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人生の帳尻

私事ながら、46歳になった。

それ自体に特に感じるものは何も無いのだが、飛び級のようにして60歳くらいまで行きたい僕としては、後半戦に入ったとは言えまだ40代なのか、という感じでもある。

とは言え、あっという間に50歳になるのだろう。

2024年は年初よりあまりメンタルの状況がよろしくなかった。

毎朝あれだけ必死に通っていた1回300円の町民ジムも足が遠のき、その結果15kgほど痩せてしまった。

一昨年、東京の家を引き払い長野の森に移住したのだが、もともと他人とのコミュニケーションが苦手な僕にとって、一人で物思いに耽ったり本を読む時間が増えたのは良かった。

だが、東京に出向いて人に会う機会が減ってしまった結果、それはそれで人は病むのだ、と言うことがわかった。これは収穫だ。


同世代の友人たちが、ミッドライフ・クライシス、つまり中年の危機について、たて続けに本を出している。

要するに、僕もそういう年齢に差し掛かったということだ。

自覚はまだ無いが、きっといろいろと意識や価値観の変化が内部で起きているのだろう。僕も突然、金髪にしたりしちゃうのかもしれない。しないけど。

そういえば、大学に通いたいという熱が高まってきている。

中2で引きこもり、高校もなんとか入ったが1年で退学してしまったために、人生においてちゃんと学んだ経験がほぼ無い。

芸大に行きたくて大検は取得したものの、家庭の事情などで進学は断念せざるを得ず、そのまま起業してここまで来てしまった。

因果応報、ではないが、人生とは、どこかで帳尻を合わせるものなのかもしれない。

いじめを受け不登校になった経験から、辛い状況にある人には「逃げろ」とアドバイスをすることが多い。

「逃げる」とは動物としての立派な生存本能であり、圧倒的な暴力や生きづらさを前にした時には、「闘争」ではなく「逃走」を選ぶべきなのだ。

だが、いつまでも逃げ続けるわけにもいかない。全力で逃走したあとに、安全を確認し、呼吸を整え、「ここからどうするか」を考えねばならない。

そう、逃げ続けるわけにはいかないのだ。

生きていると、逃げて未消化のまま来たものが、澱のように溜まっていく。それらが人生の折り返し地点で発露するのが、きっと中年の危機ってやつなんだろう。

大学に通いたい、なんてのも、僕にとってのそれなのかもしれない。


話題になっている作品、「どうすればよかったか?」を観た。

統合失調症を発症した姉を、弟が20年にわたって撮り続けてきたドキュメンタリーだ。

突きつけられる、「どうすればよかったか?」

僕らの人生においても、何度も自分に問い続ける言葉だろう。どうすればよかったか?

どうすればよかったか?

何度も問い続けてきた後悔だらけの人生ではあるが、人生の後半に向け、正解らしきものを見つけていくしかないのだとも思う。


パーティは終わったが、中年はまだ始まったばかりだ。

45歳から46歳となり、2025年が新たに始まったが、そこには地続きの日々があるだけだ。

だが、最近はなんとなく視界が開けてきたような気がしている。

夜明け前が一番暗い、とはよく言ったもんだ。

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家入一真 Kazuma Ieiri
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