」は14万人もの方々にフォローしてもらっていて、ぼくも2000人をフォローしています。14万人というと、なんと沖縄市民と同じくらいの数。その数字だけ見れば、かなりたくさんの人たちとつながっているはずなのに、それでも見えてこない層、つながらない層がいる。であれば、もっとネット上のつながりの少ない人たちならば、この先、その世界がますます閉ざされてしまう可能性は否定できないのではないでしょうか。
 SNS的なサービスが拡大を続けて、ぼくらの生活や行動においてそれが占める割合や、タイムラインの意味するものがさらに大きくなれば、より一層「タイムラインに現れない情報=存在しないもの」と認識されていくのかもしれません。
 そうなったとき、それぞれに現れるタイムラインの影響で、それぞれが過ごす時間や時代も、少しずつズレていってしまうのではないだろうか。そしてそのタイムラインは断絶したまま、みんなが合流することも、いずれなくなってしまうのではないだろうか。そんな気がしてなりません。

細切れになった時間

 もう一つ、ぼくが時間について考えたとき、時間の単位が小さくなっている、という感想を持っています。「小さくなった」といっても意味が伝わりにくいと思いますので、「細切れになった」と言い換えるとどうでしょう。
 たとえば仕事に費やす時間について考えてみてください。ぼくの場合、起床するやいなや、スマホをいじって、ぼくが寝ているあいだの世界で起こったあれこれについてアプリやメールなどを介して情報収集をします。シャワーを浴びて、朝ごはんを食べて、身支度をしながら未返信だったメッセージを片づけ、移動のあいだにアポの調整を図ります。
 このように、これまでとは比べられないくらいに時間を細かく使うようになりました。しかも多くは意識して、というより無意識のうちにこなしてしまっています。
 密度が濃い、といえばそうなのかもしれませんが、かつてのように1時間単位でなく数分で、というか、もはや認識することすら難しいような短い時間を組み合わせて、それでいて多くの仕事を済ませるようになりました。そしてそのことに気づいてからは、細切れになった時間で、完結できるようなサービスを作りたいと考え続けています。
 その考えに近いものとしては、管理栄養士がダイエットノウハウを指導してくれる「FiNCダイエット家庭教師」というアプリが該当するでしょう。このアプリは、ダイエットをしたいと思っている人が撮影した食事の写真をアプリを通じてアップすると、そのとき手の空いている管理栄養士が、栄養バランスを考えて適切なアドバイスをくれる仕組みになっています。
 これはたまたま「ダイエット支援」というテーマだけれど、これ以外にも、家事の合間や休日の、細切れの時間でできる仕事が再発見されていき、それを支えるサービスは増えていくのではないでしょうか。
 そうしていくうち、年単位、月単位、日単位より、もっともっと小さな時間で収入が得られる(マネタイズできる)時代がやってきて、そういった商売や職業がもっと活性化する。そしてその変化に伴って、いろいろな分野で時間は細切れになっていくのでは、とぼくは考えています。

常に「オン」の弊害

 しかし、そうしたいつでもどこでも仕事ができる今の状況を、一時代前の人が見たら「時間に追われている」「スマホに追い詰められている」ように見えることでしょう。実際、現代を生きる私たちにとって「オフ」や「オン」を区別する意味はほとんどなくなっています。
 02年、当時ソニーの会長だった出井伸之さんが『ONとOFF』(新潮社)というエッセイを刊行してベストセラーになりました。そこではオン、つまりビジネスでのクオリティを上げるために、いかにオフを充実させるべきか、という内容が説かれています。オンとオフが混じり合いかけていた時代だったからこそ、「線引きをしっかりしよう」と提言されているわけですが、少なくともこのくらいの時期まで、オンとオフという概念自体は、ギリギリ残っていたのだと思います。
 ソニーといえば、かつてインターネットの黎明期に「ポストペット」というメールソフトを手がけて人気を博していました。このソフトでは、クマやネコ、ハムスターなどのペットがメールやメッセージを運ぶ仕組みで、送ってから5日後くらいになってようやく相手に届いたり、途中で彼らが迷子になって、結局届かなかったりするという、今思えばかなり情緒豊かなものでした。
 ぼくはこれくらいゆるやかなインターネットが好きだったのですが、今では細切れ時間の価値の再発見が進んだ結果、「オン・オフ」の概念どころか、余白もなくなり、同時に息苦しさが生まれ始めています。近年、その息苦しさを加速した要因として、何といっても「既読システム」の登場が挙げられるでしょう。
 今は多くのコミュニケーションツールで、メッセージを開封すると「既読」マークがつくようになっています。読んだ、というマークが受け手と送り手で共有されることによって、受け手はどうしても「返事をしなければ」と気が急いてしまう。なるべく早急に返信することへの強迫観念にかられる人も多いでしょうし、一時期話題になっていた「LINE疲れ」も、すぐに返信をしなければならない(ような気がする)ことへのプレッシャーがもたらすトラブルでした。
 もともとは、進化したテクノロジーの恩恵として効率化が進み、労働に縛られる時間は少なくなり、その結果としてプライベートが充実する、などと楽観視される傾向が強かったように思います。
 しかし、確かに効率化はしたものの、一人に任される仕事の量や範囲も昔と比べてずっと広がった。皮肉にもインターネットの発展によって、仕事の総量はその空いた時間を十分に埋めてしまうくらいに増えているように思います。
 近年、確かに新しく生まれつつある、働く時間や場所における自由。それに対して、同じ時間の中で対応できる仕事量が増加しているにもかかわらず、認識や制度のほうが追いつかず、結果としてその自由をあまり使いこなせてはいない日本企業の体質。そういった事情下で、労働時間は単純に増えてしまっています。
 だからこそ長時間労働の問題は一向に解決されないし、主婦たちの社会進出もなかなか進まない。近年、無茶な働き方を強いて社員を傷つけるブラック企業が話題になっているのも、当然の帰結のように思います。 

空間

不幸な伝言ゲームが蔓延した

 新しいサービスや機能の増加とともに、インターネットの向こうに広がる世界はぼんやりとしながらも、広がる一方。情報が伝わる範囲を限定しようとする傾向は弱く、大きくしようとする動きのほうが圧倒的なので、それはときに想定を超えた範囲へと届いてしまう。
 だから自分が情報を届けたいと思う範囲からはるか先にも広がり、目も行き届かなくなって、本来伝えたかった情報の内容と意図から、いつの間にかズレが生まれることもしばしば。この構造は「伝言ゲーム」を考えればイメージしやすいかもしれません。そして近年、このズレが原因で起きるトラブルや不幸がとても増えていると思います。ぼくも何度か経験しているけれども、特にシェアハウスの「リバ邸」で、そのことを実感しました。
「リバ邸」は、そもそも人生において何かの壁にぶつかった若い人たちの新しい居場所として作った場です。だから紹介するサイトなどでは、「24時間、誰でも来ていい場所」と掲げています。
 しかし、確かに誰でも来てもらっていいけれども、全員を受け入れるべきなのかどうかの判断は、また別。誤解を恐れずに言えば、シェアハウスではなく、本来であれば医療機関で受診すべきかもしれないほど心身を病んでしまった人が来た場合、それでも受け入れる、という判断を行うことはできません。
 すでにいる住人たちのほとんどは、自分が逃げ込める最後の砦として、ようやくリバ邸を見つけて入居しています。集団生活やコミュニケーションを得意としている人ばかりではないし、ましてシェアハウスの運営に手馴れた人などいないに等しい。
 そこに、住人たちがケアできる限度を超えた人が加わると、どうなるか。どうして良いかわからなくなって、右往左往してしまい、コミュニティ内には混乱が生じます。一方で、やってくる人も救いを求めてやっとの思いでリバ邸へとたどりついているので、このすれ違いから不幸が起こることが多いのです。
 入居前でも入居後でも、もしそうした子に「あなたが今行くべきところは、別の場所だと思う」と伝えたならば、「誰でも来ていいと書いてあるじゃないか!」と激しい衝突が生じてしまうのは明白です。これは、リバ邸が掲げる「24時間、誰でも来ていい場所」という言葉がインターネット上を伝わっていくうちに、少しずつズレを起こしたことに原因があると思っています。
 受け手がどんなに発信元から遠かろうと、本来の意図からなるべくズレずに伝わるように工夫しないと、そして適切な形で届いているのかこまめに点検をしないと、これからの時代、大きな不幸を招きかねない。その不幸なズレを原因として、現実として「リバ邸」でいくつかのコミュニティが崩壊した現場を見てきて、ぼくはそのことを痛感しています。

あえて伝言ゲームをしたがる人たちの登場

 そういったインターネット上で起こるズレのわかりやすい例としては、少し前に騒がれた「バカッター騒動」が挙げられるかもしれません。
 これは立ち入り禁止の場所に立ち入って悪ふざけしたときなど、本来は親しい人だけにちょっと伝えたかったメッセージを、SNSの性質を理解しないまま発信したことで起きるトラブル。情報のシェアなどがされるうちに、いつしか想定を超えた範囲へと広がり、第三者に発見され、回り回って、発信者がその責を追うことになる、といった事態を指します。
 一度そういった状況に陥れば、氏名はもちろん、所属する学校や会社、住所、家族の情報など、個人を特定する情報が、インターネット上の警備員たちによって、芋づる式に見つけられてしまう。そして警察に通報されて、退学や退職に追いこまれたりと、現実の自分の首を絞めることになる。
 もちろん脱法的な行動や、誰かを傷つけるような行動を起こした人であればその責を負う必要はあるでしょう。しかし、その罪の大きさと比べて、与えられる制裁が大きすぎる事態が散見されるのも否定できない。「バカッター騒動」はまさにインターネットを経由していった先で生じた、不幸なズレだといえるでしょう。
 先述したことですが、一億総表現社会が生み出した、警備員であふれる今の社会では、犯罪を彷彿させるようなキーワードで検索を続け、貶める対象を探そうとする人も残念ながら少なくはないようです。また、くすぶりかけた話題を見つけては、そこに集団で襲いかかって、ボヤを大火事にすべく、あえて燃料をくべる人も多々。
 現時点では落ち度がない人であっても、その人に関する何らかの悪事を恣意的に作り出したり、過去の情報を探し出したりして、意図的にシェアを行う人もいます。そして彼らに一度足をすくわれたら、逃れることは難しい。それはまるで、不幸な「伝言ゲーム」をわざわざ好んでやっているプロ集団のようです。 
 予想していなかった自由を突然与えられたとき、もしくは思っていた以上の自由を手に入れたとき、多くの人は何をしていいのか、わからなくなります。そして同時に不安になる。そして、せっかく得た自由を行使することを避け、自ら不自由を選んで動きを止めてしまう。
 自由に対して、きちんと準備ができていたり、やりたいことをあらかじめイメージできていたりすれば、その自由を謳歌したり、前向きな活動へと移ることができるでしょう。しかしそういったアクションを起こせない人は、その場に留まって、前に進もうとする誰かの足を引っかけることのほうに注力してしまう。
 そういった人の哀しい性(さが)をインターネットは顕在化してしまった、ということをぼくたちはアタマのどこかに留めておく必要があるかもしれません。

必要なのはしきたりとふるまい

 インターネット上における発言や行動で、つまらない損をしている人をよく見かけます。
 たとえば何らかの対象に向けて、とにかくネガティブな書き込みだけをしている人、たちの悪い酔っぱらいのようにわざわざ絡みにいく人、きちんと下調べをせずに知ったかぶりをして足をすくわれる人、少しでも反論されたり絡まれたりしたら、感情的になって反撃をする人など。
 彼らに共通しているのはインターネットがどんどん身近なものになっているのに、未だその世界でのしきたりやふるまいを知ろうとしていないこと。その結果として、ますます発言や行動をこじらせてしまっているようにぼくには感じます。
 たとえば、ぼくはインターネット上で他人から絡まれることがよくありますが、それに対して、その場で言い返すことをかなり前からやめました。諦めた、というのが正しいかもしれません。というのも、最初からぼくのことを否定的に捉えてコミュニケーションをしてきた人に対して、その瞬間にどれだけ反論しようと、ほとんど意味がないからです。
 こちらが「こう思ってほしい」とメッセージを発しようとも、もしくは返答が明らかに正しくとも、はなから受け入れまいとする人の心には届きません。
 しかし先述したとおり、そういった現実を知らず、「きっとわかってくれる」と一生懸命になって、諦めずに戦う人は未だにいます。その果てにあるものは、おそらく消耗しかありません。このことは、ぼくが長いあいだインターネットに接してきた実体験から得た学びの一つです。そしておそらく「Twitter」などを通じてぼくの行動や発言を見ている人なら、意図的にそうしていることを見て取ってくれていることでしょう。
 現実の世界で政治家や芸能人たちがどこかでしたデリカシーのない発言が、インターネットの世界に持ち込まれて炎上し、毎日のようにそれなりの肩書や実績を持った大人が失脚しています。特にジェンダーや妊娠・出産などの繊細な問題に関して、昔の居酒屋談義のノリでひどい発言をして、大やけどをする人たちは枚挙に暇がありません。
 それというのも、現実の世界とインターネットの世界が混ざり合っている昨今、誰からも叩かれない場所や空間なんて存在していない、という事実を理解できていないからだと思います。そして「ちょっとしたふるまいやしきたりを理解できていれば避けられただろうに」などと、状況をこじらせてしまった人たちを見るたび、ぼくは残念に感じてしまうのです。
 そういったことを考えると、おそらくこれからの時代ではSNSの使い方やインターネットとのつき合い方について、自分が理想とする師匠を見つけて、その人からしきたりやふるまいを学ぼうと意識しなければならなくなるのでは、と考えています。こういった場面に直面したらこう対応する、ということを師匠の行動を通じて習得すべきなのではないでしょうか。インターネット上のふるまいに関するルールは明文化されたものではないため、見て、学び、実践する「OJT」でマスターしていくしかありません。
 たとえばぼくの場合、そのふるまいの師匠としているのは、やはり糸井さんかもしれません。彼のまるで将棋を指しているかのようにゆったりとして冷静で、しかも的確な行動や発言はやはりすごい。糸井さんのタイムラインを追うたび、ネット上での立ちいふるまいには畏敬の念すら覚えます。たとえばこんなつぶやきをしていて、ぼくはこれをインターネット上における行動や発言の指針としています。

 ぼくは、じぶんが参考にする意見としては、「よりスキャンダラスでないほう」を選びます。「より脅かしてないほう」を選びます。「より正義を語らないほう」を選びます。「より失礼でないほう」を選びます。そして「よりユーモアのあるほう」を選びます。
 (https://twitter.com/itoi_shigesato/status/62361426609704960?lang=ja)

 会社でも学校でも、そして家でも、未熟なあいだは先輩や上司、親など、自分より経験豊富な、そして尊敬できる人を見つけて、その言動や考え方を真似して学ぶことが多いと思います。それはリアルだろうとインターネット上だろうと、きっと変わりません。
 インターネットと現実が溶け合ってきているからこそ、ネット上でのふるまいやしきたりについて、ぼくたちは「こうありたい」と思える師匠を見つけるべきなのではないでしょうか。そうすることで、あなたはもちろん、その周辺の人とのあいだにおそらく今よりずっと過ごしやすい環境が生まれるはずです。

サードプレイスの登場

 少し前を振り返れば、距離や時間などの問題で、現実としてどこかへ集まることのできない人たちが「代わりに」と、ネット上に集合場所や居場所を作っていたように思います。しかし、現代となっては順番が逆になることがしばしば。
 たとえば、インターネット発イベントの代表格ともいえる「ニコニコ超会議」。16年春の開催時には15万人を超える人が集まったそうです。
 そして先述のぼくが手がけたシェアハウス、「リバ邸」もおそらくその一つ。ここはシェアハウスという現実の場所であり、コミュニティでありますが、入居するのは「Twitter」を通じて、すでにつながったあとの人たち。これもインターネット上で生まれたコミュニティが、現実の場へとつながった例でしょう。 
 家族や学校、会社では必要とされる、血縁や明確な従属関係などを特に要せず、つながりが形成されているのがインターネットでのコミュニティの特徴だと思います。そこにあるのはこれまでのつながりの骨組みとは異なり、趣味や特技、嗜好など、それぞれの個人が持つ情報や思い。今やネット上のコミュニティのほうに、人生の価値を置いている人も少なくありません。
 そう考えれば、数年前から家や職場、学校ではない第3の居場所、いわゆる「サードプレイス」に注目が集まったのは必然かもしれません。サードプレイスは「責任から解放されて、自分自身を取り戻せる場所」「家や会社から解放された自分の居場所」などと定義されています。
 アメリカの都市社会学者レイ・オルデンバーグは著書『サードプレイス─コミュニティの核になる「とびきり居心地よい場所」』(忠平美幸訳、みすず書房、2013年、原題:The Great Good Place, 1991)で、サードプレイスにはいくつかの特徴があると論じています。
 たとえば、特徴の一つとして挙げられているのが「第二の家」。第二の家に集う人々は、同じ家に暮らす人同士が共有する温かい感情を抱き、その場所に根ざしている感覚を持ち、精神的に生まれ変わることもあるそうです。「平等主義」もサードプレイスを説明する特徴として挙げられています。個人の経済的・社会的地位が意味を成さず、誰もが肩書や状況にとらわれない「一個人」でいられる場所こそがサードプレイスだと、オルデンバーグは主張しています。
 日本ではこれまで家と学校、家と会社という二つの居場所を行き来する人が大半でした。職場や学校に行きづらくなる、もしくは行けなくなれば、家に留まるしかない。しかも家のすべてが必ずしもあなたを守る「シェルター」になるわけではないから、多くは追いこまれてしまう。
 明確に帰依している宗教があると違うのかもしれません。たとえばキリスト教などだと、毎週日曜日に礼拝を行う「教会」というサードプレイスが存在しています。いくつかの宗派では、身元が明かされないような状況で罪の告白をする場が用意されるなど、まさに家でも学校でもない心のよりどころが用意されています。
 日本も、かつて仏教などを中心とした宗教とのかかわりや地域との絆が強かった時代には、寺社仏閣などがサードプレイスになったのかもしれませんが、今やその関係性の多くは失われつつあります。いざというときのよりどころがあるのとないのとでは、心の持ちようは全然違ったものになることでしょう。そんな状況にあったからこそ、日本人にとって、インターネットに広がる世界は貴重な場になってくれたのかもしれません。
 なお、これから先も「どの自分が本当の自分なのか」とか「自分とはそもそも何者だろう」とかいった苦悩を持つ人はさらに増えると思います。そこに情報が氾濫する状況が加われば、何を信じていいか、何を心のよりどころにすればいいか、そういった迷いが生じるのも無理はありません。
 だからこそ、サードプレイスはもちろん、先人が残した哲学や宗教、文学などがこれからの時代、ますます価値を持ちうるように感じています。

人の価値はポイントで決まる

 すでにオークションなどのサイトで顕著ですが、今後はありとあらゆるサービスにおいて、その人の信用度は何らかの基準に則り、数字のようなわかりやすい指標で示されるようになるのではないでしょうか。それを一言で言うと、人の「ポイント」です。
 たとえば民泊サービスである「Airbnb」は貸主・借主それぞれに、誰もが運転手となって乗客を乗せることを促す「Uber」では、やはり運転手と乗客に、「評価が高い=信用できる」として、ポイントが付与されています。
 ポイントが高い人ほど表示される可能性が高まるなどの優遇がなされ、そのぶん、部屋を汚いまま貸し出したり、車を呼んだのに運転手が対応をすっぽかしたりすれば、その人への評価が下がっていきます。
 運営側としても、そんな人についてはなるべく表示すまいと、リストの後方へ押し込んでいきます。信用できない行動を繰り返すような人を前面に出すのは、サービス全体の信頼性を下げるし、イメージを悪くするリスクが高くなるからです。
 こうしたサービスは増えていくでしょう。これからますます伸びるであろう、個人間カーシェアリングサービスや空きスペースシェアサービスなど、所有物をシェアする何らかのサービスにおいては特に、借主・貸主がいい人なのか、悪い人なのか事前に知っておくと安全です。
 そうなっていくと、自然と人一人に対して、何らかのポイントが直接付与されていくように思います。そしてあらゆるポイントがTカードなどへ統合されていったように、どんなサービスにも共通する信用ポイント、あえて表現するなら「いい人ポイント」がいずれ生まれるのではないでしょうか。「現在、家入一真さんは200ポイント」とか、数値によってその人の信頼度が可視化されるような時代がやってくるような気がします。
 ぼくが考える「いい人ポイント」とは、全世界のあらゆるサービスで審査に使うような信用度であり、クレジットカードやマイナンバーに近いもの。ポイントが高ければ高いほどお得なサービスが受けられて、社会でも尊重されるけれども、ポイントが少ない人はその逆になります。
 いい人ポイントの実装は、匿名・実名の問題に大きくかかわります。前述のように現在、インターネット上において、匿名でふるまうデメリットはほとんどありません。むしろメリットしかないから非対称性が生まれているわけです。
 ぼくからすれば、実名がバレて慌てる可能性があるくらいなら、最初から実名で発言するほうがリスクはない、と思うし、匿名の人は匿名なりのリターンしか得られないように、世間も変わっていくはずです。
『「いいひと」戦略─超情報化社会におけるサバイバル術』(岡田斗司夫、マガジンハウス)には、「Google」や「Facebook」では採用の際、相手がいいひとかどうかに重きを置いている、と書かれていました。確かにこれからの超情報化社会において「『いいひと』という評判」を保つことは個人が生き延びるための戦略の一つであり、それが組織にとってもリスク管理につながり、ますます重要視されていくのは事実でしょう。

「装置」になりたい人

 ぼくが手がけるシェアハウス、「リバ邸」で、ミニマムな、必要最低限のモノだけを携えて生活している若い男の子が、興味深い発言をしていました。彼いわく「自分はインターネットにつながっていられるなら、それだけでいい。それこそパソコンにつながった装置の一つになりたい」とのこと。
 彼にはオシャレな服を着たいとか、女性にモテたいとか、外でおいしいものを食べたいとかいう、一般的な若い男性が抱くような願望はありません。そんな彼がどんな毎日を送っているかといえば、仕事はクラウドサービスやメールを通じて片づけていて、食事も手の届く範囲に置いてあるスナック菓子やカップラーメンなど、すぐに食べられるもので済ませてしまいます。必要がない限り、立ち上がりさえしません。その代わりいつもノートパソコンを抱えて二段ベッドに寝転がっては、インターネットに常時接続して、ずっと何かに夢中になっている。
 もちろん彼は極端な例だとは思います。でも実際、目の前の彼はインターネットの世界のほうに、仕事や資産、人とのつながり、自己表現の場など、そのすべてを置いていました。彼の生活を知っていた状況において、そして確かにそんな環境下でも暮らせるようになった現在、インターネットだけにつながっていればいいという彼の主張にはうなずかざるをえませんでした。
 これも映画『マトリックス』で描かれた世界観のようだけれど、今のように肉体を動かしてインターネットにつながる状態と、肉体すらなく脳だけが動き、そこから直接インターネットにつながっている状態と、どちらか一つを選んでいいと言われたならば、彼は迷うことなく後者を選ぶと思います。
 きっと彼の前では、インターネットの世界と現実の世界の、どちらがどう、といった議論などとっくに無意味なものになっているのかもしれません。 

 人は「概念」にもなれる

 ぼくは仕事が立て込むと、東京から京都などへとしばしば逃避します。もちろん、実際に京都をよく訪れてはいますが、「Twitter」などに「今京都にいます」とつぶやくのは、訪問から数日経ってから、なんてことも。
 多くはアリバイ作りなどの事情も絡みますが、でもそんなふうに時間差を設けて投稿を続けていても、「今の時期なら高台寺がオススメです」とか、京都在住の方から「今日会えますか?」といったメッセージが届くなど、多くの方は、ぼくが京都にいることを疑うことなく反応してくれます。そのとき、実はすでに東京の自宅に戻っていたりするのに(ぼくのことを思ってメッセージをくれた方、申し訳ありません。ここでこっそりお詫びいたします)。
 直接顔を合わせているわけではないし、依拠できる情報がそれしかなければ、当然のことではありますが、意図してズレが生まれるところを見るのは、実に不思議であり、そしてどこか愉快です。極端な話、大阪だろうと渋谷だろうと、それっぽい内容をつぶやき続けていれば、実はそのあいだにアメリカに移住していたとしても、ほとんどの人には気づかれないのではないでしょうか。今綴られた情報のほうが、それを目にした誰かにとっては、紛れもない真実になるのだから。
 先ほど「装置」になりたい子の話をしました。ぼく自身は「インターネット上に漂い続ける存在になりたい」と空想しています。今現在、本当に生きているのかわからないけれども、インターネットにはずっと漂っていてメッセージの受け答えをするような、いわば「概念」としての家入一真になりたいのです。
 そう思うようになったきっかけは数年前。ログインすると、「Twitter」のアイコンがぼくの名前と写真に変わってしまう「ole-ieiri-com」サービスを作ったこと。このサービスが話題になった数日、ぼくの家入一真のタイムラインは、知らない家入一真たちであふれていました。 
 本物のぼくのアカウントには認証マークがついているとはいえ、一見すると誰が本物なのかまったくわかりません。このとき、インターネット上において、家入一真が何者か、という意味が消えうせる可能性がある、もしくは概念になりうる、ということをあらためて認識したのです。
 ぼくのアカウントを使って他の誰かがつぶやいたとしても、家入一真っぽくつぶやけば、とりあえず見分けがつかない。であれば、いつかぼくが死んでしまっても、誰かになりすましてもらってつぶやいてもらえれば、フォロワーの誰もぼくが死んだことに気づかない可能性はかなりあります。本人が生きているか死んでいるかという事実は、ここではたいした問題ではなくなります。
 だからプログラミングを使うなどして、永遠にメッセージを発信し続ける概念的な人が生まれる日もそんなに遠くないのかもしれません。そんな現実を前に、「この家入さんという人、もう200歳を超えてるぞ!」と、いつか騒ぎにしたいな、などと毎日空想しています。

あなたの友達はネットが選ぶ

 以前、一人で夜の11時に飲んでいたときのこと。なんだか寂しくなって「Twitter」で「渋谷で飲んでいるから誰か来て」とつぶやいてみたことがありました。しかし、残念ながら一人も来てくれませんでした。
 思わず泣きそうになったのですが、そのとき初めて「フォロワーが14万人以上いても、それはただの数字」という事実を認識させられました。当然ですがフォロワーとして示された数は、友達や親しい人の数を示すものではまったくないのです。
 さらにある日、特段の理由もなく「Twitter」で知人のフォローを外したところ、相手からこっぴどく怒られたことがありました。「どうして外すの? 何か気に入らないことでもあった?」などとかみつかれて、やや面倒くさく感じた覚えがあります。軽い気持ちでフォローを外したことでも、相手から見れば、怒りを買うくらいの行為に感じられた、ということだったのでしょう。
 でも、もちろんその知人と縁を切ったわけでもないし、そのつもりもない。単なる「Twitter」というサービス上で、つながるのをやめただけなのに、どうしてそんなに感情を揺り動かされるのか、このとき不思議に感じました。
 一方、現実に会うとまったく気が合わなかった人や、一度も会ったことがなくともウマが合って、インターネット上ではつながっている人もいます。それこそ数年単位にわたって、長くフォロー・フォロワーの関係を続けている人もいれば、つながる必要のあった用件が終わると、そこで関係を絶ってしまう人もいます。
 そもそも、ぼくには友達と呼べるような間柄の人はそれほど多くはありません。数年会っていなくても、ふとしたタイミングで元気にしているだろうか、などと思い合える関係性が友達かな、とは思いますが、それもあくまでなんとなくであって、明確に友達と定義する根拠が何かはよくわからない。
 しかし先述のような経験をしながら、そうした「なんとなく」の考え方が、友達関係を定義するうえで許されなくなってきたように昨今感じています。
 たとえば「Amazon」では、これまでに購入した商品情報に基づいて、あなたが今欲しているであろう商品をアルゴリズムで選び出し、目の前に並べてくれます。ここで示される商品には当然、「Amazon」側の「売りたい」というバイアスが多少なりともかかっているわけですが、おおむね、これに近い傾向がSNS上でも見られています。要はインターネット上でつながっている友達の選択にも、多かれ少なかれ、テクノロジーによるバイアスがかかるようになっているということ。
 独特のアルゴリズムで自分と「仲がいい」と思われる人をタイムラインに登場させる「Facebook」。このサービスはそういった傾向に拍車をかけたサービスの一つでしょう。
「Facebook」は、テクノロジーを用いて、友人や知人などのつながりに強弱をつける取り組みを試みていて、好きな人、嫌いな人、情報を知りたい人、知りたくない人という判断を、アルゴリズムなどを用いることで、仕分けしています。
 使われているアルゴリズムの詳細まではわかりませんが、そのタイムラインを見れば、しばらく会っていなくとも、関心がなくとも、なぜか特定の人の情報がよく表示されたりします。逆に、毎日のように会う人や、「Facebook」のメッセンジャー機能を用いてよく連絡を取り合う人であっても、タイムラインには現れないことも多々。「この人はあなたの友達ではありませんか?」と、無理につながりを持たせようとしてくる機能についても、よくよく冷静に考えると、なんだかおかしい。たとえ共通の友達がたくさんいたとしても、どうして、ぼくの友達を勝手に決められなければいけないんだ、などと思ってしまいます。
 お互いに友達だと認識している人が表示されるのならまだ問題なさそうですが、現実には、別れた元恋人やケンカ別れした人だっています。あなたが「別に行動を知りたくはない」と思っているような相手であろうと、SNS上でその関係を完全に断つことは難しいのだから、アルゴリズムがピックアップしてきてしまう可能性は十分にあるわけです。
「Facebook」だけについて言えば「この人の投稿を見ない」という選択機能がありますから、そんなことはないと思いますが、たとえば特に好きでもない誰かが、SNSの機能であなたのタイムラインに顔を出し続けたとしましょう。その人は費用を払い、あなたのタイムラインに恣意的に表示させているのかもしれませんが、ある日から、とにかく何度も表示されるようになる、なんてことも今なら十分にありえます。うっかりクリックしてしまおうものなら、その後ますますその人がタイムラインを占拠することに。
 こうして特定の人の投稿を目にした結果、その人に対して、何らかの感情の変化が起きたり、信条や哲学が刷り込まれて少なからず影響を受けたりする、などということは起こりうると思います。
 一方、タイムラインに出てこない人のメッセージは知らない間に追いやられて、まったく見えなくなっていく。それに伴い、その人とは疎遠になる可能性もあるでしょう。
 幸いなことにまだインターネットは、友達関係を薄めようとしているわけではないし、その範囲を狭めているわけでもなさそうです。ただしその性質上、特定の人と強くつながり、濃い関係を持つ方向へと働きかけているのは間違いないと思います。
 だから、そういったサービスを用いるあなたが考えている友達や知人の意味とは、もしかするとあなたの意思ではない何かに支配されたものなのかもしれません。
 しかもそうやって築かれた関係が嫌になって外に出ようとしても、そう簡単には飛び出せない状況へと、いつの間にか私たちは追いやられています。何とかして飛び出しても、その動きは監視されているから、リアルタイムで相手に可視化されてしまう。このことは、いずれ恐ろしい事態につながるように感じられてなりません。

変わる家族の意味

 数年にわたって、シェアハウスである「リバ邸」にかかわってきて、いくつか気づいたことがありました。たとえば、家族。血縁や婚姻関係など、今までの価値観と少し違った、新しい意味での家族が目の前で生まれているという感覚を、このところよく感じています。
 そもそも家族という言葉に付随する意味を考えると、時代が変わり、社会が変わる中、そのあり方は大きく変わっています。以前、ある学者の方と話をしたとき、「家族という定義はそもそもない」とおっしゃっていたのですが、これはとても印象的でした。
 いわく、誰かが家族だと思うコミュニティがあれば、それが、その人にとっての家族なのだそうです。血縁や地縁の有無は、実は本当の意味での家族とは無関係とのこと。
 シェアハウスでは人が集まって暮らすわけだから、コミュニケーションを重ねていく中で、自然とつながりが生まれます。だから、当人たちが家族と自覚できるようなつながりになれば、その住人の関係性も擬似的な家族ではなく、それは血縁などのつながりを超えた、本当の家族になりうるかもしれません。
 家族の持つ意味を考えるとき、結婚をどう捉えるかということも一つのベンチマークになると思います。この数世紀で形作られた「一夫一妻制」に基づくそれは、最近になって、ぼくのまわりだけを見渡しても、大きく変わってきています。実際、旧来の価値観とは大きく異なる方法で結婚をし、もしくは離婚をする例が多く見られるようになりました。
 たとえばある知人は、「Twitter」で知り合った女性と、最初から3ヶ月という期間を決めて婚姻関係を結び、きっちり3ヶ月後に離婚しました。または、インターネットを通じて出会った女性と、直接会った日から5日目に結婚をし、今も関係が続いている人もいます。
 また、ネットからアダルトのコンテンツがたやすく手に入るようになったことと関係しているかはわかりませんが、恋愛そのものを積極的に望まない若者が確実に出てきています。
 だからぼく個人としては、自由恋愛のほうが一般的になった状況にある以上、結婚という形をとらない人が増えてもおかしくはないし、結婚も離婚も、もう少し肩の力を抜いて、ある意味ではもっと柔軟にできるようになってもいいのでは、などと思っています。
 心理学に詳しい知人から聞いたのですが、自由恋愛の結果としての結婚の場合、その離婚率は比較的高くなるのだそうです。それは、その結婚自体が「いい人がいないか」という志向に基づくものなので、一度家庭に入ろうとも、その姿勢はどうしても外に向いたままになってしまうからだそう。
 家庭の中に収まっていても「もしかすると、どこかにもっといい人がいるかもしれない」という考えがつきまとっているから、外の世界で「もっといい人」に近い第三者に出会ったときには制御が利かなくなる。一方で、お見合いのように相手の情報が少ない状態で結婚すると、家庭の中に入ってから、もっと相手を知ろうとしたり、長所を発見することに喜びを感じたりと、自然と内向きな姿勢になり、上手くいく可能性も高くなると言っていました。
 そう考えれば、三組のうち一組が離婚するともいわれる背景に、インターネットが大きくかかわっている可能性は高いと思います。自由恋愛による結婚をしたあとでも、インターネットを通じて外からの情報が絶えず入ってくるとなれば、パートナーとほかの第三者とを比較してしまうのは、ある意味で仕方がないこと。
 また、自己表現をしやすい状況になって、同時に承認欲求も強くなったことがそこに輪をかけているようにも思います。誰かから認められたいという気持ちの帰結として、浮気や不倫などに走る人が出るのも、さして不自然なことではないのかもしれません。
「Twitter」の人気アカウント、「サザエBot」。その運営者として知られる、なかのひとよさんの著書『あなたへ #100_MESSAGES_FOR_YOU 』(セブン&アイ出版)にこんな一節があります。

あなたが多くの人に認められたいのは、多くの人に認められたということを、たった一人の人に認められたいからなのよ

 本当の意味で自分のことを認めてくれている人、その多くは、ごく身近なところにいる人のはず。でも、ぼくたちは彼ら、彼女らがしてくれる承認だけでは満足せず、さらに誰かからの承認を得ようと動いてしまう。
 そのような背景で、メーテルリンクの童話『青い鳥』でも語られた、「本当に大事なものが実は傍にある」という真実がますます見えにくくなっているのは、とても寂しいことなのかもしれません。

第六章 ぼくらはインターネットの輪郭を取り戻せるのだろうか

インターネットの輪郭を取り戻すということ

 いよいよ最終章になりました。
 ここまで長いあいだ、インターネットとその世界の変化を丹念に見つめ、検証をしてきました。約20年のあいだにインターネットはこれほどまでにぼくたちの暮らしを変え、同時に、目には見えないけれども、なくてはならない空気のような存在と化しました。
 でも当初の希望に満ちあふれた視点で捉えていた世界と、現実にやってきた世界とのあいだにギャップがあったのは否めません。近年の進化を、基本的には冷ややかに捉えてしまっていたぼくの姿勢もあって、どうしてもネガティブなものが多くなってしまいました。
 でもそれらを、単に「よくないもの」と捉えて、流れに抗(あらが)うのが正しい姿勢かといえば、そうは思わない。そもそもぼくたちの暮らしはインターネットを通じて、昔より格段に便利になったし、メリットを享受している人のほうが多いでしょう。人の欲求に応じて起きた変化にむやみに抗うことに、さして意味はありません。
 たとえば、本の電子化などはその一つ。ペーパーレスで、いつでもどこでも読める利便性の高さは、否定しようがない事実だし、この流れもおそらく止められない。
 しかし、輪郭を失った状況を良しとして、このまま未来へ進むことがいいともまったく思えません。それを確認しないままでいたためにもたらされるダメージが、それこそ人の未来や命すら奪いかねないほどに大きなものになっているからです。
 そこで最後の章では、さらに一歩進んで、ぼくが「失われてしまった」と主張してきたインターネットの輪郭が、果たして取り戻せるのか、ということについて考えてみたいと思います。その取り戻す方法とは、それぞれの考え方や行動に基づくものから、社会として考えなければならないことまで、さまざま。
 そもそも世界は分離してしまっていて、見えている世界も徐々に違ってきているのだから、輪郭を取り戻す手段も異なるでしょうし、読者の皆さんとしては「輪郭など取り戻す必要はない」という結論に至るのかもしれません。
 ただし、完全に取り戻すことはできなくとも、その輪郭について把握しているかどうかで、これからの時代、生き方や考え方が大きく変わるのは明らかです。ここまで読み進めてくださった方なら、この20年において、望むと望まないとにかかわらず、インターネットが私たちを大きく変えてしまったことを強く実感されているはずなのですから。
 さあ、それでは一緒に輪郭を取り戻すための最後の旅へと出かけましょう。

信じるに足るものを探そう

 最近、学生を主体とする若者が15年に結成した政治団体が話題になりました。彼らは時折過激な発言を交ぜながら、扇情的に人々へ訴える手法をとっています。
 彼らがいいか悪いかということはさておき、その行動に肯定的な感情を抱き、それに従ってSNSやニュースキュレーションアプリなどを使い続けると、どうなるか。やがてパーソナライズされて、肯定的に捉えた書き込みや情報ばかりが流れてくるようになることでしょう。つまり、別の見方や彼らを批判する意見があっても、インターネット上では目に入らなくなってしまう。
 多くの場合、自分がいいと思うものを否定したり批判したりする声など聞きたくはありません。だからこそインターネットもその欲求に従い、見たくないものを排除する方向へパーソナライズしてくれるようになりました。しかし余計なものがない、という状況は、ときに「極端」な方向へとぼくたちを誘導してしまいます。
 新聞やテレビといったマスメディアが隆盛を極めていた時代なら、もしくは人と人との直接のコミュニケーションが欠かせなかった時代なら、好むと好まざるとにかかわらず、多様性を持った意見が自然と届いたし、考えることもできたことでしょう。また、対立する意見を並べて検討し、ときには戦わせることで、自らの意見をアップデートできていた。それができない状況へ進んでいることは、これまで世界で繰り返されてきたたくさんの悲劇を振り返ってみても、危険な傾向といえるのではないでしょうか。 
 ちなみに、もしその傾向の危険性を認識して、対策をしたいと考えるのなら、あらゆるものに対して起きている価値観の変容について、先に考える必要があると思います。
 というのも先述したとおりですが、特に消費の意味が先進国から順に変わってきていて、「脱物質主義」へ向かっているさまがはっきりしています。足元の日本でも、「いい車に乗りたい」「いい服を着たい」といった、消費と密接にかかわる物欲が、人々から失われました。対象になるのは単なるモノだけではなく、人のあり方に大きくかかわる「家」なども含まれているので、それがまた別の変化へとつながっています。
 確かにかつての日本なら、いい会社へ入って高い給与と伴侶を得たら、マイホームを買い、家電や車を買い、新製品が出たら買い替える、と消費を人生の軸の一つに据えてがむしゃらに働けたことでしょう。しかし、すでにモノ余りの時代に突入していることを、インターネットがまざまざと可視化した結果どうなったか。消費は忌避されるものとなり、そこへ向けられていたエネルギーが、体験や感動、承認や自己表現などへと使われるようになった気がします。
 それはもちろん「進化」といえることなのかもしれません。しかし、まだそのエネルギーを向ける先を見出せていない人が多くいることに問題があるのです。 
 はっきりした目標や信じるものがあれば、人は何も考えなくていいし、悩むこともありません。それはある意味ではいいことだと思います。突き進んでいたら人生が終わっていた、という事態もあるかもしれませんが、何をもって幸せとするかは人次第。その人にとって価値があれば、それでいい。
 しかし消費への価値が急激に損なわれた結果、生きるうえ、働くうえでの目標やよりどころをも失って、むしろ迷っている人ばかりが目立ちます。迷いあぐねた結果、没頭できるものをムリに見出している人も少なくない。その行きつく先として浮かび上がった一つが、政治や社会などに向けられる過激な思想や行動であるように思います。
 だからこそ、私たちは何を信じて生きるべきなのか、何を目標にして日々を暮らすべきなのか、ということに対して、もう少しだけ意識を向ける必要があるのではないでしょうか。そして見つけたものが信じるに足るものか、自分の頭できちんと考えなければならない。いずれにせよ、そのヒントは簡単に見ることができるSNSのタイムラインには、きっと流れてこないはずです。

分断された世界の外へ向かおう

 もう少し、パーソナライズが作り出す未来の姿を考えてみたいと思います。
 今のインターネットが向かう先の一つに、「分断」という特徴があるかもしれません。それはまさにパーソナライズがもたらす世界です。
 たとえば16年の春、熊本県を中心とした大きな地震が起きました。ぼくは九州出身ということもあり、まわりの人たちがどんなことを考えているかが気になり、すぐに「Twitter」のタイムラインをチェックしました。
 もちろんそこには地震に言及する人がいて、多様な意見が飛び交っていることにやや安堵したのですが、普段と変わらずアイドルやビジネスの話題を淡々とツイートし続けている人も同じくらいいました。そのようなことには関心がないのか、それともニュースを見ていないのか、彼らのタイムラインに地震に関する情報が流れてきていないのかはわかりません。前者と後者、どちらがいいとか、そういうことを言いたいわけではありません。ただ、同じ日本で同じ時代を生きていても、目にしている世界はすでに異なっているというあたりまえのことを、ここであらためて感じたのです。
 映画『ホットロード』の話題のときにも触れましたが、情報源にしているメディアや、深くコミュニケーションをとる人たちの性質の違いで、あるジャンルの情報は飛び込んでくるけれど、別のジャンルの情報はまったく知らない、となる傾向は、今後ますます強くなっていくでしょう。
 家電だけを考えても、テレビはもちろん、冷蔵庫からインターフォン、掃除機まで、インターネットにつながっていることが前提となった商品が販売される時代になるだろうし、外出先から操作し、使用者の状況を家電が確認して炊事や洗濯を始める、という機能もあたりまえになるのかもしれません。
 すでにWebサイト上に表示される広告などでは始まっていますが、町を歩こうが、電車に乗ろうが、どのWebサイトを見ようが、表示されるコンテンツが目前の人によって違う、という時代が来るのはそう遠くなさそうです。
 いずれにせよ、向かう先の目標の一つにパーソナライズ化があるでしょうから、そうなったときに冷蔵庫から表示されるメニューは、そしてテレビから流れる番組はどうなるのか。それは、おそらく皆さんのご想像どおりのはず。
 この結果として失われるのは、偶然性です。情報だろうと知識だろうと、そして経験だろうと「あなたのために分断された世界」の外へ意識して抜け出さない限り、未知との遭遇はない。そして、分断された世界に閉じこもるということは、新しい可能性との出会いを、あらかじめ拒絶していることとほぼ同義です。
 その危うさに気づいた方の多くは、すでに発信を始めています。最近だと東浩紀さんが「旅に出ること」の価値を説いた『弱いつながり─検索ワードを探す旅』(幻冬舎)が話題になりましたが、輪郭や境界が見えにくくなった世界だからこそ、本人が今いる場所から抜け出すことを意図しない限り、新しい世界へと到達することはできません。
 インターネットの発展のおかげで、趣味や信条、興味・関心を軸に、集まる仲間は増えるかもしれないけれども、一つひとつのサークルが小さくなり、場合によっては極端な方向性を持ったまま、閉じてしまいかねないことは、ぼくがやや恐れるところでもあります。
 年齢や肩書、信条などを飛び越えて、偶然性に形作られたつながりをどうやって見つけて参加することができるか。それが今後、大事な視点になっていきそうです。

偶然を創ろう

 偶然について、ここでもう少し考えてみたいと思います。
 偶然という言葉の意味は「因果関係がなく、予期しないことが起こること」などとされます。そうした本来の意味を考えれば、偶然を「創る」「生み出す」、という考え方はもともとの言葉からすると、やや矛盾している気がします。
 しかし近年に生まれた、ネットによって「すべてがつながっている」状況はつまり、すべてに「因果関係が生じている」状況ということ。つまりこれからの時代、普通にしている限り、ネット上で偶然は起きない、ということになります。
 だからおそらく、これからの時代、実は偶然を生み出すようなサービス、つまり「ランダム」こそ一つのキーワードになるのではないでしょうか。 
 ネット上ではこれまでも「ランダム」をキーワードにしたサービスは多く生まれています。たとえば一昔前だと、閲覧者が「鉄道」とか「野球」とか興味を持つキーワードにひもづけされた「リンク」を選び、そこに登録することで、誰かが作ったリンクに沿って、サイト閲覧ができるようになるシステム「ウェブリング」が流行りました。誰かが用意した中での「ランダム」ではありますが、偶然の出会いは、実はユーザーからも求められるものだったといえるかもしれません。
 このことは、先日「Sing! カラオケ」というアプリを使った際にも感じました。これは選んだ曲を歌おうとすると、同じタイミングで歌おうとしている世界中の人々をつなげてくれるカラオケアプリ。たとえば『We Are The World』を選べば、アメリカだろうと韓国だろうとサウジアラビアだろうと、同じ曲を選んだ者同士が国や地域を超えてつながり、一緒に歌うことができる。その様子は、まるでランダムにカラオケルームに集められて、歌っているかのようなもの。
 このアプリを使って一曲歌ってみて、実はこのアプリは、自分が追い求めたインターネットの一つの完成形なのかも、などと感じました。
 それぞれの個性が消されることなく、皆が各々の個性を有したまま同居し、新しいものを創造する。それは何らかの枠にはめ込まれるような意味でのグローバルではないし、やっていることは単なるカラオケかもしれないけれども、まさにぼくがイメージしていたインターネットに近い。
 今インターネットでは、あらゆることでユーザーにとって「ムダがないほうがいい」「ジャストサイズほどいい」「居心地がいいほどいい」ことを前提としたサービスばかりが生み出されているように思います。もちろん、ユーザーが求めた結果として、そういった世界になったのなら否定しません。しかしプラットフォーマー側が、「偶然の出会い」を、はじめからまったく用意していない状況は、決して健全だとは思えないのです。
 最近、ぼくはビジネスの関係で、高齢者の介護サービスを手がけている若者と会いました。彼は介護分野におけるスペシャリストだったわけですが、ぼくはといえば、これまで介護に直接的にかかわったことがなかったので、その知識はほぼゼロ。でもビジネスやインターネットのことなら、立場や経歴上、よくわかっています。
 そこで打ち合わせを通じて、二人の持つ知識や経験、スキルなどを出し合ってみました。そうしていくと、テクノロジーの力を用いることで、まだ介護にはアップデートできる余地があることに気づいたし、こうできるのでは、などと考えている間に、アタマが活性化していくのを感じました。
 やはりインターネットを通じて知識を得ること自体は容易になったとしても、さらに新しいものを生み出したいと考えるのなら、そこからもう一歩を踏み出さない限り、世界は大きくは変わらないのです。
「Google」は関連度合いをベースとしてインターネットを整理し、「Facebook」はリアルな人間関係を整理してプラットフォーム化しました。「Twitter」は興味や関心を関連づけることで、インターネット上でのソーシャルの場を作っています。
 これらはまったく別のサービスですが、共通した動きは「つなげる」ということ。これからもその視点は重要になるとは思いますが、残された要素を考えれば、あとはいかに関連のないものにつながりを与えるか、という視点も重要となるはずです。
 考えてもみてください。もし「Amazon」が、「この本を買った人は絶対にあの本を買いません」とすすめてきたら、とてもおかしいし、むしろ興味を持ちませんか?
 だからこそ自由なようで、実はとらわれていることに気づき、自分を中心とした世界から意識的に飛び出せる人が、これからのインターネットの世界でも活躍し続けることができるはずです。

エクスターネット的

 そして「飛び出す」ということを考えていたら、あるとき、「エクスターネット的」という言葉を思いつきました。
 ブラウザを立ち上げて情報を取りにいき、自らも発信して、というのがこれまでのインターネットだったと思います。糸井さんも刊行された『インターネット的』という本で、どういったものがインターネットっぽい、つまり「インターネット的」なものといえるか、その考察をしていました。
 しかし今、インターネットがどこで介在しているのか、どこまでがその世界なのかが見えなくなっている中で、かつてぼくたちがインターネットに求めたもの、得たもの、すなわち「インターネット的」なものは、今やその外、つまりエクスターネットでしか手に入れられなくなったように感じています。だから、かつて「インターネット的」と定義されたあらゆるものは、もはや「エクスターネット的」と同義だと思うのです。
 わかりやすく言えば、今のインターネットを俯瞰すれば、誰もが顔なじみの田舎町のような感覚を覚えます。知っている人だけで作られた世界ですから、そこに好んで住んでいるあいだは不要なノイズは入らないし、傷つけられることもないし、漂うだけなら心地いいかもしれない。ただし、どこに行っても身内やそれに近い人ばかりで、見張られている感じもするので、どこか閉塞感があるのも否めない。そうした世界で満足できない人にとっては退屈で、窮屈で仕方ないことでしょう。
 では、どうやってそこから抜け出すかと考えたなら、答えはとてもシンプル。「外に飛び出す」しかないのです。それが「エクスターネット」という言葉を通じて、ぼくが伝えたい概念です。
 かつてのインターネットは、何が出てくるのかわからない偶然性にあふれていました。今日はどんな発見があるのか、誰と出会うのか、もちろん不安だったけれども、やっぱりどこかでワクワクしていたものでした。
 しかしパーソナライズ化が進んだ結果、安全になったかもしれないけれど、見たいものしか見ようとしない、そもそも見えなくなったインターネットでは、もう偶然性は望みにくくなりました。しかもこの流れはますます強まる。だからこそ、エクスターネットという考え方を常にアタマのどこかに置いておくことが重要になるはずです。
 なお、本書の担当編集者は「あまりお酒を飲めないけれど、あえて自宅近くの居酒屋に足を運び、仕事では出会えないような人と交流している」そうです。これこそが、知ってか知らずか、ぼくがイメージする「エクスターネット的」な行動。
 彼が同僚や仕事で知り合った人と飲みにいったなら、そこで起きる会話や得られる情報、そしてハプニングまで、ある程度は予想の範囲内に収まります(もちろんケース・バイ・ケースですが)。飛び抜けて変わった「化学反応」は起きづらいのではないでしょうか。
 しかし近所の居酒屋に一人でふらっと行ったのなら、暖簾をくぐるまで、誰がいるかわかりません。しかも、たまたま出会った人の多くは、生活している環境や基本情報などが大きく異なっていますから、生み出される会話や得られる情報、そしてハプニングもまったく読めません。
 ちなみに狭い酒場やスナックなら、ママがいて、なめらかに他の客とつないでくれるのも素晴らしい。実は、スナックのママとはゆるやかなポータルサイトのような存在なのだと思います。これももちろん状況によるでしょうが、多くの場合、顧客であるあなたの情報をむやみに拡散したりはしないし、ネガティブな話題などにはなるべく触れないよう、こまやかなケアをしてくれるはずです。
 ママの多くはコミュニケーションのプロですから、客同士が偶然的に行う会話を、程良い距離で見守りながら、それぞれの客の背景や距離感に応じて取り持ってくれます。
「この方、引越してきたばかりなんですって」「3丁目にお住まいなんですって」など、公開可能な範囲の情報を器用に、適切に取り扱ってくれる。そして何度も通って顔なじみになれば、あなたが欲しているような深い情報も、やはり適切なタイミングで公開してくれるはずです。
 情報があふれている現在、アルゴリズムに頼った効率的な情報収集は、もちろん有益です。しかしこれからの時代、ムダも多いかもしれないけれども、偶然性に身をゆだねた、人を介した温かみのある情報収集も、また新しい価値を持つ。そして、そうした出会いは、きっと「エクスターネット的」な世界にしかありません。

Six degreesの外に行こう

 もう少し居酒屋とスナックの話題を考えてみましょう。
 それぞれのお店には、必ずといってもいいほど、おもしろいおじさんがお客さんとしてやってくるはずです。たとえばお年を召した、まったく知らない、でもユニークなおじさんに出会ったとします。SNSを調べても、あなた、そしてあなたの周辺の人ともつながってはいなかったとしましょう。
 言い方に失礼がないよう注意したいところですが、あなたから見て「Six Degrees of Separation(自らの知人を6人介すと世界中の人々と間接的な知り合いになることができるとする仮説)」を超えたところにいらっしゃるそのおじさんは、明らかに貴重で希少なコンテンツです。これからの時代、そういった、あなたの外の世界に残るつながりを見つけたのなら、一つひとつ、大事にしてほしい。
「まとめサイト」などが典型ですが、インターネットでは、情報はしばしば省略化されて、ムダがそぎ落とされます。でも、誰かがそぎ落とす判断をした部分に、あなたにとって役立つ情報が含まれていても、まったくおかしくありません。
 確かにぼくを含めた多くの人は、システマチックにアルゴリズムであれこれ解決するような便利な世の中を求めていたけれど、それが向かう先は拡張ではない。むしろテクノロジーは、安全で効率のいい、コンパクトな世界を生み出そうとしています。だから、もしあなたが自分の世界を拡張したいと思ったなら、意識的にインターネットの進む先に逆らう動きをしなければ、それは実現できない。
 そして属人的であり、再現性のない人間くさい世界には、やっぱり自分の足を使わなければ入り込んでいけない、というのがぼくの信条でもあります。偶然の出会いを重ねていくうちに、「人はそれぞれの人生があって、話を聞けばやっぱりおもしろい」という当然のことにも気づくはずです。
 よく「誰でも自分の人生を素材にして本の一冊は書ける」と言われるように、やはり生きている以上、人生に平坦なものなどありません。道ですれ違うあの人も、電車で向かい側に座るこの人も、きっと語るべき何かを持っています。
 だからといって、「人の世界にどっぷりつかって、ネットなんて切断せよ」と極端なことを言うつもりはありません。インターネットを継続的に利用して、つながっている世界の輪郭を確認しながら、ときどきその外へと足を運べばいい。または輪郭を把握したうえで、片方の世界のメンテナンスを、もう片方で行う、なんていう行き来を楽しんでいいと思います。
 たとえば一人で居酒屋に行くようになった結果、そこで出会ったおじさんがおもしろいし、友達とも相性がよさそうだから紹介したい、と考えたのならば、SNSを介して友達につないでもいいでしょう。あなたがもたらした新しく、偶然性に満ちたつながりは、きっと既存の世界で波紋となって広がり、予想しないような影響を与えてくれるはずです。
 そうして、それぞれが「Six degrees」の外で見つけた偶然性に満ちた出会いをシェアするようになれば、あなたのまわりに漂うインターネットの世界は、今よりはるかに豊かになるように思う。だからこそ、まずはあなたが外の世界へ向かい、その情報を周囲に教えよう。そうしていくうちに、世界は必ず拡張していくはずです。
 そして、これまでは円の中を充実させよう、あるいは閉じこもろうとしていた一人ひとりが、それぞれ境界を確かめて、あえてその外へ出ていくようになれば、円径は自然と広がっていきます。
 だからこそ、あえて「Six degrees」の外へ行こう。行ったことのない小さな居酒屋へ、スナックへ足を運ぼう。コミュニケーションに失敗すると予期せぬ「エラー」が起きるから、あくまで無礼のないよう、程良い距離を保つように気をつけながら。

孤独な時間を作ろう

 スマホの登場もあって、いつであろうと、どこであろうとつながっている、本当の意味で、常時接続の時代がやってきました。では、その常時接続がもたらすものとは何でしょうか。それは端的に言えば、「一期一会がない」という状況だとぼくは思います。
 たとえば学校で友人と喧嘩別れしたとします。これまでなら、自宅に戻って一旦距離を置き、お互いに頭を冷やす時間が取れました。その結果、次の日には素直に謝ることができたかもしれません。「二度と会わない」と決めた恋人がいたのなら、やはり距離や時間、そして覚悟や決意さえあれば、会わずにいられたことでしょう。そして次の恋へと進むことができたのかもしれません。
 しかし、常時接続している世界ならどうでしょう。
 今日も明日もその先も、距離や時間、覚悟や決意を飛び越えるくらいにぼくらは容易につながることができてしまいます。たとえあなたが避ける努力をしたとしても、共通の知人を介して、もしくは相手が接続を試みた場合、またつながりは続く。
 実は人と人との関係において、時間や距離を置くことで解決する、という問題は往々にしてあります。皆さんにもそういった経験があるのではないでしょうか。そうであるのに、いつもつながっている状態のほうがあたりまえ、という状況は、人類がかつて経験したことのない局面を迎えたことを意味していると思います。
 もちろん、悪いことばかりではないでしょう。
 たとえば仕事の関係で、イギリスにしばらく行かなければならない友人がいたとします。かつては別れを前に空港で涙、なんて光景がよく見られました。しかし今なら、空港で別れた翌日、その友人から、「今ヒースロー空港に着いたので、おいしいランチのお店教えて」なんてメッセージが届くのがあたりまえの時代になりました。 
 ぼくも、そういった状況がもたらした便利さやありがたみを感じる者の一人です。福岡にある実家に帰省するのは、2年に一度程度だったので、帰るたびに母から「残りの人生を考えると、会えるのはあと数回かな」などと言われ、かなしさにも、申し訳なさにも似た感情を覚えていました。
 ところが今、実家の母は、スマホを器用に使いこなすようになりました。毎日のようにLINEを使い、スタンプを送ってくる様子は若者のそれと変わらないし、遠くに住んでいて連絡が取りにくいとか、目が届かない、といった心配も断然減りました。
 今や世界中のどこにいようと、リアルタイムでメッセージのやりとりができるし、たった今の様子について音声や映像を通じて伝え合うことができる。それはまるで、相手がすぐ隣の部屋にいても、ブラジルにいても、何ら変わらないような感覚で、距離も時間も隔たりを感じることなく、シームレスにやりとりができるようになりました。
 それによって「旅の情緒」や「今生の別れ」といったニュアンスは失われたかもしれません。それでもかつてに比べて、圧倒的に便利で、豊かな現実がここにはあります。
 だからこそ、意図的に「切断」しない限りは、つながりっぱなしの状況が続いていくのも事実です。「ぼくは概念になりたい」と記しましたが、二人の人のどちらかが死んでしまっても、プログラミングなどでリアクションをするようにしておけば、死者とすら、つながり続ける状態も考えられます。
 では意図的に切断する方法とは何か。それは「孤独」だと思います。ぼくも、ときに友人や知人だけでなく、インターネット上でつながっている人たちのすべてを「遮断」することで、意図的に孤独の時間を作ることがあります。
 その間は、本を読んだり、考え事にふけったり、いろいろな過ごし方をしているけれど、すべて一人でいるようにします。それは誰ともつながらず、ただぼくが、ぼく一人を集中して見つめる瞬間です。ドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーも、著書『孤独と人生』(白水社、金森誠也訳)でこう述べています。

「健康についでこの世の最高の宝である真の心の安らぎと、落ち着いた気分は、ただ孤独のなかだけに見いだされるものである」

 ショーペンハウアーは俗世と離れて仙人のような生活を送ることを推奨しているけれども、これは21世紀の日本で生きていくうえで実現しづらいし、インターネットが、ぼくたちの生活を完全に隔離することを許してはくれないかもしれません。
 だから、ずっと「孤独」でいるのを目指すのではなく、これまでのような生活をしながらも、並行して、孤独になって、自分と向き合う時間を確保することを提案したい。それは「なんちゃって孤独」だろうと、ないよりずっといい。先ほどは極端な見解を紹介しましが、実はショーペンハウアーも、かなり現実的な意見を述べています。

「孤独の境地のうらさびしさを長い間には耐えきれなくなる人びとに対して、私は次のようにおすすめしたい。すなわちそうした人は、おのれの孤独の一部を社交界のなかに持ちこむよう習慣づけること、つぎに人びとのあいだにあってもある程度孤独であることを学ぶこと」

 たとえば、土日のどちらかはスマホを触らない、と決めるのもありでしょう。あるいは、月のどこか1日、外からのあらゆる情報を遮断して、内面を見つめる日にする、といった選択もあるかもしれません。孤独な時間を少しでも作ることこそ、有意義だと思うのです。
 実は「孤独」は、大きな可能性を秘めていると思います。引きこもった時期があるからこそ、なおさらそう感じるのかもしれませんが、みんながつながり合っている時代だからこそ、ますます大きな意味を持つはず。ぜひ次の週末あたり、久しぶりの「孤独」を味わうことをおすすめします。

世界を強制的に変えてみよう

 ときには思いきって、目前の世界を強制的に変えてしまうこともいい方法でしょう。インターネットを覗くと、たくさんのコラムや記事を目にするようになりましたが、ぼくは、ここでただ読むだけではなく、書く立場に立ってみることを皆さんにおすすめします。
 いつもの町並み、会社、買い物の合間に立ち寄る喫茶店。普段ぼんやりと眺めている景色も、そのあとに「書く」という過程が控えていることを念頭に置いていれば、まったく違うもののように見えるはず。これこそぼくが考えた、目前の世界を、強制的に変えてしまう方法です。
 たとえば通勤電車の中をあらためて眺めれば、多くの人がスマホに目を落として、SNSやゲーム、ネットサーフィンに夢中です。小さな画面内の世界だけにとらわれているから、車両で起こった些細な出来事や車窓の外に広がる美しい夕焼けに、気づく人は少ない。
 でも「通勤電車についての記事を書かないと」と意識したうえで乗っていれば、スマホだけに目を向けているわけにはいかなくなります。車内で何が起きていて、どんな音がして、どのような匂いがしているのか。または、どんな人たちと乗り合わせているのか。おそらくそれまで見ていた世界は一転して、ぼんやりしていた自らのアタマと、五感もフルに動き出すはずです。
 電車に乗っているあなたの目の前で、突然、男性がパンを食べ始めたとします。ぼくだったら、なぜ彼は電車で飲食することを選んだのか、きっと考えるでしょう。もしかすると移動の合間しか、食事の時間が取れないくらいに忙しかったのかもしれないし、空腹に耐えかねる事情があったのかもしれない。または、おいしそうなパンだけど、いったいどこで買ったものなのかと思うかもしれないし、乗車マナーとしてどうなのか、と考えるかもしれません。でも待てよ、そもそもマナーとは……。
 目を向ければ、意識を向ければ、その先の景色からは、必ず何かを感じるはずです。五感のどれかが、あるいはいくつかが動き出します。そこで得た驚きや違和感をアウトプットする意味で、何かに書き出してみましょう。
 それは手帳でもいいし、日記でもいい。ただし、「Facebook」や「Twitter」のように、不用意につながり、誰かの目に留まる可能性があるものは避けてほしい。
 書き上げた以上、誰かに読んでほしい、感想をもらいたい、という気持ちが出てくることもわかります。しかし繰り返し言っているように、ネットを経由することで無用なトラブルを招きかねないし、多くのサービスが承認欲求を埋める方向で作られている以上、いつの間にか、他人からウケるような文章や、本意でないことを「狙った」うえで書くようになりかねない。これでは意味がない。
 他人の目を気にしない、と言いながら、本当に超然としていることは、今の時代にはかなり難しくなりました。だからこそ、ときには人からどう思われるか、思われたいか、というしがらみから逃れて、あくまで自分の視点を大事にしたい。
 人の視点を入れず、自分自身と静かに対峙し、思いの丈を表す。その表現方法として、文章を書くことはピッタリ。何かの世界にとらわれているな、と感じたならば、強制的に視線を変えて、そこで感じたものを表現するような習慣を身につけてほしいと思います。

軸を増やそう

 目前の世界を変える、というものと近い考え方ですが、あなたそのものの中心軸を増やしたり、ズラしたりすることも、有効な手段の一つではないでしょうか。
 ここで言う軸とはつまり、肩書とか立場という言葉に近いのですが、ぼくの場合、その軸を大きく分類するなら「経営者」かもしれない。でも、あるときは飲食店経営者であって、本を書くこともあります。政治の世界へ首を突っ込んだかと思ったら、起業家に戻ったりと、意識しているいないにかかわらず、たくさんの軸を持つようになりました。
 企業経営のみで大成した人と話した際などには、コンプレックスを感じることもありますが、現実として、軸を増やしたりズラしたりして得たものは想像以上に多いと思っています。
 たとえば都知事選に出馬する前は投票する側にいたので、立候補する側から見た選挙の制度や条件などはほとんど知りませんでした。でも、立候補する側に立ったことで、否が応でも新しい知識や経験を得ることになります。
 知識があるかどうか、ということは別としても、玄人との戦いに、素人が突っ込んでいったわけですから、ズレたことをしたり、その世界で「非常識」に見えることをしたり、まわりから叩かれることもありました。でも素人だからこそ、軸をズラしてみたからこそ、浮かんできた発想や見えてきたものも、たくさんあったのは事実。
 もし政治家の友達や知人がたくさんいて、選挙に詳しい状態で立候補していたら、当選まで最短で、効率良くたどりつける方法を模索していたことでしょう。またはその世界の現実を知った結果、そもそも立候補をしない、という選択をしていたかもしれない。
 わからないからこそ湧き上がる思いを大事にして、飛び出し、それまで見たことのない景色を目に入れる、という姿勢がこれからはおそらく重要になるはずです。
 そうやって普段から軸を増やしておけば、意見や考え方もフレキシブルになるし、生き方の面でも、何か上手くいかなかったから、それで行き詰まってしまう、という単純な構造から逃れることができる。一つの軸で上手くいかなくても、別の軸に注力してみればいいわけで、結果的にリスクも少なくなります。おそらく、軸が一本しかない場合と比べて、ずっと強い人生を築くことができるのではないでしょうか。
 では、どのようにして軸を増やしたり、ズラしたりすればいいのか。
 一番いいのは、少しでも興味があることがあるなら、とにかく躊躇なく飛び込んでみる、ということ。自分のことを振り返ってみても、「やりたい」と思えるような新しい事業があれば、そこにひもづく慣習などを完璧に理解できていなくても、とりあえずはじめの一歩を踏み出すようにしています。
 それがときに、摩擦や炎上を起こすことにつながっているのかもしれないけれど、結果としてその積み重ねが自分に新しい軸を作ってくれたし、軸を増やしたり、ズラしたりする手伝いをしてくれるような仲間にも巡り合うことができたように思います。
 でも、おそらくそんなことは多くの人がわかっているし、なかなかできない。そこで、もっとずっとハードルが低くて、それこそ今すぐできる方法を一つ提案させてください。
 それは、「Twitter」や「Instagram」でフォローしている相手を変える、ということ。ただ全部をリセットするとか、ランダムに変える、ということではありません。ぼくは、誰かがすでにフォローしている相手を自分でも踏襲する、「フォロー乗り移り」という方法をおすすめします。
 たとえば、生き方やメッセージが素晴らしいと思える、もしくは自分とまったく違う意見を持つ著名人の「Twitter」を調べて、彼または彼女がフォローしている人を、そのままフォローしてみる。そうすれば、あたりまえですが、その相手が普段向き合っているタイムラインに近いものが、自分のタイムラインとして流れてくるはず。見方によってはちょっとストーカー的な危ない行為かもしれないけれども、「Twitter」などでやるぶんには別に違法なことでもありません。
 SNSが浸透した状況におけるタイムラインの重要性はすでに記しました。そのタイムラインが変わる、ということは、今まであなたの目前になかった世界を創り、そこへ足を踏み入れるようなもの。「乗り移り」をする相手選びはとても重要ですが、もしその人と直接会うことになったら、少し緊張するような、背伸びしないと話ができないような相手がいいかもしれません。その人の見ている世界が、きっとあなたに成長をもたらすことになるはずですから。
 さすがに、フォローしている人を一度に全員入れ替えるのは大変だと思いますので、気がついたときに、少しだけ入れ替えてみたり、リスト機能を上手く活用したりしながら、視界に入れる世界をチューニングしていきましょう。
 そのようにして、意識して軸を増やし、ズラす努力をすることは、現実だろうとインターネット上の世界だろうと、これからの時代に必要な姿勢になると思います。

書店に行こう

 これは書くべきか、やや悩ましいくらいにありふれた主張かもしれないけれども、これからの時代だからこそ書店、つまり本屋さんに行くことはどうしてもすすめておきたい。
 それこそ物心ついた頃には、父親の本棚から本を引っ張り出して熱心に読んでいたぼくにとって、読書はカラダに染みついた習慣になっています。
 読書の先に考えられる目的の一つとして、知識を得る、視野を広げる、ということがあるでしょう。ぼくの場合、ときどきの興味関心に応じて、同時に何冊も読み進めるようにしていますが、かかわっているビジネスなどと直接関係のない、社会学や哲学、宗教学などのテーマの本ほど、ぼくの世界を拡張してくれていると実感しています。 
 なお、ぼく自身「読書はこうあるべき」といった考え方は持っていません。興味のあるところから読んだり、途中で放置したりしてもまったく問題はないと思います。読みかけの本から別の本へと移って、しかもそれがまったく違う分野であっても、前に読んでいた本のおかげで思考が広がることはよくあります。思いがけない掛け合わせで、素晴らしい化学反応が起きることもあるのです。そしてそのほうが、情報収集のために、あちこち動き回るほうが普通となったネットの世界に慣れ親しんだ私たちにとって、スムーズな読書方法のような気もしています。
 一方、読めば読むほど、自分が「物事を知らない」ことに気づくことも、「知識を得ること」と同じくらい、もしくはそれ以上に重要なことだと思います。
 インターネットにどっぷりつかっていると、「物事を知らない」ことを実感する機会は減ります。というのも、単に特定の知識を得る、という意味で、おそらくインターネット以上に役立つものはないから。知りたいことを検索窓へ打ち込めば、ピンポイントでその情報を、ムダなく、最新の状態で得ることができる。これはおそらく人類の歴史上、活版印刷が生まれたことと匹敵するくらいエポックメイキングなことなのではないでしょうか。
 しかも、インターネットはあなたがこの先、興味や関心を持つと思われるものまで先回りして、目の前に並べてくれます。そんなインターネットの世界に留まっていれば、「すべてを知っている」つもりになることは明らかです。実際、「Wikipedia」に表示されたぼくの情報が、ぼくについてのすべてであるかのように、「あなたのことなら何でも知っている」と勘違いして接してくる人はたくさんいます。
 でも、そこから一歩外に出ることになれば、インターネットで得られる薄い知識が通用することばかりではない。むしろ自分が裸の王様だったことに初めて気づくはずです。何らかの目的をもとに意図した情報にダイレクトにたどりつき、偶然という要素が一切挟まれない「検索」だけを続けていては、目の前の世界が大きく変わることはないから。
 だからこそ、東浩紀さんは『弱いつながり』で「旅に出よう」と説いたのでしょう。もちろん旅に出るのも自分の無知を知るために有効な方法です。しかし、さらに手軽にできて、日常に組み込むことができる方法として、やはりぼくは「書店に行こう」とあらためて提案したい。
 現実として、今、本屋さんが町から次々に消えています。それは、情報収集を行う中心の場所がもはやインターネットに移ったから、といえるでしょう。しかし、もしかするとネットの世界につかっているうち、知識との「偶然の出会い」を求めなくなった姿勢が、ますます人を本から遠ざけているようにも思います。
 だからこそ、月に一冊、書店でたまたま気になった本を買ってみてはいかがでしょう。書店に入る前から知っていたヒット作やランキング情報に基づいて選ぶのではなく、あくまで店頭で見て、そのタイトルや内容、装丁など、どこか直感的に気になったタイトルや内容のものを買ってみる。それを習慣づけるだけで、あなたの世界は予想もしない方向へと、大きく広がっていくはずです。

プラットフォーマーになろう

 ここまで輪郭を取り戻す方法をいろいろと考えてきました。「孤独な時間を作る」とか「書店に行く」とか、誰にでも、すぐにできるものをなるべく考えてみたのですが、実はその根の部分で、ある共通したスタンスがあるような気がしています。
 そのスタンスこそ、これまでネットと切り離せない人生を歩んできた自分が、偶然か必然か、その輪郭をおぼろげながら確認できた大きな理由だと思います。それを一言で言うなら、「プラットフォーマー視点」です。
 ぼくはこれまで多くのインターネット上のサービス、そして、ネットと結びついた現実世界でのサービスを作ってきました。それらは、いずれもプラットフォームサービスです。
 プラットフォームとは、もともと駅構内にある、電車に乗り降りするためのホームのことを指す言葉で、ぼくの手がけるサービスも、それを中心として多くの人たちが行き来し、利用してもらうことで成り立っています。そしてぼくは、常に「プラットフォームを提供する」立場にいた。それはユーザーではなく、あくまでプラットフォーマーだった、ということです。
 なぜプラットフォームを提供する側にこだわるのかといえば、一つにはインターネットという世界で自分を表現したいと考えたなら、その行きつく先こそが、プラットフォームだと思うからです。
 クラウドファンディング・プラットフォームである「CAMPFIRE」や「studygift」は典型的ですが、「世の中がこうなってほしい」「社会がこういう方向に進んでほしい」と自分で考える度、その想いをヒントに、それを実現するサービスを手がけてきました。それはもちろん世の中を少しでもよくするためのサービスであると同時に、自分の想い、哲学を表現した存在ともいえるでしょう。 
 もう一つに、プラットフォームは、辛いことや苦しいことを解消してくれたり、軽減してくれたりする存在になりうる、ということがあります。
 苦しんだ、ということで考えれば、たとえばぼくの場合、過去にいじめを受けた、引きこもりになった、という経験があるかもしれません。でもそうしたことは、実はたった今、知らない誰かが苦しんでいることなのかもしれない。そんなとき、先に苦しんだ経験のあるぼくだからこそ、その誰かに寄り添い、彼らが望むサービスを用意して、力になることができると思います。
 悩んでいた当時の自分が今目の前にいたとして、力を借りたいと考える、プラットフォームとはいったいどんなものだろう。そう考えることで、新しいプラットフォームのアイデアが自然と生まれるし、きっとそれは誰だろうと同じなのではないでしょうか。しかも、そうして誰もが、誰かの生きづらさに想いを馳せていくことで、いつの間にか、世の中は今よりずっと良い方向へと進んでいくはずなのです。
 その由来はいろいろありますが、「今すぐ食べられる魚を与えるより、魚の釣り方を教えよ」という有名な言葉があります。解説すれば、魚を渡すだけでは、その場で食べてまたお腹を減らすだけだから、そのあとにつながる釣りの仕方を教えよう、ということだと思います。
 ぼくがプラットフォーマーでいるときの方針はこれに限りなく近い。ただし、釣る方法を教えるというより、「ぼくはあっちのほうで釣っているから、君も釣りをしたくなったらいつでもおいで」というニュアンスで考えています。今の時代、釣り方はもはや一つではありません。また、釣りをしなくても、後ろを振り返れば木の実がなっているかもしれない。だから無理強いをすることはないと思っています。
 ただし、困って助けを求めてくる人がいれば、その人を救うヒントくらいは与えられる存在になっていたい。一貫してその指針を持って活動をしていたことが、ネットの輪郭をおぼろげながら見出すことができていたその理由だと思います。 
 この章の最初にもお話ししたとおりですが、消えかけたその輪郭を取り戻すなんて、実はほとんどの人にとって、もう必要がないことなのかもしれません。
 でも社会のあらゆる機能がネットに統合され、人工知能に多くの仕事を託すことができるようになるこれから、ネットと現実の世界の境界や、それによって消えかけているあらゆるものの輪郭を確認すること、そして新しい世界が理想に近い形で広がっているかを点検することは、人に残された数少ない作業であり、また義務なのではないでしょうか。
 だからこそ、その義務を果たすためのいろいろな方法を考えてきたものの、今それぞれが持つ世界は現実として分断しているのだから、読者の皆さん全員に、ぼくが考えた輪郭を探る方法が通用するとも思えません。そもそもぼくの考えている輪郭が皆さんと、まったく同一とは限らない。
 しかし、やっぱりそれでいいのです。消えた輪郭というのは、きっと自分の、そして別の人の輪郭を確かめ、つなぎ合うことで初めて確認できるもののはず。そして、それこそがこの本を執筆していてたどりついたぼくの結論です。
 だからこそ、みんなで今までのインターネットに一度「さよなら」を告げませんか。輪郭を失い、閉ざされ、冷たくなりつつあるその世界に。
 そして、これからまたみんなでその輪郭を探り直して、そこから築き上げるインターネットの世界に「こんにちは」と言いませんか。
 さあ、あなたも一緒に。

おわりに

 最近、島根県の海士(あま)町に知り合いができたので、暇を見つけては、足を運ぶようになりました。海士町は隠岐諸島に位置する、漁業や農業を主体とする小さな島。かつては4000人が暮らしていたそうですが、今は2400人足らずになっています。
 そんな海士町ですが、近頃、都会から移住する若者が増えているそうです。その若者たちに目立って見られる特徴はパソコンと、その確かなスキルを持っているということ。彼らはその二つさえ揃えば、どこででもできるような仕事を抱えたまま海士町に移り住み、美しい海や空を身近に感じる、豊かな暮らしを満喫しています。
 生き生きと暮らす彼らと現地で話していた際、ふと気づいたことがありました。それは、彼らのほとんどは「生き方」を優先した結果として、その町に移住してきている、ということ。ここで重要なのは「働き方」ではなく、「生き方」を選んだことにあります。
 常時接続があたりまえとなった今、タイムラインで絶え間なく流れてくるのは、誰かの仕事での成功話や自慢話が大半。そもそも、人生のうちの長い時間を費やすのが仕事であって、同時に、何らかの目的を果たせば誰かにそれを認められたいと思うため、タイムラインがそういった話題で埋まるのも当然のことでしょう。
 しかし、そうした投稿を読む側とすれば、単純な「いいね!」という気持ちに留まらず、憧れや焦り、ときには悔しさや苦しさなど、複雑な気持ちを抱いてしまうのも、また事実。その結果、私たちの多くは「自分ももっと成功したい」「もっと承認されたい」と気持ちを揺さぶられてしまう。
 もちろん、全員がそうとはいわないけれども、多くの人がそんな状況に陥っているのは誰の目にも明らかです。これは、つまり「働き方」の先に求めるものとして、今までの出世やお金以上に「承認」という目的が優先されるようになり、その価値が肥大した、ということなのではないでしょうか。
 翻って海士町に移り住んだ人々を見てみれば、もちろん全員がそうだとはいえないけれど、「働き方」以上に「生き方」を追求している度合いが、ずっと大きい。その先にあるのは、誰かからの承認を求めるようなものではなく、本当に小さな自分の足元の幸せ、と表現するのが適切なもののようにも感じます。
 たとえば、なかなか売れなかった商品が、一つ売れた。前までできなかったことが、あるときからできるようになった。そういった小さな出来事に気づき、それを認めて、自分の中で価値を築く。その多くは、不特定多数からの「いいね!」を稼ぐような類(たぐい)のものではなく、もっとシンプルで本質的な幸せです。
 また「自分がどう生きたいか」という問いへの答えとして、漁業や農業、エンジニアといった職業を選んでいて、強い信念や覚悟を伴っているようにも見えます。
 あくまで生き方を選んだ次に仕事があるのであり、「自分はどう生きたいか」から逆算して過ごすことができている。だから何か一つのことに成功や失敗をしても、そのたびに気持ちを大きく揺さぶられることもない。大きなゴールがアタマにはあり、それを見据えて暮らしているから、どのような道筋をたどろうとも、いきなり心が折れるようなこともないように感じます。
 この本の最後の章に、プラットフォーマーとしての視点を持つことをすすめました。実は、プラットフォームとはインターネットの向こう側だけではなく、目の前の現実の世界にもいくらでもあると、最近になって考えています。
 たとえば本書に何度も登場したシェアハウス「リバ邸」。思い悩む若者たちが集まって、何かのヒントを得られる場になればと願い、そのサービスを手がけてきました。彼らが集まる理由はただ一つ、「生き方」の模索です。ネットネイティブであり、常時接続があたりまえの若者たちが集まる様子を見るにつけて、「自分のアタマでその価値を考えた結果として、『働き方』より『生き方』を志向する人は着実に増えてきている」、そんなことを感じます。
 そしてインターネットの影響で、社会や自分自身を含む、あらゆるものの輪郭はぼんやりしたものへと変わり、見えにくくなってしまいました。だからこそ、彼らは住まいを通じて強いコミューンを意識的に創り、これによって自分の生き方や幸せの輪郭を明確にしようと努力しているようにも思います。 
 では、自分と共有する哲学を持つ仲間を見つけつつ、それでいて多様性が維持されるような、そんな理想的な関係を構築するためにはどうすればいいかといえば、それは自分が望む形でプラットフォームを創ることが一番手っ取り早い。
 それはもちろん、インターネットだろうと現実の世界だろうと、その価値は変わりません。しかも簡単にそれを創ることができるようになったのも、ネットがもたらした大きな恩恵の一つなのではないでしょうか。
 だからこそ、これからの新しい時代は、ただユーザーの側でいればよいというのではなく、プラットフォームを創るという視点を誰もが持つべきだと思うのです。意識的にそうした世界を創り、どこに立っているのかを確認して生きていく。そうしていくうちに、海士町に移り住んだ人々のように「働き方」だけではなく、「生き方」へ軸足を移すことができるようになるような気がします。
 それはこれまでのようにタイムライン上で、ただ流れてくる世界ではないだろうし、今までのインターネットの概念にとらわれていては、永遠に見つからないものなのかもしれません。
 
 最後にこの本の執筆に際しては、編集者でライターの池田園子さん、そして中央公論新社の吉岡宏さんから、全面的にお力をお借りしています。スケジュールもまったく守れませんでしたし、途中で連絡も途絶えさせてしまったことがあって、刊行を半年以上遅らせてしまいました。
 だから、池田さんと吉岡さんにはまったく頭が上がりませんし、これから先の人生、お二方のおっしゃることならば、すべて聞く所存です。本当にありがとうございました。

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