なめらかなお金がめぐる社会。 - あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。 #全文公開
お待たせしました。家入全文公開、第二弾です。今度はこちらの作品、「なめらかなお金がめぐる社会。あるいは、なぜあなたは小さな経済圏で生きるべきなのか、ということ。」…長いですね。
「お金がすべて」の社会のその先に。クラウドファンディング、恩送りの社会。資本主義のアップデートが始まる。今、家入一真が伝えたい、新しいお金、経済の姿。
Twitterなどでは「なめ金」なんて略されたりもしたこちら。行き過ぎた資本主義の中で、これからのお金はどうなっていくのか?社会はどうなるのか?僕らはどう働き、そしてどう生きていくべきなのか?なーんてことを、僕の思想と共に、僕が関わっている様々な活動やプラットフォームと絡めて、語っています。(2年前の本なので、当時と様々な状況が変わっているところはお許しください)
僕の大好きなお二人、ギークハウスを立ち上げられたphaさん、そして投資家として有名な谷家衛さんとの対談も収録されています。
それではどうぞ、お楽しみください。
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目次
はじめに
第1章 「いい社会」って何だ?
【01】 海士町との出会い
【02】 現状に満足させない商業主義の終焉
「大」から「小」の時代へ
意義の多様化と生きる理由について
【03】 いい社会の条件
第2章 21世紀型の生き方と「小さな経済圏」の試み
【01】 新しい生き方を探してみよう
【02】 CAMPFIREの小さな経済圏への試み
地域の物語を発掘する
ものづくりを民主化する
カンパをもっと、身近にする
【03】 小さな経済圏の新しい貨幣のありかた
信用力という新しい貨幣
評価経済において注意しなくてはならないこと
【04】 小さな経済圏の中で平等であること
【05】 小さな経済圏で生きることを助ける試み
最小で究極の生き方、エコ・ビレッジ
【06】 小さく始めよう
【特別対談1】 家入一真×pha 「次の時代の生き方論」
第3章 小さな灯をともし続ける
【01】 CAMPFIREをアップデートする
クラウドファンディングはもっと自由になれる
【02】 小さな経済圏への環境整備
目指すのは金融包摂
ソーシャルレンディングで世界の選択肢を広げる
眠ったお金で社会をよくする
【03】 10年後のCAMPFIRE
テクノロジーが変える僕らの未来
言い訳をなくしたい
【特別対談2】 家入一真×谷家 衛 「行きすぎた資本主義と CAMPFIREの役割」
おわりに
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はじめに
たとえば。
カレーが好きすぎてインドで修業までしたのに、どうしても本場のカレーの味を出すことができない男がいた。
彼は来る日も来る日もカレーを作り続けた。あらゆるスパイスの知識を身につけ、調合を検討し、味見をし、修業に修業を重ねた。それでも本物の味には近づくことはできず、日々は過ぎるばかり。
そんなとき、妻が振る舞ったキーマカレーの味に、彼は衝撃を受ける。
妻のカレーは美味しすぎた。それもそのはず。彼女はインドで3年間滞在するなかで修業を積み、本場のカレーを体得していたのだ。
妻とカレーを愛する彼は、このカレーをレトルトにして日本中の人に食べて欲しいと考えた。その思いをインターネットで発信すると、全国の300人が「それを食べてみたい」と手をあげ、お金を支払った。
旦那さんはそのお金で工場と掛け合い、究極のレトルトカレーを作り上げた。夫婦の試行錯誤は3000時間にも及んだが、こうして彼らの望みは叶った。
たとえば。
16歳で海外留学し、30歳を過ぎるまで外資系商社で勤務した男が、海外から日本を眺めて気がついたのは「日本の手仕事文化は素晴らしいのにうまく価値が伝わっていない」ということだった。
独立の決心をした彼は、ブログで日本文化を海外に発信したが、それでもまだ伝わりづらい部分があることに気がつく。
ならば自分で製品を作って世界に発表しようと「包丁」の開発を始めた。
日本伝統の藍染と、金物製作の技術が掛け合わさったこの包丁には、30人のパトロンが価値を感じ、彼が作り上げた仕事を手に取った。
たとえば。
たくさんの歯車がかみ合い、複雑な動きをする─。
大学で「からくり」の姿に魅せられたアーティストは、その活動を世界に発信し、共感を得た。しかし、本格的にその道を進み続けるには、熱意だけでは足りなかった。「からくり」を作るには材料費、もちろん本人の生活費も必要になってくるからだ。
そこで彼はクラウドファンディングで自分の活動に共感してくれる人を募った。共感する人は次々に現れ、今では月に10万円の定期収入を得ることができている。
個人の熱意がモノやサービスになったり、応援の気持ちがその人の生活を助けたり。一昔前までは信じられなかったような世の中が今、確かにある。もちろんそれは企業活動と比べたら規模は小さいものかもしれないけれど、彼らの熱い想いと活動に共感した人々が彼らの活躍を夢見て、応援する優しい世の中は、僕たちの身の周りで静かに生まれているのだ。
これは僕が運営するCAMPFIREというクラウドファンディングのサービスで、実際に起きたことだ。
この仕組みに馴染みのない方のために簡単に説明すると、クラウドファンディングとは、個人や企業、団体などがインターネット上で不特定多数の人から支援を募る、資金調達の形だ。
クラウドファンディングのタイプは大きく分けて3つ。
[購入型]プロジェクトにお金を出した人が支援金の報酬として、 プロジェクトが実現するサービスや商品を受け取る。新商品やイベント開催、店舗開業など多岐にわたる。
[寄付型]支援金に対する報酬はなく、プロジェクトの支援金を渡すのみ、という形式。被災地支援や途上国支援に使われることが多い。
[投資・融資型]支援者が出資した金額に、成果に応じて利回りや物品をつけて返す。株式投資と株主優待を小規模に行うような形。
募集者はいずれかの形態を用いて、支援者を募る。形態によって得意なプロジェクトも違うので、募集者側は募集タイプを使い分ける必要がある。
クラウドファンディングの先駆けは、アメリカの購入型クラウドファンディングサービスのKickstarterだ。
Kickstarterは主に製品開発をするベンチャー企業がその製造コストを(多くの場合はサンプルを作った段階で)先行販売するような形で集めるために使われている。
ものづくりは初期投資を集めることが大きなハードルで、通常は銀行に事業計画書などを提出して融資を受けたりするのだけど、クラウドファンディングの仕組みを使えば、銀行から融資が受けられない小さな会社や個人であっても、その製品を欲しいと思ってくれる人たちから直接お金を集められるために製品化のチャンスを得ることができる。
つまりクラウドファンディングとは、これから何か始めようという人や、起業から間もないスタートアップ、消費者とコミュニケーションして商品開発をしたい企業などには、この上なく強い味方となるサービスなのだ。
ただ、今回、僕がお話ししたいのは、そこについてではない。
僕が今伝えたいのは、そういったスタートアップ寄りの使い道のほかに、もっと様々な捉えかたをされはじめているということ。
どんなことが行われているのかは、冒頭のいくつかのエピソードで紹介した通り。声をあげる人とそれを応援する人。その両者をつなげるプラットフォームが、今まででは考えられなかったお金のコミュニケーションを可能にした。冒頭のいくつかのエピソードのような、助け合いから生まれる物語が、クラウドファンディングの現場では日々ささやかに、かつダイナミックに誕生しているということだ。
かつての高度経済成長期のように「大きなことはいいことだ」と成長・拡大を続けることを目指す既存の経済や仕組みを「大きな経済圏」と呼ぶならば、今、CAMPFIREで起こっているプロジェクトのような、個人や地域レベルで小さなつながりを持ち、支え合っているコミュニティのことを、僕は「小さな経済圏」と呼びたい。
小さな経済圏では企業ではなく、個人が活動をする。
そして、その個人の大小は関係ない。たとえば50人のフォロワーしかいない人でも、その中の5人がその人の何かに価値を見出してお金を払ってもいいと思えたなら、そこには小さな経済圏が生まれる。そうして50人しかフォロワーがいなくても、自らの価値を対価として彼らに提供し、経済が回る。
これらの経済圏は、名前の通りひとつひとつのサイズはとても小さいものだが、その役割はとても大きい。そして、この「小さな経済圏」こそが、何かと生きづらくなった現代の、新しい生き方の鍵を握っている。
そういえば、2012年からの約1年間、僕は「解放集団Liverty」というコミュニティを立ち上げ、様々なインターネットサービスを展開する活動をしていた。
Livertyは多彩なバックグラウンドを持つ人が夜な夜な集まってサービスを作り、ローンチし、その利益をみんなで分け合うスタイルをとっていた。会社にも、働く場所にも、給与にも依存しない代わりに、面倒な上司もタイムカードもない、そんな集団。
Livertyには本当にいろんな人たちが集まった。
仕事は好きなのに上司とウマが合わなくて会社を辞めた社会人。
働きたいけど子育てがあるから希望する仕事に就けないお母さん。
自分のスキルを今の職場で活かせず悶々としている公務員。
とりあえず上京してきたけど、何から始めていいかわからない学生。
引きこもりを脱出したいけど、いきなり就職はきついと感じるニート。
面白いアイデアがあっても具現化するスキルを持っていないバンドマン。
そんなメンバーたちが自分の興味のあるプロジェクトだけを選んで、自分にできることを自分にできる量だけこなしていく。
つながりだけで成り立つ、(当時としては)まったく新しい働き方の実験場だった。
今となってはその活動はコミューン型シェアハウスの「リバ邸」へと移ったものの、最近話題になることが増えてきたECサイトのBASEもLivertyから生まれている。
Livertyのような個人のつながりベースで仕事をしていく働き方は、当時はかなり珍しかったけれど、今となってはだいぶ普及した。コワーキングスペースのメンバー同士で、プロジェクトベースで仕事をしていく形態がそれに当たる。
Livertyは実験的なものだと言ったけど、そこで試みたことは会社というしがらみからの解放だった。
僕は会社組織を否定したいわけではなくて、その仕組みによって生きづらさや働きづらさを感じる人にも居場所を作りたかっただけだ。
そういう人は結構いるし、言語化していないだけで違和感を持ち続けている人はさらに大勢いる。
もっと言えば、そうした現実と想いのギャップについて「それが大人になるってことだよ」というわかったような言葉でお茶を濁そうとする世の中の姿勢を僕は看過できなかった。
あのときの活動から早6年近くたち、今の僕は金融、フィンテックの世界で「居場所作り」をしている。
なぜ僕がフィンテックの世界に飛び込んだのか。それは、このフィンテック業界こそ、「居場所作り」が必要なものであると感じたからだ。
僕はもともと油絵の画家になりたくて芸大を目指していた。でもそれを断念してインターネットの世界に入り、レンタルサーバー会社のペバボを立ち上げて29歳で上場を経験。その後はカフェ運営(Partycompany)、シェアハウス(リバ邸)、ECサイト運営(BASE)、VC(Partyfactory)など、根無し草のように色々な活動を続けてきた。
それらの活動に一貫しているのは、その時代が必要とする居場所を作り続けてきたということ。
それは「人とつながりたい」とか「チャンスが欲しいとか」とか「寝る場所が欲しい」といった、いろんな欲求レベルを満たすものだ。
その点、お金の新しいインフラを作る活動は、多くの人に行動の選択肢や居場所を作ることができるし、自分が色々やってきた数々の活動や経験は全てCAMPFIREというプラットフォームに落とし込めると思っている。
自己実現
CAMPFIRE(クラウドファンディング)
BASE/PAY.JP(無料ECサイト)
paperboy(激安レンタルサーバー)
ブクログ(読書家のSNS)
青空学区(無料プログラミング合宿)
機会
partyfactory(ベンチャー投資)
解放集団Liverty(プロジェクトベースで働くコミュニティ)
studygift(貧困学生支援)
リアルな居場所
リバ邸(シェアハウス)
GoodMorning(社会貢献クラウドファンディング)
Partycompany(カフェ)
例えば、カフェを運営していたときに知り合った経営者から「お店の開業資金をクラウドファンディングで集められないか?」と相談されることもあるし、様々な地域をめぐる中で出会ったNPOの方から「こんなイベントをやりたくて設営費用を集めたいんだけど」といった話をいただくことがある。もちろん銀行から融資を受けるなどの従来のやり方もある。だが、人とのつながりを重視するクラウドファンディングという新しい手法が向いているケースも多々ある。
また、今の金融制度や資本主義のあり方は非常に硬直的だし、前時代的なものも多い。それによって声をあげられず苦しんでいる人もたくさんいる。
そうした領域をアップデートして、今の経済や社会の仕組みに不満を持つ人たちの居場所を作ることができれば、働き方だけではなく、生き方ももっと自由になれるのではないか、と考えている。
本書は3部構成にした。
まずは話の前提を整理するために、「小さな経済圏」という言葉を思いついた経緯と、商業主義や競争主義がもたらした弊害について説明しながら、そもそもいい社会とは何かについて考えてみる(第1章)。
次に、今あるCAMPFIREのプロジェクトをはじめとして、全国で起こっている「小さな経済圏」の試みや、21世紀型の生き方を模索する活動について、様々な事例を取り上げる(第2章)。
最後に、CAMPFIREが現在行っている金融のアップデートの取り組みと、僕らの社会がどこに向かおうとしているのかという未来予測的な話にも触れたいと思う(第3章)。
個人的には、この本を読んで、「あ、こんな生き方もあるんだ」「自由に生きられるんだ」「自分も声をあげたい」と思ってくれたら、これほど嬉しいことはない。
第1章 「いい社会」って何だ?
経済発展のおかげで僕らは豊かになったけれど、
幸せになったかというと話は別だ。
人口減少、過疎化、貧富の格差、ブラック企業問題。
追い討ちをかけるように今の日本は課題だらけ。
こんな混沌とした時代だけど、
個人がもっと幸せを追求できる解決策がある。
それは「小さな経済圏」の普及だ。
それに気づかせてくれたのは島根県海士町の人たち。
そこでは住民たちがお互いを支え合いながら離島生活を営む、
優しい経済活動が行われていた─。
【01】 海士町との出会い
ぱっと見は普通ののんびりした港町だけど、ほかの地方の町と大きく違うのは、Uターン、Iターン者が人口の10%を占めること。
しかも移住者は20代から40代の働き盛りの人がほとんどという、過疎化に悩む自治体関係者から見れば、奇跡のような町だった。
移住者たちは地元の人たちと手をとって、海産物をインターネットを利用して全国に出荷したり、島の隠岐牛をブランディングしたりしながら、各自が自分にできることを見つけて町全体を盛り上げようとしている。
それだけでも魅力的だけど、僕がこの町を初めて訪れたときに感動したのは、彼らのシンプルな生き方そのものだった。
海士町にはショッピングモールどころかコンビニもない。もちろんアマゾンでクリックすれば物は届くけど、時間がかかる。
だから物の貸し借りや物々交換が頻繁に行われているし、お互いを支えることが当たり前になっている。
加えて、そんな環境だからかみんな必要以上に稼ぐことをしない。
表現は変かもしれないけど、彼らはなんというか、「確信を持ってのんびりしている」人たちだった。
中には「仕事がなくても隣のお婆ちゃんが余ったおかずを毎晩分けてくれるのでなんとかなるんですよね」とか、「暇な時期は朝から海を眺めてビールを飲んでいます」と笑顔で語ってくれる人もいた。
もちろん都会には都会の良さがあるけど、同時に仕事に追われ、物欲を追い続ける毎日に疲弊したり、いつまでたっても安らぎを得られなかったりする人も、たくさんいる。
海士町には充実感や安らぎはあれど、そんなバタバタはない。都会の良い面も悪い面も見てきた僕にとっては、もしかして彼らこそが人生の勝ち組なんじゃないかとすら思えた。
そして、何より僕の心を動かしたのは、この島で暮らす移住者たちが今のライフスタイルを手に入れるために、「自分はどんな生き方をしたいか?」という問いから逆算していることだ。
複業を持つとかノマドといった「働き方論」は今までだって散々語られているし、その答えだって、いくつかの正解が出ている感じがするけれど、そんな方法論だけをいくら深掘りしても海士町の生活に辿りつくことはない。
なぜなら、「働き方論」はテクニックにすぎないからだ。
大切なのは「どんな生き方がしたいか」であり、それは「自分にとっての幸せとはどこにあるのか」を探るということだ。
「海を眺めながら暮らせたら幸せだろう」、「じゃあ、そのためにはどうしたらいいだろうか」、「海を眺められる場所に住む必要がある」、「海を眺めて暮らすためにはいくら稼げばいいんだろうか」、「どういう暮らしをしていけばやっていけるんだろうか」と、理想の生き方から逆算することで、「自分にとっての幸せな生き方」を考え抜いてきたからこそ、海士町で出会った人たちは自分たちの足でしっかり立っているように見えるのだろう。
彼らは東京に対する憧れを語るわけでもなければ、最先端のファッションを追ってもいない。ましてや方法論で固めた生き方をしているわけでもない。それぞれが自分の幸せの尺度をしっかり持っていて、それに素直に従う生き方を、理想を唱えるだけでなく実践していた。
地域活性化の本質とはその土地での暮らしの集積であるべきで、それを大切に育てて、発信して、人を魅了していくことにあると思う。
「ここでしか食べられないもの」
「ここでしか見られない景色」
「ここでしか出会えない人たち」
「ここでしか味わえない時間の流れ方」
地域の魅力とはそういうところにあるわけで、「東京には負けないぞ」とか、「東京にはないこんな良さがある」とか、物差しとして東京を引き合いに出している段階でじつは東京に負けていることを多くの人は忘れがちだ。
そういった意味で、僕は「地方創生」という言葉があまり好きではない。
この言葉は海士町で見た、素晴らしい光景を表現するには程遠い。この言葉には、国のシステムありきで、それぞれの土地の本来のあり方を型にはめ、阻害していくイメージがある。要は、言葉から「におい」を感じないのだ。
実際、成功例の本質を理解せず、ただ単純に模倣するばかりの自治体が増え、「地方創生のイメージ」がコピペされた町が増えている気がする。
日本人起業家がシリコンバレーを意識する必要がないように、本来、地方は東京など意識する必要はないはずだ。
東京への帰り道、僕は海士町で見たことや聞いたことを頭の中で整理していた。彼らは本当に大事にすべきものをちゃんと見つけているし、自分の幸せを追求しながらもコミュニティとしてちゃんと機能している。
資本主義の問題、承認欲求の問題、働き方の問題、地方の問題。
今の日本が抱える課題と解決策がすべてつながっていく感じがした。
「あ、小さな経済圏で自由に生きてるな」と思ったのはそのときだった。
彼らの生き方はきっと、資本主義とか社会のあり方を21世紀型にアップデートしていくときのロールモデルになりうる─そう思った僕は、彼らのような人たちの声を集め、新たな居場所を作れないか、と考えた。
小さな経済圏という世界は、ついさっき生まれたようなものではない。元から存在していて、誰もが気づかずに通り過ぎていた重要な事象だったのだ。
【02】 現状に満足させない商業主義の終焉
ここで少し、別の話がしたい。
なぜ人は遠くばかりを見ようとするのだろうか?
その一因は行きすぎた資本主義にある、と僕は思っている。
雑誌を開けば「もっと豊かになろう」「もっと綺麗になろう」「もっとモテよう」といった企画が溢れているし、本屋に行くと「幸せを引き寄せる法則」といったスピリチュアル本とか、イケイケの起業家が書いた「成功の10か条」みたいな本が山積みになって置いてある。溢れているということは、それだけ需要がある証拠だ。
業界全体でトレンドをコントロールしながら超高速の消費サイクルを促すファッションの世界。もしくは、まだ十分使えるのに買い替えを勧めてくる家電メーカーや車メーカー。
規模の拡大を前提とする大きな経済圏においては、こういった商業主義がどうしても幅をきかせることになる。
今の日本の社会は、現状で十分達成されていることであっても過剰に理想像を煽っているような気がしてならない。消費者は物欲を絶えず刺激されて、それにより経済活動が賄われているのだ。
もちろん、そういう幸せもある。
大前提として、それこそが資本主義の本質なのもわかっている。
けれど、そんな生活を維持していくには、とてもしんどい思いをしなくてはならないことを忘れてはいけない。維持していけるうちはいいけれど、この課題先進国の日本では、みんながみんな、商業主義の波に乗り続けることができるほどの経済的、精神的な体力を持っているわけではない。そうやってどんどん窮屈な生き方を強いられて、辛い思いをするのは結局本人なのだ。
「自分ではない誰かになりたい」
「ここではないどこかに行きたい」
そんなふうにたまに思うくらいならいいかもしれないけど、それに自分の人生を振り回されている人たちは、実はたくさんいる。
人は希望を持つから絶望する。
夢を持つから夢に敗れる。
他人との比較ばかりをするから自信を失う。
完璧を目指すから失敗を恐れ、最初の一歩が踏み出せない。
過度に欲しがるから、心の穴が埋まらない。
僕はそれが健全な状態だとは思えない。
また、自分のことを認めてくれる人たちは実はすぐそばにいるはずなのに、その人たちには目もくれず、遠くの不特定多数の誰かに「認めて認めて!」という思いだけがパンパンに膨れ上がって破裂寸前の風船のようになっている人もたくさんいる。
資本主義の疲弊感は商業主義によるものだけではない。もっと大きなイデオロギーの問題が根深く絡んでいる。
「大きいことはいいことだ」
これを合言葉に日本人は戦後の焼け野原から奇跡の経済成長を見せ、戦争終結からわずか22年で当時の西ドイツを抜いて世界2位の経済大国まで登りつめた。本当にすごいことを成し遂げたと思う。
そんな時代において国民は、「大きな経済圏」の枠組みの中でとにかく歯を食いしばって必死に働いていればよかった。なぜならそれが会社の繁栄につながり、引いては国と個人の繁栄にもつながると純粋に信じることができたからだ。
そのときの幸せの尺度は「豊かになること」の一つだけ。
「この山を登れば幸せになります」と言われてそれを信じることができた状態というのは、考えようによってはとてもいい時代だった。
翻って現代。
56年ぶりとなる東京オリンピック開催を目前に控えているけど、前回の時と比べて(といっても体験したわけじゃないけど)あまり浮かれたムードは感じられない。唯一賑わっているのは東京の不動産市場くらいだろう。
その間、日本はさらに豊かになり、物質的に満たされた。
いざ山の頂上に着いて「さて、これからどうすればいいんだっけ?」と迷う人が増えているのが今なのかもしれない。
ただ、山の頂上といっても経済の先行きはよく見えないし、少子高齢化、労働人口の減少、地方の過疎化、慢性的な財政赤字、震災からの復興、心の問題、ブラック企業など、様々な問題が山積している。際限なき成長を前提にした従来の資本主義的な考え方や経済のシステムは、明らかにほころびが生じていると思うのだ。
「頑張れば幸せになれるって言ってたけど、そんなことないじゃん」と多くの日本人が気づいてしまった今、商業主義がプンプンするオリンピックに対して、素直にお祭りムードになれない人がいても無理はない。
もしかしたら、現状の資本主義においては若い世代のほうが、新たな潮流に早く気がついているのかもしれない。いい加減、従来の資本主義的な考え方や経済のシステムの限界を、感じ取っているのかもしれない。
たとえが適切かどうかわからないけど、先日、高校生になる僕の息子と話していたら、「欲しいものがあったらYouTuberの意見を参考にしている」と言いだした。
「なんで?」と理由を聞いたら、「テレビの人は嘘をつくから」と言う。
YouTuberだって最近は大企業からお金をもらって商品の宣伝をしていることもあるのでその真偽のほどはさておき、その感覚が面白い。
彼曰く、YouTuber は自分の言葉を使って、美味しくないものは美味しくないと言うし、よくないものはよくないと言うから信用できると。
マスコミやメディアを介さずに YouTuberと個人がつながっている。これも一種の小さな経済圏と言えるだろうし、「大きなことはいいことだ」の終焉を象徴していると思う。
それに、最近流行りのミニマリズムも明らかに商業主義、成長を続ける資本主義への反動だ。ミニマリズムとは必要最低限のもの以外は持たず、モノに対する執着から距離を置くことで自分にとって本当に大事ものを浮かび上がらせる生き方。身の回りの人たちも(もしかしたらあなたも)、実践しているのではないだろうか?
消費を煽ろうとするメーカーや小売、マスコミが用意している大きな経済圏を拒否して、自分や地域にとっての幸せを追求する生き方は海士町の暮らし方に通じるものがあるし、実践するかどうかは別として多くの人はその考え方に少なからず共感する時代が来ている。
「大」から「小」の時代へ
このように社会の価値観は「大きいことはいいことだ」から「小さいことはいいことだ」へと変わろうとしている。
もちろん、大きいことによるメリットはまだたくさんあるけれど、そうかといって大きいことが唯一の選択肢だとは思えないし、とくに若い世代はその思いが僕よりも強いと思う。
たとえば「大きいこと」の象徴であるマイホーム。
終身雇用制度と右肩上がりの経済状況では、マイホームを持つこともよかったのかもしれない。とりあえず毎日会社に通勤していれば給料がちゃんと出て、しかも毎年、給料も上がっていったから。
でも、働き方や生き方のオプションが増えたうえに経済がどうなるかもわからないままマイホームを買ったところで、逆に身動きがとれなくなると考える人だって増えている。
その価値観の変化の大きなきっかけになったのは、あの痛ましい出来事─3・11だったと思う。どれだけお金を貯めて、大きな家に住んでも、津波がきたら一発で全てを失ってしまう。むしろ現代は、手に入れた家が大きいと逃げ遅れてしまう時代とも言えるかもしれない。
皮肉にも、これは成熟したあらゆる国がこの先向かうところを提示した出来事なのではないかと思うのだ。
大企業信奉もその象徴で、「いい大学を出て大企業に就職できれば人生は安泰だ」というのが日本人にとって長らくの常識だったけど、シャープが台湾の企業に買収され、東芝が上場廃止に追い詰められている現実をみれば、そういった常識が音を立てて崩れているのがよくわかる。
逆に小さいほうが小回りもきくし、失敗しても失うものは小さいのですぐに立ち直れるし、違うと思った別の方向に歩き出すこともできる。
社会が不確実ないまだからこそ、小さいことのメリットが評価されだしたのだ。
「この国には何でもある。だが、希望だけがない」
村上龍の『希望の国のエクソダス』で主人公がつぶやくこの言葉が、今の日本をよく表している気がする。もはや物欲を満たすことが個人の生き甲斐ではなくなってきている。
周りの20代の子たちを見ても、名誉やお金に全く興味がない子が明らかに増えている。彼らはいわゆる「さとり世代」と呼ばれていて、その流れはもちろん、若手の起業家界隈にも浸透してきている。「起業」と聞くと、少し前だと「有名になりたい」「億万長者になりたい」「影響力を持ちたい」「権力を持ちたい」といった若干ギラついたイメージがあったけど、今の若い起業家はお金儲けのことより「社会のために何ができるのか」と純粋に考える子が増えている。
こうした若い子たちの価値観の変化に対して大人からは「今の若者は野心がない、草食だ」「根性が足りない」なんて声があげることもあるけれど、それは少し違うんだろうな、と最近は感じている。たぶん、若い彼らは単に「お金がすべて」だった世界の、その先を見ているのだ。
社会が成熟するにつれて、人間の欲求のステージは変化していく。
生理的欲求、安全欲求、所属と愛の欲求、承認(尊厳)の欲求、そして自己実現の欲求へ……というマズローの欲求五段階説を聞いたことのある人も多いはずだ。現代の日本は課題の多い国だけど、同時にとても成熟した状態にあり、最上位の「自己実現欲求」に突入しているのだ。つまり、目的が達成されること自体に喜びがあり、お金は付随的なものにすぎないということだ。
「豊かになることが正解であり、幸せへの近道であり、国も会社も個人も町もみんな豊かになっていこう」という価値観を持っているのは、おそらく僕たち76世代が最後の世代なんじゃないかと思う。
もちろん、若い子の中にも頑張ってお金を儲けて、六本木ヒルズやフェラーリを目指している子はいるだろうけど、大多数ではない。
こういう時代に突入した最大の理由は、おそらく若い子たちは生まれたときから必要なものが揃っているからだろう。生きていくために必要なものが揃っているからこそ、物質的な欲求よりも、より本質的な面を求めるのだ。
それを「ハングリー精神がない」と言う人もいるかもしれないけど、人を突き動かす原動力はハングリー精神以外にもあるということを大人はもっと理解しないといけない。
物質的なものに対する興味の減少は僕自身の変化としてもある。
上場直後に六本木界隈で散々浪費生活をした僕がいうのも……という気がするが、今の僕は本当に欲しいものがない。
最近、子供が生まれたので「車があったらいいなー」と思うくらいで、家にしたってムカデが天井から落ちてきさえしなければどこでもいい。モテたいとか、いい時計をしたいといった欲求もほとんどなくて、むしろ欲求を外的なものに求めることはクールじゃないんじゃないか、と思うことだってある。
10年後にこれがまた半周して超ギラついたおじさんに戻っているのか、はたまた一生このままなのか、それはわからない。でも、「お金がすべてだ」とは思えなくなった自分がいるのはたしかだ。
これは地方に行っても状況は同じ。
僕はよく仕事で地方に行くけれど、「なんで東京行くの? 地元で十分楽しいのに!」と考える子がいっぱいいる。その土地の価値を引き出し、土地の経済を回し、小さな声をあげる若い子たちを見るたびに「ああ、いいな。小さな経済圏、作ってんなあ」と思う。
意義の多様化と生きる理由について
なぜ若い人たちが物質的なものに関心を示さなくなったのかというと、そこに意義を見出せないからだと先ほど説明したけど、さかのぼって考えると、高度経済成長期におけるお金を稼ぐ意義とは、「国も会社も個人も幸せになること」だった。
社会の一員として必死に働いていれば会社が儲かり、国も税収が潤う。給料も年功序列で上がるし、銀行に定期預金していれば、なんと年に10%近い金利がついた。それが本当に幸せに直結するかはさておき、幸せになれると信じられる世の中があったのだ。
でも、大きな物語の大前提が崩れていった今、何をするにしても意義を考える機会が増えた。その流れの中で、結果に対して納得できないとフルコミットするべきではないと考えるようになった子たちも多い。
そういえば、地方の経営者と話す機会があると、「若い社員がすぐに辞めちゃうんです。どうしたらいいですか」と相談を受けることがある。「給与を上げても定着しないから、困っているんです」と彼らは言う。
お金を稼ぐことに意義を見出していない仲間に対して給料の話を持ち出しても心は動かない。なので僕はそういう経営者には、仲間たちに対して、その仕事が社会でどのような形で貢献しているのかとか、会社としてどんなところを目指しているのかといった、内的欲求を見極めて話をしてあげたほうが良いですよとアドバイスしている。
特に海士町の人たちと接するようになって、なおさらその思いが強まった。
ただし、こんな世の中で育ったからこそ悩んでしまう子もたくさんいる。
「大企業に入れば安泰だ」「頑張って働けば給料が上がる」といったかつての常識が通用しなくなり、貧富の格差はますます拡大している。
「グローバリゼーションだ」「価値観の多様化だ」と言われる一方で、ファッションやライフスタイルで流行しているノームコアに代表されるような同質化も起きる。社会が発展する一方で、若者に対する支援をするだけの予算の余裕がこの国にない。
「大きなことはいいことだ」という今までの絶対的な価値基準がなくなったことで、いったい何を信じて、どこを見て進んでいけばいいのかわからず、つらい思いをしている若者が増えている。
社会の価値観が多様化していくことは、必ずしもいいことだけではない。
自分の中に「こうやって生きていきたい」とか「これだけは譲れない」といった確固たる幸せの基準がある人にとっては、それを追求できる環境にあるという意味で理想的な社会だけど、自分なりの基準がない人にとっては、これもまたつらい。
ある日、今まで走ってきたレールが急になくなって「さあ、ここからは自由に生きなさい」と言われたところで、全員が全員、「よし、じゃあ、あっちに行こう」と思えるとは限らないだろう。
しかも、それが今の日本みたいに課題だらけの荒野だったら尚更だ。
そんなときに多くの子は「なんのために生きているんだろう?」と、結構深刻な悩みを抱えてしまう。そういう子たちは、はたから見るとそんな状況にあることなんてわからないくらい普通に振舞っていたりするから、余計見過ごされてしまう。
色々な事情を抱えてリバ邸にいる子たちも、あからさまに病んでいたり、追い詰められたりしている感じを出す子はそんなにいない。僕が羨ましくなるくらいコミュニケーション能力が高い子なのに、実はその心は崖っぷちを歩いていることに気づけない……なんてことはよくある話だ。
そんな彼らに対して、つらいけれど、僕は何もしないし、できない。
生きていることに理由なんてない。人は目の前にやるべきことがあって、それを黙々とやっていれば毎日を「生きる」ことになる。
例えば僕にとってのやるべきことは「小さな経済圏」を作ることだ。そのために「今日なにをやるか、明日なにをやるか」ってことを必死に考えながらやっているだけで、「これが僕の生きる理由だから」なんて全く思っていない。
人生にもっともらしい理由があるとすれば、それは自分が死んだ後に誰かが勝手に後付けしてくれるものだ。
もしかしたら、「なんのために生きてるんだろう?」という質問自体がピンボケしているのかもしれない。
もし、こういった類の話を自問するなら、「自分は何がしたいんだ?」「自分はどんなことに熱中できるのか?」「自分は何が好きなのか?」ということを聞いたほうが適切なのかもしれない。
その場ですぐに答えが出なくてもいい。何もやる気が起きない時期なんて誰にでもある。そんなときに大切なのは、自分が社会に押しつぶされないための場所だったり、人との関係性だったりといった、いわば「避難場所」を見つけられる世の中であることだし、そういう人が声をあげられる社会があることだ。
【03】 いい社会の条件
幸せとは何かと考えたら「自分のやりたいことができる」ということなんじゃないか、と思う。だとすれば「いい社会」とは「各自が自由に、自分の幸せを追求できる社会」ということになる。
つまり、経済的というよりも、精神的に持続可能な社会だ。
こんな社会は人類の歴史上なかっただろう。コミュニティが生き残るためには、そこで生きる人々は最大効率で働き続けないといけなかったからだ。
でも、コンピュータの進化のおかげで生産効率は飛躍的に伸びたし、近い将来、面倒な仕事は人工知能やロボットに任せておけばいい時代が来る。
そのとき重要なことは、海士町の人たちのように「自分の人生をどう生きたいのか?」という問いを持つことと、自分のやりたいことを一緒に実現してくれる仲間がいるか、ということだ。社会は「いい社会」へと変化する過渡期にある。多様化はだいぶ進んだけど、まだまだそれをすくう網は粗い。
現代の資本主義では、「富むこと」や「勝つこと」、「権力を持つこと」などが、人生のゴールであるかのように思われがちだけれど、それだと貧しい人や競争に負けた人などは蚊帳の外だ。
もちろん、今の資本主義を良くすること、いわば大きな経済圏を発展、改善させることも大切なことだ。しかし、それだけではなくなっているという話も、一つの側面だ。「行きすぎた資本主義」に、精神的にも金銭的にもフィットしない人も幸せを追求できる社会が「いい社会」だとするならば、個人と個人がつながった、企業や国などの社会構造に依存しない「小さな経済圏」が充実していく必要がある。
彼らが「自分にも何かできそうだ」「今の日本っていいよね」と思えない限り、国のGDPが増えようが平均所得が増えようが、結局、国民の幸福度は上がっていかないだろう。経済や社会の仕組みに生きづらさや息苦しさを抱いている人がいるなら、いくら成長しようが、それは不完全な社会だ。
今、僕の頭の中にあるのは、常に、弱い立場にいる人たちだ。
地方のシングルマザー。
地元で頑張る農家。
うまくいっていない工場。
今はまだ、売れてないお笑い芸人。
メジャーデビューしたが予算の出ないミュージシャン。
路上で夢見るアーティスト。
学校に行く理由を見い出せない学生。
就職して、道に迷い会社に行けなくなった新卒。
定年退職、後何をしていいかわからないおじさん。
そんな彼らが社会の仕組みに萎縮することなく声をあげ、社会構造に依存せずに行動を起こせる土台を、僕はCAMPFIREでつくりたい。
第2章 21世紀型の生き方と「小さな経済圏」の試み
行きすぎた資本主義はさまざまな歪みを生んだ。
その歪みから抜け出せず辛い思いをしている、多くの人がいる。
それと同時に、そんな人たちが
次の一歩を踏み出すための土台作りが着々と進んでいる。
では21世紀型の生き方にはどのような選択肢があるのだろうか。
そして「大きな経済圏」のセーフティネットとなりうる
新しい仕組みとはどんなものがあるのだろうか。
脱依存、贈与経済、信用社会、機会平等、支え合い。
そのキーワードはたくさんある─。
【01】 新しい生き方を探してみよう
多くの人のマインドは、「競争から共存」、「全体から個人へ」と、すでにその方向をシフトしはじめている。それを後押ししているのは、前に触れた、行きすぎた資本主義に対する反動と、SNSに象徴されるインターネット空間がもたらしたクラスタ(小さな塊)化だ。その仕組みをいかにアップデートするのかを、最近の僕は考えている。
僕は「各自が自由に、自分の幸せを追求できる社会」をCAMPFIREで実現しようとしている。
第1章では僕が感じている問題意識を話してみたので、次は「けどどうしたら?」の部分を語りたい。
世の中には数多くのサービスが生まれ、その中で人々が小さな経済圏へ至るための試みが数多く生まれている。それらを「CAMPFIREの小さな経済圏への試み」、「小さな経済圏の新しい貨幣のありかた」、「小さな経済圏の中で平等であること」、「小さな経済圏で生きることを助ける試み」という4つの切り口で紹介する。
本章を読むことで、小さな経済圏でどのように生きていけばいいのか、ということがより具体的に伝わり、行き詰まりを感じている人の助けになればとても嬉しい。
新しい生き方を考える前提の話として、一つ大事なことがある。
それはインターネットがもたらした、あらゆるものの民主化だ。
例えば僕が子供のころ、歌手になりたいと思ったら、オーディションという狭き門を抜けて、下積みに耐えて、メジャーデビューのチャンスをひたすら待つというのが、唯一の道だった。でも今では全くのアマチュアでもツイキャスやYouTubeを使って世界中に自分の歌を発信できるし、音源を個人であげることもできる。
または本でも、ちゃんとした紙の本を作るには制作費が数百万円かかるし、自費出版になるともっと高くなるから、本を出せるのは限られた人たちだけだった。でも今ではワードで書いた原稿を納品して、無料で電子書籍が作れてしまう時代になっている。
社会が複雑かつ高度になる過程で遠くに行ってしまったチャンスやモノや出来事を、ウェブサービスの力で取り戻すことができているのだ。
ポスト成長主義、ポスト競争社会の新しい生き方も、インターネットによる民主化が大きな鍵を握っている。
その最たる例がクラウドソーシングだ。
インターネットで企業とフリーランスをつなぐクラウドソーシングは、会社に依存せず、自分の好きなときに好きな仕事をすることを可能にする素晴らしく有益なプラットフォームだと思う。ちなみにアメリカでは2020年にフリーランスの数が労働人口の半数を占めると予測されているらしい。それだけ「脱会社」の流れが進んでいるということだ。
人々の価値観が多様化し、意義を重んじる人たちが増えている一方で、既存の大きなものに依存している人もたくさんいる。
依存と言ってもお酒とかタバコとかギャンブルとか恋愛とかアイドルとか色々なものがあって、人はすぐに依存してしまうわけだけど、雇用関係すら依存を前提に成り立っているのであれば、それはいい状態とは言えない。
なぜなら、これはどんな依存症状にも言えるけれど、依存することの怖さはそれを抜け出すときに痛感するものだからだ。
例えばパワハラにあっていたり、同僚との仲が険悪だったり、鬱病になったりしたら、本来であればすぐに逃げ出していい状況だし、そうしなければ自分の身がもたない。
でもそのとき、一つの会社に依存した状態だと、収入面や社会的地位の面でも抜け出す不安がまさってしまい、「もうちょっと我慢しようかな」と思ってしまう。仮に辞めることを決めたとしても、辞めるためのエネルギーは相当なものだ。
きっと、今は会社に依存してしまっている人も、入社時は「自分が会社を変える」とか、意欲に満ちていたはずだろう。それが黙っていても給与が振り込まれる感覚が当たり前になって、いつしか依存してしまっているケースがほとんどだ。
いくら「何にも依存しないぞ」と思っても、現実的には難しいのだ。
では会社に依存しない生き方とは何だろうか。
これは世間で散々言われていることだけど、やっぱり最初から収入源を限定しないように意識することが大事なんだと思う。
つまり企業人も、フリーランス的な収入の得方を心得るということだ。
例えば、1社から30万円もらうのではなくて、3社から10万ずつもらうとか、20万円で正社員として働きつつ、5万円くらいの収入源をいくつか持つとか。
もしそういう働き方ができれば、「あ、この会社ちょっと違ったな」と思ったら、比較的すぐに「避難」することができる。
不可能な話をしている、と思う人も多いかもしれないが、実は今からだってこういった避難場所を作ることができる。それがクラウドソーシングの活用だ。
「けど、クラウドソーシングを使っても食えないじゃん」という指摘を聞くことがある。もちろん、クラウドソーシングで毎月30万円稼げる人は滅多にいない。
だが、ここで指摘したい重要なことは、クラウドソーシングで月5万円、10万円を稼げる人が増えたことで、僕らは収入の選択肢(=避難場所)を増やせるようになった、ということだ。
「クラウドソーシングでがっぽり稼ごう」みたいなことを言うから嘘っぽく聞こえるのだけど、これらは前述した一社依存で身動きが取れず、生き疲れを感じている人にこそ浸透してほしいサービスだな、と思う。
でも、クラウドソーシングにいきなり参入して仕事をもらう、というのはどこかハードルが高い。自分に何かビジネス的なスキルがあったりする前提がなければ、そもそも仕事が来ないからだ。
そういった点でも、CAMPFIREを利用して、小さな経済圏を体験してみることを提案したい。クラウドファンディングはどこか違う世界の話だと考えてしまいがちだが、インターネットがここまで浸透したからこそできるようになった、新しい生き方の形でもあると、僕は考えている。
クラウドファンディングと言っても、単に商品を先払いで売るだけではないし、リターンの設定が納得できるものであればクラウドファンディングが成功する可能性の扉はたくさんある。
例えば編み物が好きなら編み物を売ってみるとか、カレーが好きならカレーを作ってみるとか、小さなことからクラウドファンディングを始めて、小さな経済圏を作ってみてほしい。
【02】 CAMPFIREの小さな経済圏への試み
「お金をもっと、なめらかに」
CAMPFIREで掲げているミッションは「資金調達を民主化し、世の中のだれしもが声をあげられる世の中をつくる」こと。
有名な人でも無名な人でも、金額が大きくても小さくても、等しく「挑戦」という名の小さな火を灯そうとする行為だ。放っておいても格差が広がっていく世界で、誰しもが声をあげられること、それこそが大事なのだ。
鳥取あたりの学生が、「こんなことをやっていきたい」と声をあげて、それが秋田の中小企業の社長や静岡のOLや愛媛の専門学校生の目に留まって支援が集まり、実現する。
もちろん、それがうまくいくかどうかはわからないけど、それが僕のイメージする、「個人を中心とした小さな経済圏」だ。大きくて話題性のある事例も大事だけど、そういう小さな事例をとにかくたくさん作っていきたい一心でCAMPFIREをやっている。
そんな社会を作るためには、僕たちは世の中のお金をもっと、なめらかにしないといけない。活動のためにお金を借りたり、集めたり、誰かをお金で支援したりといった、お金を介したコミュニケーションはまだまだ限定的だし、硬直的だ。
それに、世の中でお金を持っているのも一部の層。そのお金をもっと社会に還流させることができたら、きっと社会はよくなるはずだと信じている。
資金調達の民主化を端的に示す言葉でP2P(Peer to Peer)という表現がよく使われる。元はコンピュータ用語で、簡単にいうと大きなコンピュータ1台に小さなコンピュータが何台もつながった、いわば中央集権的な状態を「クライアントサーバモデル」と言い、それに対して大きなコンピュータが存在せず、小さなコンピュータ同士がつながった自律分散型状態を「P2Pモデル」という。
今までのお金の流れ方だと、銀行とか大企業、行政などが「大きなコンピュータ」として機能していた。そこを取っ払って、個人同士のお金のやりとりを活発化したい。それがクラウドファンディングの基本スタンスだ。
そうやってお金の循環を促し、さらに個人と個人をつないでいくようなプラットフォームができたら、僕たちのミッションは達成できるだろう。
そもそも、フィンテックの目的は金融領域の民主化であるべきだと思っていて、そこをもっと意識しないと、フィンテックが盛り上がったところで富むものがさらに富むような格差社会が助長される可能性がある。僕らはそっち側のビジネスにはあまり興味がなくて、どちらかというとその差を縮める、もしくはどんな人でも声をあげられる選択肢を提案していきたい。
地域の物語を発掘する
地域の大事なものは足元にあることを海士町との出会いで感じ、そういった物語の集積こそが地方創生の本質だと気づいたときに、いくらインターネットで情報が集められるといっても、東京にいながらにして地域の物語を発掘することは難しいと悟った。人と人との距離を縮めていくには、地方の距離感をインターネット、Webサービスの力で短縮する必要があったのだ。
ところで、従来型のクラウドファンディングでは、社内のキュレーターが全国から面白そうなプロジェクトを集めてくるのが一般的なスタイルだ。
でも、僕はそのスタイルに違和感を持っていた。
そこで思いついたのが、現在「CAMPFIRE X LOCAL」という名で動き出している仕組み。そこでは、実際に各地域で支援活動を行っている団体や個人とパートナー契約を結び、彼らの活動のなかで資金調達の話が出てきたときに「クラウドファンディングという仕組みがありますよ」と紹介してもらうようにしている。
東京でキュレーターを一括採用するのではなく、各地域のスペシャリストたちにキュレーターとしてジョインしてもらうイメージだ。
現在、CAMPFIRE X LOCALは20エリアで展開している。
パートナーはいずれもすでに地域に根ざした活動をしている方で、なおかつ地元でコワーキングスペースを運営しているとか、大きなコミュニティを運営されているとか、とにかく圧倒的な人的ネットワークを持っている方に限定している。
今は、こうした方々にクラウドファンディングの成功のさせ方や、サポートをするときの注意点など、僕らなりに蓄積してきたノウハウを一つ一つ丁寧に伝えて、強い支援体制を整えるべく準備を進めている段階だ。
プロジェクト件数を増やすことが目的なら、応募があった方全員と契約してしまえばいいだけの話だけど、地域振興の場合は最初に成功事例をたくさん作ることがその他の地域が、より活発になると思っているので、じっくり腰を据えて土台を作ることが重要だと考えている。
2018年にはこれを50エリアまで増やしていく予定で、CAMPFIREでサクセスしたプロジェクトを行政や地銀と一緒に支援していく仕組みなども可能だと考えている。
ものづくりを民主化する
CAMPFIREは、小さな経済圏の姿を確立するために、従来のクラウドファンディングの領域を飛び超えたサービスもいくつか展開している。
その一つが「ものづくりの民主化」。
CAMPFIREは2016年にバンダースナッチという会社から事業譲受をうけ、「STARTed」というサービスを運営している。
服やバッグ、アクセサリーなどのラフなイラストをSTARTedに送ると、それが全国にある提携先の工場で量産化され、出荷、販売はCAMPFIREが行うというものだ。
実際の使い方は、まず工場でサンプルを作り、それをCAMPFIREの購入型クラウドファンディングで注文を受け付ける形をとる。この段階でテストマーケティングをしているのと同じなので、あまり広まらないようならここでやめることができる。
本職のデザイナーでさえ自分がデザインした服が市場に出るかどうかは会社の方針次第だし、それがアマチュアの方になると自分のデザインした服が量産化されることはよりいっそう、難しい話になる。
でも、アマチュアの方であってもその感性に共鳴してくれる人たちはきっといるはずで、そこがつながらないのは工場とのパイプや流通経路を持っていないからだ。
だったら僕らが共に、何かできないだろうか? と思ったのだ。
現在、僕らはこのSTARTedを使う入り口として、「MOCOLLE」という企画を行っている。これは「妄想コレクション」の略で、一般の人たちから「こんな服が欲しい!」というアイデアを送ってもらって、面白そうなものはSTARTedでサンプルを作り、CAMPFIREで製造コストを集めて、雑貨小売大手のヴィレッジヴァンガードのオンラインショップで販売。草案者にはアイデア料をお支払いしている。
クラウドファンディングはお金の支援しかできなかったけど、STARTedというインフラができたことで企画から製造、流通、販売まで一気通貫で行えるようになった。
今までなら「こんな服が欲しい」「こんなアクセサリーがあったらいいな」と思っても、デザインの仕方がわからないとか、実現化する方法が思いつかないので、文字通りの「妄想」で終わっていた。そうした声を集めることができるプラットフォームがSTARTedだ。共感が経済を回していく仕組みと言いかえることもできる。
カンパをもっと、身近にする
もう一つ、従来のクラウドファンディングの範疇を飛び出たサービスとして、2017年8月に「polca」というサービスを開始した。
polcaはクラウドでカンパができるアプリ。使いかたは、クレジットカードを登録して、カンパする金額を決済するだけだ。
polcaの想定利用シーンは、例えば会社の同僚で協力し合って誰かの誕生日プレゼントを買うとか、恩師が退任するから教え子たちでお金を出し合って記念品を作るとか、友人たちでお金を出し合って出産祝いを買うといった場面だ。
このpolcaは単なる割り勘や送金・決済アプリではなく、コミュニティサービスだ。
CAMPFIREを運営してきた身として、多くの方々に気持ちや思いを訴え、共感や応援がお金を集めるクラウドファンディングという手法がようやく広がってきたことを感じるが、一方で、やはりまだまだハードルの高さを訴える方々が多いのも現実。
身近な友人や会社の同僚、サークルの仲間、地域のつながりなど、緩やかに閉じられたコミュニティ、個人と個人が繋がりあう小さな経済圏の中で、気軽にお金を集めたり誰かを支援したりする仕組みは出来ないか? というアイデアからpolcaは生まれた。
インターネット黎明期からずっと関わってきた人間として、距離も時間も国境も超えて個人が繋がれる世界をインターネットが実現したのは喜ばしいことだけど、一方で多発する炎上を見てると「人と人はわかりあえない」という事実が明らかになってしまった側面もあるな、と思っている。
クラウドからフレンドファンディングへ。「お金〝で〟もっとなめらかに、お金〝を〟もっとなめらかに。」をビジョンに、お金がコミュニケーションと共に流通する、個人を中心とした、小さく、そしてやさしい経済圏を作っていきたい。
僕がCAMPFIREで目指しているのは、先ほどお伝えした通り、小さな経済圏を作り出すことで、今の資本主義の枠組みの中で苦しんでいる人たちが声をあげられる金融包摂だ。
前述のサービスのように、社会に居場所がないお金を、それを必要とする人のもとに循環させるプラットフォームをこれからも整備し続けていく。そのためにはCAMPFIREはもっと進化をし続ける必要があると感じている。
【03】 小さな経済圏の新しい貨幣のありかた
「小さな経済圏」ならではの可能性。贈与経済という未来
give&takeが純粋な交換経済のことだとすれば、贈与経済とはgive&giveの精神に基づいている。周囲に恩を与え続けることで、善意の輪が生まれ、最終的に自分に戻ってくるというものだ。
会社を中心とした経済圏だとどうしても経済合理性が求められるので、色々やれることが限られてくるけど、個人の裁量で動けるならgive&giveで回る経済圏というのも十分成り立つと思うのだ。
その実験的な取り組みとして世界的に有名なのが、アメリカ西海岸で生まれたカルマキッチン。ボランティアによって運営されるカルマキッチンでは、来店したお客の食事代はその前に来たお客によって支払い済みだ。
そして、見知らぬ人からもらったこの贈り物の連鎖を続けていきたいなら、次に来るお客のために「恩送り(pay it forward)」をするかどうか聞かれる。
したくないなら、ただで食事をしてそのまま帰っても構わない。
カルマキッチンが掲げる未来像はこうだ。
取引から信頼へ。
自己や孤立からコミュニティーへ。
恐怖や欠乏から祝福と豊かさへ。
その手段が恩送りであり、僕も恩送りは「小さな経済圏」を作るときの大きなキーワードだと思っている。
例えば、クラウドファンディングの現場では「支援者が集まりません、どうしたらいいですか?」という質問をとても多く受ける。けどよく考えると、よほどその物語が共感を生むものではない限り、見ず知らずの人に「手伝って」と言われて突然手伝う人は少ないということに気づく。
普段からメッセージをたくさん発信してフォロワーが多い人とか、ブログの購読者が多い人とか、面倒見がよくていろんな人から慕われているような人なら、支援者集めで悩むケースはあまりない。
クラウドファンディングは不特定多数の人が参加するとはいえ、過去の成功例を分析すると初動はその人のリアルな人脈が大きく影響してしまう。
僕はこのカルマキッチンの思想がとにかく好きで、この考え方を学びの場に持ち込んだらどうなるのかと思ってLivertyで企画したのが「青空学区」という無料プログラミング合宿だった。
完全無料でプログラミングを学ぶことができる代わりに、この合宿で学んだ人はその知識を他の人に無償で分け与えるという「お願い」の上に成り立った仕組みだ。
現在は有志にのれんを譲渡して僕は直接関与していないものの、実際に沖縄や福岡で4、5回実施した。
学びの場で授業料をもらってしまうと、生徒の中には「お金払ってるんだから自由にやってもいいじゃないか」という気持ちになってしまう人もいる。そう思った瞬間にその関係性は「生徒」から「お客さん」になってしまうので、それ以上、関係の発展を望めないことが多い。
おそらく全国で起きている学級崩壊とかモンスターペアレンツといった問題も、お金を出す側の「お客さま意識」が強くなった結果ではないかと思っている。本来の学校はそうではなかったはずで、寺子屋とかもきっと「やる気ないなら来るな!」という感じだったんじゃないかなと思うのだ。
だからこの「青空学区」では超強気でいった。
はじめて合宿を開催したのは2013年。
このとき、募集の段階で「スパルタキャンプ」という合宿名にして「途中でやめるのは許さない」と明言してみた。
するとむしろ応募が殺到して抽選にせざるを得ず、しかも集まってくるのは本気のやつらばかり。その合宿に参加した2、3人は、現在、起業して順調にサービスの拡大にこぎつけている。
この合宿を開催するための講師と会場の費用はLivertyからの持ち出しだった。「それじゃあビジネスにならないじゃないか」と怒られてしまうかもしれないけど、それはあくまでもお金の流れを短期的に見た場合の話だ。
合宿の参加者には、次回の合宿で講師になってもいいし、Livertyで動いているプロジェクトを手伝ってくれてもいいと伝えていて、実際に開発業務を手伝ってくれた子が何人もいた。
それだけでも十分お金を出す甲斐はあるし、もし合宿の参加者の中で100人中1人くらいが起業をして、頑張ったその子が「お世話になったので、お返しに会社の株を少しさしあげます」と言ってくれて、さらにその会社がマネジメント・バイアウトしたり、新規に上場をしたりすれば、それまでかかった経費なんて大したものではなくなる。
実際、アメリカには大学生などに無料でプログラミングを教えるユニークな学校が存在している。その仕組みは、生徒がもしグーグルやフェイスブックのような大手企業に就職できたら、給与の1割を数年にわたって学校に払うというもの。
お金がないけど意欲はある学生からしてみたら「出世払いでいいよ」と言われていることと同じなので、こんなありがたい話はない。
そして学校からしてみても、月謝を少しずつもらうより助かる。
見事なまでにどちらも笑顔になることができる。
話が少し本筋からそれるかもしれないけど、これから新しいビジネスを考えるときに「いつ、どこでマネタイズするか」ということに関しては、従来の常識を取っ払ってみると面白いかもしれない。
有料だったものを無料にするとか、もらうのではなく払うとか、お客からの支払い先をあえて自分にしないとか、日本円でもらわないとか。
そこにイノベーションを起こすアイデアが隠れている気がしている。
give&giveの精神といえば、毎年アメリカで開催される、バーニングマンというイベントを思い出す。僕も3年前に参加したが、このイベントが凄い。
バーニングマンはもともとある男性が彼女に振られて、彼を慰めるために友人数人で人型を作って砂漠の真ん中で燃やし、それを囲んでキャンプをしたのがきっかけ。それが徐々に規模を拡大して、今は世界中から7万人くらいの人が集まり、1週間、お祭りと共同生活を楽しんでいる。
ちなみにグーグルの創業者も初期の頃から通っていて、グーグルのロゴがたまに変わる例のDoodleも、もともとは創業者の2人が「バーニングマンに参加しているので何もサポートできません」ということを伝えるためにロゴをバーニングマンに変えたことがきっかけだ。
バーニングマンには次のような十の原則が存在する。
21世紀型の生き方の手がかりだと思うので、ここに記しておきたい。
バーニングマン十の原則(10 Principles)
『どんな者をも受け入れる共同体である』(Radical Inclusion)
『与えることを喜びとする』(Gifting)
『商業主義とは決別する』(Decommodication)
『他人の力をあてにしない』(Radical Self-reliance)
『本来のあなたを表現する』(Radical Self-expression)
『隣人と協力する』(Communal Effort)
『法に従い、市民としての責任を果たす』(Civic Responsibility)
『跡は何も残さない』(Leaving No Trace)
『積極的に社会に参加する』(Participation)
『「いま」を全力で生きる』(Immediacy)
特に特徴的なのが2番目と3番目。
バーニングマンの開催中は、一切お金を使ってはいけない。あくまでもgive&giveで参加者同士が支え合うことがルール化されている。。
同時に参加者全員はそのイベントにフルコミットすることが定められているので(9番目の原則)、たとえ自分の食べ物がなくなっても、その辺を歩いていれば知らない誰かからもらえる。
まさに贈与経済そのものだ。
信用力という新しい貨幣
21世紀に入り、資本主義経済の主役であり続けた「お金」にとって代わる新しい貨幣が生まれている。
それは信用力だ。
周囲からの評価や、周囲への影響力などが高いことが価値につながる経済圏を、評価経済と呼ぶ。SNSやスマホが本格的に普及しだした2011年くらいから言われはじめたことで、現在、そのトレンドはますます強くなる一方だ。ファンが多ければプロジェクトが成功しやすいクラウドファンディングも、評価経済の一形態だと言える。
信用という新しい貨幣は、インターネットというプラットフォームを抜きに語れない。昔から信用はマネタイズできたかもしれないけれど、それは大抵は小さなコミュニティ内で完結する話で、スケールすることは滅多になかった。
最近見かけないが、一時期僕も使っていた「Klout」というサービスは、各種SNSアカウントをリンクさせると、その人の影響力が「Kloutスコア」という形で数値化されるサービスだ。
例えば、僕の場合はフォロワーが多いので「Kloutスコア」はかなり高めだった。
すると何が起きるかというと、(今はどうなっているかわからないけど)海外だとその数値が60以上あると空港のラウンジが無料で使える、といった特典を受けることができるのだ。
特典を用意する企業からしてみれば、影響力のある人が自社のラウンジで「○○のラウンジなう」とひとこと呟くだけで、十分な宣伝になるからだ。
従来の仕組みでは、空港のラウンジはお金をいっぱい使ってマイレージを貯めないと入れなかった。それがインターネットの世界から算出された「指数」のおかげで、個人の信用力が実経済でお金と同じような価値を持つようになったのだ。
視聴者数をマネタイズして生活しているYouTuberもその典型だ。
もしかしたら財布や銀行口座にお金を貯めていくのと同じような感覚で、僕らは信用力という貨幣をスマホに貯めていく時代が来るかもしれない。
このような現象はすでにシェアリングエコノミーを象徴する2大サービスとも言えるUberとAirbnbでも起きている。
いずれも、サービス提供者とサービス利用者が双方向で評価をする仕組みをとっているのが特徴で、「人あたりがいい」とか、「サービスが行き届いている」とか、「笑顔が素敵」といったレビューの高い人ほどより恩恵を受けるようになっている。
逆に評価の低いサービス提供者は検索にすら引っかからず、評価の低いサービス利用者はサービスそのものを使えない。それはつまり「金を出せばいいんでしょ」という従来のなめらかさのないロジックが通用しなくなる社会に突入したということであり、一種の「人間版SEO」のようなことが現実として起こっているということになる。
僕の知り合いにホームレス小谷さんという評価経済の申し子のような若手芸人がいる。
芸人といってもテレビに出るほどの知名度があるわけではないけれど、ネット界隈ではじわじわと固定ファンが増えている。
彼はもともとキングコングの西野さんの家に下宿をしていた人で、家賃を払わないので西野さんから「お前はホームレス芸人として食っていけ」と言われて追い出された過去を持っている。
それ以来、ネット上で自分を1日50円で売り出す方法で、各地を転々としているのだが、人気殺到でなんと3ヶ月先まで「注文」が入っているそうだ。
飛び込んでくる依頼内容は引っ越しの手伝いとか、話し相手になってくれとか、畑仕事とか本当にバラバラだ。
ただし、交通費と食費は別というのがミソで、仕事を依頼した人たちからすると50円で大の大人をこき使うのは申し訳ない気持ちになるのか、毎日美味しい料理がふるまわれるそうだ。ホームレスになってからむしろ体重も日に日に増えているとか。
日本各地を旅できて、ご当地の料理とお酒を堪能できて、日本中に住むところがある。結果的にホームレスになったほうがいい生活をしている。
そしてそれを可能にしているのは彼の信用力だ。
ちなみに自分を50円で売り出しているプラットフォームはBASE。それ以外にも彼はCAMPFIREでいつかプロジェクトを成功させている。
例えばこの小谷君、自分の結婚式の費用もCAMPFIREで集めた。
しかも、浅草の花やしき遊園地の貸切だ。
目標金額は150万円で、「4000円出してくれたら結婚式に参加できる」というリターン設定にして、最終的に集まったのが170万円。
なんども言うが、彼はお金を持っていない。
みんながみんな真似できるわけではないけれど、そうかといって小谷君は「ホームレス」で有名になる前は無名の芸人だったから、彼自身がものすごい情報発信力を持っているわけでもない。
だから最初のうちは大変だったと思う。
でも、彼はめちゃくちゃいいやつで、こちらが話すことに対してすべて「おもろ! それ、おもろ!」と拾ってくれるタイプだ。それを計算でしていないところがまたよくて、彼と一緒にいるとこちらが気持ちよくなってくる「聞き上手芸人」という素敵な魅力があるのだ。
そのおかげでファンも少しずつ増えてきて、SNSでの口コミも広まって、今の信用を手に入れた。「お金を稼ぐことができないなら、評価を稼げばいい」という選択肢が存在することを彼は体現してくれている。
評価経済において注意しなくてはならないこと
ただし、僕としては評価経済の持つ可能性に惹かれる一方で、それがもたらす弊害も危惧している。評価経済においては先ほどのUberやAirbnbの話のように、評価が低い人からどんどん切られていってしまう事態が起きている。そして近い将来、各社がもっている評価情報のデータベースが統合されていくのは確実だろう。
ご存知のように金融業界では、全国銀行個人信用情報センター、CIC、日本信用情報機構といった個人の信用記録を管理する専門機関があって、そこがハブとなって各金融機関と個人情報を共有している。
もしA銀行で事故を起こすと信用情報機関のデータベース上で要注意人物扱いされてしまって、B銀行でローンを組もうとしても却下されるという仕組みになっている(自分の信用情報は有料で取り寄せ可能だ)。
これと同じようなことが、「個人の評価」でも起きるだろう。
先ほど紹介した「Klout」はまさに個人の評価を集約するサービスだが、今後は個人の評価を各社から吸い上げてクラウドで共有する信用情報機関が出てくるのは間違いない。もしそうなると、過去にメルカリで商品未発送などの事故を起こした個人が、Airbnbで使用をブロックされてしまうといったことが十分起こりうる。
そうなると、僕たちは何をするにも「いい人でい続けないといけない」という同調圧力が働く時代になっていくと思っていて、根はいい人なのに性格が素直じゃないとか、正義感が強すぎるあまり人と衝突することが多い人とかが、本当に生きづらい社会になるはずだ。
さらに、そこに遺伝子情報が介在してきたり、街中の監視カメラが顔認証をしはじめたりすると、人が安寧に生きていくためには社会と同一化するしかなくなるだろう。
果たしてそれが幸せなのかという議論はずれてしまうが、ここで話がしたいのは、信用を貨幣と一元的にみなしてしまうと、社会は成り立たなくなってしまう危険があるということを忘れてはならないということだ。
【04】 小さな経済圏の中で平等であること
機会の平等か、結果の平等か
「脱依存」「贈与経済」「信用」というキーワードに沿って「小さな経済圏」の事例を見てきたけど、ここで少し「機会」という言葉について考えてみたい。
20世紀の世界の2大イデオロギーであり続けた資本主義と社会主義。両者の比較の際に、前者は「機会の平等」を実現する社会、後者は「結果の平等」を実現する社会だと言われている。
僕は「結果の平等」よりも、「機会の平等」をより多くの人に提供したいと考えている。
つまり、僕が目指しているのは資本主義そのもののアップデートだ。
今の日本の資本主義における機会の平等は、まだ完全ではない。
そもそも競争を前提にしているし、その競争もスタートラインに立つことまでの平等はある程度実現しているけれど、そこも完璧ではない。そして、競争から一度脱落したら復活するのも大変だ。
こうした機会の平等の「穴」を一つ一つ埋めていくことが、いい社会を作ることだと思っている。その意味では、クラウドファンディングという新しい資金調達の仕組みは、かなりの数の「穴」を埋める可能性を持っている。
Livertyから生まれた無料のECサイトのBASEも、機会の平等を実現するためのものだった。
このサービスを作った鶴岡君は当時大学生で、地方に住む彼のお母さんでも使えるようなECサイトが作りたいという思いがきっかけだった。
ネット上にお店を構えることができれば一気に商圏が広がるわけだけど、全員がコンピュータに詳しいわけじゃないし、コンピュータに詳しい知り合いが近くにいるとも限らない。だから彼は徹底的に使いやすさにこだわったし、登録料も年間使用料も無料にした。今ではBASEで開設されたネットショップは30万店舗に及ぶ。
機会の平等を実現するべく頑張っている企業といえば、ハッシャダイという会社もある。その創業社長の久世大亮君は、僕がいま最も注目している若手起業家だ。
ハッシャダイでは「ヤンキーインターンシップ」という職業体験の場を提供している。参加できるのは地方に住む中卒者・高卒者限定で、16~22歳までが対象。参加者たちは6ヶ月間、東京のシェアハウスで共同生活を送りながら、座学などを受け、職業体験と都市部の生活体験をする。
なんと、その間の生活費は無料で、インターンとして働いた分は給与が支払われるのだ。
地方のいわゆるヤンキーは、大卒者と比べると圧倒的に就職先の選択肢が少ない。それに普段接する人たちも土地ゆえに少なくなってしまうので、自分の人生の限界を自分で定めてしまう子が多い。
でも東京に来れば選択肢は一気に増える。それに今まで会ったこともない人や見たことがないものに触れることで、人生の可能性を見つけることができるかもしれない─。そんな思いで久世君はこのサービスを始めたそうだ。
【05】 小さな経済圏で生きることを助ける試み
おかえりと言ってもらえる場所
新しい生き方を考える上で欠かせないのは居場所だ。
Livertyの活動から生まれたシェアハウスのリバ邸のコンセプトは「現代の駆け込み寺」だった。Livertyのような活動に参加する子たちは住む場所がなかったり、地方から出てきて寂しく暮らしていることが多かったので、だったらみんなで住めば家賃が安いし、居場所になると思って作ったものだ。
「居場所作り」は僕の個人的なミッションでもある。
そしてその居場所とは「おかえり」といってもらえるような場所のことであり、その人のことをただ肯定してもらえる場所のことだと思っている。
だからリバ邸でも色々と揉めて出ていく子も当然いるけど、そんな子が数ヶ月ぶりにふらっと帰ってきたときには、住人は「おかえり」と言って欲しいし、僕の会社にしても、「他に挑戦したいことがある」と言って辞めた社員が夢破れて会社に戻ってきたいと言ったら、「当たり前だろ。おかえり」と迎え入れてあげる社員たちであって欲しいと思う。
結局、人がつらい思いをするのは「家か会社(もしくは学校)か」みたいな限られた選択肢の中で、そのいずれもの関係がうまくいかなくなるときだ。
会社では上司にいびられ、家では奥さんに煙たがられている世の中のおじさんたちが小料理屋などに足繁く通うのも、「おかえり」と言ってもらえる場所が欲しいからなんじゃないかな、と思う。
なぜ僕がそういう場所にこだわるかというと、自分を肯定してくれる場所さえあれば、人はチャレンジすることに対する恐れが減るからだ。
チャレンジした先に自分の居場所が作れたらベストだけど、ダメでも帰ってこられる場所があることは、とても大事だと思う。
そうはいっても僕は彼らを「救いたい」という上から目線の意識はなくて、とりあえず場所を用意して、あとは「こんなのやるけど興味ある?」くらいのゆるい関係がいいと思っている。
というのも、感情が入りすぎてしまうと、押しつけてしまっているように聞こえてしまうから。そうするとそんなやさしい場所でさえも、会社や家と変わらないものになってしまう。
リバ邸には児童養護施設を出た子やうつ病で会社を辞めた子など、色々な事情がある子がいる。もちろん、恵まれた家庭に育って親の愛情もたっぷり受けて育った子もいるが、とにかくそのバックグラウンドは十人十色だ。
そんなカオスな場所だけど、少なくとも僕がやりたいのは、自分のコンプレックスや辛い経験によって日々の生活がどんどん鬱屈していく状態の子に対して、「自分も声をあげたい」と思ってもらえる場所を作ること。
それは、僕自身が中2からほとんど自宅に引きこもっていたときに、「こんな場所があればよかったな」と思える場所を作っているだけなのかもしれない。
さらに、リバ邸の延長にあるものとして個人的にはいつかやりたいと思っているのが、「人生定額プラン」。
例えば月3万で衣食住がカバーできるような逆ベーシックインカム制度みたいなものだ。それを村単位で実現するのか、シェアハウス単位で実現するのかはわからないけど、もし「月3万で住むところと洋服と食べるものとWi-FI環境と仲間がいます」という環境を作れたら、生きていくことや新しいことへのチャレンジは相当楽になると思う。
月3万円くらいならクラウドソーシングやバイトを少しするだけで賄える。ということは、起業をして失敗したとしても戻れる場所があるということだ。
「最悪あそこに行けばいい」と思えるだけで人は勇気を持てる。
別に起業しなくたっていい。サービス開発とか勉強や創作活動に専念したいからあまりバイトはしたくない人にも最適だろうし、将来やりたいことのために、ここでお金を貯めるというのもありだ。
ただし、もしこれをやるとしてもやっぱりコミュニティありきだと思っていて、月3万で衣食住がカバーできたところで、それが一人暮らしだとしたらあまり意味がない気がする。
ちなみに編集者さんから聞いた話だと、企画型シェアハウスを仕掛けているGOOD SHARESという会社がすでに人生定額プランのようなことを行っているそうだ。
そのシェアハウスはシングルマザー限定で、月4万円の家賃を払えばもれなくお米が食べ放題。しかもそこにいる仲間は皆、子育てに奮闘している立場だから、悩みを分かち合ったり、子供の面倒を見合ったりするメリットは計り知れないと思う。
そしてこのプランの何が素晴らしいのかというと、物件のオーナーがちゃんと利回りを得られていること。一方的なボランティアだと善意だけで持続できるのかわからないけど、ビジネスとして確立されているなら他の不動産オーナーも「俺もやってみよう」と思うかもしれない。
誰もが得をする仕組みを考えることは、社会変革を仕掛けていくときにとても大事なことで、それは僕の今までの活動にも共通して言えることだ。
僕としては高齢者の銀行口座に滞留している富をもっと若い世代に向けて欲しいとは思うけど、それを寄付のような形に限定してしまうとあまり大きな変化は望めない。
それを持続的、かつ大きなスケールの仕組みにするためには、ビジネス的な展開が大事だと思うのだ。
僕がシェアハウスを始めたのはテレビ番組の『テラスハウス』が流行る前の話だけど、若い人がシェアハウスに集まるのは不安や孤独という一面もある気がする。
価値観の多様化とか個人主義といった流れがありつつ、そうはいっても一人で生きていくのはしんどいし、孤独死なはイヤだな、という気持ちもあるのだろう。それに「お金があれば幸せ」という価値観の脆さに気づいて、人とのつながりのようなお金に代えがたいものに価値を見出している人もいるはずだ。
ちなみにLivertyを一緒に立ち上げた高木新平君がもともとやっていた「トーキョーよるヒルズ」は、彼の部屋のリビングルームで夜な夜なイベントをやるというものだった。
これは、「東京では一人になろうと思えばいくらでもできる。家にいるときくらい誰かといよう」という逆転の発想からきたもので、年間2000人も集めたらしい。
実際、最近では一人暮らしをするより高いお金を払ってでもシェアハウスを選択する人も増えている。それは僕たちがインターネットを使うために毎月高いパケット代を払っているように、繋がりを持つためのコミュニケーション代を支払っている感覚なのだと思う。
そういう意味では、最近日本で急増しているコワーキングスペースも発想は同じ。利用者は、そのゆるいコミュニティから生まれる何かや、コミュニティならではの居場所感を求めてやってくる。
世界ではNY発祥のコワーキングスペース、WeWorkが急成長している。
会員同士で仕事が行き交う循環ができていて、フリーランスのデザイナーに開発案件が入ってきたら、同じスペースで働いているエンジニアに「こういう仕事あるけどやる?」といった支え合いの関係が自然と生まれている。
ちなみにコワーキングスペースは2006年にサンフランシスコで生まれ、日本に入ってきたのは2010年のこと。ただ、地方都市などに行くと中には廃墟みたいになっているところもあって、大抵、その原因は運営者がブームに乗ってみて「箱を作ればいいだろう」と勘違いしていることにある。
ただ場所があるだけではダメで、大事なのはそこで形成されるコミュニティであることを忘れてはいけない。
最小で究極の生き方、エコ・ビレッジ
僕と同い年で友人の工藤シンク君が、熊本で「サイハテ」というエコ・ビレッジを運営している。
彼らの生活は基本、自給自足。たまにインターネットを介して各自の得意分野を活かした小さな商いをして生きている(彼らは、現金収入のことを「外貨を稼ぐ」と言っている)。
彼らが目指しているのは衣食住を見直して、文化的な循環型コミュニティを作ること。「小さな経済圏」の先を行く「小さな文化圏」だ。大人17人、子供10人が暮らしている。
彼らはCAMPFIREの評価経済、贈与経済的なスタイルを気にいってくれている。実はその村自体も、日本でクラウドファンディングができる前の時代に、小口の出資を1000万円分も集めて、朽ち果てていた企業の保養所の広大な土地を買い取ったそうだ。
行きすぎた資本主義の先にある新しい幸せの形を模索する活動とも言えるエコ・ビレッジは、今全国に増えている。
その考え方の根底にあるのは「国がどうなっても生きていけるような場所を作ること」。アメリカのプレッパーズ現象に近いものがあると思う。
もちろん日本である以上、経済とか法律の枠組みの中にはあるけど、最悪ここに来れば生きていけるという場所を作るという意味では、リバ邸の究極版というか、スタンドアローン版と言えるのかもしれない。
ただ、今あるエコ・ビレッジを見ていると原理主義的なところが多い印象があって、中には電気を一切使わないような村もある。その点、サイハテはテクノロジーを否定するわけではない。インターネットも使うし、暑いときはエアコンも使う。
そのあたりのバランス感覚が僕は好きだ。
工藤君本人も言っているけれど、サイハテは壮大な社会実験の場だ。
サイハテ村が今の規模感ならうまくいくかもしれないけど、入村希望者が殺到して拡大していくとどうなるかは誰にもわからない。
僕と彼らは、少し方向性が違うけど、見ているところはきっと近くて、日本や世界に対してあまりいい未来が描けなくなっている今、僕も彼らも新しいプラットフォームを作ることに挑戦しているんだと思う。
【06】 小さく始めよう
2020年にはアメリカの労働人口の半分がフリーランスになると言われていて、いよいよ会社に縛られない生き方、働き方が本格化するんだなという実感がある。最近の僕が普段支援するのは大学生ばかりで、たぶん、起業のハードルも昔ほど高くはなくなってきているんだな、と感じている。
昔は就職して経験を積んだ先にあったことかもしれないけど、就職することやフリーターでいることと同列で、起業や独立という選択肢が存在しているのだろう。
そして、やはりそれを可能にしたのはインターネットで、僕は「小さな経済圏」を作ることでそれをさらに後押ししたいと思っている。
「小さな経済圏」という概念を理解すると、起業や独立という切り口も小さく始めていいものだ、ということを理解してもらえるはずだ。今までに紹介したサービスはどれも大企業が念入りに準備を重ねていっていたものでもないし、利用者をサービスが選ぶようなものでもない。
こうして生まれている小さな経済圏的な事業を見ていると、昔のことを思いだす。起業にせよ独立にせよ、若干言い古された言葉だけど「小さく早く」がやはり最強で、僕が起業したときのサービスはレンタルサーバーという事業形態だった。
月3万円くらいで大容量のサーバーを契約して、その容量を小さく区切って一般の人たちに貸し出すというビジネスで、その容量を区切るシステムは勉強しながら自作したものだった。起業というからには会社らしい対応も必要なのだが、そこについてはメールフォームから問い合わせがあったら、その都度手作業でセットアップする、という具合にすべて手作業で行っていた。
僕は今でも社内で「まずは人力でやろう」とよく言うけど、それはシステムありきで考えてしまうと、かなりの時間とお金が取られてしまうことに由来する。そうやって予算と工数を使ってがっつりしたものを作ってしまうと、「このコストを取り戻さないといけない」というバイアスがかかってしまい、「もしかしたらうまくいかないかも」と思っても、「いや、きっとうまくいくはずだ」と勝手に思いを転換させてしまい、あまりいい方向に進んでいかないことがある。
本来、サービスの裏側の話はお客さんからすればよほど対応が遅くならない限り関係ないわけだし、リスクを取らなくてもいいところでわざわざ取る必要はないのだ。
むしろ、「こうじゃなきゃいけない」という思い込みがビジネスのスピードを遅くしたり、必要以上に大きくしてしまったり、本質からずれてしまったりする要因になる。
最初のうちは会社に勤めながら夜、作業を進めていた。「退路を断つ」という言葉はなんだか美談のように扱われることもあるけど、思考することを放棄した人が最終的にとる手法だと感じる。
その決意が周囲の心を動かすことはあるだろうし、僕も感動したりすることはあるけど、退路を断たずともやれることはいっぱいあって、それを下準備もなしに「明日会社を辞めてこっちに専念します」というのは少し疑問だ。
そういう意味で小さく立ち上げることはとても大事だと思っていて、それは今でも変わっていない。いや、昔よりも今のほうがより重要とすら思う。
今なら起業に必要な支援もクラウドファンディングで集めることができる。仮にそこで目標金額に全く届かなかったら、そこで計画を見直すのも全然アリだろう。
これを読んで、CAMPFIREで何かを始めてみようかなと考えている人も、「とりあえずやってみよう」くらいの気持ちで小さな経済圏に足を踏み入れてみてはどうだろうか。
小さな経済圏という気づきを得たのち、CAMPFIREで企業の視点から新しい社会を模索する家入一真氏と、数多くの著書で「持たない生き方」を提唱し、いわば自ら小さな経済圏の在り方を実践してきたpha氏。
互いに、違うアプローチで「小さな経済圏」の輪郭を捉える二人が、小さな経済圏で生きること、次の時代に求められる柔軟な生き方のヒントを語る。
─お二方ともシェアハウスを運営されていますね?
pha:僕がやっているのはギークハウスといって、パソコンとかネットとかが好きな人が集まるようなシェアハウスをずっとやっています。
家入:phaさんの周りにいる人は、けっこうアウトローというか、ぎりぎりの人が多いイメージがありますね。比べるものじゃないですけど、僕のリバ邸がまともに見えるくらい……。
pha:そうですね。社会から外れた感じのニートとか、家賃が払えなくてどこへ行ったらいいかわからないやつとか、わりとそういう若い子が多いです。
家入:そういう居場所がよりアンダーグラウンドに行ってしまう人の一つ手前の受け皿になるみたいなのもありますよね。シェアハウスとかの小さなコミュニティによって救われている人は少なくないと思います。
pha:それはあります。実家にいて苦しんでいる人とかけっこういるんですよね。苦しいけど行き場がない、みたいな。
家入:リバ邸に来る一定数もそんな感じです。見た目は普通なんだけど、ぎりぎりのところを歩いている人ってたくさんいて。
pha:そういう行き場のない人でも、似た境遇の仲間がいるからなんとかなるだろうというのが根底にあります。
家入:自分だけじゃないって思えるって、すごく大事ですよね。
がんになったことをきっかけにキリスト教の熱心な信者になった人がいて、その人は「正直、キリスト教じゃなくてもよかった」って言うんです。たまたまキリスト教の教会に行ったら、自分と同じように辛い思いをしている人と出会えたから入信したんだと。
pha:お金とか効率性とは関係なくつながることができる場所って今はネットがあるけど、昔は少なくて、宗教はその受け皿になっていたのかもしれないですね。
「シェアハウスにいると落ち着く」って感じる人が多いのも、たぶん、そういう理由だからだと思うんですよね。
家入:難病を抱えて車椅子生活を余儀なくされている熊谷晋一郎さんというお医者さんがいて、彼が言っていたことんですけど、「本当の自立っていうのは一人で生きていくことじゃなくて、いざというときに助けてくれる人を見つけることなんだよ」と。
pha:いい言葉ですね。
家入:ですよね。熊谷さん、本当に一人じゃ生きていけないんですよ。一回、家で車椅子がひっくり返って動けなくて、本当に死にかけたらしいんです。その時はたまたまだれかが訪ねてくれて助かったそうなんですけど、それまではだれの助けも借りずに生きていくことが「強い自分」みたいに思っていたけど、その考え方が間違っていたことに気づいたそうなんです。
やっぱり人間は本質的に支え合っていかないと生きていけないっていう話なんでしょうね。
pha:自立は孤立でもあって、孤立しすぎると精神的にしんどいですからね。
家入:今孤独死がどんどん増えますけど、シェアハウスが広まっているのも、極端なことを言うと若い人たちが「このままだと孤独死するぞ」ということに本能的に気づいて、つながりを求め出したからなんじゃないかと思うんです。
─「つながり」や「支え合い」がキーワードのようですね?
pha:つながりは大事ですよ。CAMPFIREがいいなと思うのは、別に金額がスケールしなくてもそれでつながりができて楽しいっていうのがあることじゃないですかね。お金がコミュニケーションツールになっている感じで。
家入:大阪の西成地区で、50円玉を50円で売っているホームレスがいるっていう話、聞いたことがありますか?
pha:なんですか、それ?
家入:本当に50円玉を50円で売っているんです、路上で。お金の額面の価値だけで考えると意味がわからないことになっちゃうんだけど、売っている本人からすれば50円を売ることでそこにコミュニケーションが生まれるので、その分、プラスだと。
pha:深いですね。
家入:CAMPFIREでも「5万円くらいなら自分でバイトして何とかしろよ」って言う人もいるけど、5万円ぐらいだったら500円を100人で出し合って、つながったほうが絶対的におもしろいじゃないですか。だって5万円を稼ぐためにバイトをしてもたぶん100人も接客しないかもしれないし、そもそもお客さんでしかないので自分が何かやろうとしていることを応援してくれているわけではないですからね。
だから、50円を50円で売る話ってすごく極端な例だけど、何か本質をついている気がするんです。
pha:それがネットでできるというのはやっぱりいい時代ですよね。
家入:だから、つながりを求めているのは絶対的にあります。あるんですけど、その一方で、つながりだらけになってしまうとそれはそれで生きづらくなってくるので、そこら辺はいい感じのつながりがいいですね(笑)。
pha:僕としてはいったんつながりをばらしてまたつながる、ぐらいがちょうどいいのかも、と思っていますね。
一般的には自分の生活圏って家族を中心に回っていきやすいですけど、そこに閉塞感を持っている人もいて。例えば本当は小説を書きたいのに、実家にいると「もっとちゃんとした職に就け」とか言われて窮屈な思いをしている人がいるじゃないですか。
家入:ご近所の目もありますからね。地縁、血縁みたいなものが呪縛みたいになっているパターンって確かにあると思います。
pha:そういう人なんかが僕らのところに来たら、同じような仲間が周りにいると世間からのプレッシャーを跳ね除けやすくなって、のびのび生活できるかなと。
家入:わかります。「みんなは朝、早く起きて仕事に行っているな」とか、「世間はクリスマスなんだな」とか、そういうひとつひとつが「死にたい」って思ったりする要因になったりしますからね。
pha:ええ。でも複数いると、「これでもいいのか」と受け止めやすくなりますよね。僕も含めて、昼まで寝ているやつばっかりだし(笑)。
家入:僕は社会が「支え合い」の方向に行ったらいいなと思っていますけど、だからといってかつての村のような時代に逆戻りしても意味はなくて、村は村でも現代版にアップデートされたものがきっとあるんだろうと思っています。それはたぶんphaさんが今やろうとしている緩やかなつながりなのかもしれないですね。それを「何縁」と呼んだらいいのかわかりませんけど。
pha:一周して前よりちょっと居心地のいい家というか、家族というか、そういう場所を作りたいですね。一度距離をとることで家族とか地元のよさがわかるみたいなケースもあると思いますし。
家入:居場所の話って、何も若い人の話だけではなくて、タクシーに乗ったりすると、定年退職で会社を辞めて、やることがなくて、うつになりそうで怖かったからタクシー運転手をやっていますみたいな人に何人か会ったことがあります。
彼らも家に居場所がないんですよね。家にいたら奥さんから「ゴロゴロばっかりしないで」って言われるし、そうかといって職場ももうない。
何かの本で読んだんですけど、年をとると地域のコミュニティみたいなのに入ろうとするんだけど、女性はわりとすんなり入り込めるのに、男性は今までの経歴とか地位を引きずり込みやすいから、うまく入れないケースが多いと。なんとなくわかる気がしますよね。
pha:コミュニティに参加するのって、コツというか慣れみたいなのもあると思うので、それを若いころからやっておいた方がいいですよね。60歳になって急にやれって言っても難しいでしょうから。
─緩いつながりであってもシェアハウスのように共同生活をするとどうしても「合う、合わない」という話があると思いますが、実際にはどうですか?
pha:合わない人は合わないし、ライフスタイルが変わるのもあるし、それと環境に慣れすぎて飽きるというのもあるので、入れ替わりは当然あります。でも、このシェアハウスは合わないけど、こっちはいけるみたいなことはあって、それで今、構想中なのが「回遊できるシェアハウス」です。
家入:面白そう!
pha:まだコンセプトが定まったわけではないんですけど、街の歩ける範囲にいくつもシェアハウスがあって、そこを自由に行き来できたり、あとはビルを丸ごと1棟建ててフロアごとにシェアハウスの運営スタイルとかテーマを変えたりできればなと思っています。
雑魚寝でいいという奴もいれば、リビングを共有するくらいがちょうどいいとか、彼女ができたらからプライバシーが欲しいとか、子供ができたらから家族単位で共同生活したいとか、いろんなニーズがあると思うんです。
だからそうやって場所をいっぱいつくれば、どこかにはハマるだろうと。例えば、ビルの最上階だとちゃんとした暮らしができる、とか(笑)。
家入:それ最高じゃないですか。
pha: だって彼女ができたからといってコミュニティから外れてしまうのって勿体ないですよね。
家入:確かに。phaさんが本で書かれていた「2拠点生活」の話に通じるんんでしょうね。移住とかいうと「お前はこの地に骨を埋める覚悟はあるのか!」みたいな感じで問われるけど、そんな感じで来られると「いや、別に」みたいな。
pha:それはそれで呪縛ですからね。
家入:だから、その都度選べるみたいなほうがいいですよね。
pha:やっぱり生きやすい社会って選択肢がたくさんあって流動性があることが大事だと思っていて、働き方はだいぶ流動的になっていますけど、住む場所ってまだ硬直的ですからね。ずっとここにいなきゃいけないってなるとしんどいので、場所をたくさんつくりたいと思っています。
─選択肢が増えて悩む、みたいなこともありませんか?
家入:それはあります。この本では「自由に生きろ!」って言ってますけど、「大きな経済圏」からいきなり解放されて何をやっていいかわからないみたいな人もいるでしょうし。
だから生き方の選択肢が増えることで余計につらくなる人もたくさん出てくると思います。生き甲斐みたいなものを見つけられない人にとっては「なんで生きているんだっけ」みたいな気持ちになりやすいので。
pha:そうですよね。ギークハウスの住人でも、それを見つけられない人っていうのはたまにいます。これは僕の考え方ですけど、何もやりたいことが見つからない人は普通に働いたほうがいいと思いますね。
何か技術なりを身につけて、そんなにしんどくない職場を見つけて、その世界で生活したほうが多分幸せになれると思います。
家入:あと、実際にやってみないとわからないことって多いと思うので、そういう意味では「ここに戻ってくれば生きていける」みたいな場所があると、人はもっと色々チャレンジできるのかな、と思いますね。
まあ、別にそれは大きなチャレンジである必要はなくて、お試しくらいでもいいんですけどね。居場所がないとそんなお試しですら怖くなるというのはあると思います。
─phaさんは「定職につかない、持たない生き方」を実践されていますが、持たない生き方をしていて不安に思ったりませんか?
pha:今の僕はブログを書いたり本を出したりしながら何とかやっている感じですけど、それもいつまで続くかわかりません。でも、別に不安はないですね。もし駄目だったら家賃がタダみたいな田舎に引っ越すとか、月3万ぐらいあれば食えるようなところに行けばいいとか、そんな感じです。
家入:ギークハウスの住人の方たちはどんな感じですか?
pha:彼らも、僕がバイトを紹介してそれをちょっとやったりとか、そんな感じの子が多いですよ。本当に病んじゃっている子の中には生活保護を受けている子もいます。
それに最悪、働ける状態じゃない子は、家賃1万円で住める「難民キャンプ」って呼んでいるところに放り込んだりします。シェアハウスのワンフロアのことなんですけど、そこはただベッドが並んでいるだけのガレージみたいなところで、「ここなら月1万円でいいよ」と。
家入:へ~、いいですね。
pha:別にその1万円だって払えなければ払えなくてもいいぐらいで、おもしろい人が集まればいいかなと。
あ、これは別に僕の持ち出しでやっているわけではなくて、お金に余裕のある友人がいて、彼がシェアハウスのためにビルを1棟借りていて、そのワンフロアを使っているんです。
家入:お金を持っている人と持っていない人のマッチングって、意外とありますよね。普段は接点がないだけで。リバ邸も今、ある社長夫人が色々と支援をしてくれているし、地方のリバ邸の例で言うと、最初の敷金とかを地場の企業の社長さんが出してくれて、その代わり企画会議とかに若いやつらに出てほしいみたいなこともありました。
pha:たぶん、需要はありますよね。ちょっとお金があって、自分の地元とかで若い人を集められたら自分も楽しいだろうし。
家入:別に海外の国を支援するのも全然いいんだけど、何より自分の国の若い人に、もっとお金を回すっていう感じになると、すごくいいのになと思います。
そういう意味では、寄付の形ももっとアップデートできると思っていて、よく赤い羽根募金とか駅前でやっていますけど、あんな感じで20人くらいでやられると緊張してできないですよ、逆に。僕、小心者だから(笑)。
pha:Suicaをピッとかざすとか、もっと気軽なインターフェースがあるといいですよね。それが家入さんのおっしゃる「お金をなめらかにする」ことにつながるんでしょう。
家入:まさに。クレジットカードで支払うときに端数を自動的に切り上げて、その切り上がった分を資産運用できるサービスがアメリカにあるんですけど、それの寄付バージョンとかあってもいいですからね。
pha:いいですね、スムーズで。
─「大きな経済圏」と「小さな経済圏」の関係をどう捉えていますか?
pha:大きな経済圏は大きな経済圏のまま普通に続いていくと思います。
でもやっぱり会社とか、ちょっと大きなシステムでは個人の都合がないがしろにされやすくて、人の感情がすりつぶされるようなところがあったりするので、マジョリティーの経済圏で疲れた人のためにもう一つのライフスタイルがある、ということが大事だと思っています。
やっぱり向き不向きがあると思うんですよ。山を登るのが向いている人もいるし、そうじゃない人もいる。それぞれの人が、それぞれ向いている場所に行ったらいいんじゃないかという感じですね。
家入:構造の話で思い出しましたが、マジョリティーとマイノリティーをあえて分けたとするならば、今の時代ってマジョリティーとマイノリティーの総数がわりと同じぐらいの数になりつつある、という話を聞いたことがあります。
マイノリティーにはニートとか、シングルマザーとか、移民、外国人とか、そういった人たちが含まれるんですけど、人数的に、だんだん半々ぐらいになってきていると。
で、従来のマジョリティーの経済圏というのは三角錐の構造で、富なり資源なり権利なりを上がいったん吸い上げて、下に分配していく形。三角錐の底辺にいるのがマイノリティーです。
一方、マイノリティーの経済圏はフラットな円で中心が抜けていて、互いが連携しながらそうした分配を行うと。
要は構造がまるっきり違うんですね。だから今後は、この横の連携をどう作っていくかが大事になってくるし、それってまさに小さな経済圏のことなんですよね。
pha:おもしろいですね。マイノリティーって町内で探すと少ないけど、ネットで探すと、全国に何千人、何万人と同じ人がいて、家入さんのやられているCAMPFIREの活動も、ネットの強みを最大限に生かしていて、そのフラットな円の中のつながりを作っていっている感じがします。
家入:そうなんです。それにマイノリティーって、弱さという言い方が正しいのかはわからないけど、「弱さでつながりやすい」みたいなのがありますから。接点が持ちやすいというか、フワッとつながりやすいというか、仲間意識を持ちやすい。
pha:その点、ネットは自分の弱さを表現しやすいし、探しやすいですからね。リアルの世界で会っていきなり「僕、実はこんな事情を抱えてまして……」なんて言う人はめったにいないし(笑)。
─「大きな経済圏」が辛いと感じているのに抜け出せない人たちについてどう思いますか?
家入:確かに、学校なり会社なり家庭なりがその人の世界のすべてになってしまって「ここからこぼれたら自分はもう生きていけない」と思っている人も多いですよね。
実はそこから一歩外に出てみると、世界は広いということに気づけたりするんですけど、その一歩がなかなか踏み出せない。
「世界は、もっと広いんだよ」とか言われても、「うるさい! 余計なお世話だ!」って反発するわけですけど。
pha:具体的な例を知らないと実感が湧かないというのもありますよね。特に、今のレールを外れても何とかなるみたいな話になってくると。
僕とかも、やっぱりそういう例になればと思って活動している感じはあります。
家入:ロールモデルをたくさん作っていかなきゃいけないということは僕も社内でよく言っていて、だから、どっちかと言うとお金がいっぱい集まったプロジェクトよりも、地方で、5万円とか、10万円とか集めてサクセスしましたみたいなプロジェクトのほうが僕としてはもっと発信していきたいと思っています。
pha:そっちのほうが「真似できそう」と思えますから。
家入:大事なことは「ああ、声をあげていいんだ」って思ってもらうことで、むしろ、数千万集まりましたみたいなものを見れば見るほど、自分には程遠い世界だと思ってしまうかもしれないし。
もちろん、声をあげた先にどうなるかというのはわからないけど、まず声をあげてもいいんだなって思えることが重要で、最近立ち上げたBAMPというメディアも、普段あまり光が当たらない人たちに光を当てるみたいな意図で作ったんですけどね。
あと、phaさんが言うように適材適所じゃないけど、生き方の向き不向きってあるので、小さな物語をたくさん発信して、「こんな生き方いいかも」と思えるものを増やしてあげたいという気持ちもあります。
─この本を読んで「小さな経済圏」で生きたいと思った読者にアドバイスを送るとしたら、どんなことを伝えたいですか?
pha:そうですね。インターネットを前提にした話ですけど、僕が最近思っているのは、顔写真を出すと強いということですね。ブログでもSNSでもとにかく顔写真を出しまくっていると、その人に愛着が出てくるっていうのはあると思います。営業マンが顔をいっぱい出すのと一緒で。
家入:確かにありますね。初めて会ったのにそんな気がしない人ってネット上にたくさんいますよね。わかります。
pha:小さな経済圏をどうやって作るかと考えたら、やっぱりその人のキャラで回るものなので、いかに自分を認識してもらえるかとか、ファンを作るかという話が切り離せないと思うんですよ。その点、顔を出すって楽だし強い方法だなと思います。
家入:覆面をかぶったつもりでけっこう過激なことを言ったりしているけど、最終的にそれを剥がされてめちゃくちゃダメージを受けたりしている人を見ると、最初から顔を出したほうが強いな、みたいなのはありますよね。それに、何かを得ようと思ったら、さらけ出すことはことさらデメリットではないというか。
─家入さんはどうでしょう?
家入:phaさんもそうですけど、いきなり「こういう生き方をしたい」と言っても、だれも最初は応援してくれないと思うんです。なので手始めにだれかを手伝うことから入っていくと、いつか自分がやりたいと思ったときにその人たちが手伝ってくれるんじゃないかなと思いますね。
何かをされたらお返ししたくなることを返報性の原理って言うみたいですけど、すごくあるなと思います。常に何かしら社会に対して与えておくと、いつか自分にグルッと戻ってくるというか。
だからphaさんが今やっていることは最終的にphaさんに回ってきて、将来、「本も書けなくなってしもうた!」みたいなときに、みんな助けてくれる気がしてならないんです。
pha:確かに、社会に貯金している感じはあるかもしれないですね。
家入:うわぁ、いい言葉ですね! 本当にその通りで「起業したいんだけど仲間が集まりません」とか、「何かしたいけど応援してくれる人が見つかりません」って、みんな言うんですよ。
でも、よっぽどのカリスマ性があるとか、話がうまいとか、ビジョナリーでもない限り、いきなり自分のやりたいことだけ言って人が集まるわけないんです。
だったらまず、同じような活動をしている人の近くでゆるっと手伝ったり、そこに属してみたりとかしながら、少しずつ自分の経済圏を作っていけばいいと思います。
pha:手伝って欲しい人も手伝いたい人もけっこういますからね。あ、それならCAMPFIREで「手伝い募集」みたいなことも一緒にやったらいいかもしれないですね。
家入:そうなんですよ。今はリターンを0円設定にして手伝いの募集をかけるみたいな感じで対応してますけど、もっとわかりやすいUIにしたいなと思っています。それこそイベントの設営の手伝いとか、「お金はないけど、ちょっと手伝うくらいならできます!」っていう人は多いと思うんで。
pha:それができたら本当にいいですね。クラウドファンディングって、お金を調達する機能ばかり注目されがちですけど、それ以上に仲間をつくる機能も大きいと思うので、そんな機能が追加されたら小さな経済圏がさらに増えそうですね。
対談者PROFILE
pha(ふぁ)
1978年生まれ。 大阪府出身、現在東京都内に在住。
京都大学総合人間学部を6年かけて卒業。できるだけ働きたくなくて社内ニートになるものの、28歳のときにインターネットとプログラミングに出会った衝撃で会社を辞め、以来毎日ふらふらしながら暮らしている。 シェアハウス「ギークハウスプロジェクト」発起人。著書に『ニートの歩き方』(技術評論社)、『持たない幸福論』、『ひきこもらない』(いずれも幻冬舎)などがある。
第3章 小さな灯をともし続ける
2016年からCAMPFIREはクラウドファンディングの業界を
アップデートする施作を続々と仕掛けてきた。
そのおかげで業界シェアNo.1になったけれど、
そんなことで僕らは満足していない。
CAMPFIREが目指すのは、
既存の金融の仕組みにはまらない人たちに
等しくチャンスを提供する金融包摂だ。
そのためには僕らは
もっと活動の領域を広げていかないといけない。
同時に僕らの生き方や働き方はテクノロジーの進歩によって、
近い将来、劇的に変わっていく。
行動を起こすときの言い訳が存在しない、
なめらかな社会は、もうすぐそこにある─。
【01】 CAMPFIREをアップデートする
クラウドファンディングの持つ可能性に惹かれた僕は、Livertyの活動を始める前年の2011年に、発起人である石田光平君とともにCAMPFIREの設立に参画。長らく経営に関与できていなかったけど、2016年2月にCAMPFIREの代表に戻った。
戻ってきて真っ先に着手したことは、手数料を従来の20%から5%に下げることだった(現在は8%)。20%はクラウドファンディング業界の標準的な手数料なので、牛丼業界で言えば牛丼1杯をいきなり70円くらいに下げたイメージだ。
あわせて、プロジェクトの成功可能性で判断しがちだったそれまでの掲載審査の基準を大幅に緩和し、支援のハードルを一気に下げた。反社会的なものを除いて、基本的にどんな案件でも掲載できるようにしたのだ。
僕の頭に常にあることは「1円でも多く支援をしてあげたい」ということと、「一人でも多く声をあげて欲しい」ということの2つ。そのために行った、大きな改革だった。
それまでの自社を含めたクラウドファンディングのあり方では「小さな経済圏」が作れないと思っていた。社会をアップデートするためにはクラウドファンディング自体をアップデートする必要があったのだ。
そもそもインターネットの本質はどんな人であっても声をあげられる場所というところにある。僕たちがインターネットに触れ始めた90年代初期、インターネットにアクセスできるのはパソコンやモデムを買い揃えて、ある程度コンピュータに詳しい一部の人に限定されていた。
でも、スマホで誰もがインターネットに常時接続できる時代に一般の人の声を聞かないというのは、もしかしたらサービスが権威的になっているんじゃないだろうか。
20%を手数料として頂戴して、そのお金で営業担当者やキュレーターをたくさん仲間に加えて、プロジェクトオーナーに対する手厚いフォローをする、というのが一般的なクラウドファンディングの仕組み。
それはそれで機能しているけれど、このビジネスモデルだと募集金額が小さなものはシステム上、残念ながら弾かれてしまう。
どうしてそうなってしまうのか? ロジックはこうだ。
このような仕組みで動いているクラウドファンディング会社では、自分たちの人件費をペイするために法人相手や規模の大きなNPOなどの「大口顧客」ばかりを営業対象にする。
そして営業担当者たちはその大口顧客に自社のサイトでプロジェクトを立ち上げて欲しいので、「うちの会社ではプロジェクト成功率がこんなに高いんですよ」と実績を紹介する。そのときに使うのがプロジェクト成功率だ。
会社が追うKPIは成功率が中心になるから、小さな顧客がなかなか信用されないというケースは、残念ながら多い。
実際、大半のクラウドファンディング会社のHPを見れば、トップページの目立つところに成功率が大きく表示されているケースを見ることができるだろう。
でも、繰り返すけど、成功しそうなプロジェクトしか選んでいないのであれば、こんな数字はいくらでも上げられるし、それはCAMPFIREの本質ではない。
だからCAMPFIREでは成功率の公表はやめた。
成功してもらうためにフォローはするけど、それがうまくいくかどうかは市場に委ねたらいいというのが僕の考え方だ。
そもそもプラットフォーマーはプラットフォームの提供に徹していればいいのであって、「こんなプロジェクトはダメだ」といった判断を運営者が下すこと自体、おこがましい。そんなことをするのは銀行の融資担当者だけで十分だ。
こうした大きな方向転換に関しては社内の反発も予想されたので、僕がCAMPFIREに戻ってきたとき、時間をかけてメンバーたちに僕の目指すものを伝えた。
「5000万円のプロジェクトが入ってくるのはありがたいけど、それよりも5万円のプロジェクトを1000個作りたい。美大生が5万円で個展を出したいとか、地方の若者が10万円でフリーペーパーを作りたいとか、従来の金融のあり方のままでは相手にされないような人たちの受け皿になりたい」と。
募集金額が少ない彼らはおそらくまだ有名ではないし、たくさんの人が支援するわけでもないかもしれない。成功してもマスコミに取り上げられるとは限らない。
でも、そんな人たちが声をあげて、その思いに共感する人が何人かいて、日本のどこかで小さな物語が生まれることは、僕にはものすごく尊いことだと思う。
そんなことを丁寧に語ったら、ほとんどのメンバーは納得してくれた。
「せめて10%くらいにしませんか」という意見もあったけど、どうせやるなら他社が追随できないレベルまで一気に下げて、クラウドファンディング業界を改革していこうという僕らの本気度を示したほうがいいと思ったのだ。
CAMPFIREは「小さな灯をともし続ける」というスローガンを掲げている。設立から5年、ようやくその原点に立ち戻る準備が整った。
価格破壊を起こした反響は想像以上に大きく、取り扱い件数は爆発的に伸びた。
それまでのプロジェクト掲載件数は月に10件くらいだったけど、今では半日でそれくらいの件数に行くこともある。購入型クラウドファンディングの取り扱い件数では市場の60%を占めるまでになった。
とはいえ、クラウドファンディングにはまだまだ改善していかないといけないことが山のようにあるし、業界でシェアNo.1になったくらいで浮かれているようではダメだ、とも思っている。手数料や審査基準のアップデート以外にも、僕らにはやるべきことがたくさんある。
クラウドファンディングはもっと自由になれる
最大の課題はクラウドファンディング自体を広く伝える活動だ。
僕はクラウドファンディングを当たり前の存在にしたいと思っている。
「こんなことができたらいいな」と思ったら、真っ先にクラウドファンディングのことが思い浮かぶくらいのレベルまでいきたい。
今、世の中にはネットサービスがどんどん立ち上がって、中には月に数万人規模でユーザーが増えていっているものもある。そう考えると、僕らのサービスがいくら成長しているからといって、月に数百件しか立ち上がらない現状で満足してはいけない。もっともっとハードルを下げて、もっともっと自由にして、このプラットフォームを認知させないと、社会を良くしていくところまでは届かないだろう。
その普及のために、仕組みを改善することは実務レベルの話なので比較的やりやすいと考えているが、少し時間がかかりそうだと思うのは、世間のマインドを変えること。
例えば、以前、CAMPFIRE上で「スマホの修理代を集めたい」というプロジェクトが立ち上がってネット上で議論になったことがある。
「そのくらいの金額、自分でなんとかしろ。甘えるな!」「まるで物乞いだ!」と、かなり心ない意見が目立ったのが印象的だった。
これはつまり、「個人的に必要なお金をクラウドファンディングで集めることは是か否か?」という議論である。
これはクラウドファンディングを語るときにいつもついてくる話だ。
でも本来は単純な話で、そこに出す価値を見出す人は出すし、見出さない人は出さない。価値観が多様化したことで人がお金を使うときの「向き先」も多様化しているからだ。
そもそも、「それくらいなんとかしろ」と思うより、「それくらいだったらみんなで」という発想のほうが楽しいし、優しい。
得られるリターンは感謝状だけかもしれないけど、それによって人を応援したり、夢を買ったり、単にネタとしてその物語に乗っかったりすることで得られる付加価値は人それぞれ。だから一番理不尽に聞こえたのは「クラウドファンディングをそんな用途で使うな」という批判だった。じゃあ、どんな用途だったら「正しい」のか? それを決めたのは誰か? クラウドファンディングはもっと自由になるべきだ。
人のマインドを変えるには情報が不可欠だ。
日本中にある小さな物語をもっと発信していけば、「自分もその物語に参加したい」と思ってくれる人が増えるかもしれない。
そんな思いで、CAMPFIREとBASEでタッグを組んで立ち上げたのがBAMPというメディアだった。
そもそも、僕がCAMPFIREに絞って活動している理由は、クラウドファンディングは人生の選択肢を増やし、自由な生き方を可能にする手段として強力なプラットフォームであると信じているからだ。
なぜ多くの人は、人生の多くの時間を好きでもない仕事に費やすのか?
それは、他に生活費を稼ぐ手段がないと思い込んでしまう世の中があるからだ。
なぜ多くの人は、富や権力に取り憑かれてしまうのか?
それは、富や権力が自己実現の可能性を広げる唯一の選択肢だと思い込んでしまう状況があるからだ。
なぜ多くの人は、大きなものに依存してしまうのか?
それは、自力で生きていくことは限られた強い人にしかできないと思い込んでいるからだ。人が生きづらさを感じる瞬間というのは、既存の社会にお膳立てされた仕組みや価値規範にフィットしないときに多い。
だから僕は選択肢を増やしたい。
冒頭で触れたキーマカレーの話にしても、今までの常識で考えると、誰かが「レトルトカレーを作りたい」と思ったら食品会社にサンプルを売り込むか、事業計画書を書いて銀行から資金調達をして自ら起業する必要があった。
これでは声をあげたり、行動を起こしたりするときのハードルが高すぎる。
でもクラウドファンディングは、その選択肢となりうる。
働き方や生き方、自己表現の仕方、人とのつながり方などの選択肢が増えれば、世間体や会社の評価、社会のルールのような「外」ばかりに意識を向けてしまうばかりではなく、純粋に自分がやりたいこと、自分が幸せを感じることを追求していくことができるようになるはずだ。
第2章で紹介したように、選択肢はどんどん増えている。僕個人としてはこの流れを、金融のアップデートを通じてもっともっと加速させていき、範囲を広げていきたいと思っている。
【02】 小さな経済圏への環境整備
小さな経済圏を作り上げるためには、環境を整備する必要があった。
クラウドファンディングの普及にあたっては仕組み上の大きな課題がある。それは、支援者にちゃんとリターンが返ってくるのかという不確実性だ。
実際、日本ではそこでリターンが返ってこないトラブルは滅多にないものの、クラウドファンディングの元祖であるアメリカのKickstarterでは、目標金額に達したのに約束したリターンが返ってこない案件が全体の半数くらいに及ぶそうだ。
このような懸念を払拭しないと、お金の流れはなめらかにならないし、クラウドファンディングの文化そのものを定着させることも難しい。そこでCAMPFIREは東京海上日動と組んで日本初のクラウドファンディング保険を導入した。
これによって万が一あるプロジェクトでリターンが返ってこない事態が起きたとしても、支援者には保険会社から補償金という形で支援をした分が返ってくるため、心理的な障害はかなり取り除けたと思う。
この保険によって支援者が安心できるのは当然のことだけど、実はプロジェクトオーナー側にも大きなメリットがある。
彼らは「お金は集まったけどうまくできなかったらどうしよう」という目に見えない不安を抱えている。保険があればそうしたストレスから解放されることになる。
ちなみに保険料はCAMPFIREが支払っているので、CAMPFIREに掲載されるあらゆるプロジェクトにこの保険が適用される。
当初はプロジェクトオーナーに任意で負担してもらう仕組みも検討していたけど、保険会社から上がってきた見積もりを見て、当面は当社で負担する形にした。
クラウドファンディング保険はアメリカでも実験的に始まっているものの、あちらは保険料が高いので、プロジェクトオーナーが任意に選んで保険料を自ら払う仕組みを採用しても、ほとんどの人が使えないそうだ。
なぜ日本では保険料が安いのかというと、過去のトラックレコードを調べた結果、目標金額に到達したのにリターンが返ってこない事例がほとんどなかったから。だから話も順調に進んで、日本初の試みであるにもかかわらず保険会社に打診してからわずか3ヶ月で契約を結ぶことができた。
また、保険によってお金の心配がなくなったとしても、せっかく支援するなら本当に実現するのかどうか気になるのも出資者の心情だ。
そこをカバーする試みとして、今検討中なのがCAMPFIREエスクローサービス。これはCAMPFIREがプロジェクトにお墨付きを与える仕組みだ。
クラウドファンディング運営者が「これはダメだろう」という判断を下すのは良くないことだけど、プロから見て「これは事業計画が練りに練られていて、実績もあって、固定のファンも多いからきっとうまくいくだろう」という信頼性の高いプロジェクトについては、認定マークのようなものをつけたらどうだろうかと考えている。実現すれば、こちらも支援者の心理的な障害を取り除く効果を期待している。
クラウドファンディングの流通規模を拡大させるには、プロジェクトをたくさん集めるのと同時に、お金を出す機会を増やす必要がある。
その刺激策として準備を進めているのが「CAMPFIREトークン」という仮想通貨。
とはいえ、その仕組みは世の中にあるポイント制度と変わらない。支援額に応じてポイント(トークン)がもらえ、溜まったポイントは他のプロジェクトの支援に使える、というもの。
お金の流動性を高め、支援の循環を促すための取り組みだ。
例えば友人がCAMPFIREでプロジェクトを立ち上げたから応援してみたという人がいたとして、そこで「ポイント」をもらえたら、それを有効に使おうと思って友人以外のプロジェクトにも興味をもってもらえるかもしれない。
CAMPFIREトークンはプロジェクトオーナーがそれを受け取るタイミングで現金化されるので、実質的にはCAMPFIREが出資者にキャッシュバックしているのと同じことになる。
会社としてただ見るだけなら短期的な利益が減るけれど、「お金をもっとなめらかにしたい」と活動をしている会社が内部留保をコツコツ溜め込んでもしょうがないと思っているので、どんどんCAMPIFRE流通網にお金を還元していって支援の連鎖をより活発にしていきたいと思っている。
また、従来のクラウドファンディングというと打ち上げ花火のイメージが強かった。
「こんなことがしたいです! ご協力お願いします!」という声に対して賛同者がワッと集まり、プロジェクトが成功したら「ありがとうございました!」で終わる、ワンショットのものがほとんどだ。
イベントを仕掛けたいとか、お店を作りたいとか、ものづくりがしたいといった、短期的にお金を集めるプロジェクトには向いているけど、プロジェクトオーナーによっては月額で少しずつ集めたいという人もいる。例えばNPOなどは、実は毎月の運営維持費を確保することのほうが切実な問題であったりする。
そういう資金調達の需要があるならば、それに賛同する人もいるはずだということで始めたのがCAMPFIREファンクラブ。あるプロジェクトに対して毎月、定額支援を行うためのプラットフォームだ。
実は僕らとしても、CAMPFIREを使って実際に声をあげて、行動を起こしている人たちと長期的なお付き合いをしたいという思いもこのサービスの立ち上げの背景にある。
例えば地方の若いアーティストが自分の作品を見てもらいたいと思って個展の開催費用を募ったとする。僕も一時期、画家を目指していたので、こうやって声をあげるまでにどんな葛藤があったのかなと勝手に妄想が膨らんでしまうし、どうしても応援したくなってしまう。
でもCAMPFIREとの接点は資金調達までなので、目標金額を達成した瞬間を眺めながらモニターの前で「おめでとう」といくら思っても、関係は一旦、そこで切れてしまう。これって結構、寂しい気分になるし、その後、どうなったのかも気になる。その点、継続的なサポートができる仕組みがあれば、応援したい人や団体を定点観測し続けることができる。
声をあげた人にとっても応援する人にとってもwin-winの仕組みになってくれたら嬉しいな、と思う。
目指すのは金融包摂
僕がCAMPFIREに復帰してからの改革策を一気に紹介してきたけれど、CAMPFIREで僕が行いたいことを言い換えると、金融包摂という言葉でも表現できる。
世界銀行による「金融包摂(Financial Inclusion)」の定義は「すべての人々が経済活動のチャンスを捉えるため、また経済的に不安定な状況を軽減するために必要とされる金融サービスにアクセスでき、またそれを利用できる状況」ということ。昨今話題になっている、社会的困難を抱える状況でも社会参加の機会を与える、社会包摂という動きの金融版と表現することもできる。
元来、金融システムは既得権益に守られがちなので、金融のあり方は、金融機関による自助努力か国によるトップダウンでしか変化が期待できないものだった。
しかし、フィンテックの波が大きくなったことで、僕たちベンチャー企業が金融の分野でも声をあげられるチャンスが回ってきた。今こそ、膠着した金融のあり方、行きすぎた資本主義をアップデートする時が来ているのだ。
意識していたわけではないが、自分の取り組みを振り返ると、今までの僕の活動は主に社会包摂に取り組んでいた気がする。
レンタルサーバーやカフェ、シェアハウスなど、逃げ込む居場所、自己表現をする居場所などを作ってきたが、そこで何かをアクションを起こす時には、どうしてもお金の問題がつきまとう。
資本主義経済において、お金は大切なものなので、それがなくては動かないからだ。
居場所があっても動けない、そんな状況の人はたくさんいるのではないか? そうした人たちがお金を得て、活動できるようになるにはどうすればいいのか……。そうして思考を重ねていくうちに、従来の金融システムの穴をコツコツと埋めていくように、目の前の課題に取り組んでいけば、金融包摂への一助になれるのではないかと考えるようになった。
ここで強調したいのは、誰しもが声をあげられる世界を作るために大事なのは、金融包摂の形をどう作るかということ。個人の時代が訪れても、一人で何もかも出来る人は限られる。個人に責任もリスクも押しつけるのは違うだろう。やり方は個人が選択できる状況が理想だ。
クリエイターや起業家、アーティストなどの個人が小さな経済圏を作って、小さく稼ぎながら生きる。無名なまま小さな幸せを大事にしながら生きる人も、その中から有名になる人も出るだろう。大事なのは個人が経済を選択できる世の中にいるということ。
従来の単一的な〝大きな傘〟による金融包摂からこぼれ落ちる人が出てくる中で、これから個人が経済を選択できることはとても重要だが、「個人のエンパワーメント」とか「評価経済」の名の下に個人に責任やリスクをただ押しつけるのは、社会からこぼれ落ちてしまう人が増えるだけの結果になるだろうと感じる。
プラットフォーマーとして、自分たちの描く未来にどういった負の側面があるのか、ということに常に自覚的でいなくてはならない。
ソーシャルレンディングで世界の選択肢を広げる
また、僕らがここ1年で改革してきたことは主に購入型クラウドファンディングだ。
でも実は購入型クラウドファンディングはクラウドファンディング市場全体の9%にすぎない。流通量の大半を占めるのは貸付型クラウドファンディング。ソーシャルレンディングとも呼ばれる。
これからの時代、僕たちは自分のお金ともっと真剣に向き合って、どう使うのか、どう回るのか、そしてその結果、どう潤って、どういうベネフィットが生まれるのか、一人一人考える必要がある。
そのとき、クラウドファンディングの流通規模が小さければ意味がない。
金融のあらゆる領域を民主化していって、金融包摂を実現するためには、やはりこの領域に参入することは不可欠なのだ。
もちろん、ただ参入して他社と同じようなことをすることに関心はない。
今のソーシャルレンディング業界をながめると、扱っている商品(ファンド)はみんなでお金を出し合って不動産を買って、家賃収入や売却益をシェアしましょうといった純粋な資産運用目的の商品が中心だ。しかも、いずれも担保がしっかりしていることも特徴で、それこそ銀行に行けば普通に融資がおりそうな「手堅い案件」ばかり。
僕がソーシャルレンディングに参入することを決めた動機は、本当にお金が必要だけど銀行では断られてしまう人たちにお金を循環させる仕組みを作りたいと思ったからだ。
中でも特に注目しているのがソーシャルファイナンス。
例えば日本にはアグリバディという名前のアグリテック(農業XIT)企業がある。
彼らは日本でファンドを組成して、日本人からお金を集めて、そのお金をカンボジアの農家に融資している。現地の人たちはそのお金で農機具を買って、がんばって畑を耕して、コツコツお金を返していく。
新興国は往々にして融資制度が整備されていないケースが多いので、「ひと旗上げてやろう」というやる気は十分あるのに、資金調達で挫折する人たちがたくさんいる。
そういったところに、すでに経済成長をなし遂げた日本からお金が回っていく。このアグリバディは国境を超えてお金をなめらかにしようとしている。
もし僕たちがソーシャルレンディングを本格化したら、こうした活動も可能になる。例えば僕たちが新興国に子会社を作って、日本で集めたお金をその会社に貸して、その子会社が地元の農家に融資するようなこともできるかもしれない。
また、従来のスキームではお金が借りられない人にお金を貸すといっても、誰でもOKというわけには当然いかない。
そこで必要になるのは新しい与信モデルの確立だ。
今、金融業界における与信といえば銀行頼みだけど、景気がいいときは融資が不要な企業でもどんどん貸りられる一方で、景気が悪くなるととたんに貸りづらくなるのが銀行。その判断基準もこちらからはあまりよく見えない。
でも絶対にとりっぱぐれのない担保がないとお金が借りられないなら、力がまだない人たちはいつまでたっても声をあげられない。それに自己破産経験者とかフリーランスなども、たったそれだけの理由で「信用力無し」と烙印を押され、お金を借りることができなくなる。
僕はこうした従来型の与信の仕組みは、テクノロジーの力でアップデートできると思っている。
いくつかの方法がある。
例えばCAMPFIREレンディングというサービスでは「伝統技術を使った新しい工芸品を作りたい」というプロジェクトがあった場合、最初のサンプルを作る費用は購入型のクラウドファンディングで集め、その結果(実績)を信用情報として使って、量産化の費用を融資する方法なども可能にした。
ここで重要なのは過去のデータだ。それを分析していけば、様々な信用の基準が見えてくるはずだ。
例えばCAMPFIREの過去数千件のプロジェクトを分析してみると、初日に目標金額の10%に到達したプロジェクトのサクセス率は9割というデータが出ている。
こうしたデータはクラウドファンディングをやってきた僕らだからこそわかることで、クラウドファンディングに限らず、ネットサービス各社が持っている。
だからSNSで友人が3000人いるとか、経営者の知り合いがいっぱいいるとか、他社と連携してデータを共有することで従来の与信データに変わる全く新しい基準が生まれる可能性は大いにある。
もちろん、中には「そんな頼りないところにお金を貸したくない」という人もいるだろうし、それは投資家として自然な判断だ。
でも、その一方で「せっかく投資をするなら、誰かのためになりたい」とか、「資産運用をしつつ地元の企業を応援したい」といったニーズもきっとあると思っている。
ただ、個人への融資について僕たちの頭を悩ませているのが法律の壁。
日本ではある人が個人的な目的で融資を受ける際、借り手を保護するために個人情報を開示できない。個人情報が特定できるとお金が返せなくなったときに貸し手が直接取り立てにいく可能性があるからだ。
でも、海外だと普通に開示していて、若い子が「学校に行くお金がないから貸してください」と世界に発信して、みんなが少しずつお金を貸すという流れができている。
個人への融資は、購入型クラウドファンディングが現在そうであるように、「この人なんだか好感が持てるからお金を出そう」という、理屈だけではないモチベーションで動かされることが多い。
そのため日本の今の法律のままではできることは限定されるが、できる範囲でそれに近いものを実現すべく、検討をすすめている最中だ。
眠ったお金で社会をよくする
また、僕がソーシャルレンディングで将来的に行いたいと思っていることが、NPOバンクやソーシャルインパクトボンドのようなマイクロファイナンスの取り組みだ。
NPOバンクは日本では10年くらい前から市民による新しい金融の形として注目を集めるようになった。
仕組みはこうだ。NPOバンクはその趣旨に賛同する市民から出資を募る。そのお金を使って、環境問題や社会問題などに取り組むNPOや個人に低金利でお金を貸し出す。満期になると出資者のもとにお金が返ってくる。
銀行ではないので元本保証はないが、自分のお金が社会をよくしたことを実感できるのがメリット。寄付でもなければ、投資でもない、ちょうど中間的な存在だ。
全国NPOバンク連絡会のHPによると、正会員は12社存在する。
似たような仕組みとしてもう一つ注目しているのが、イギリス発祥のソーシャルインパクトボンド(社会的インパクト債)。
簡単に言えば、民間が行政の代わりに「若者の就労支援」「子供・家庭支援」「再犯防止」「生活困窮者支援」といった社会的課題の解決や予防に取り組み、その結果をふまえて行政側が「削減できた行政コスト」の一部を民間に支払うというもの。
でも支払いは案件がすべて終わったあとにされるので、課題解決に取り組む民間団体は運営費が不足してしまう。そこで運営費を賄うために使われるのがこのソーシャルインパクトボンドで、投資家は社会貢献をしつつ案件が成功すれば経済的なリターンがもらえる。
行政は行政、民間は民間といった従来の縦割り構造を飛び越えて手を取り合っているところにこの取り組みの可能性を感じる。
日本でも2015年に神奈川県横須賀市と日本財団がこの仕組みを使って児童養護施設の子どもたちの特別養子縁組をすすめる試みをスタートさせている。
出資者から見たNPOバンクとソーシャルインパクトボンドの違いは、前者は出資先の団体を自分で選べないのに対して(間接金融)、ソーシャルインパクトボンドは自分で選べる点だ(直接金融)。
この取り組みに興味をもった背景にあるのは、800兆円もある日本のタンス貯金の存在。
よく日本人は貯金が好きだと言われるけど、実際に貯金をしているのは高齢者だ。もしそのお金の一部が社会問題に取り組む団体や何かにチャレンジしたい若者などに循環すれば、世の中はもっと面白くなる。
そのとき、「若い人にお金をあげましょう」なんて言ったところで大きなムーブメントにはならないけど、「一時的に貸すだけ」なら賛同してくれる人が大勢いると思う。
それに僕らはクラウドファンディングのプラットフォームを持っているから、マイクロファイナンスをもっと普及させることができるはず。
例えば現状だとソーシャルインパクトボンドに投資しているのは超富裕層や大企業のような大口顧客が中心だけど、クラウドファンディングでソーシャルインパクトボンドを扱うことができるようになれば少額をたくさんの人から集めることが可能になるわけで、お金の循環がよりなめらかになると思っている。
もしくは、他の運用商品と組み合わせるという方法もあるだろう。例えば、ロボ・アドバイザーによるポートフォリオの自動提案のなかに、1%だけソーシャルインパクトボンドを入れるオプションをつけるといったアイデアだ。たったそれだけでも結構な額が社会貢献領域に流れると思う。
【03】 10年後のCAMPFIRE
最近、出会う人たちから「CAMPFIREの勢いすごいね」と言われるけど、自分の中ではあまりそういう感覚はなくて、やるべきことを一つ一つやっているだけという感じだ。
ビジネスであろうとなんであろうと、やるべきことが決まっているなら、あとはそれをどれだけ早くやるかが大事というのが僕の考え方。CAMPFIREに復帰するまで色々アイデアを溜めていたので、それを一気に実現している真っ最中だ。
社員は僕が代表になってからの1年ちょっとで5人から70人に増えた。
この先、CAMPFIREがどこへ向かうのか。小さな経済圏が拡大することで、どんな世界が待っているのか、取材で聞かれることもあるけど、明確な答えはない。
ただ確実に言えることは、絶えず時代に対して課題意識を持ち続け、一つ一つ解決策を模索して、みんなが自由に生きられるような、選択肢の多い社会を作る活動を続けていくということだ。
そう考えると、もしかしたら10年、20年後のCAMPFIREは金融領域の活動範囲をどんどん広げていった結果、新しい形の銀行のような存在になっている可能性は大いにある。
テクノロジーが変える僕らの未来
「自分の人生」「自分にとっての幸せ」といった内的な充足感は、社会構造が大きく変わっていく近い未来において人々の活動の主たる原動力となっていくと思う。
人工知能やロボットによる仕事の自動化の流れについて「僕らの仕事を奪っていく」みたいなネガティブな言われ方をされるケースが多いけれど、人間の活動をアシストするのがテクノロジー本来の意義だ。
複雑な計算とか、力作業もしくは緻密な作業、決まり事に従うだけのルーチンワーク、もしくは命を危険に晒すような仕事が人間の手から離れるのは当然のことだと思う。
例えばその結果、農業の自動化が進んで、物流も自動化され、調理も自動化されたら、僕らはもはや食べ物に困ることがなくなる。
そんな時代になったら、「会社のために生きる」とか「生活費を稼ぐために生きる」といった、生きる目的を外部に依存することができなくなる。
そこで唯一重要なことは、自分の内的欲求をいかに満たすかであって、自分なりの生き甲斐を見つけて、幸せを追求できるかだ。
それができないと、なんのための人生なのか悩み続けることになる。
定年退職したお父さんが、急に気持ちの拠り所がなくなってしまって心を崩してしまうのと全く同じだ。
世の中は個人の自由や幸せに価値を置く時代に確実になっていく。
それはまだまだ先の話かもしれないけど、近い未来を考えても働き方は今以上にだいぶ変わっていくだろう。
たとえば2016年はVR(仮想現実)が本格的に普及しだしたけど、10年もすればVRで打ち合わせするなんてことも当たり前になっていると思う。
今でもスカイプはあるけれど、大事なミーティングは対面で、というケースが多い。それは2次元の世界では相手の仕草や表情、その場の空気感などが伝わりきらないからだ。でもVRがあればそれを補完できる。
ということは社員全員が仮想空間(バーチャルオフィス)で仕事をする会社も生まれてくるだろうし、そうなってくると家賃の高い東京に住む必然性が薄れてくる。遠方の友達と遊びたくなったら、VRでプチ海外旅行でもすればいいのだ。
それに地方に行けば中古の一戸建てが数百万で買えたりするし、自治体によっては無償で提供するところもある。そこで共同生活をすればさらに生活費がかからない。
ということはフルタイムで働く必要すらなくなるということだ。
その意味は大きい。
しかも政府もその方向で動いている。正規雇用と非正規雇用の区別をせず、純粋に働いた時間に応じて給与が支払われる「同一労働、同一賃金」の実現だ。それもあわわせて実現すれば、「週休4日の在宅ワーク」のような働き方が一般的になるかもしれない。
そして空いた時間を使って、僕らは自分の好きなことに没頭できるようになる。
言い訳をなくしたい
以前、ツイッターで誰かが「家入さんは言い訳をなくしたいんだな」と呟いていたのが、今でも頭に残り続けている。
お金がないからできないとか、時間がないから無理とか、人はできない理由を作るのは得意だ。そんな中で僕が作ってきたプラットフォームはできない理由を一個一個なくしていると、その人は言っていた。
確かに、CAMPFIREはお金がないからできないという言い訳をなくす。
ネットショップのBASEは、自分の店を持てないという言い訳をなくす。
リバ邸は居場所がないから生きたくないという言い訳をなくす。
その指摘を聞いて「なるほどな」と思った。
行動を起こすときに言い訳になるような障害がない、なめらかな状態。
選択肢を増やすということは突き詰めるとそういう社会のことだ。
そんな自由な社会をどう滑走していくのかは本人の生き方にかかっている。
金融のアップデートを目指すCAMPFIRE。
同社の代表取締役会長に就任した、ライフネット生命の発起人でもある谷家 衛氏と、家入一真氏が対談。
なぜ「資本主義は行きすぎて」しまったのか。急速に世の中の金融システムが変化していく中で、二人が見据える「今」と「未来」を語る。
─2017年から谷家さんがCAMPFIREの会長としてジョインされました。お二人の出会いは?
家入:谷家さんと初めてお会いしたのは5年前。「資本主義は行きすぎたんだ」っていうことを熱く語られていたのがとにかく印象的です。この本でも「行きすぎた資本主義」という表現を使っていますが、これは谷家さんから受け継いだものです。
最初に聞いたときは「バリバリの投資家のくせに何を言っているんだ」って思いましたけど(笑)。
谷家:ヘッジファンドをやっていたからね(笑)。
家入:そのとき、谷家さんはマインドフルネスの話とかもされて、ちょうど僕も、親鸞とかの仏教を哲学的に捉えるのにハマっていて結構盛り上がって。あと、僕が当時やっていたリバ邸の活動の話とかでもすごく意気投合して、それ以来、仲良くさせてもらっています。
─どういった点で資本主義が行きすぎたと感じられますか?
谷家:僕はもともと投資銀行でアジアの投資責任者をやっていて、その後、アメリカの割と大手のヘッジファンドを日本に持ってきてそれをマネジメント・バイアウトして、自分もヘッジファンドをやっていました。
そんな中で、もちろん自戒を込めてですけど、いろんな行きすぎたところがあると感じています。
簡単に言うと、投資を目的とするお金が増えすぎたこと、それが動くスピードが早くなりすぎたこと、そしてすべての資産のボラティリティ(振れ幅)が大きくなったこと、ですね。
家入:実態との乖離みたいなものですよね。
谷家:そう。価格というのは需要と供給で決まりますが、その需要には「実需」と「投資目的」の2種類あります。
例えば原油価格が昔は30ドルだったとして、価格が小幅に上下しながら経済成長に伴って最終的に70ドルに上がっていくみたいな形。これが「実需」を中心にしたシンプルな資本主義での価格の推移の仕方です。いわゆる、フェアプライス。適正価格ですね。
家入:でも実際にはいろんな思惑を持った人たちが……。
谷家:そうです。「実需」より「投資目的」で売買する額があまりに大きくなってしまったのが今の資本主義。「投資目的」ではレバレッジをかけるのでその売買がマーケットにもたらすインパクトがとても大きくなります。原油の例で言えば、リーマンショックの前は150ドル近くあったものが、リーマンショック後は暴落して30ドルを切ってしまいました。これはいかに投資目的のお金が価格を吊り上げていたかを示すいい例です。
一方、これが社会主義の国では価格は何年も30ドル固定で、たまに国の号令で一気に70ドルになるような値動きをします。ジワジワ上がるのではなく、階段みたいに垂直に上がるイメージです。当然、こんな大きな変化がいきなり起きたらみんな困るので「社会主義はダメだ」というロジックがあったわけですが、今の資本主義のマーケットのボラティリティはそれ以上に大きくなってしまったということです。
─何をきっかけにして目が覚めたんですか?
谷家:98年のロシア危機です。若い方はご存知ないかもしれないけど、ロシアがデフォルトを起こして世界経済が混乱する出来事がありました。
当時、僕の上司だったジョン・メリウェザーがLTCMというヘッジファンドを作って一世を風靡していたんです。運用チームにはノーベル経済学賞をとった学者とかFRBの元幹部とかが集まって、まるで金融界のオールスターチームみたいな感じでした。
家入:へーー。
谷家:こんなメンバーが揃って、世界中の機関投資家や超富裕層のお金が集まって来るのを見ていると、絶対に勝ち組だと思うじゃないですか。
でも、結局そのロシア危機で判断を誤って、設立から4年で解散するんです。
それまでの僕は、ヘッジファンドのトレーダーとして働きながら利益を出すことが自分の存在価値そのものであるくらいに本気で考えていたし、「自分がやっていることは資本の適正配分に貢献できている」と信じこんでいました。
家入:そのとき出会っていたら、「この人超怖いんだけど」で終わっていたかも(笑)。
谷家:多分そうでしょう(笑)。でも、ロシア危機のバタバタで、自分が信じていたものが通用しないことを、まざまざと見せつけられた感じですね。
家入:「大きいことはいいことだ」の嘘ですね。大きすぎるとコケたらでかい、の典型というか。
谷家:LTCMの場合だと預かり資産に対して25倍もレバレッジをかけて運用していたんで、ちょっとでもマイナスになったらアウトだった。
でもその当時から、ジョージ・ソロスは行きすぎた資本主義というか、レバレッジをかけすぎたマネーゲームに警鐘を鳴らしていて、それ以来、僕はソロスを尊敬するようになりました。
─そうした市場原理主義に対してどのような対抗策があるのでしょうか?
谷家:当然、規制によって投機目的のお金を抑えるという対策は考えられます。ただ、現実的には難しいところもあります。実際、リーマンショック後のアメリカではその反省を踏まえてボルカー・ルールと呼ばれる規制ができました。要は「顧客の大事な預金を使ってデリバティブなどのハイリスクな取引をやりすぎるな」と銀行にお達しを出したんです。当時の銀行は本当にめちゃくちゃやっていたので。
家入:映画『マネー・ショート』の世界ですね。保身とか正義とかお金儲けとか、いろんな腹づもりが絡みあって複雑なデリバティブ商品が作られていって、結局、それを作った本人たちも含めて、みんな振り回されてしまったと。
谷家:あの映画はまさに僕がいたソロモン・ブラザーズが舞台で、中にいる人たちは「これで効率的な資本市場ができる」「合理的な価格形成ができる」と信じていましたし、まさかあんなことになるとは思っていなかったんです。
実需に比べて投資のお金が少なかったら本来の役割は果たせたと思うんですけど、問題はやはりレバレッジをかけすぎたことです。
家入:そのボルカー・ルールでだいぶ改善されたんですか?
谷家:いや、結局、経済のシステムが思惑抜きでは成り立たない体質になってしまっていて、ボルカー・ルールを厳格に行うと大恐慌が起きるみたいな流れになってしまって、うまくいかなかったんです。
で、今のアメリカのマーケットは、また投資目的のお金があまりに増えてしまって、リーマンショックの前の状態に戻りつつあるというのが、僕の感覚です。
─一旦作った仕組みを否定するのは難しい、ということですね
谷家:世界経済がつながっているのでなおさらですね。
あともう一つ、行きすぎた資本主義の問題として存在するのが価値観の偏りです。
家入:そこ、僕も気になります。
谷家:例えば、企業を成長させようとするときって、売上高や利益率といった重要なファクターをKPI(Key Performance Indicator:重要業績評価指標)にして会社の底上げを図りますよね。そのKPIだけを見て、そこをいかに改善するかだけ考えていればいい、と。
言ってみればそのKPIがその会社にとっての「幸せの判断基準」のようなものです。
資本主義のやり方も同じで、社会をものすごく単純化して、その中の経済活動のファクターの一部をKPIにして、そこだけを引き上げようとするんです。例えば国民の平均所得を上げることにフォーカスするとか。
こういったアプローチは、国民が食べる物に困っているような発展途上国を成長させるときはとても有効です。でも、経済がある程度発展してくると、そうした重要KPIを得意とする企業や個人が当然出てきて、そこばかり極端に引き上げてしまうので、社会構造がいびつな形になります。それが今、先進国で起きていることです。
家入:お金とかステータスを持つことが人生の成功である、っていう考え方はそこからくるんですね。いくらそうじゃないと声をあげても、社会がそれを許さない、みたいな。
谷家:その通り。西洋の現代的資本主義はピンポイントのファクターばかりが重視されるという意味で微分的。でも、それは全然いい状態ではありません。
─社会全体の底上げをするにはどうしたらいいのでしょうか?
谷家:微分での改善ではなく、個々が自分なりの幸せを追求したり、精神面の課題を解決したりするような、積分的な解決策を講じることだと思います。
家入:お金に代わる幸せの基準を確立するとも言えますね。
谷家:そうです。僕が注目しているのは、ヨガとかマインドフルネスに代表される東洋的な価値観と、従来の男性的リーダーシップに代わる、女性的なリーダーシップ。こうした価値観が見直される時期にきていると思っています。
家入:そういえば、一緒に奈良のお寺で一日修行とかしましたね(笑)。
谷家:行ったね。あれはちょうど奈良でLGBTの映画祭があって、僕が尊敬してやまないボリス・ディトリッヒさんが来日するというので奈良にアテンドしたとき。
彼は元々オランダの国会議員で、世界で初めて同性婚の合法化に尽力した人で、LGBTの権利を守る活動の先駆者です。
先ほど女性的なリーダーシップと言ったのは僕の中では彼のような人のことをイメージしています。性的マイノリティーの人たちって自分たちが散々傷ついてきているので、そこを乗り越えてきた人たちって、とにかく優しくて、強い。
それに僕ら一般人は、何かあったら社会の基準に合わせていけばなんとかなるみたいな感覚がありますけど、彼らは社会の基準に合わせようがないので、一度立ち上がったら徹底的に自分に正直になって自分を表現するしかないんです。だからLGBTの人は魅力的な人が多い。僕はそういう人たちが次の社会のリーダーになるんじゃないかと強く思っているんです。
家入:……というような話をする投資家さん、普通いませんよね(笑)。
僕の場合は、社会の底上げをするために必要なことは「小さな経済圏」を作ることで、貧富の格差によって困っている人たちに居場所を提供したり、いびつな社会構造で行動が取れない人たちに声をあげる機会を作ったりすることです。
谷家:こういう話をすると経団連の頭の固いおじさんたちは「だから、江戸時代が良かったんだ」とか平気で言うんですが、そういう話じゃなくて、世の中って、螺旋階段を上るように良くなっていくものだと思っているんです。
陸上の為末大さんが以前「仏教の中道とはあっちこっちに行きながら何となく真ん中を行くことなんじゃないか」みたいなことをおっしゃっていて、なるほどなと思ったんです。
例えば、彼はトレーニングをするとき、部分的なトレーニングと全体的なバランスを整えるトレーニングを交互にやるそうです。部分的なトレーニングは効率がいいけど、バランスが崩れるので今度は全体をやる。
それはまさに、螺旋で良くなっていくってことなんだと思うんです。
家入:僕はヒッピーカルチャーが好きなんですけど、ヒッピーカルチャーって資本主義とかベトナム戦争に代表される大国主義みたいなものに対して「そうじゃなくてみんなハッピーに生きようぜ!」って方向で動いていったはいいけど、最終的には「それじゃ生きていけないね」って気づいて多くの人は資本主義の方に戻ったわけです。
でも資本主義に戻ってきたときには、少しだけアップデートされている。
その典型がスティーブ・ジョブスなのかなと、螺旋階段という表現を聞いて今思いました。
谷家:そうそう。そうやって行ったり来たりを繰り返しながら社会が良くなっていく。
だから資本主義を取り入れた国にとっては、経済合理性の追求は部分トレーニングのようなもので、今の僕たちは崩れたバランスを修正するために全体的な課題に取り組む時期だと思います。
その点、僕たちは起業家なので、主体的にそれを仕掛けていく立場にいるだけで、そういう活動を家ちゃんと一緒に作れないかなと思っています。
─お金持ちになることを目指して頑張っている若者については?
谷家:いいと思います。最初はそうやって自分を表現したいんだろうし、僕も投資銀行時代はお金儲けのことしか考えていませんでした。
家入:僕も上場直後はひどい飲み方をしてたなぁ(笑)。
谷家:らしいね(笑)。それより僕が関心あるのは、その若い子が実際にお金持ちになったとしたら、その後どうなるかというところです。
例えば松下幸之助さんなんかも、創業当時は「儲けろ、儲けろ」ってめちゃくちゃ怖かったらしいんですけど、最後は神様みたいになってるわけじゃないですか。人はそうやって変わっていくものだと思っているし、もちろん、最初から多面的な性格で、ステージによってそれを使い分けているのかもしれないですけど。
家入:僕も同感で、お金儲けを否定するつもりはないんですけど、少なくとも「お金だけが幸せの基準だ」という考え方は、若い世代の中では間違いなく主流ではありません。
谷家:価値観が変わってきているということだよね。その意味では、発展途上国に行けば今でも「お金が一番」って考えていると思いますし、それは自然なことだし、社会にとっても悪くない。「成り上がって家族を大きな家に住ませてやる」とか、クラブに行って派手な服を着て「ドヤー」とか。
でも、日本はもうそんな時代じゃない。
それはやっぱり、社会を良くしようとか、幸せを再考しようといった価値観のほうに動いていっているから。だからマインドフルネスとかミニマリズムという風潮が出てくるんだと思います。
家入:「今の自分はウソの自分で、本当の自分がどこかにあるはず」って考え方は、誰しにもあると思うんですけど、そのギャップがでかければでかいほどそれがマネタイズされる原動力になるんだろうなと思っていて、そこを膨らますことを過剰にやりすぎたのが今の日本だと思うんです。
だからミニマリズムにしても、一回余計なものをそぎ落として、今の自分を生きるという運動の表れなんだろうなと思っていて、中には原理主義みたいな人たちもいて、「お前の部屋、なんもないじゃん」って人もいますけど(笑)、その気持ちはわかるよな、という感じはありますよね。
─話を戻しますが、谷家さんがCAMPFIREにジョインされたきっかけは?
谷家:サプライズでもなんでもなくて、僕は家ちゃんの考え方や存在が大好きで、実は僕たち、ワンライフという会社を以前に立ち上げているんです。行きすぎた資本主義を打開するために何かしようといって。
「ワンライフ」という言葉は僕が好きな言葉で、「一回しかない人生だから自分を思いっきり表現しよう」っていう意味と、「自分も周りの人も植物も動物も宇宙も、本当は一つ」っていう仏教のワンネス的な意味を含んでいます。
活動は保留していますが、会社はまだあります。
家入:ワンライフを作るときに色々話していたのは、マイノリティーの人たちに出資できたらいいね、ということ。例えばLGBTの方々が課題解決をするために起業をするなら、そこを出資という形で支援するとか。
普通のベンチャーキャピタルは「この会社は伸びるだろう」というところにしか張らないわけじゃないですか。でもそれだと従来の「微分型」の資本主義そのものなので、僕らがやる意味はありません。
そうじゃなくて、その「微分」から漏れた人たちとか、社会全体をよくしようとしている人たちに出資することに意義があると思ったんです。
谷家:その点、CAMPFIREってそういう人たちを応援するプラットフォームとしてすでに出来上がっていると。
家入:僕たちがVC的な立場からお金をドンと出すのもありですけど、クラウドファンディングを使えば、資金調達そのものが、キンコンの西野君がよく言う「共犯者」作りになるので、いろんな人を巻き込むことができます。
それに最近は寄付型クラウドファンディングも始めたので、継続的な支援もできますし。自分の会社のことなので変な言い方ですけど、本当になんでもできちゃうなって。
谷家:本当に選択肢が多いんですよ。例えば、僕が会長を務めるお金のデザイン・THEOでは、自分のことを思いっ切り表現して生きていると思う人たちに取材するOutliersという企画を進めています。
実は僕、将来的には彼らの活動を資金面で応援する仕組みを作りたいと思っていたんですけど、その話を家ちゃんにしたら「目指しているところは同じだし、支援するお金を回すことにかけてはCAMPFIREの仕組みの方がいいですよ」って言われて、確かにそうだよなと。
家入:そういった経緯があって、僕がCAMPFIREに戻ってきたのもあったし、僕たちが目指す金融包摂を実現するには従来の「購入型クラウドファンディング会社」ではダメで、やっぱり金融のプロが必要だろうということもあって、お声がけしたんです。
─会長と社長というお立場ではありますが、お互いのことをどう思われていますか?
家入:谷家さんって「灘高、東大、ソロモン・ブラザーズ!」っていう感じで、絵に描いたようなエリートじゃないですか。かたや僕は中卒の引きこもりで、ビジネスを仕掛けるときだって竹槍を持って農民一揆をやっている感覚でこれまで来たので、この対比が面白くてしょうがないんです。
で、いざ一緒に仕事をしてみると、やっぱりエリートはすごいなと思うところがあって。例えば、地方の問題を解決したいのでクラウドファンディングでお金を集めて古民家を買ってゲストハウスに変えるみたいな活動をしたいとなったら、国土交通省と話を通す必要が出てきますよね。
僕の持っているルートだと、まず担当者を探すのに必死で、さらに連絡をしたところで「返事してくれるかな」と心配するレベルなんですけど、谷家さんに相談すると「あ、そこなら灘高の同級生がいるからつないであげる」って言って、いきなりめちゃくちゃ上の官僚と直接話ができちゃう。「話はえー」みたいな(笑)。
それがすごく面白くて、僕が進んでいる道だと知り合わない人たちとの出会いがあったりする。だから僕は逆に、リバ邸に住んでる奴らとかをつなげてみたら面白いことが起きたりしないかなと思っています。
谷家:ところで家入さんはいくつになったっけ?
家入:38です。
谷家:そうか……じゃあ、もう本当の若者ではないんだけど(笑)、くり返しになるけど家ちゃんの考え方とか存在が大好きで今の若い人たちが思い描いている世界観を、一番理解し、そして体現していると思うのが彼。
それに家入さんはアーティストな感じがするんで、いい作品を作って欲しいなという思いが強くあります。「こんな作品を作ったぞ! みんなついてこい!」っていう作品ではなくて、その作品に感化されて別の作品を作る人が出てくる。そういう、常に本質を突いてくる作品。
家入:ありがとうございます。
どんな時代も生きづらさを抱える人たちは絶対にいるので、そういった人たちのために「僕らはこういうやり方やってみるよ」っていうスタンスを見せることが僕の今すべきことだと思っていて、それはCAMPFIREやリバ邸のようなプラットフォームを作ることかもしれないし、それ以外の活動かもしれない。例えばこの本とか。
数年前までは割と過激なことを言ったり、書いたり、やったりしていて、都知事選に出たのもその流れなんですけど、実際にそれをやると反対側にいる人たちから反感を買ったり、僕がそれを主張することで逆に生きづらさを感じてしまう人たちがいるってことを考えると、「こういうのもあるよ」っていう選択肢を作っていくことが大事なんだと思いますね。
それに自分の作品にこだわるつもりもなくて、今の時代の抱える課題に対して他のやり方で活躍される人たちもたくさんいるわけで、そういった人たちと連携しながらやっていければなと思っています。
でも、谷家さんもアーティストだと思うんです。ライフネットにしろ全寮制インターナショナルスクールのISAKにしろ、発起人ですからね。
谷家:確かに言い出しっぺではあるけれど、ライフネット生命の出口さんや岩瀬君にしても、ISAKの小林りんちゃんにしても、事業は結局誰がやるかにつきますよね。
そういう意味でも、CAMPFIREでも僕はあまり出しゃばらずに、家ちゃんの感性に任せていけば、一番面白くてすごいいことができるんじゃないかと確信しています。
─日本でクラウドファンディングはまだまだ発展の余地はありますか?
家入:あると思います。というより、発展させるように僕らがそのプラットフォームをどんどん進化させていかないといけません。
これからの若い人たちのお金の行き先ってすごく多様になっていくというか、銀行に預けておけばOKじゃなくなるし、ものを買って幸せになれる時代でもなくなります。
だったら一部はマイクロファイナンスのようなものに出すとか、好きなアーティストの活動を支援するみたいなことがあってもいいと思うんです。もし将来のためにお金をとっておきたいなら、THEOで積立投資をして利回りを得るとか。
谷家:ありがとう(笑)。
日本って寄付が集まらないって言われてますけど、実は赤十字とユニセフの寄付金って日本が一番多いんです。要は、名もない善意、ごく普通の人たちの寄付する額がすごく多いということです。
でも、普通の人たちこそ自分が何を支援しているのか知りたいはずなのに、何もわからない。その点、クラウドファンディングだったらちゃんと知ることができますし、自分で選ぶことができます。その意味でもクラウドファンディングは日本に絶対必要で相性がいい。
僕の知り合いでアジアのソーシャルアントレプレナー(社会起業家)を応援する活動をやっている人がアジアに何人もいるんで、それをCAMPFIREにつなげて、日本の一般の人たちが自分で選んで寄付するという仕組みも考えています。
家入:それに日本にはもともと、頼母子講とか無尽とかあるわけで。あれってマイクロファイナンスそのものですからね。それに日本は保険大国ですけど保険もある種の相互補助の形です。
谷家:生協もそうだよね。インドとか行くと「ここにも生協みたいなのがあったらいいのにな」って思いますし。
家入:日本って生協の仕組みがうまくいった数少ない国なんですよね。生協もシェアリングエコノミーの代表例ですし。そういう意味ではもともとそういう国民性はあると思います。
─谷家さんはライフネット生命の発起人でもあるのでどうしてもお聞きしたいのですが、金融包摂を目指すCAMPFIREで保険の取り扱いは検討されていますか?
谷家:ライフネット生命のスタイルは金融包摂の手段として素晴らしいサービスだと思います。オンラインに特化してできるだけ保険料を安くするとか、補償金がすぐに支払われるとか、気軽に就業不能保険に入れるとか。
ただ、損害保険の領域については劇的に変わっていくと思っていて、例えば自動車保険を考えてみても、自動運転が普及したら「自分は一切運転していないのになんで保険料を払う必要があるんだ」という話も当然出てきます。
家入:今年か来年あたりにインシュアテック(ITによる保険のアップデート)がくると言われていますけど、僕たちがやりたい金融包摂の領域自体がある種、保険に近い部分もあるんだろうなと思いますし、フィンテックとインシュアテックは地続きだと思っているので、色々調べながら進めていければなと思っています。
あと、日本の保険業界は規制産業なのでやりづらいこともあると思うんですけど、欧米ではかなり進んでいます。
例えばアメリカのレモネードという会社は、家財保険を提供するインシュアテックのベンチャー企業です。ChatBotでやりとりするだけで自分に最適なプランがわかったり、保険金を請求するときは部屋の状況をライブカメラで写せばいいといったように、UIだけでもすでにすごいんですけど、僕がいいなと思っているのはP2P保険と言われているその保険の仕組みです。
通常、顧客から集めた保険料から保険金を支払った余剰金は、保険会社の利益になりますよね。でも、レモネードではその余剰金を貧困問題や病児問題などの社会的課題に寄付する仕組みになっています。
どんな領域に寄付をするのかはユーザーが選ぶことができるので、それぞれの領域を選んだ人たちでグループが作られる。するとお互い協力して保険料を下げようとするインセンティブが働くんです。
谷家:面白い仕組みだよね。
家入:ただ、インシュアテックには一つ懸念もあって、それは人工知能を使った保険料の適正化です。普通に考えるとガンガンやるべきことだし、おそらくそれがインシュアテックの目下の課題とも言えるのかもしれないけど、保険の難しいところは適正化をした結果、保険料が高くなって払えなくなる人も必ず出てくること。
谷家:なるほど。
家入:例えば毎日運動して有機野菜を食べているような人と、運動はまったくせずに暴飲暴食をしている人の保険料が同じであるというのは、たしかに非合理的です。
でも、見方によってはその一律性がセーフティネットになっている部分がある。
保険とはそもそも格差を埋めるためのものなのに、適正化をすることで格差が広がって、保険に入ったほうがいい人たちが保険料を払えなくなるって、果たしていいことなのかというジレンマです。
じゃあどうするのかと言われたらまだ答えは見つかっていませんが、僕らがやるのであれば、少なくとも格差を広げるサービスはしたくないかなと。
─最後にメッセージを。
家入:普段からこんな話ばかりしているのでイケイケの経営者の方とかからよく誤解されるんですけど、僕は脱成長みたいな考え方では全然ありません。むしろ社内では「現状維持は後退だ!」とか言っているタイプです。直接言うのは恥ずかしいので、スライドとかで(笑)。
結局は成長するときの力の向き先の話になってきて、杓子定規に出世とか昇給といったビジネス的成功を追い求めるんじゃなくて、今はこんな時代でこんな課題があるっていったときに、その都度その都度、そこにどれだけフォーカスして向き合っていくか。
そこをもっと考えないといけないんじゃないかというのが根本にあります。
谷家:みんな自分なりに成長しているのが嬉しいわけじゃないですか。
僕もISAKをやるときに真っ先に思ったのが子供たちの幸せで、じゃあ幸せってなんだと真剣に考えた結果、自分なりに思ったのは、「つながりがあること」と「成長」と「自己表現」の3つでした。
大好きな家ちゃんと、彼の感性を生かしてCAMPFIREでその3つを満たすような世界を一緒に創っていけたらいいなと思います。
対談者PROFILE
谷家衛(たにや・まもる)
CAMPFIRE/取締役会長
東京大学法学部卒業後、ソロモン・ブラザーズに入社し、アジア最年少のマネジングディレクターに就任し、アジア投資部門を統括。その後独立系最大手の一つのあすかアセットを創る。また、日本初の独立系オンライン生保のライフネット生命保険を立ち上げ、日本初のインターナショナルボーディングスクール(ISAK)を着想し発起人代表を務める。
おわりに
これからの日本では、国というレイヤーを超越したところで活躍する「超グローバル」みたいな生き方と、地元で気のいいやつらと暮らしていくような「超ローカル」みたいな生き方の二極化が激しく進んでいくんじゃないかな、と思っている。
ただ、世界と比べたときに、大半の日本人の強さは「超グローバル」ではない気がしている。もちろん、世界に飛び出して地球規模の課題に取り組める人もいるけれど、むしろ小さなコミュニティを作ったり、小さな経済圏を作ったりするほうが日本人は得意なのではないだろうか。
生きづらくなった世の中を、生きづらくなったと感じている人たちが直接つながって課題を解決する。もしくは、風雪を耐え忍ぶ。
そっちの方向のほうがよっぽど幸せ度が高そうだし、自由な生き方ができるんじゃないだろうか。この考え方は、これから先、同じような課題に直面する他国の人々にとってのロールモデルにもなりうる気がしている。
だから僕の関心も、もっぱら「小さな経済圏」を作ることにある。
「小さな経済圏」を模索するときにいつも思うのは、人にとっての幸せの源は実は身近なところにあるのに、多くの人はそれに気づいていないこと。
承認欲求と似ていて、「お前がいてくれてよかった」とか「今のお前のままでいいんだよ」と言ってくれる人はすぐ近くにいるのに、その人のほうを見ずに、遠くの、不特定多数のだれかに認められようとする人がたくさんいる。
「東京に出ないと」とか「大学に行かないと」とか「正社員にならないと」とか「流行りに乗らないと」とか「クラスのみんなに好かれないと」とか、世間の価値基準みたいなものに囚われすぎてつらい思いをしている人は、実は自ら作り出した理想と現実のギャップによって苦しんでいるのだ。
それで苦しむくらいなら、自分の半径数メートルのところで満たされる世界みたいなのをつくるほうが幸せになれるかもしれないし、それが極論だというなら、せめてそういう選択肢もあることを知った上で生きることは悪いことじゃないと思う。
結局は何を幸せとするかという話になるんだろうけど、その軸はいまだに僕もわからない。というか、正解なんて、多分ない。
これが正解だと思ったけど実は違ったみたいなことは全然ありうる。
でも「これが幸せなのかな」って思えるぼやっとしたものの端っこでも見つかると、生き方はだいぶ楽になる。
この本がその端っこをつかむきっかけになったら、著者冥利につきる。
2017年8月 家入一真
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